長靴を履いた開高健

小説家開高健が書かなかった釣師開高健の姿や言葉などあれこれ

釣師・開高健に最も影響を与えた人物は?(2)

2010-02-28 22:42:04 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

釣師・開高健に最も影響を与えた人物はダグラス・パーキンソンだと私は思っている。

ダグラス・パーキンソンの名前を記憶している人はまず誰もいないと思う。「フィッシュ・オン」の第一章アラスカ編に登場するカリフォルニア出身の若いフィッシングガイドである。

釣った魚の正しいリリース法を小説家に教えたのが彼である。釣り上げた魚は疲れ切っているので、そのまま放すと、ときに溺れてしまうことがある。魚が水に溺れる。そのことを教えたのも彼だ。

三本鈎のついたルアーを使おうとする小説家に、「一本鈎(シングル・フック)です」と諭したのもパーキンソン君だ。

つまり、キャッチ&リリースと、厳格な川のレギュレーションのイロハとそれを厳守するマナーを小説家に教えたのがダグラス・パーキンソン君なのである。

この二つの教えこそが、釣師・開高健の釣りのスタイルのバックボーンになるのである。だからこそ釣師・開高健に最も影響を与えたのはダグラス・パーキンソン君だと考えるわけである。


釣師・開高健にもっとも影響を与えた人物は?(1)

2010-02-24 22:36:49 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

少し前に、釣り番組の制作スタッフに「釣師・開高健に最も影響を与えたのは誰だと思いますか?」と聞かれた。

パッと名前が浮かぶのは「釣魚大全」を書いたアイザック・ウォルトンだろう。『私の釣魚大全』や『フィッシュオン』の中にはひんぱんにウォルトン卿の名前が登場する。開高健が「釣魚大全」から多くを学んだことは間違いない。

釣りのテクニックということでいうと、釧路湿原でイトウとを釣る際にキャスティングを教えた佐々木栄松画伯や、初期におけるルアーフィッシングの師であった常見忠さんの名前が思い浮かぶ。

「もっと遠く!」の取材でニューヨークを訪れ、大西洋でストライパーを狙ったときには、当時紐育釣友会の会長だった森さんの自宅を訪れ、和室の畳に頭を付けて「どうか弟子入りさせてください」と頼み込んだなどという話も残っている。

他にも井伏鱒二、福田蘭堂などの名前が思い浮かぶが、私が釣師開高健にもっとも大きな影響を与えたと思っている人物は別にいる。無名の青年だ。

それについてはまた後日。


私の釣魚大全 ベトナムのヘンな魚

2010-02-07 22:17:26 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

「私の釣魚大全」のベトナム編のタイトルは「母なるメコン河でカチョックというヘンな魚を一匹釣ること」である。

ところが、同作品の初出である「旅」(1968年12月号)ではヘンな魚のお名前は“カチョック”ではなく”カボン”となっている。どういうことなのだろう?

耳に自信のある小説家は、外国語は自分の耳で聞いたとおりの表記をする。それが一般的な表記であっても自分の耳で聞いたとおりに書く。

ということからすると、ヘンな魚の名前はきっと小説家の耳には“カボン”と聞こえたのだろう。しかし、後で調べてみるとカボンではなくカチョックが正しかったので単行本に収録する際には“カチョック”に書き改めた。

順当に推理すればそういうことだろうと思われる。

ところが、カチョックという魚は私が調べた限りではベトナムにはいないようなのである。

実際にベトナムに足を運び、市場の魚屋に聞いたがカチョックという魚は見つからなかった。

現地の学者に聞いたが知らないという。その学者がベトナムの魚図鑑や辞書を調べてくれたが、やはりカチョックという名前の魚はいなかった。

カボンという魚がいるのかどうか、それは調べていないのでわからない。

今度機会があったら調べてみようと思う。

それにしてもカボンとカチョックは聞き間違えたにしてはちょっと違いすぎる。

なぜ名前を書き改めたのか、いまのところは謎である。

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