六浦の神奈川県立金沢文庫へ、学芸員の資格取得のために(博物館)実習に行っていた我が「舎弟」より...
「今度、仙台市博物館の協力で、政宗展をやるんですよ。」
...と、聞いたのが数ヶ月前。
「実習の伝を使って招待券をよこせ!」とせがんだんですが、舎弟の要領が悪いのか、はたまた、金沢文庫がケチなのか?!(マテ)
招待券は入手できず...
その後、職場内でもこのポスターを見掛け、そこに付箋で「招待券あります」と貼ってあったのですが、あまり親しく交流のない部署だったので、言うに言えず(苦笑)
今回は、しっかり自腹で観て来ました,「伊達政宗とみちのく文庫」を。
ウチ(自宅最寄り駅)から金沢文庫までは、都営浅草線を介して繋がっているんですが、如何せん、それでは交通費がちょっと・・・掛かりすぎるので、定期券をフルに使って品川まで出、ここから京急の快適な2100系快特に向かいました。
ちょい遠回りをしたので、2時間半くらいは掛かったと・・・思います。
金沢文庫までは、最寄の金沢文庫駅から歩いて10分ほど。
金沢北条家の菩提寺,金沢山称名寺の一角に在ります。
この、金沢文庫の在る旧久良岐郡六浦庄は、鎌倉の東口(朝比奈切通)に当り、海を介して東関東と繋がる要衝でした。
今も、ここから少し足を伸ばせば海に,八景島シーパラダイスまで出られます。
また、土曜の昼下がり,曇天の寒空の下、沈静な称名寺の境内に居ると、トンビの鳴き声があちらこちらから聞こえてきます。
閑静な住宅街の細道を、どこから来たのか、駅へと向かう多くの高校生とすれ違いながら進んでいくと、「金沢文庫への近道」という看板を見つけ、それに従って行こうかな・・・と思ったんですが、同じところに、称名寺が「300m先」に在ることを知って、まず先に向かいました。
いつも思うことですが、こういう古刹名刹は、晴天よりも曇天,雨天がなぜか栄えます。
とても落ち着いて、心静かに、穏やかになれました。。。
この、若干の廃れ具合がまた、何とも言えません(マテ)。
さて、当初の目当ての県立金沢文庫は、称名寺山門を潜って右手,トンネルの向こうにあります。
その隣には、中世の隧道が,
更にその右手には、越後守顕時の墓と、武蔵守貞顕の供養塔があります。
受付を済ませて、展示室へ入ると、まず目に飛び込んでくるのは、かの有名な、政宗公愛用の「黒漆五枚胴具足」と「紫羅背板地五色水玉模様陣羽織」です。
前者,兜は明珍派の(明珍)宗久、胴は雪下派の(雪下)久家の手によるものだそうです。
よく見ると、胴の、肩の部分が出っ張っているの気が付きました。
(私の記憶の限りで(^^ゞ)見たことのないモノで、ちょい南蛮風の意匠・・・に感じました。
あと、弦月の前立なんですが、ちょっと歪な感じがしましたが・・・ひょっとして、木に金箔を貼っているのか?!も、しれませね。
そして後者,ド派手な意匠が、婆娑羅で伊達な政宗公という印象を強く与えていますが、実はこれ、江戸中期に作成されたものでは?!とのこと。
即ち、政宗公はこれに袖を通していない!?ということなんです。
その根拠の一つとなっているのが、背中に大きく金糸で刺繍されている伊達家の紋,仙台笹。
これが、立派過ぎるのでは?!という疑問から、解き明かされたことのようです。
特定の例は上げられませんが、同じ近世の服飾意匠と見比べて、まぁ、確かに近いという印象は受けます。
私が邪推をするに、元禄の頃の様に思いますが...。
ちなみに、政宗公が実際着ていたとされるのが、この、「体験・政宗公」のところに用意されていた、黒に金糸の「山形文様陣羽織」(複製)。
逆行で、ちょっと見え辛いですが(^^ゞ
信長の“マント”などに似た南蛮風で、展示物の中にあった、同じく南蛮風な片倉家伝来の黒羅紗地木綿縫取織陣羽と感じがよく似ていたので、より、納得いく部分が多かったです。
ちなみに、明治期に作られた、伊達家の宝物の数々を記録した「観瀾閣宝物録」なる書物には、陣羽織に配された赤や青の丸意匠は、水玉ではなく「乱星」だと、記されているそうです。
最初から、ある意味横綱級のお出迎えを受けて面食らい、次が常設展(北条家と金沢文庫の関連展示)になった時は、一瞬ビックリしました,まさか、これだけはなかろう?!と。
もちろん、企画展の展示はこれだけではなく、1階の一部と2階全部を使って行われていました。
展示の詳細は、別に譲るとして...
紺紙金銀字一切経や、濃厚の古文書群に肖像画を目にすることが出来たので、大変満足した。
ちょっと、この後の時間が差し迫っていたので、少し駆け足で観ざるを得なかったのが残念ですが、2回、復習するかの様に観たので、未練はありません。
けど...
展示解説の時間に行ってみたら、担当が、ボランティアの翁だったのがちょっと残念。
学芸員が担当していたら、どーしても聞いて確かめたかったことがあったので(^^ゞ
しかし、中世文書は難しい,読めない(^^ゞ
※この日記は、当初の予告どおり移転しました,あしからずm(_ _)m
「今度、仙台市博物館の協力で、政宗展をやるんですよ。」
...と、聞いたのが数ヶ月前。
「実習の伝を使って招待券をよこせ!」とせがんだんですが、舎弟の要領が悪いのか、はたまた、金沢文庫がケチなのか?!(マテ)
招待券は入手できず...
その後、職場内でもこのポスターを見掛け、そこに付箋で「招待券あります」と貼ってあったのですが、あまり親しく交流のない部署だったので、言うに言えず(苦笑)
今回は、しっかり自腹で観て来ました,「伊達政宗とみちのく文庫」を。
ウチ(自宅最寄り駅)から金沢文庫までは、都営浅草線を介して繋がっているんですが、如何せん、それでは交通費がちょっと・・・掛かりすぎるので、定期券をフルに使って品川まで出、ここから京急の快適な2100系快特に向かいました。
ちょい遠回りをしたので、2時間半くらいは掛かったと・・・思います。
金沢文庫までは、最寄の金沢文庫駅から歩いて10分ほど。
金沢北条家の菩提寺,金沢山称名寺の一角に在ります。
この、金沢文庫の在る旧久良岐郡六浦庄は、鎌倉の東口(朝比奈切通)に当り、海を介して東関東と繋がる要衝でした。
今も、ここから少し足を伸ばせば海に,八景島シーパラダイスまで出られます。
また、土曜の昼下がり,曇天の寒空の下、沈静な称名寺の境内に居ると、トンビの鳴き声があちらこちらから聞こえてきます。
閑静な住宅街の細道を、どこから来たのか、駅へと向かう多くの高校生とすれ違いながら進んでいくと、「金沢文庫への近道」という看板を見つけ、それに従って行こうかな・・・と思ったんですが、同じところに、称名寺が「300m先」に在ることを知って、まず先に向かいました。
いつも思うことですが、こういう古刹名刹は、晴天よりも曇天,雨天がなぜか栄えます。
とても落ち着いて、心静かに、穏やかになれました。。。
この、若干の廃れ具合がまた、何とも言えません(マテ)。
さて、当初の目当ての県立金沢文庫は、称名寺山門を潜って右手,トンネルの向こうにあります。
その隣には、中世の隧道が,
更にその右手には、越後守顕時の墓と、武蔵守貞顕の供養塔があります。
受付を済ませて、展示室へ入ると、まず目に飛び込んでくるのは、かの有名な、政宗公愛用の「黒漆五枚胴具足」と「紫羅背板地五色水玉模様陣羽織」です。
前者,兜は明珍派の(明珍)宗久、胴は雪下派の(雪下)久家の手によるものだそうです。
よく見ると、胴の、肩の部分が出っ張っているの気が付きました。
(私の記憶の限りで(^^ゞ)見たことのないモノで、ちょい南蛮風の意匠・・・に感じました。
あと、弦月の前立なんですが、ちょっと歪な感じがしましたが・・・ひょっとして、木に金箔を貼っているのか?!も、しれませね。
そして後者,ド派手な意匠が、婆娑羅で伊達な政宗公という印象を強く与えていますが、実はこれ、江戸中期に作成されたものでは?!とのこと。
即ち、政宗公はこれに袖を通していない!?ということなんです。
その根拠の一つとなっているのが、背中に大きく金糸で刺繍されている伊達家の紋,仙台笹。
これが、立派過ぎるのでは?!という疑問から、解き明かされたことのようです。
特定の例は上げられませんが、同じ近世の服飾意匠と見比べて、まぁ、確かに近いという印象は受けます。
私が邪推をするに、元禄の頃の様に思いますが...。
ちなみに、政宗公が実際着ていたとされるのが、この、「体験・政宗公」のところに用意されていた、黒に金糸の「山形文様陣羽織」(複製)。
逆行で、ちょっと見え辛いですが(^^ゞ
信長の“マント”などに似た南蛮風で、展示物の中にあった、同じく南蛮風な片倉家伝来の黒羅紗地木綿縫取織陣羽と感じがよく似ていたので、より、納得いく部分が多かったです。
ちなみに、明治期に作られた、伊達家の宝物の数々を記録した「観瀾閣宝物録」なる書物には、陣羽織に配された赤や青の丸意匠は、水玉ではなく「乱星」だと、記されているそうです。
最初から、ある意味横綱級のお出迎えを受けて面食らい、次が常設展(北条家と金沢文庫の関連展示)になった時は、一瞬ビックリしました,まさか、これだけはなかろう?!と。
もちろん、企画展の展示はこれだけではなく、1階の一部と2階全部を使って行われていました。
展示の詳細は、別に譲るとして...
紺紙金銀字一切経や、濃厚の古文書群に肖像画を目にすることが出来たので、大変満足した。
ちょっと、この後の時間が差し迫っていたので、少し駆け足で観ざるを得なかったのが残念ですが、2回、復習するかの様に観たので、未練はありません。
けど...
展示解説の時間に行ってみたら、担当が、ボランティアの翁だったのがちょっと残念。
学芸員が担当していたら、どーしても聞いて確かめたかったことがあったので(^^ゞ
しかし、中世文書は難しい,読めない(^^ゞ
※この日記は、当初の予告どおり移転しました,あしからずm(_ _)m
コメント、恐れ入ります。
海よりもマッサージです(笑)
いまは妙蓮寺で受けられるんですか?!φ(.. )
今度行きます、今年の疲れを落しに。
今はもうないですよ~
ちなみにマッサージは通常は横浜の妙蓮寺のサロンでやってます☆
コメント、ありがとうございます。
あの、いきなりの登場には参りました(笑)
けと、いいものと知識を得られました。
他にも、興味深い書状や肖像画なども多くあって、観応えのある企画展でしたね。
私も拍子抜けしました(笑)
政宗の豪華派手な書状も楽しめましたが
あれシンプルな書状の方が絶対読みやすいな~と思っちゃいましたね
今度、三浦半島方面行く時は連絡します(ぇ)
夏、不義理にも行けなかったので。
いまの時季って、できるんですか?!
くない卿、ずいぶん近くにいらしたのですね。今度はもうちょっと足を延ばして我が町逗子へ!!