長靴を履いた開高健

小説家開高健が書かなかった釣師開高健の姿や言葉などあれこれ

ラピタ04年10月号「開高隊の面々」

2005-04-24 08:54:47 | 「ラピタ」バックナンバー
 ブラジルから届いた一通の手紙。Sr TAKESHI KAIKO(セニョール・タケシカイコー)と宛名書きされた手紙から、『オーパ!』の物語ははじまる。独楽がまわりはじめる。
 差出人は醍醐麻沙夫。サンパウロの日本語学校の講師で、サンパウロ人文研究所のメンバーであり、前の年の暮れに第45回オール讀物新人賞(74年)を受賞し、《作家の道へ一歩踏み出せそうな状態にいます。》--という人物からの、なかばファンレターのような、なかば挑戦状のような手紙だった。
 現在もサンパウロに住んでいる醍醐さんの許しを得ることができたので、その文面を少し詳しく紹介することにしよう。
《人文研は、主に日系移民に関する社会学的な研究をしている機関です。この人文研は不思議なことに全員釣りキチで、夕方六時を過ぎると、研究はやめて、ウィスキーを出し、釣りの話だけをします。
 この人文研に最近ある異変が起きました。中心的な研究員の斉藤広志博士(略)が今年の初め日本へ講演に行き、開高健著『フィッシュ・オン』買って帰り、全員がそれを廻し読みをし、すっかりイカレてしまいました。
 中でも最長老の河合老(測量技師)などは、会うたびに、開高ナニガシのフィッシュ・オンは・・と目の色を変えてうるさいくらいです。(略)ついに、「我々も開高健の向こうを張って(とは言いませんが、それに近い表現)釣りの本を出そう」ということに話がエスカレートしました。》
《中でもキングサーモンの描写がいいと言いあい、しかし、ブラジルに棲息するドラードはキングサーモンにひけをとらぬ筈だ、と意見一致しました。ドラードはエル・ドラード(黄金郷)のドラードで、つまり金色の魚です。激流にのみ棲息し、十数?sに達し、小魚やスプーンで釣りますが、かかってからの暴れ方は『フィッシュ・オン』のキングにひってきすると思われます。》
《それで七月にパラグアイとの国境のポンタプランまで二十日の釣行を全員ですることにしました。(あなたの文章には、分別ある人から、稚気というか、ファイトを引き出すような挑戦的なところがあるにちがいないようです)
 『フィッシュ・オン』は秋元カメラマンに負う処が大であるということで、カメラマンを募集し、邦字新聞も面白がって書いてくれたりして、ちょっとしたサワギになっています。》
《一度、機会がありましたら、ブラジルに釣りに来られませんか。(略)開高様にとっては河の釣りは、多分、もうブラジルしか、まったくの新しい釣りはないのではないかと思います。》
 この手紙をきっかけに、小説家がアマゾンの釣りについてあれこれ訊ね、それに対して醍醐氏が答えるというかたちでの手紙のやりとりが何度となく続くことになり、ことの成り行き上、開高隊の一員として醍醐氏が現地における水先案内人を務めることになるわけだ。(以下、略)
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※『原生林に猛魚を追う』(醍醐麻沙夫著・講談社刊)


ラピタ04年9月号「オーパ!」発進

2005-04-03 09:30:32 | 「ラピタ」バックナンバー
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《何事であれ、ブラジルでは驚ろいたり感嘆したりするとき、「オーパ!」という。》(『オーパ!』開高健 写真・高橋?f 集英社刊)
 46歳の小説家・開高健(1930年生まれ)を隊長とする開高隊--写真の高橋?f(28歳)、担当編集者・菊池治男(28歳)、小説家とは20年来のつきあいがあり、小説家のお守り役として同行することになったフリー・ジャーナリストの菊谷匡祐(42歳)、サンパウロの日本人学校で日本語の講師をしていた現地水先案内役の醍醐麻沙夫(42歳)--総勢5人が大河アマゾンを訪れたのは77年8月から10月にかけて。全日程65日。全行程1万6000キロ(!)。総予算約800万円(!!)。--思わず「オーパ!」と小さくうなってしまうような日数であり距離であり金額だ。
 小説家自身が『オーパ!』と名付けたアマゾン釣行記は『PLAYBOY日本版』(集英社)の78年2月号から9月号まで計8回連載され、大好評を博す。読者アンケートによる人気ランキングはほぼ毎回1位を占めた。連載をまとめた単行本(79年10月発売)--写真集のような豪華本は2800円という価格にもかかわらず10万部を越す大ヒットを記録した。--結果もまた「オーパ!」である。

 釣師・開高健が大アマゾンを目指した理由はふたつある。体長5メートル、体重200キロにも達するという世界最大の淡水魚ピラルクー--いまだかつて竿とリールで釣り上げられたことがないという巨大魚を釣り上げて、釣りの世界史に自らの名前を刻むこと。
 そしてもう一つ。その黄金色の魚体から黄金郷に由来する華麗な名前を持ち、同時にその獰猛さから“河の虎”の異名を合わせ持つドラドを釣り上げることだ。
 小説家・開高健が大アマゾンを目指した理由はそれとはまた別にあった。アマゾンから帰った翌78年の5月、某社の文化講演会に引っ張り出された小説家は次のような話をしている。
《男も四十七歳ぐらいになると、ボケてスレて面の皮が厚くなり、万事にオドロクということがなくなります。人間、オドロかなくなったら、情念が水枯れしてしまいます。砂漠です。倦怠や虚無があるだけで、毎日、ただゆるやかに少しずつ自殺するような暮らしをケチくさくだらだらチビチビと送り迎えするだけです。(略)これじゃいけないと思ったので、とにかく、もう、ただオドロイてみたいという一心で、それだけの心で、アマゾンへいきました。いま地球上で、大の男が子供のようにオドロけるところといったら、アマゾン河ぐらいしかないのじゃないかしら。》(藪の中の獣と闇』-文藝春秋刊『白昼の白想』収録-より)
 (略)
 オドロイてみたいという一心で1万6000キロもの距離をさまよい、65日間驚きっぱなしだったのが小説家にとってのアマゾン釣行だった。釣りを媒介にして新たな驚きを発見し、驚くことで日々の暮らしの中で干からびたようになっている情念に水を遣り、情念をみずみずしく保つ。40代半ばを過ぎた中年の小説家にとっては、それこそがアマゾン行きの最大の目的だったのである。
 釣りはあくまでもそのための手段という位置づけである。釣師としてはもちろん、小説家としても釣りそのものを楽しんでいる様が伝わってきた『フィッシュ・オン』(朝日新聞社)とは、この点が大きく異なるように感じられる。
 ちなみに「OPA!」は驚いたり感動したりするときに使うポルトガル語の感嘆詞で、英語の「WOW!(ワオッ!)」に相当する。実際の発音は「オーパ!」よりもむしろ「オッパ!」に近い、と高橋?fが教えてくれた。(以下、略)

※写真は当時の『オーパ!』の雑誌広告