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日常と考えるヒント < By Taki Katayama >

< 論及、述懐、日常/旅/グルメ >

ベトナムの日常

2015-01-29 | 日常/旅/グルメ
友人からベトナムの話を書いて欲しいと頼まれました。私の知っているベトナムは、2007年頃のベトナムです。ベトナムの経済成長は、著しく、最近のベトナム事情は、良く分かっていません。日常は、それ程、変わらないでしょうと言うが、そうは思いません。特に、新興国は、変化が激しく、彼らの日常も大きく変化している筈です。

2002〜3年頃からベトナムへの投資熱が始まり、2007年のWTOへの加盟を契機にベトナム人の生活、日常は、大きく変化し豊かになっています。今では、ベトナムでも人件費の高騰が起こっており、既に、労働集約産業は、カンボジア、ラオス、ミヤンマーに移りつつあります。以下は、古いベトナムの日常ではありますが、2007年のベトナム滞在記の中から、面白そうな記事を抜粋し何回かに分け掲載します。当時のベトナムの日常を感じてみて下さい。



*抱きバイク(2007年)
ベトナムではタクシーは高値の花で未だ庶民が一般に利用出来る価格体系になっていない。

ハノイでは初乗り2キロで15,000ドン(約110円)、その後200m毎に1,000ドン(7円)づつメーターが上がっていく。

月収1,300,000-2,000,000ドン(1-1.5万円)程度の庶民にとって、タクシーは、高値の花。又、交通渋滞に巻き込まれるので、ベトナムでは庶民が利用する足はXe Om(セ・オム)となる。

これはバンコクではバイク・タクシーと言われているものだが名称が面白い。日本語に訳すとXe Om=抱き・バイクとなる。これはお客さんが蝉の様に運転手に抱きついて乗る事から来ているのだろう。オムとは抱きつくと言う意味で、町中、誰でも気軽にXe Omに乗る。

他には、Bia Om(ビア・オム)と言うのがあり日本語訳では抱きビールとなり、女性がオム・サービスする酒場を指すと聞いていますが、未だ行ってません。





*ベトナム人はブランド志向(2007年)
ベトナム人のブランド信仰は日本以上。ブランド物には目がありません。その上、ベトナムではどんなブランドでも手に入ります。

先日、私のベトナムの友人が買った短パンは、グッチとヴァレンチーノでした。両方とも同じ値段で、一枚15万ドン(約1,100円)だったそうです。勿論、偽者でラベルだけは両方とも本物に近いものでした。

男女共バイクに乗る為か、帽子は、何処でも売っています。道端でどんなブランドでも売っています。ナイキを始め何でもあり、一個2万ドン(約140円)です。

先日、ADDIDASの本物のジャンパーを買おうとお店に入りました。何と、1,000,000ドン(=約7千円)もするのです。偽者のお店を覗いたら、ズボンも付いて250,000ドン(約2千円)でした。当然、ズボンも付いた2千円のADDIDASを選びました。私も、ベトナム人と同じだ!



*ホンダのバック(2007年)
この前見た建設省の担当女史が持っていたハンドバックのブランドは何とHONDAであった。こちらでホンダのバイクは有名です。

ベトナム人はブランド志向が強いが、本物か偽物かは余り構わないようです。日本製のバイク、車、家電製品、化粧品、全て名前のあるブランドが人気です。その内、SONYやTOYOTAのハンドバックも出回るのではと思います(??)。



<ベトナム国情報>
面積:約33万KM2
人口:約9千万人(2013年、国連人口統計)
首都:ハノイ
民族:キン族-約86%、53の少数民族
言語:ベトナム語
宗教:仏教、カトリック他
歴史:紀元前207年   南越国の成立
   938年      南漢軍を破り中国から独立
   1009年      李王朝の成立、首都をハノイに定める
   1884年     フランスの保護国となる
   1930年     ベトナム共産党結成
   1945年     ベトナム民主共和国独立宣言
   1946年     インドシナ戦争
   1965年     アメリカ軍による北爆開始
   1973年     パリ和平協定、アメリカ軍の撤退
   1976年     南北統一、ベトナム社会主義共和国となる
   1979年     中越戦争
   1986年     ドイモイ政策開始
   1995年     アメリカと国交正常化、ASEAN加盟
   1998年     APEC加盟
   2007年     WTO加盟
   

政治: 元首:  チュオン・タン・サン国家主席
    政権党: 共産党、グエン・フー・チョン書記長
    国会: 一院制、定数500名、任期5年
    政府: グエン・タン・ズン首相

その他:
1986年に市場経済システムの導入、対外開放化を柱としたドイモイ(刷新)路線を継続、外資導入に向けた構造改革や国際競争力強化に取り組んでいる。ドイモイの進展の裏で、貧富の差の拡大、汚職の蔓廷、官僚主義の弊害、環境破壊などの問題も起こり始めている。



中国の大きな変化と隠れた北京ダックの店

2015-01-26 | 日常/旅/グルメ


2011年末に北京を訪問。定番の天安門、故宮を訪れました。ニュース、写真で見ている以上の迫力とその壮大さに驚きました。故宮は、その壮大さ、美しさに言葉がありませんでした。夜は、北京で穴場のお洒落な店と言われているレストラン1949-Jin Bao Jie(北京市朝阻区工体北路四号院 Tel: +86-10-6501 1949)、でワインを飲みながら、北京ダックと中華料理を食べました。どこかヨーロッパの高級中華料理店で食事をしているような雰囲気で、北京ダックで有名な「全聚徳」や「大董」に比べてもこっちらの方が洗練された素敵な店でした。

北京は、中華人民共和国の首都で、中国の華北の中央に位置する。人口は2018万(2011年)であり、中国では上海に次ぐ第二の都市。世界第二の経済大国の首都として高い影響力を有する世界都市でもある。

古くは大都・燕京・北平とも呼ばれた。蒋介石を中心とする国民政府は、南京を首都と定め、1928年6月15日に直隷省を河北省、北京を北平(ほくへい、ベイピンBěipíng)と改称した。1949年10月1日の中華人民共和国成立により北平が再び北京と改称され新中国の首都となり現在に至っている。中華民国(台湾)では現在でも公式名称として「北平」の名称が用いられている様だ。

中国には、人民弾圧の悲しい歴史がある。1966年、原理主義的な毛沢東思想を信奉する学生たちが紅衛兵呼ばれる団体を結成し毛沢東思想を権威として暴走。文化大革命である。封建的文化、資本主義的文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しようとした改革運動である。政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動という名のもとに開始されたものの、最終的には政権の中枢から失脚していた毛沢東らが、中国共産党指導部の修正主義の伸長に対し復権を画策して引き起こした権力闘争であった。この運動での犠牲者は、死者40万人、被害者1億人とも言われている。マルクス主義にもとづいて宗教が否定され、教会や寺院、宗教的な文化財が破壊された。1976年まで文革派と実権派との闘争が続いたが、1977年、小平が復活し、四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)の逮捕で、漸く、文化大革命は終結した。

今、北京を訪れると、大きな変わり様である。高層ビルが立ち並び、人々の服装は、都会的であり、地下鉄では、皆スマホを見ており、多くの車で混雑しており、人々も生き生きした顔をして行きかっている。勿論、急激な経済成長による大気汚染の問題はある。ただ、これは日本も経験した問題であり、今後、徐々に改善して行くと思われる。現在、日本でも、中国人の旅行者を多く見かけるが、日本だけでなく、パリ、ロンドン、ミラノ、バンクーバー、ニューヨーク、至る所で中国人の旅行者を見かける様になった。大した変わり様である。
皆さんも、是非、一度、天安門、故宮、万里の長城、夜の1949-Jin Bao Jieでの北京ダックを楽しんでみて下さい。