この日,最後の“ご奉公”となった甲州石和の川中島合戦絵巻より、戻って参りました。
昨年は、石和の本陣を出発した時間も遅かったからかもしれませんが、途中渋滞に巻き込まれて、特に、飯綱殿は最終の新幹線にギリギリの乗り込む・・・といった状況だったので、今年は合戦後,本陣で一っ風呂浴びて、早々に出発しました。
途中、小仏トンネル付近で「事故渋滞」と聞いて、これはヤバいかな・・・と、行き先危ぶんだのですが、それも杞憂だったようで、中央道から首都高,帰りの一般道も含んで、渋滞らしい渋滞には、一切巻き込まれず、至って順調に帰路に着きました。
ただ、悲報は家で待っていました。
この日の午前1時,我が家の愛犬,ラッキー(イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル)が死去していたのです。
享年14歳1ヶ月と9日,人間の年齢に換算すると、72歳(大型犬だと102歳?!)でした。
庭にある小屋の前に横たわっていた彼は、もう、死後硬直が始まっていた所為か、生前の柔らかさ,暖かさが全く無く、より痩せこけていました。
しかし、一見私には、ただ寝ているかのように見え、(思わず)何度と無く声を掛けましたが、(当然ながら)遂に起きることは無かったです。。。
其の姿を見たら、もう、涙なんて止まるわけありませんし、また、止める術もありません...。
彼が遣って来たのは、今から14年前,私が高校生の折、生後まだ2,3ヶ月の子犬の時分でした。
私は、迎え入れるのには然程乗る気ではなかったのですが、母や弟に圧されて、遂に遣って来たのですが、何時しか、その弟よりも長く、また篤く世話をするようになりました。
その喜怒哀楽、よく付き合ってくれて、特に“哀”だった受験失敗時,変な話、慰めてもらいました。
其の彼も、生涯順調ではなく、体も然程強くは無く、2度の熱中症,2度の胃捻転でいずれも生死の境を彷徨いながらも、何とか生き延びてくれました。
特に、胃捻転を患った折、動物病院での術後,麻酔を掛けられて、舌を出して横たわっていた彼を見た時は、母と一緒にその姿を直視できず、涙溢れるばかりでした。
その後は、暫く体調も安定していたのですが、ここ2,3年、腰(椎間板)を患い、最近は、白内障も悪化し、耳も遠くなり、(人間で言うところの)痴呆の気が見られました。
ゆえに、年齢的にも覚悟はしていたのですが、まさか、石和へ行っている最中,そんなことがあったとは露知らず...
その最期は、まるで眠るかのように静かだったそうですが、“その時”に立ち会えなかったのが、なんとも無念で、悔やまれて仕方ありません。
前日,石和へ向かう朝は、とりあえず元気だったので・・・。
人によっては、「そんなことで・・・」と、お思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが...
今はただ、正直,悲しくて悲しくて・・・仕方がありません。
昨年は、石和の本陣を出発した時間も遅かったからかもしれませんが、途中渋滞に巻き込まれて、特に、飯綱殿は最終の新幹線にギリギリの乗り込む・・・といった状況だったので、今年は合戦後,本陣で一っ風呂浴びて、早々に出発しました。
途中、小仏トンネル付近で「事故渋滞」と聞いて、これはヤバいかな・・・と、行き先危ぶんだのですが、それも杞憂だったようで、中央道から首都高,帰りの一般道も含んで、渋滞らしい渋滞には、一切巻き込まれず、至って順調に帰路に着きました。
ただ、悲報は家で待っていました。
この日の午前1時,我が家の愛犬,ラッキー(イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル)が死去していたのです。
享年14歳1ヶ月と9日,人間の年齢に換算すると、72歳(大型犬だと102歳?!)でした。
庭にある小屋の前に横たわっていた彼は、もう、死後硬直が始まっていた所為か、生前の柔らかさ,暖かさが全く無く、より痩せこけていました。
しかし、一見私には、ただ寝ているかのように見え、(思わず)何度と無く声を掛けましたが、(当然ながら)遂に起きることは無かったです。。。
其の姿を見たら、もう、涙なんて止まるわけありませんし、また、止める術もありません...。
彼が遣って来たのは、今から14年前,私が高校生の折、生後まだ2,3ヶ月の子犬の時分でした。
私は、迎え入れるのには然程乗る気ではなかったのですが、母や弟に圧されて、遂に遣って来たのですが、何時しか、その弟よりも長く、また篤く世話をするようになりました。
その喜怒哀楽、よく付き合ってくれて、特に“哀”だった受験失敗時,変な話、慰めてもらいました。
其の彼も、生涯順調ではなく、体も然程強くは無く、2度の熱中症,2度の胃捻転でいずれも生死の境を彷徨いながらも、何とか生き延びてくれました。
特に、胃捻転を患った折、動物病院での術後,麻酔を掛けられて、舌を出して横たわっていた彼を見た時は、母と一緒にその姿を直視できず、涙溢れるばかりでした。
その後は、暫く体調も安定していたのですが、ここ2,3年、腰(椎間板)を患い、最近は、白内障も悪化し、耳も遠くなり、(人間で言うところの)痴呆の気が見られました。
ゆえに、年齢的にも覚悟はしていたのですが、まさか、石和へ行っている最中,そんなことがあったとは露知らず...
その最期は、まるで眠るかのように静かだったそうですが、“その時”に立ち会えなかったのが、なんとも無念で、悔やまれて仕方ありません。
前日,石和へ向かう朝は、とりあえず元気だったので・・・。
人によっては、「そんなことで・・・」と、お思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが...
今はただ、正直,悲しくて悲しくて・・・仕方がありません。
自分も同じような経験が御座いました。
自分が小学校3年生の時以来約18年間、共に生きてきた猫で御座いました。
その辛さたるや言語に絶するもので御座いました。
良き言葉が見つからず、本当に申し訳ない気持ちに御座います。くない殿が最期の時に立ち会えなかったのは、自分にも責任の一端があったように思えてなりません。
本当に申し訳御座いませんでした。
ラッキー君のご冥福を心より心よりお祈り致します。
くない様のような優しい主人の下に14年も生きられたラッキー君は、幸せ者であったと思います。
ラッキー君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
碓氷殿
わざわざお言葉下されたにも関わらず、遅くなりまして申し訳ありません。
正直,いろんなことが相俟って、中々落ち着かなく・・・。
>小学校3年生の時以来約18年間
御大将に於かれては、多感な時期より、長きに渡って過ごした時間・・・ゆえ、より辛い別れだったことでしょう...。
>自分にも責任の一端があったように
何を言われますか!
そのようなこと、一切ありません。
ここ最近の不調にて、それなりの覚悟はしておりましたゆえ。
それがただ、その時だっただけのこと。
今思うと、死に目にあったほうが、より辛かったのでは・・・と思います。
ゆえに、ある種感謝申し上げたき程にございます。
>お慰めにもならないかとは思いますが・・・
いえいえ、とんでもない。
お心遣い、有難くも感謝申し上げます。