くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

揺れる想い...

2007年05月29日 | くない観
ZARDの(ボーカル)坂井泉水さんの急死には、率直に言って衝撃的な報せでびっくりしました。
そして、子宮頸癌と肺への転移とに闘い,苦しんでいたとは・・・・・・急逝の事を含めて、今もなお信じられないません。

ZARDがデビューして以来(大)活躍していた時期,私は正に青春真っ只中の中高生。
受験にもがいていた時期,学校生活に疲れた時などなど...
ラジオを点ければ,また音楽番組やエンタメ情報の(オリコン)ランクキングなどで必ず聴けた、あの透明感があって爽やかな歌声には、随分と癒されたり励まされたりしましま。。。
ただ、“動く本人”を(殆んど)見たことがないので、大黒摩季などと一緒にその存在すら疑ったことも・・・そういえばありました(苦笑)
一説には「サイボーグ」なんてことも、高校生の口さがない噂になっていました......。

そんな活動だったが為に、今回のことも唐突だったんですね......。

一夜明けて...
その訃報と、数々の名曲を耳にする度に、なんだか寂しく,悲しくなってきました。

今日のbayfm78で16時から放送している「BAY LINE 7300」は、あまりの反響に予定を(急遽)追悼企画に変更して、3時間オールZARD楽曲の電リクを放送していたので聴いていましたが......
次々と流れてくるZARDの歌(とメッセージ)を、聴いている内に、薄ぺっらいですが・・・・・・今までの様々なことを思い出しては暫し感傷に浸っていました。。。

いま、鬼籍に至るまでの経過を巡って、とかく様々な見方が飛び交っているようですが、いまはただ,そのご冥福を祈るばかりです。
そして、坂井泉水さん,安らかに......。
ありがとうございましたm(_ _)m


そして、いまの自分には「負けないで」と。


一方で,松岡利勝農林水産相の自害にもまた驚きました。
国民(熊本3区)の負託を受けた代議士であり、恐れ多くも天皇陛下より認証を受けた閣僚が、疑惑まみれのまま幕を閉じるとは......。
しかも、国税を投じて建てられた新築の議員宿舎で、政府を上げて改善と救済に取組みだした自殺を選択するとは。。。
憐れと思う・・・・・・よりも、その自覚と職責の欠如に対して怒りが勝って込み上げてきます。
聞けば当人は気を使う,繊細な人だったそうですが、それにしては短慮と言わざるを得ないでしょう。
辞任した方がまだ、安倍政権含めて影響は少ないと思うのですが,返って政権運営を苦しめているように思えます。
それにしても...まさか,与党自民党内には同情を引き出そう・・・なんて考えてはないでしょうね!?
もし,もしもそんなことを考えているようだったら、また,諸疑惑にても幕引きをするよくならば、今夏の参院選で完膚無きまでに与党自民党をぶっ潰さねばなりますまい!
正直,このままでは腹の虫が収まりませんよ!!
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間違った怨念の矛先

2007年05月08日 | くない観
先日,偶々なのですが、時代劇専門チャンネルにて放送中の「人形劇三国志」を観ました。
久しぶりに見たそれは中学の頃,再放送でやっていたのですが大流行をして、三国志の世界へと誘った懐かしい番組でもあったので、ついつい?!見入ってました。
しかし...

その日は、関羽が呉軍の計略の前に荊州を失い麦城にて最期を遂げる
非業の最期を遂げる関羽将軍の無念を思う反面,その志を打ち砕いたであろう白髪髭の呉将は一体誰なのか?!疑問になりました。

私が見始めたのは、人質となった荊州領民の開放を条件に関羽将軍が投降する場面。
しかしその白髪髭の呉将は、その約束を反故にして領民を目の前で殺害,更には関羽将軍と随行の蜀将をも殺害してしまうのです。
その余りの非道ぶりに、この呉将は潘璋か馬忠だと思ったのですが、関羽将軍が断末魔に「お主だけは許さぬ!」と言った折に出た呉将の名を聞いて衝撃を受けました。
この白髪髭の呉将こそが、この荊州攻略に立役者たる呉下の阿蒙こと孱陵公呂蒙(字:子明)だったのです。

正直,まさか?!と思いました。。。

司会の紳介竜介も「呂蒙はひどいやっちゃな!」などと言っていましたが、ちょっと待て!!
如何に関羽将軍の敵役を立てたいといっても、呂蒙将軍はそんな非道な人物ではありませんから!残念!!
確かに,蜀漢の荊州陥落と関羽将軍の最期は、呂蒙将軍の謀が功績。
しかし...
私は、この話を途中から見たので最初の様子,即ち、人形劇三国志が荊州陥落をどのように描いたかは解らないのですが、関羽将軍の最期を見て推して知れます...。
そもそも関羽将軍が荊州を失ったのは自業自得,北伐に気を取られすぎて驕りが生じ、呉や同僚の蜀将との協調を疎かにした失策の為。それを...。

呂蒙将軍は、人形劇三国志が描く人物とは真逆に、勇猛果敢であるとともに軍略の道に明るく、優れた企画計略を立て、一国を背負って立つ器量を備持った傑物。
荊州攻略に際しては、占領した領民を慰撫し、荊州に居た関羽やその配下諸士の家族を(策とは言え)手厚く遇し、更には、同郷の旗本が軍令を犯した折には、(涙を呑んで)これを斬刑に処して軍と荊州領民の人心を掌握したのです。それなのに...。

調べて見ると、当時でもこの描き方に批判があったようですが、判官贔屓もここに極まり・・・と、言った所でしょうか?!

どちらかというと孫呉贔屓の私にとっては、もっともっとその地位と評価が上がることを願います...。
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リーダーはツライか?![大韓民国大統領 編]

2007年05月03日 | くない観
韓国、親日派子孫の財産4億8000万円没収を決定(読売新聞) - goo ニュース

怖い国ですね,ホント。
60年も前の“ご先祖様”の罪を負わされるのですから。
子孫によってはひょっとして、会った事も無い,顔も知らなければ声も聞いたことの無い“ご先祖様”の罪を問われ、負わされる人もいる・・・でしょうね。

もし、これが日本だったら...
明治維新で幕府方に付いた諸士の子孫が、新政府方に付かなかった廉で罰せられる!?
はたまた、太平洋戦争下,政府に対して非協力的だったご先祖様の廉を、子孫が罰せられる!?
はたまた、もっと身近なところ?!だと...
ご先祖様が、実は刑事事件の容疑者だったことが時効成立後,もしくは物故後に判明。
よって、その代わりに子孫がその罪の咎を受ける!?
かの総見院殿様(織田信長)でさえ、林佐渡通勝の罪を思い出して追放処分にしたのは22年前の出来事だというのに...。

・・・用例は、ちょっと苦しいものばかり(^^ゞ・・・でしょうけど・・・

大韓民国って、幾分でも良識のある民主的国家だと思っていたのですが...
まだまだ、20余年前の軍事政権下の名残があるんですね。

盧武鉉大統領って、確かの番人(司法官/弁護士)だったと聞いていたのですが...。
大韓民国歴代大統領の多くは、退任後訴追されているので、人気低下の著しい盧大統領もそれを恐れている・・・とも、聞いたことがあります。
でも、そこまでして国民の支持を取り付けなければ成らない大統領って、一体...。
どこか、やましいところでもあるのでしょうか,この大統領には。

前々から、竹島騒動以後思っていましたが...
韓国大統領って、大変ですね,全く。

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「みどり」は遠くに成りにけり...

2007年04月29日 | くない観
今年から、4月29日は「昭和の日」に,5月4日は「みどりの日」となりました。
けど、余り世間的に認知度は低いようで、とある木曜日の朝,ズームイン!!一コーナーで女子中高生を対象にしたインタビュー取材の結果、これを知っていたのはたったの約15%程度でした。。。
ただ、改正に至るまでの動きは随分と前からあり、国会への改正法案提出は都合3回あり、これが最終的に可決,成立したのは今から2年前でした。
しかし...
私はこれを、非常に苦々しく思っています。

そもそも、この4月29日は先帝陛下の御生誕日であり、それを祝すべく設けられた休日。
ゆえに、先帝崩御後,G.W.の初日と言うこともあって生物学に造詣が深かったことにちなみ、その御遺徳を偲ぶべく「みどりの日」と名を変えて残ったはず。
それが...
無理矢理に、縁も所縁も感じられない5月4日に「みどりの日」を移してまで「昭和の日」と変えなければ成らないのか?!
私には、その趣旨が全く理解出来ないですし、意味が解りません。。。

そもそも、なんでそんなに「昭和の日」なんて作りたいのでしょう?!
先帝の御遺徳を偲ぶのには最も相応しい、「みどりの日」を移してまで。
どうしても,ど~しても「昭和の日」を設けたいのならば、先帝陛下践祚の日たる12月25日が相応しいのでは!?
昭和が始まった日であり、今上陛下誕生日の翌々日,24日も休みにすれば、クリスマス連休で大いに盛り上がること間違い無し!でしょう(苦笑)...。

また、なんならいっその事,11月3日は「文化の日」から「明治の日」に、8月31日から10月31日は「大正の日」として祝休日とするのはどうなんでしょう(苦笑)・・・ね。

私からすれば、それ程ナンセンスな事かと思いますし、より昭和が遠くなったような気がします。。。。


あ~ぁ...
武蔵野陵に眠る先帝陛下も、さぞかしお嘆きなのでは...。
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情けで人は上に立つ!?

2007年04月20日 | くない観
明後日の日曜日,我が街(も)市長選と議会選の投票日なのですが、ちょい出掛けてしまうので、この日,期日前投票をしてきました。
この投票所は2箇所,市役所と西部保健センターに設けられています。
家からは、後者,西部保健センターの方が近いらしいのですが、イマイチ場所が分からないので、分かりやすい前者,市役所へ、ドライブ気分で行ってきました。

市役所に着いたのは10時過ぎ。
毎度の事ながら...
満車状態だった駐車場で、空いている枠を目敏く見つけてそこへ止め、庁舎の隣に臨時で設けられたプレハブの期日前投票所へ行きました。
入ってからはまずまず「理由書」を記入,これと整理券を受付で提示して受け取ったのは市長選の投票用紙でした。
今回,我が街の首長は、3期12年務めた現職に引退に伴って新人3人が争う構図。
その中から...政権与党との関係(あれば不可),政策や人相,年齢を鑑みて投票しました。
続いて、市議選の受付で「理由書」を提出し、その投票用紙を受け取りました。
しかし、ここで問題が。
記入所に張り出されているのは、素っ気無い単なる名簿!
誰が誰だがよく判らない...。
隣にいた(若い)奥様もお子さんをあやしながら「沢山いて迷っちゃうね」と言っていましたが、正にその通り(--ゞ
来る前に、家の前の公園に設置されている選挙用掲示板を見てくるつもりだったのですが、ちょい見る間が無く、「市役所にはきっとあるだろうから、それ見て決めよう」と思ってきたら何処のも無く。。。
当てが外れてちょい困惑。
仕方が無いので、やっぱり政権与党に組する連中と市民団体系以外の人物の名前を記載して投票しました。

久しぶりの期日前投票,結構人の出入は多かったです。

ちなみに...
我が街の市庁舎を設計したのは、先の都知事選で落選した黒川紀章氏であることを最近知ってびっくりしました。
もっとも...この人の事を知ったのはこの都知事選だったので、この人が世界的な建築家であることも、また、若尾文子の旦那さんであることも全く知りませんでした。
ただ...
市庁舎は高台に建っているので、見晴らしも良く目立つのですが、内部は,入って直ぐに階段があったり、黒白基調で暗くして辛気臭いなぁ・・・とは思っていました(苦笑)


ところで...
今週,国内のニュースで一番驚いたのが、伊藤一長長崎市長選候補(長崎前市長)の銃撃事件。
その容疑者の動機を聞くにつれ、最早怒りを通り越して呆れてしまいます,その短絡的思考で理不尽な凶行には。
そんな、(多分)謂れの無い凶弾に志半ばで倒れて、前市長はさぞかし無念だったでしょう,同情の念を禁じ得ません。
けど...
だからと言って、その“意思を受継ぐ”と称して親族(娘婿)が立候補するってのはどうなんでしょう?!
確かに、投票日まであと3日という緊急時とはいえ、他にいなかったんでしょうか...。
また、他に方策は無かったんでしょうか?!
補充立候補者として名乗りを上げた長崎市元職員が言う通り,「情と自治は違う」んですよね。
日本人は判官贔屓な性質が多いですから、この娘婿が当選する確率は高そうですが、いくら非常時とは言え、何の理念も構想も無い人間が上に立つ...。
それっていいんでしょうか,甚だ疑問です。

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気が付けばもう...

2007年04月16日 | くない観
昨年のこの日...
我が家の愛犬ラッキー君旅立ってから、もう,1年の歳月が経ちました。。。
その供養の為、彼の眠るところへ行ってきました。
これに最も気落ちしていたのは母ですが、私も今,不安定な身持ちの状況では、よりこの寂しさが込み上げてきます。

昨年のこの日,私は最後の石和参陣の為に、前日から現地入りしていました。
よって、このことを知ったのは帰ってからでした。
その場に立ち会うことも出来ず、それまでの楽しかった石和での事は、一瞬にして吹き飛んで行きました。
今思えば...
年が明けた頃から頓に老けだし、耳目や足腰が覚束ずに、何が原因か,頻繁に遠吠えもしていました。
ただ、その時の衝撃,悲しみ,悔しさは、今でもまだ鮮明に,忘れることは出来ません...。

ただ...
最初は彼らが来ることを、私は賛成していませんでした。
けど、いざ来て触れ合っているうちに、誰よりも代え難い家族の一員と思うようになり、苦しかった時や辛かった時,悲しかっ時には、彼には大いに助けられました。
元気旺盛だった彼は、日本国内では珍しい種で、しかも、同種内で白黒ってはあまりいない・・・とか。
ゆえに、散歩中はよく声を掛けられました。

そういったこと諸々が、今でも走馬灯の様に蘇ってきます。。。

女々しいかもしれませんが...
彼は、日本国内でも滅多に出会えない種,しかも、白黒ってのは珍しいらしいのです。
また、幾度か生死の淵を彷徨いながらも元気闊達で、中型種では珍しく14歳までの長生きをした,愛くるしい彼は、我が家と私にとっては自慢だったのです。
ゆえに、一生涯忘れられないでしょうね、きっと。

こうしている最中も、目がちょい曇ってきましたから(苦笑)...
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審判の時

2007年04月08日 | くない観
今年は、選挙づくし!の年。
ここ最近は、都知事選が何かと話題になっていますが、我が街と千葉県でも、市長と市県議会議員選挙が今月中に行われます。
・・・なもんで、毎朝毎朝,駅には立候補者やら支援者やらが立っては、足早に過ぎ去る人々に「お願い」をしていました。
また、街中にも選挙カーやら選挙自転車などが周って来ては“宣伝”をして行ってますが、この間の日曜日には、私の大っ嫌いな市民団体の推す県議候補者が、家前の公園に設けられた選挙ポスター掲示板前で、選挙カーを通して“自己アピール”していました。
けど、非常に耳障りでした。

また先日,インターホンが鳴ったので取り敢えず見に行ってみると、家と同じ並びの人が(2人1組で)そこにいました。
それを見た瞬間,「これは...」と察しが付いたのですが、家前に車を出して置いていたので居留守を使うわけにもいかずに出てみると、やっぱり...
「今度の選挙に立候補をした××さんを、よろしくお願いします」とのことでした。。。
まったく,その行為が腹立たしかったので聞く耳持たずにただ「ハイハイ」と生返事で返していたので、誰の指示を訴えに来たのはもう、全く記憶に無いのですが...
選挙とは、自分の意思と判断で投じるもの。
それを、立候補者の主張も聞く事無く、ただ単にそのシンパが依頼その者に投じることなんぞ、絶対にありえない!こと。
例え、それが一時でも聞くだけ無駄な時を費やしてしまいました。

この人達が、自分の意思でやっているのか、それとも団体からの指示で動いているのかはよく判りませんが...
なんだか「軽くみられたもんだなぁ...」と、ちょいげんなりしました。

今日はその、注目の選挙日。
私は午前中にそれを済ませてきましたが、さて,結果は...
明朝が楽しみです。

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根源的破滅招来体

2007年04月06日 | くない観
IPCC報告書に国際社会,やっと一致
昨冬は、“平成18年豪雪”と命名されるほどの降雪を記録した日本列島も、今冬はさっぱり。
東京では、観測史上初めて雪が降りませんでした。けど、“春”に入ってから漸く,積雪には至らなかったですが、降った程度。

そうしたところから、ここ最近,特に耳目の向くところとなった「気候の変化」。

今まで...。
例えば、突発的にその季節とそぐわない“天気”や“気温”に成った時,それは単なる「気まぐれ」的な天気だと思っていました。
けど、様々な気象データや現に起きている気象現象,例えばオーストラリアの大旱魃などを耳目に接するにつけ、「これって、本当にヤバいんじゃないの?!」と感じてきました。
冒頭にリンクしている記事は、2月から作業部会毎五月雨式に実施されている科学者連の会議に関するものなのですが、そこでは、あと1度上昇するだけで衛生状態,水資源問題に影響が出、更にもう1度上昇すれば、生物種が30%程度絶滅し、風水害の被害が高まる...と、言われています。
たった1℃,されど1℃、侮れない危機がもう、直ぐそこに迫ってきているようです。

このネタの題名は、私の好きなウルトラシリーズ中,“平成の3部作”のトリを飾った「ウルトラマンガイア」で設定された劇中通しての“敵”の総称で、宇宙より地球に対して破滅をもたらす存在・・・として、描かれています。

しかし実は、「人類」こそが“破滅をもたらす存在である”・・・という側面も織り交ぜています。
見初めの頃,それは(ただ単に)「ガイア」を面白くする為の要素だと思っていました。
(放映時期が、人類終末思想が実しやかに囁かれていた頃なので...)
けど最近,地球環境にの変化に関する種々の情報を耳にするに付け、また、IPCCの報告提言(というよりは警告)と、それに対して、目先の利益に拘ってイチャモンをつけるアメリカや中国,ロシアの愚鈍ぶりを聞き、やはり、人類こそがこの地球に“破滅をもたらす存在”なのかも・・・とも、思えてきました(苦笑)...。

私の家が在るのは、東京から東へ40キロ強,千葉県北西部で、以前は直ぐ近くに雑木林や森がある、緑豊かな街でした。けど...
ここ最近、急速に宅地開発が進行し、それらが次々と消失していっています。
その変化を日々見るだけでも、寂しさと地球環境に対する一抹の不安が過ぎってきます。

田んぼの向こう側は昔,林だったんで、御社のある鎮守の杜でもあったんですが...

IPCCからの提言を基にした施策が実行されても、その効果が現れてくるのは15年も先のこととか。。。
それでも勿論,今できることはやっておいた方が良いに決まっているけど、一朝一夕に事態が改善しないむなしさもまた、裏面に感じられます。。。

次はこの夏,どんなことが起こるのか...。
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新たなる歳路へ一歩(元日)

2007年02月22日 | くない観
とうとう・・・と言うか、いよいよ・・・と言うか,遂に・・・この日がやって来ました!
30回目の誕生日が
そして、三十路が...

二十歳の頃は、「まだまだ,随分と先だなぁ」と悠長思っていたこの歳(路)も、実際には「あっ!」と言う間にこの日がやってきました・・・ね(笑)

今歳は、子曰く“而立”の歳。
人生の岐路であろうこの歳路。
これからはなお、我が敬慕する元徳院殿様(上杉治憲公)が遺された言,
“為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは為さぬ人になりけり”
・・・を(引き続き)座右の銘として、昨歳までの二十路10年で出しきれなかったエネルギーを、今歳と、これから先の三十路10年に注ぎ込み、楽しく魅力的で充実した歳路を送る!ことが出来ればと思っています。
それにはまず,心身壮健にして日々是精進!して参るつもりでもあります。

平素よりご愛顧,お付き合い下されている皆々様には、今歳も引き続き,何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m



昼食には、「最高素敵」な今歳となるように願いを込めて“サイコロステーキ”を食べました(笑)
また、夜食には職場近くのデパ地下で赤飯を買って食しました。
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往く歳来る歳

2007年02月21日 | くない観
いよいよ,明日に控えた30回目の誕生日。
よって、今日は29歳の“大晦日”であり、また二十路“最後の日”でもあります。

まず...
思うえばこの一歳,楽しくて思い出深い(新たな)出逢いや、石和や上越,初参陣をした一関唐梅館と奥州行・・・などの、楽しき思い出もありました。
しかし、それ以上に,胸引き裂かれる思いの別れの方が大きかった…ような気がします。
その一位は、なんと言っても14年間連れ添った、我が愛しの「ラッキー君」の旅立ち。
その時,石和表へ出陣中だったが為に見送ることが出来ず...
帰宅後に見たその姿を今また思い起こすだけでまた,目頭が熱くなります...。

何を今尚引きずって,女々しい・・・・・・と、感じられる方もいらっしゃるかと思います。
ただ...
思い起こせば、不毛だった二十路10年(苦笑)
支えてくれたのは彼でした。
良いことよりも辛いことが勝る…その時には、よく助けてもらった,ゆえに余計。。。


私的には、山あり谷ありだった(ような)二十路10年間......
でも、例えば大学以来の友人知人。
卒業後に、自分が携った仕事を通じて出会えた人々。
そして、紋次郎。殿や哲坊殿などなど・・・・・・ネットを通じて知り合えた、数多の貴重で仲間(と言うにはおこがましいですが...)と、石和や上越,一関唐梅館などの歴史(時代)祭への参陣という得難い体験。

これら貴重な“宝”を、明日から始まる三十路へしっかりと持ち越して、更に力強い繋がりと支えとしたい!思っています。
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二十路の終月

2007年02月01日 | くない観
今年の入り,正月の頃は、時が経つのがゆっくりと感じられ、去年先月が随分と昔に感じられたのですが...

油断していました。
気が付けば、もう2月なんですね。

やらなければならないこと...やろう!としたことのほとんどが手付かずのまま,先送り状態。
このままでは「いかんいかん!」とは思いつつ、相変わらずの腰の重さと保守的思考に邪魔されて、一向に進む気配すらありません。
その“一つ”,昨夏猛暑の中で出陣した「謙信公祭」の参陣記を載せようと目論でいたのですが、校正しだしたら止まらなくなってしまい、断念。
その掲載は…未定です。


物思いに耽る冬夜の外は、冷白に輝く満月に照らされて、仄明るい青白の光に包まれていました。
この日は、旧暦の師走拾五日。
旧正月まではあと半月,自身の三十路入りまでは21日…となりました。
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正月の記跡

2007年01月31日 | くない観
年改まり、初心は「毎日」,少なくとも“ネタ”があり次第、その日の内には載せる!つもりだったブログは、早くも躓き気味。
その原因は...
ここ最近、何事に於いても「余裕」が無い!のです。。。
通勤途中など、独りの世界にトラップしてあれやこれやと考えていると、色んなことが思い巡ります。
その主題は、三十路を目前にして“どうする?!これから!!”
ただ、結局は容易に結論は出ず,如何ともし難い不可抗力が壁となって、「自分は無力だなぁ」と悟って終わります。。。

子曰く「三十にして立つ」歳,早々に、打開に向けた結論と決断をしなければならないのですが...。

そういえば、話は変わって...
今日は旧暦の師走15日・・・といえば、赤穂浪士の討入日。
雪の上がった満月の夜半,47人の武者共が、徒党を組んで亡君と御公儀への無念を晴らした!
その年,その日にお江戸は雪に覆われたいたのですが、今冬は未だ,東京には一粒の雪も落ちて来ず、この先にもその兆候は無い・・・とか。
犠牲者を多く出した昨冬の豪雪とは打って変わって、この天候。
この、冬の風物詩の異変一つとっても不気味ですが、その他にも,世界各地で“天候不順”が相次いでいるとか。

地球にも、「余裕」が無くなりつつあるのかも・・・しれないですね。
そう思うと、なんだか不気味で空恐ろしくなってきます......。


最後に...
今月に記した我が「記跡」への入口を下記に設けましたので、是非にご一読ください(_ _)
誤字脱字などにツッコミどころ満載!だと思うので(^^ゞ

]←←今月の「記跡」



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「庁」じゃないのか?!

2007年01月10日 | くない観
防衛省スタート 首相「新たな国造り第一歩」

前日の9日に施行された法律に基づいて「省」格した防衛省。
けどこの法律,昨秋から冬に掛けて衆参両院を難なく通過して、いつの間にやら気が付いたら!?という感じがとってもします。
なぜ今なのか...
防衛庁が「省」格したことによって、「権限が増えた」とはよ~く聞くのですが、では、それによって如何ほどの予算が充てられるのか?!
このことに、誰も言っていないのが、気になって気になってしょうがないです。
なにせ、例え義務とは言え、私(達)は“日本国”に対してなけなしの財産を「税金」の名の下に、強制的に“投資”しているのですから。
ゆえに、“投資家”たる国民の意見を聴き、その結果を詳細に報告する“義務”があるはずです,政府には。

また、何でも政府与党内には早くも省庁再「々」編構想があるとか。
けど、外務省などと重複(というよりは競合?!)する任務がみられるところを見ると、政府与党の無計画ぶりが何と無く垣間見られ、ほとほとイヤになってきます。
そもそも何ゆえ今この時期に「省」格させたのか,その根拠が何処にあるのか、実に興味のあるところです。

今度の防衛庁の「省」格は、この国の在り様すら変えかねない、極めて重要な事項。
先の省庁再編に於いて、与党は選挙公約にこれを掲げていました。
けど、ちょい前の衆院選挙に於いてこのことを聞いた記憶は、私にはありませんです。
ならば...
このことを国民に問う事無く、勝手に決めてしまった政府与党の何気ないエゴ,傲慢さには、更に怒りを覚えます。

第一、防衛省は現状に於いてはまだ、「自衛隊管理組織」たる防衛庁のままで十分だったのです。
何せ、その自衛隊の根拠が曖昧の上、外務省などとの専管事項の調整と整理統合が為されていない現状に於いては、唯単にもう一つ,縦割り行政の弊害が生まれただけ...の様な気がしますから。

おまけに。
私の職場からも見える市ヶ谷の防衛庁本庁舎。
ここの門柱には、初代防衛相となった久間章生揮毫の門標が掲げられていますが...
なんとかならないのかなぁ、あれ。
本人は自信満々で嬉々としていましたが、如何よ,あれじゃぁ...。
「省」格に尽力した大臣への恩返しのつもりなのかもしれないけど、あれだって,(少しけちな言いようかもしれないけど)税金だよ。
防衛相1人の楽しみで書き上げた門標なんざ、要らないよ!まったく...。

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ボタンの掛け違い

2007年01月07日 | くない観
テレビ朝日系にてこの土日,2夜連続放送された「白虎隊」。
初めは、ジャニーズが多数起用されたことによるアレルギーから見る気は無く、所詮は視聴率狙いか・・・と、一歩以上引いて,冷めて見ていたのですが、やはりちょい気になって見始めたが最後...
その迫力と臨場感に引き込まれ、気付けば最後まで見入ってました。
ドラマの構成上,時間的制約からか、少々強引に感じるところもままみられましたが...
豪華なキャストは然ることながら、最初は侮っていたジャニーズ連中の白虎隊士はほぼ“同年代”の役と言う事もあってか中々よく、東山紀之の会津中将容保公などはもう、よく似ていてはまり役だったかと思います。
また、薬師丸ひろ子のナレーションや劇中のBGMなども、何処と無く物悲しく,劇中の雰囲気とよく合って良かったです。

ゆえに、私的には,この日から始まった大河よりも、断然面白かった!と思います。

特に最後,会津公が降伏を決断し、征討軍参謀等に対して手を付き,面を伏して謝罪する場面などはもう、尊王佐幕ゆえに会津贔屓で見ていた私にとっては涙無には見られませんでした...。
その起因は、降伏に際して会津中将公と家老萱野権兵衛長修(演:石倉三郎)とが交わした会話(台詞)に全て、集約されていました。
それは...
萱野権兵衛)
「誰もが嫌がり、避けてきた御役目(京都守護職)を引き受けたのに、この有様になるとは...」
「裏切りなどがまかり通る世の中になるとは...」
会津中将公)
「そうした世の中が、いつまでも続くはずが無い。」
会話(台詞)は、忠実には再現してはいませんが、大約,このようなことを言っていました。
この思い,正にその通りなのです。
ゆえにより、幕府にいわば振り回されて艱難辛苦を味わった会津松平家のその悲運に対して、同情の念,深く思うのです。。。
幕末の一栄一落はただ、家祖保科肥後守正之公(土津霊神)の遺訓(「会津家訓十五箇条」)に従い、内実は嫌々ながらも御公儀の為,朝廷の御為にと、京洛の治安秩序などに取り組んだのに...。
正に、一寸先は闇,有為転変の世の中、判断一つ間違えば...です。

この他にも、戊辰戦争(北越戦争)では贔屓とする米沢上杉家や仙台伊達家なども、会津松平家ほどでは有りませんが、悲運を蒙っています。
時代の流れの中で、戊辰戦争は明治維新を一気に推し進める原動力にはなった,とは思いますが、正直,尊王佐幕な私にとっては、幕府以下,会津松平家や米沢上杉家など、多くの佐幕派が艱難辛苦を味わった,また、その後の日本を見るに、ただただ“残念無念”としか思えません。。。

やはり...
黒船来航後、混乱したとは言え、それなりに纏まっていた歯車が、一気に,加速度的におかしくなったのは“最後の実力派”であった井伊直弼のあっさり過ぎた横死と、英邁なる14代将軍家茂公と孝明天皇の若すぎる崩御だったのなか...と、思います。
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行く年戌年

2006年12月31日 | くない観
業務上はまだ、「平成18年度」ではありますが...
暦の上では、今日この日を以って「平成18年丙戌」は幕を閉じてしまいます...。
この一年、省みるに、余り「良い年だった」とは言い難い印象ばかりあります。
確かに、いろいろな出逢い,貴重な体験や美味いものを頂くが出来ましたが、それにも況して、辛く悲しいことの方が多かった一年でした。
特に辛かったのが4月,我が家の愛犬ラッキー君の死去
この時、ちょうど石和表へ出陣中で不在だったのでその旅立ちの時に立ち会うこと出来ず、これも含めた種々の悲嘆は、いま,こうしてその時のことを記しているだけでまた、視界曇るほどです...。

その他に於いても、万事うまくいった例が無く、霜月の頃には気力共に落ち、低調さが彼程に顕著だった...
しかも、記憶や思い出が殆ど無く、思い出すのは一昨年のことばかり...
こんな一年は初めて・・・かもしれません。

新年,如月の頃にはとうとう志立の歳...
今年の低調さが復調し、心身ともに充実した一年にした!と思います。
そして、私に幸を!!

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