
大学時代に所属していたサークルのOB・OG会に招かれ、恩師の退職記念パーティー以来,6年ぶりに訪れた駒澤大学深沢キャンパス。
かつては、この前身,三越迎賓館の趣きそのままな格調高き感じだったのが、今ではキャンパス整備事業の一貫か、数棟の校舎が、それを殺いでいる感が。
以前は、駒沢公園通り側に玄関が有ったと思うのですが、その工事の為か、出入は通用口みたいなところ。
なんだか、味気無かったですが...
恩師のパティー会場だった大ホールの前を通過して、会場の小ホールへ。
入口で受付をしていた後輩君達に会費を払うと、お願いされた記帳をする。
その時、今日の内容一切を全く把握していなかったので、たずねて見ると・・・
「30人くらい来ないと、きついんですよね(涙)」な話を聞いてしまった。
そこであたりを見回して見ると、その場にいるのは精々半分,15人程度。
幹事や後輩たちの苦労を思いつつ、先着していた今回の幹事の1人でもある“幹事長”や、通用口であった出会った一代下の女の子と暫し歓談。
けど...
私が会場入りしたのは、開始時間(とされていた)14時。
その時点でこの人数で、この後も続々と現れる状況には、半ば「伝統か・・・」と、妙に感慨深げに納得している自分がいました。
結局、始まったのはそれから30分後。
同期が渋谷からタクシーで乗り着けて会場入りしたところでした。
私は、1年間幹部を務めたので、サークルの“出店”と称する溜まり場や会議(作品)に出入していましたが、4年次はゼミの日くらいしか大学に来ていなかったので、自然と足が遠のいていました。
よって、その場で知っているのは数少なく、受付で記帳中に「あっ!くないさん(仮)、お久しぶりです!!」な~んて声掛けられても、「(え~っと、こいつ誰だっけ・・・)」と、海馬フル回転で記憶を呼び起こす事態に。
けど、結局は他力本願に流れて、それぞれの知りうる情報を交換する始末(^^ゞ
それでも、解らない人だらけですが...
中でも一番解らなかったのが、一代上の先輩が、唯1人参加していたこと。
この人はホント奇妙な人で、うちらが知らない学年にも、なんらしかの足掛かりを作っては人脈を広げる,正に(幹事長曰く)“ゴキブリ”見たいな人。
それにはなるほど!納得だったけど、私的には、この人がずーっと、誰かに似てるな・・・と、思い出すのに必死でした。
けど、その答えは日曜日,ライオンズvsホークス戦で判明しました。
ライオンズの“和田一浩”だったんですよ、似てたの。って、和田には申し訳ないけど(爆)人のこと、散々「老けてる」言ってたけど・・・ねぇ。それも心の中で苦笑しっぱなしでした、ここだけの話。
さて。
会が始まって暫くしてから、自己紹介コーナーに。
年齢の上から下へだったので、「和田似」の先輩に続いて、我々が。
こんな、大勢の前で話をするのは、2週間前の一関唐梅館祭以来。
けど、あっちは台本があったからいいけど、こっちは即興アドリブ。
その辛いのなんのって、「滑ったらどうしよう」という心配から、真正面向けず、シドロモドロで自己紹介を済ませました。
やっぱ、ダメダメですね。。。
その後に出てきた子達も、誰が誰だかよく判らなかった・・・(^^ゞ
ここでは余り積極的な外交活動はせず、昼間から酒が飲める有り難さをしみじみと、つまみを食らいながら、時折ちょこちょこと見知らぬ後輩と話をしながら、味わっていました。
幹事長と副幹事長は、かわい~い女の子と昵懇となるべく、積極的に話していましたが、私とは、どうもパルスパターンが違うようで、早々に撤退しました(/--)
そして...
ここでの1次会は2時間半ほどで終い、次,2次会へ移動すべく、撤収して向かいました。
けど、ちょっと,ちょっとちょっと寄り道したので、その道中記はこの次に。。。
かつては、この前身,三越迎賓館の趣きそのままな格調高き感じだったのが、今ではキャンパス整備事業の一貫か、数棟の校舎が、それを殺いでいる感が。
以前は、駒沢公園通り側に玄関が有ったと思うのですが、その工事の為か、出入は通用口みたいなところ。
なんだか、味気無かったですが...
恩師のパティー会場だった大ホールの前を通過して、会場の小ホールへ。
入口で受付をしていた後輩君達に会費を払うと、お願いされた記帳をする。
その時、今日の内容一切を全く把握していなかったので、たずねて見ると・・・
「30人くらい来ないと、きついんですよね(涙)」な話を聞いてしまった。
そこであたりを見回して見ると、その場にいるのは精々半分,15人程度。
幹事や後輩たちの苦労を思いつつ、先着していた今回の幹事の1人でもある“幹事長”や、通用口であった出会った一代下の女の子と暫し歓談。
けど...
私が会場入りしたのは、開始時間(とされていた)14時。
その時点でこの人数で、この後も続々と現れる状況には、半ば「伝統か・・・」と、妙に感慨深げに納得している自分がいました。
結局、始まったのはそれから30分後。
同期が渋谷からタクシーで乗り着けて会場入りしたところでした。
私は、1年間幹部を務めたので、サークルの“出店”と称する溜まり場や会議(作品)に出入していましたが、4年次はゼミの日くらいしか大学に来ていなかったので、自然と足が遠のいていました。
よって、その場で知っているのは数少なく、受付で記帳中に「あっ!くないさん(仮)、お久しぶりです!!」な~んて声掛けられても、「(え~っと、こいつ誰だっけ・・・)」と、海馬フル回転で記憶を呼び起こす事態に。
けど、結局は他力本願に流れて、それぞれの知りうる情報を交換する始末(^^ゞ
それでも、解らない人だらけですが...
中でも一番解らなかったのが、一代上の先輩が、唯1人参加していたこと。
この人はホント奇妙な人で、うちらが知らない学年にも、なんらしかの足掛かりを作っては人脈を広げる,正に(幹事長曰く)“ゴキブリ”見たいな人。
それにはなるほど!納得だったけど、私的には、この人がずーっと、誰かに似てるな・・・と、思い出すのに必死でした。
けど、その答えは日曜日,ライオンズvsホークス戦で判明しました。
ライオンズの“和田一浩”だったんですよ、似てたの。って、和田には申し訳ないけど(爆)人のこと、散々「老けてる」言ってたけど・・・ねぇ。それも心の中で苦笑しっぱなしでした、ここだけの話。
さて。
会が始まって暫くしてから、自己紹介コーナーに。
年齢の上から下へだったので、「和田似」の先輩に続いて、我々が。
こんな、大勢の前で話をするのは、2週間前の一関唐梅館祭以来。
けど、あっちは台本があったからいいけど、こっちは即興アドリブ。
その辛いのなんのって、「滑ったらどうしよう」という心配から、真正面向けず、シドロモドロで自己紹介を済ませました。
やっぱ、ダメダメですね。。。
その後に出てきた子達も、誰が誰だかよく判らなかった・・・(^^ゞ
ここでは余り積極的な外交活動はせず、昼間から酒が飲める有り難さをしみじみと、つまみを食らいながら、時折ちょこちょこと見知らぬ後輩と話をしながら、味わっていました。
幹事長と副幹事長は、かわい~い女の子と昵懇となるべく、積極的に話していましたが、私とは、どうもパルスパターンが違うようで、早々に撤退しました(/--)
そして...
ここでの1次会は2時間半ほどで終い、次,2次会へ移動すべく、撤収して向かいました。
けど、ちょっと,ちょっとちょっと寄り道したので、その道中記はこの次に。。。
>>>ジェネレーション2号へ続く>>>
確かに・・・格調高かったなぁ~!
あそこが今は駒澤大学の深沢キャンパスなんですか?
相当、行ってないから変わったんだろうな~あの辺も。。。
ここで同窓会をされたのですか?!
ならば...
あまりの変わり様に、写真を撮ることさえ忘れてしまいました。。。
随分と立派になった、その分,格調は落ちた気がします。。。