長靴を履いた開高健

小説家開高健が書かなかった釣師開高健の姿や言葉などあれこれ

05年9月号「ターポン、ワティナンゴ、原稿」

2006-01-22 09:19:21 | 「ラピタ」バックナンバー

 南北両アメリカ大陸縦断釣行記の南米編『もっと広く!』は、《おことわり》から書きはじめられている。メキシコを南米編に入れることに対するおことわりだ。地理的には《“南米編”にメキシコを入れることにはいささか疑いをおぼえる。》と前置きをした上で、小説家は《しかし、スペイン人のコンキスタドール(征服者)上陸以後から現在までの史的体験、宗教、風俗、習慣、言語、その他さまざまな点では、リオ・グランデ以北の北米圏とは完全に異なり、南米諸国の圏に入るのである。》と持論を展開し、その上で《そこで、あくまで便宜的な立場から、南米編の初回に登場してもらうこととなった。》とことわっている。
 南米編に組み込まれたメキシコで担当編集者が交代する。北米担当の鈴木敏さん(故人)がメキシコ・シティーから帰国し、東京からやってきた森啓次郎さん(現『朝日ニュースター』キャスター)が南米担当の編集者として開高隊に合流した。
 成田で開高隊を見送ってから3カ月ぶりにメキシコ・シティーで再会を果たしたその日の夜、森啓さんは小説家にホテルの自室に来るよういわれ、遅くまで話し込んだという。
「開高さんの部屋の冷蔵庫に入っていたビール、ウィスキー、バーボン、テキーラを全部空けて、それだけじゃ足りなくてぼくの部屋の冷蔵庫もすっかりカラにしたのをおぼえてますね。
 開高さんと2人きりの時はいつも仕事の話はいっさいしない。このときも家庭の話とか、(小指を立てながら)こっちの話だとか、そんなことばかりだったと思います」(森)
 メキシコを縦断ルートに入れた目的は3つあった。ターポンを釣ること。メキシコの鯛もどきを釣ってメキシコ風に食べること。そして原稿を書くこと。
 ターポンは最大で体長2メートルにもなる巨魚で、小型ボートくらいならばグイグイ引っ張るほどの剛力で、ヒットすると豪快なジャンプを繰り返す好ファイター。海のルアーマン、フライマン憧れの魚だが、残念なことに1カ月前にシーズンが終わっており、小説家はさながら土俵に上がる前に肩透かしを食らったようなもので、すごすごと引き下がるよりなかった。
 メキシコ風の鯛もどきは名前を“ワティナンゴ”という。小説家がこの魚に注目をしたのは、それがアステカ王朝時代に王への献上魚として重用されていたという事実をどこぞで仕入れたからで、ならば《これはどうあっても一匹、釣ってみなくてはいけない。そして現地風の料理で賞味もしてみなければならない。》と思い立ったしだい。
 ワティナンゴを釣ったという話は『もっと広く!』には出てこないが、トゥスパンという小さな港町で“ワティナンゴ・ア・ラ・ベラクルサーナ”という料理を食べた話は記されている。ワティナンゴに軽く塩と衣をつけて熱い油で揚げ、それにトマトやタマネギ、ピメンタ(とうがらし)などを入れた熱く透明なスープをかけた料理で、小説家は目を細くし、舌を鳴らして「ムイ・ビエン(すばらしい)!」と叫んだそうだ。(以下、略)


05年8月号「“オタワの奇跡”を前に連戦連敗」

2006-01-08 14:16:57 | 「ラピタ」バックナンバー

★キングサーモン(アラスカ/ヌシャガク河)【惜敗】最盛期が過ぎていため不漁。2匹ヒットするも、《二匹とも水上に姿の抜ける横ッ跳びの大跳躍で逃げられてしまった。》(1章)
★スチール・ヘッド(カナダ ブリテッィシュ・コロンビア州/ディーン・キャナル川)【不戦敗】アラスカでの日程が1日ずれてしまったために予約していたホテル、水上飛行機、ガイドが《みんなオジャンになってしまった。》(2章)
★スチール・ヘッド(ワシントン州/デシューツ川)【不戦敗】
数日前に降った大雨のせいで増水、泥濁りがひどく、釣りにならず。《一瞥したとたんにおびただしい疲労が体内を雪崩れ落ちていった。》(3章)
☆ラージマウス・バス(ユタ州/パウエル湖)【辛勝】8月の3日間粘ってイモリの生き餌で釣り上げたバスがたった3匹だけ。サイズも最大で3ポンド級といまいち。《しかし、私は満足だった。》と小説家。(4章)
★ストライパー(マサチューセッツ州/ケープ岬)【完敗】場所も、季節も、潮まわりも、ガイドも、条件はすべて最高だったにもかかわらず、3日間ねばって釣果なし。ゼロ。《ストライパーは、ついに、一匹も、釣れなかった。舐めにもこず、噛みにもこなかった。》(5章)

 7月20日に日本を出発してからほぼ2カ月間の開高健の釣果である。惜敗、不戦敗、不戦敗、辛勝、完敗・・さんざんな結果だ。ケープ岬から転戦したニューヨークではブルー・フィッシュの大漁に恵まれるが、現地の釣り事情に詳しい釣り人にいわせると「ブルーは誰にでも釣れる魚」であり、「何もしなくても釣れる魚」なのだそうで、久々の大漁は多少の気晴らしにはなっただろうが、釣師としての自尊心が回復するまでには至らなかったに違いない。
 さえない釣果を引きずりながら、沈みがちな気持ちを抱えながら、開高隊総勢5人はニューヨークからいったん進路を北にとり、秋の気配が濃くなりはじめたカナダへと向かう。狙うはマスキーだ。
《これはカナダとUSAの一部の河や湖に棲む大魚である。》
《一九一九年にミシガンで捕らえられたマスキーは体長が二メートルをこえ、体重が一一〇ポンド、約五〇キロあったという(略)》
《形状はどうか。ひとくちでいうと、足のないワニである。》
《鈎がグサリと刺さると、マスキーは湖の水を沸騰させて跳躍また跳躍、かつ水面をころげまわり、疾走し、もぐりこみ、ボートめがけて突進する(略)》
 アラスカのキングサーモンに並ぶ、北米編の目玉と位置づけられていた獲物である。

--以下、略。