くない鑑

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再街普請

2014年02月26日 | くない卿見聞記
この間、職場で南三陸町へ行ってきました。
言うまでもなく、先の大震災の激甚災害を受けた、宮城県沿岸部最北の街です。
その中の、旧志津川町(南三陸町、平成の大合併でいまの行政区分)に一泊しました。
宮城には、震災後も何度となく訪れていますが、沿岸部に足を踏み入れたのは、今回が初めて。
荒涼とした平地に、骨組みだけ残った旧防災庁舎が、その被害の大きさを無言の内に語ってます。
ただ、裏を返せば、目覚ましい復旧復興が成ってない・・・という印象。
海岸から少し離れた所に商業施設は出来てはいますが、そこから先(海側)は何も無し。
あちらこちらで小規模な工事は行われていましたが、かつての市街地は手付かずままでした。
かつて、ここに多くの建物と生活(生業)があったかと思うと、苛立つのも解ります。。。

旧防災庁舎も、町長の判断で解体が決まったにも係わらず、復興庁が“震災遺構”に選定したのでそのままとか。
進まぬ原因の一端を見た気がします。。。

静かな市街地から少し山側に進むと、三陸縦貫道の工事が行われていました。
震災以前から粛々と進められていた工事に、震災復興道路の箔がついて進捗の力が増した感じがします。
けど、、、
片や鉄道は、従来走っていたJR気仙沼線は、津波で跡形もなく消失。
市街地に在った志津川駅も、辛うじて、盛り土とホームの跡が残っているくらいで、それと言われなければ判らないほど、被災前の原形を止めていません。
市街地の復興が手付かずな事に加えて、沿岸部を通る鉄路の復旧は見通し未定。
そこで、暫定的に・・・と取り入れられたのが、BRT方式。
鉄路をバス専用道にして走らす方式で、志津川の駅は、さんさん商店街に設けられていました。
移動中などに何本か見ましたが、鉄路の時よりも本数が3倍近く増えているそうです。
しかし、、、
地元は、あくまでもBRTは暫定的で、鉄路での復旧の望んでいます。が、JR東日本にその気は無さそう。。。
元々不採算だった路線に、巨額投資をして復旧させる意義があるのか・・・というところだとか。
同じく不通の山田線は、三陸鉄道に譲渡する案を提示したとか。

道路と鉄道。
重要な交通体系でありながら、この差って、いったい何なんでしょう。
高齢化社会の中で、高規格の道路なんか要るのか?!
むしろ、一般道と鉄道の整備を促進した方がよいのでは?!と、考えてしまいます。
相変わらずの、チグハグな交通政策に若干怒りと嘆きを覚えた、一泊二日の南三陸でした。。。
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