くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

正月の記跡

2007年01月31日 | くない観
年改まり、初心は「毎日」,少なくとも“ネタ”があり次第、その日の内には載せる!つもりだったブログは、早くも躓き気味。
その原因は...
ここ最近、何事に於いても「余裕」が無い!のです。。。
通勤途中など、独りの世界にトラップしてあれやこれやと考えていると、色んなことが思い巡ります。
その主題は、三十路を目前にして“どうする?!これから!!”
ただ、結局は容易に結論は出ず,如何ともし難い不可抗力が壁となって、「自分は無力だなぁ」と悟って終わります。。。

子曰く「三十にして立つ」歳,早々に、打開に向けた結論と決断をしなければならないのですが...。

そういえば、話は変わって...
今日は旧暦の師走15日・・・といえば、赤穂浪士の討入日。
雪の上がった満月の夜半,47人の武者共が、徒党を組んで亡君と御公儀への無念を晴らした!
その年,その日にお江戸は雪に覆われたいたのですが、今冬は未だ,東京には一粒の雪も落ちて来ず、この先にもその兆候は無い・・・とか。
犠牲者を多く出した昨冬の豪雪とは打って変わって、この天候。
この、冬の風物詩の異変一つとっても不気味ですが、その他にも,世界各地で“天候不順”が相次いでいるとか。

地球にも、「余裕」が無くなりつつあるのかも・・・しれないですね。
そう思うと、なんだか不気味で空恐ろしくなってきます......。


最後に...
今月に記した我が「記跡」への入口を下記に設けましたので、是非にご一読ください(_ _)
誤字脱字などにツッコミどころ満載!だと思うので(^^ゞ

]←←今月の「記跡」



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誘値価格

2007年01月27日 | 美味しいもん!
土曜出勤だったこの日。
仕事は18時過ぎに終わって帰ったのですが...
一日,何と無く貧血気味だったので、単純にも,レバーを食べよう!と、タイムサービスの焼き鳥屋へ行って見ました。
けど...
目当てのものは見つけたのですが、「やり残したことを徹夜でする」という予定を立てていた手前,焼き鳥+ビール=熟睡となってしまうので取り止めて、ここの反対側,駅北口にあるデパートの地下食へ行きました。

ここへは毎日,開いていれば立ち寄っては...
「なんぞお得なモノはないかなぁ...」と、探してます。
特に、海産物は閉店近くだと半値(以下)まで下がっているのでお得なんです。
けど、今日も惹かれるめぼしい品は無く、帰ろうとしたら...
上りエスカレータ前に在った、団子屋の出店に目が止まりました。
ここの地下食では、この場所で,期間限定の出店が在るのですが、何気無く見たら目に止まったその店,ショーウィンドに「いちご大福・一個50円」との値札が貼ってあったのです!
「これはお買得♪」と、女性ばかりの列に、唯一の私(男独り)で気恥ずかしさを感じつつ並んでいると、後ろにいた夫婦が一言,
「あっ,なんだ50円“引き”か…」と。
私は内心,(「なに?!」)と焦ってよくよく値札を見てみると...
(「………」)
けどもう,ここまで来たら買うしかなく、普通のいちご大福と黒ゴマいちご大福とを買って帰りました。。。
結果,一個130円でした。
(それでも)抑えめな甘さと、いちごの酸味がほどよく美味かったので、よし!とします。
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術らない寝

2007年01月23日 | つれづれ
この日,仕事を終えて帰るべく、最寄の(一つの)地下鉄駅へ向かうと...
信号機(保安装置)トラブルの為に、全線運転見合わせ?!ていました。
発生場所が、警視庁本庁舎最寄駅の桜田門だったので、すわ「テロ?!」「ゲリラ?!」かとも思いました・・・・・・が、それよりも!
発生直後ということもあってか、駅員さん曰く「運転再開の目処は立たない」とのことだったので、その案内の通り,振替乗車券を得て一つ西隣のターミナル駅へ、15分ほど掛けて歩いて行きました。
いつも、帰りはこの駅から乗っているのですが、この日に限って...何と無く、損した気持ちの中,「折角」の振替乗車券。
これを“有効”に使うべく、一路東京駅へ,総武快速線へ乗って帰るべく、向かいました。

東京駅の最深にある総武快速線ホームへ,途中、エキナカの本屋へ立ち寄ってから向かってみると、発車間近の始発列車があったので、それに乗り込みました。

始発列車は(大概,地下)3番線ホームから発車,乗り口は進行方向左側。
しかし、ここを出た後は暫く島式ホームの為に反対の右側が乗降口となるので、戸閉め後は「壁」と化すドアー。
ゆえに、満席満員の車内にて少しでも楽に・・・と、ここを(巧みに)陣取っていました。
その甲斐あって、最後までここを陣取れたので、発車後は安心してドアーに寄りかかり、下車駅の船橋までゆったりと本と景色を楽しむ・・・つもりでした。
しかし、異変はその次,新日本橋駅停車間際から始まりました。
私の隣に立っていた女性が、ゆっくりと,頭から倒れ掛かってきたのです!
「一体何事?!」「気分でも悪いのか?!」と心配しているのも束の間、私の腕に当たったのが判ったのか、(多少)勢いよく起き上がりました!

・・・・・・そう、この女性はただ“寝ていた”だけなのです。

見た感じ,同じ年頃から2,3低いくらいのその女性は、私と同じく,明らかにドア際を狙っていました。
何せ、私と同じく後から乗り込んでくる人をその場で立たせないよう、体を半身除けて“通り口”を作っていましたから。
恐らくは、座れない分ここで眠ろう・・・と、目論んでいかのかもしれません。
それにしても...
この女性の疲労度は、半端ではないようでした。

一度、私との腕へ(頭を)ぶつけて「目覚めた?!」かと思いきや、起き上がってから早々にまた眠ってしまいました。
それも、始めのうちはただ「小さい舟を漕ぐ」程度だったのですが、それが次第に大振りに,まるで振り子のように、三方(前・後・右)に振れていました。
ただ不思議なことに,少なくと私が降りるまでは、倒れることが無かったのです。
後方へ倒れかける時などは“イナバウアー”並に状態を反らすのに...。
私も、偶に立ったまま(電車内で)寝てしまう事はありますが、これほどまでに強靭・・・というか、柔軟性のある人は初めてみました。
ただしかし,始めのこそすれ、腕を動かして「起し」てたりもしてましたが虚しく、揺れはただただ大きくなるばかり...
そして、遂には立ったまま!私の(組んだ)腕の中へ,お辞儀をするかの如く,ゆっくりと堕ちてきました(苦笑)
また、更に足元でも,無意識な屈伸運動を繰り返していたのですが、それは私への“膝カックン”でもあったのです。

全く見ず知らずの人。
“枕代わり”にされた時には、周囲の目はちょい(苦笑)気味だったので、流石に起そうかな?!と思ったのですが、そうこうしている内に,船橋に着いたのでそのまま、私は降りましたが...
そのときも尚、まだ寝ていました。
電車の中で寝るのは、至極気持ちがよいのですが、立ったまま,ここまで熟睡していた人には初めて出会いました。
しかも、一度も倒れない!
よくよく見ると、左肩が支点となっていたようでした。

それを思うと・・・なんだか気の毒に思えてきました。。。

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萌え残る上野の夜宴

2007年01月22日 | くない卿見聞記
“時代祭仲間”(というには少々おこがましいですが...)のTatsu兄(飯綱親分)が、北方から1泊2日で上京されていたのですが、帰国前に,是非とも萌えて帰りたい!から一緒に萌えよう!と、お誘い(ご指名)を受けました。
本来ならば、取るものも取り敢えずに馳せ参じる!のですが......
この日は、日曜日にも関わらず,生憎業務上どうしても出勤しなければならず、朝5時前に起き、日の出前に家を出て、はや,朝の7時半にはもう、仕事をしていました。

泣く子も黙る飯綱親分が、メイド相手に萌えまくる・・・その、滅多に見られない貴重な“瞬間”に立ち会えない残念!無念!!でした......。
しかし、夕方以降,親分が帰る為の新幹線が走っている時間までは「上野で飲んでいる」と聞きつけ、仕事を終えた後,疲労感などなんのその!押取り刀で向かいました。

仕事を終えて職場を出たのは19時過ぎ。
一緒に出た職場の方と、駅の改札を通った後に別れてから「状況報告」をすべく、DoCoMoユーザーへ入電してみると・・・繋がらず。
夕方に(参加している)紋次郎。殿から聞いていた“居場所”は、以前行ったことのある居酒屋なのですが地下にあるので、そこでも繋がるauユーザーの方へ入電すると...
「あと、もう少ししたら店を出ますよ」という、結構衝撃的な返事が。
それでも、「一応参ります(^^ゞ」と告げ,より急いで向かいました。

Tatsu兄御一行が居たのは、上野仲町商店街にある【半兵衛】というお店。
昭和30年代が店のコンセプトなのか、何処と無くノスタルジックな店内で、ちゃぶ台のある座敷にこの日参じられた...
紋次郎。殿,わんわ殿,克さん,若,マコさんの6人が居られました。
仕事とは言え遅参,そのお詫びを込めた挨拶も束の間、“時間”となったので店を出ることに。
若の拙い計算で勘定を済ませた後、店の着いて僅か5分ほど,次の居場所を求めて暫し、上野の街を放浪していました。
なお、紋次郎。殿には「折角駆けつけたから」と、病を押してお付き合いくださりました。
有難き幸せにございますm(_ _)m

放浪の結果,上野丸井の裏側にあった【かまどか】というお店に入る事が出来ました。
皆さんは、既に一次会で散々飲み食いしたそうなので私だけ、夜食兼ねてビールと刺身などのおつまみを頂きながら...
遅れた分を取り返すべく,大いに語り、笑ってきました。

昼間のメイン,メイドカフェは大盛り上がりだったようで、聞けば聞くほど残念無念!
しかも、撮影禁止だったそうで、その場の雰囲気を知ることも出来ずに、尚,悔しかった(^^ゞです。

そんなこんなで...
私にとっては1次会は、店に入ってから2時間半ほど,親分が乗る最終列車に間に合うまで続けられました。
その話のいちいちは、とてもとても...
毎度の事ながら、書けない事だらけ!(笑)
朝も早くから仕事をした為か、テンションがナチュラルな領域だったようで、随分と喋り,笑ったようで、翌朝起きた時,咽喉がちょい痛く、声も擦れ気味でした。
ただ、テンションだけは堕ちる事無く、高水準を保っていました(^^ゞ

次の機会は是非に,親分が萌えてる瞬間を見てみたい!です。


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池袋東武(小樽)の【初代】

2007年01月19日 | ラーメン万歳!
池袋東武10階の大催事場で、今年最初の催事となったのが、屈指の集客力を誇る「大北海道展」。
遠く北海道から遣って来た地の名物・名産と一緒に、美味くて有名なラーメン店も出張ってきます。
今回,2週間に渡って行われるこの催事を、1週ずつで2店,入替って味わうことが出来るのです。
その1週目は、以前に船橋東武に遣ってきて味わった函館の名店【あじさい】。
2週目が、今回初めて食べた小樽の【初代】でした。

1週目,11日から6日間出展していた【あじさい】は、とても美味しい記憶があったので、是非是非に食べたかった!のですが、まず、昼に行った時には長蛇の列。。。
そこで、今度はこの最終日,夜に行ってみたら“スープ切れで閉店”という、悲しい結果に...。
この無念を、続いて遣って来た【初代】で晴らすべく、仕事を終えた後,長蛇の列もなんのその!と、行って食べてきました。

ここに着いたのは18時半前。
その時には、30人ほどの人が列を為していて、私が並んだ後からも、人が引っ切り無しに並び、それが絶える事はありませんでした。
そんなこんなで、受付を済ませて席に通されるまで、凡そ30分ほど経っていました。
この日,ここで注文したのは、ポスターにも載っていた,この店の売り(らしい)“味噌ラーメン”(787円)にしました。
席に着いてから、(毎度)手際よく動く店員に感心しながら待つこと5分ほど,注文のお品がやって参りました。

生憎、ケータイのえねるぎーが尽きてしまって、尚且つデジカメも持ち合わせていなかったので、画像を残すことが出来なかったのが残念無念極まりないのですが...
見た目,白みがかった味噌色に、葱やのり,メンマにチャーシューが乗る、ごくごく一般的な仕上がりで、量も程好い感じ。
その、まず1口目はスープから...
油層5mmが表面を覆っていたので、しつこいこってり感があるのかと思ったのですが然にあらず,まろやかで柔らかい、実に美味~い味噌スープです。
これに、油分が良く作用していて、口の中ではいつまでも、美味~いスープを持続的に反芻することが出来ました。

続いて2口目は麺。
中太の若干縮れは、味噌ラーメンにて良く見られるもの。
それは、スープとの絡みを良くするためと聞いていたのですが、なるほど,食してみると、その格言めいた組み合わせが真実だな,と思わせるほどにマッチしていました。
しかも、玉子色のきれいなその麺は、茹で加減が丁度良く、仄かな旨味があって、十分に楽しめました。

そして、これに続いて3口目に頂いたのがチャーシューです。
見た目は堅仕上げの風に(私は)見えたのですが、いざこれを食べてみると、実に柔らかくて旨味たっぷりなものでした。。。

何時もの通り、スープまで余さず頂きましたが、トータルでも、実に美味かったですし評判もよかったです。
自分が小樽へ出向くことは、早々無い!でしょうが、関東の何処かへ来る時は、是非是非に,取るものも取り敢えず出向いて食したい!と思います。
コメント (6)
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気力体力仕事運

2007年01月17日 | つれづれ
先日の朝,始業直後に業務で行った別セクション。
そのカウンターには、顔見知りなバイトの子(女子大生)が居たので...
「おはよう!」って挨拶したら、「・・・おはようございます・・・」と,なんとも気の抜けた返事が返って来ました。
あまりにやる気の無い,ダレて元気の無い返事だったので...
「どうしたの?!そんな弱々しい返事しちゃって。」(苦笑)と聞いてみると、「朝・・・ですから・・・」と返って来ました。
そういえば,顔色は、唯でさえ白いのにより青白く,血の気の無い色していて、目もなんだか眠たそう。
そんな顔を向けられると、こっちまでやる気が失せて来そうだったので...
「もっとシャキっとしなよ(笑)」と、軽く渇!を入れて見ました。けど...
「ダメです~...もう、眠たくって元気なんか出ませんよ...」って,なんだか逆に往なされた感じが。

そんなやり取りを、(この)後ろで聞いていた“お局的”ここの“元締”(役職は主任)は...
「学生の時はそんなもんでしょう。社会人とは心構えが違うんだから」と言いながら入ってきました。
尤も、私はこの方に用があったのですが・・・話は引き続いて,
「私もそうだったけど、学生の時は『授業なんて、終わりごろ行けばいい』とか思っていたから気力はなかった」
「けど、社会人になる『仕事』に纏わる『責任』とかが出てくるからサボれない,すると、学生の時とは違って気力がます」
「だから、年を取ってくると体力は必然的に落ちてくるけど、気力が張っているから体調を壊すことが(学生の時に比べて)無くなった,今の方が健康」
・・・などと、解説くださりました。
けど、ちと自分のことを省みて思うと、「なるほどなっとく!」な意見でもありました。

今までで、一番風邪を多く引いたのは、間違いなく大学の時。
確か・・・あれは2年の、学祭を控えた秋10月のこと。
初旬に引いた風邪は、治ったと思ったらまた引き,また治ったと思ったら引くを繰り返しで、一月間,断続的に体調が悪かったです。
その時は確かに、履修授業にはキチンと出て、取りこぼしはしませんでしたが、それでも、授業の終わり頃に教室へ行ってみたり、授業中ぐっすりと睡眠をとったり・・・はしていました。
それに比べて今。
そんなことをしたらもう、お話にはなりません。
ゆえに、日々の管理は(程好く)厳重に,多少の緊張感を持っています。
その影響か,昨年度は一度も医者の厄介にならない、“健康優良者”でした。
お蔭さまで、恩賞として「図書券」を頂きました。

学生の時分よりも、取り巻く環境はより複雑に,考えなければならないことも日々多くて、処理し切れずにストレスを感じることばかりですが、如何に体力が落ちたとしても、それは“気力(モチベーション)でカバーできる”ことを、なんだか朝から痛感させられた・・・様に思います。

何事もそう,気力が大事!なんですよね。
これがしっかりとしていれば...。

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唐桶館の恐縮

2007年01月15日 | つれづれ
先日のこと。
機会あって、大学時代の友達と仕事帰りに会いました。
最初は、ただお茶するだけだったのですが、折角だから・・・と、居酒屋へ行くことに。
卒業後,2世帯とは言え、家計を遣り繰りする立場になった友達は、クーポンなどがある“お得”で落ち着けるお店を選りすぐって行きました。
こうした時、私は唯,肯いて付いて行くだけです。
この日が月曜日だったということもあってか、店内は比較的空いていて、ゆっくりと,気兼ねなく3時間ほど、街中の“客引き”から得たクーポンを使いつつ、また、(所詮割り勘とはいえ)友達の同意を取りつつ、酒肴談笑を楽しんできました。

そして、ここに居ること3時間。
何と無く酒肴も尽き飽きて、「そろそろ出ようか?!」という雰囲気になった頃から友達が、しきりに「次はカラオケへ行こう!」と言い出したのです。
正直,人前で歌を歌うことが苦手な私は、最初のうち渋っていたのですが、断続的な勧誘に従って、久方ぶりにカラオケへ行って来ました。
飲んでいたのが職場近くだったので、見知っていた,ここから目と鼻の先に在った「カラオケ館」へ行って来ました。

店先には、何人の“客引き”が甘い言葉で勧誘していたので、今回も,1次会の店を決めた時の様に乗っかっていくのかな?!と思いきや、意表をついてスルーしました。
一応,店を決めておきながらスルーしたので、ちょいびっくりして聞いてみると...
「中で飲み物頼むと高いから、自販で買うの」と言ってお茶を買い、カラオケ館へと戻りました。

受付を済ませて指示(通)された先は、3,4畳ほどの広さの部屋。
そこに腰を落ち着けると、友達はすぐさま,目当ての曲を次々と予約していきました。
一方の私は・・・如何に友達と2人だけとは言え、苦手な上に慣れぬとこ,気恥ずかしいのには違いなく、暫く様子見の為に静観し、友達の“オンステージ”の独り観客と化していました。
けどそれも、どうしていいのか判らず,ただただニコニコ絶やさず居ただけです。
ただ...
時は冬,乾燥注意報発令中の上にエアコンの部屋では、空気より乾燥し、自販で買ったお茶を飲んでも潤いは補いきれず,咽喉への負担を増すばかり。
遂には、友達から...
「私1人では持たない!くない(君:仮称),歌いなよ、折角だから。」との催促が。
そう言われては止むを得ず(^^ゞ
少ない少ないレパートリーの中から必死に選び、何曲か歌いました...。
けど、私がハマる歌って、大概は女性ボーカルなので、一般的な男性声の私には難しきこと。
そんな中から、なんだか「歌えそう」だった,いまハマっている[いきものがかり]の"HANABI"と"流星ミラクル"を歌ってみました。
・・・ケータイの中にまで入れて聞いていたお蔭か、何とか無難に歌えました。
また、"HANABI"はPVだったので、二重に楽しめました。
これを期に、何と無くテンションが上がってきたその時,タイムアウト(1時間)となってしまいました...。

結果的には、なんだか消化不良な終わりだった・・・ような気がします。


その中から、何とか歌えそう・・・だった、いまハマっている「いきものがかり」の"HANABI"と"流星ミラクル"を歌ってみました。。。
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浅草の【今半】

2007年01月12日 | 美味しいもん!
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが...
正直言って、私はすき焼きが苦手です。
このことを暴露すると、十中の八九は不幸な目で見られます。
なぜ?!と。
しかし!塩味好みな私にとっては、まず、あの甘い割下がどうにも苦手,続いて、溶き卵をツケダレ風にして食べるのがダメでした。
あの、生温くぬるっとした食感がどうにも...。
ゆrに、もしすき焼きを食べることがあったとしても、溶き卵につけて食べることがしませんでした。
・・・尤も、私の記憶が確かなら,もう10余年ほど牛すき焼きを食べてはいません。

そう、この日,すき焼きを食べたのはそれ程に久しぶりのことだったのです。

この切欠は、今から二月ほど前の旧年霜月朔日
新大久保の【美苑】にて美味い!焼肉を食べ終わった後に、次としてすき焼きが浮上したのです。
ただ、私は勿論難色をしました,「壱萬円」という金額もあって。
なお、この折には、何処へ行くのかは明かされませんでした。
そして、これが具体化しただしたのは年明けのことで、実現したのがこの日,行き先が明かされたのは直前のことでした。

浅草の【今半】と言えば老舗中の老舗,如何に苦手な私でも、浅草を訪れた折,デパートの地下食等で見かけるお肉屋さんを見るたびに、「一度は行って見たい」と思っていました。
それがこの日、思いがけず実現したのです。

仕事の進捗状況,終わり時間がとりあえずバラバラだったので、浅草雷門前にて待ち合わせてから、いざ!そのお店へと向かいました。


そこは、雷門(仲見世)から西へ数町,オレンジ通りにある支店でした。
幾分細長い店の階段を上がって、予約者の名を告げて通されたのは、奥のテーブル席。
ちなみに、ここには他に座敷席があるのですが、別料金で高くなる・・・とのことで、テーブル席での予約にしたそうです。

席に着いて、まず、メニューを見てびっくり!
一番低いすき焼きメニューでも、6,300円なのです...。
流石は老舗中の老舗,噂に違わぬ高値に驚き、ただただ戸惑うばかりでした(^^ゞ
そんな中、選んだのは無難に,でも8,400円の“霜降りすき焼き御膳”でした。
まずは食前酒にとビールの飲みながら、追っ付け遣って来た方と3人で、それが来るのを今か今かと待ちわびていました...。

ちょっと贅沢なエビスビールと豪華なおつまみ(苦手種あり)。ビール盆には杉の葉が添えてありました。

・・・それから数分してか,待ってました!御膳が運ばれてきました。
テーブルの真ん中にあるコンロの上に置かれた鍋に、まず油を敷き、続いて割下を注いでからすかさず肉や野菜を投入。
ジュウジュウと、実に食欲をそそる音と蒸気を上げながら,自分が苦手なすき焼きが目の前にて仕上がっていっているにも関わらず、静かに興奮を覚えていました。
そして、それから暫くして遂に!お肉や野菜が食べごろとなりました。

この一連の調理に加え、溶き卵まで作ってくれた店員さんのよそってもらい,まず霜降り肉から・・・・もう、美味すぎます!!!!!!
蕩ける様な柔らかさ,旨味たっぷりの肉汁が、然程甘くない,主張し過ぎていない割下とバッチリあって、正に至福の時!
割下に限っていると...
具材の中にお麩があるのですが、これは割下を楽しむもので、十分に吸い込んだそれを食してみると...もう、美味すぎて言葉も出ませんでした。
更に、ビールやご飯と食べると倍率ドン!更に倍!!って具合に、至福度が上昇しました(笑)
最初に見た量だけみれば、何と無く物足りなさを感じていたのですが、いざ食してみると、以外にも、空腹を満たすには十分すぎるほどでした。

これは、多分ビールやご飯も手伝ったというのもだるでしょうが...。
しかも、最後にはりんごのシャーベットがデザートして登場。

甘過ぎず酸っぱ過ぎず、なんとも上品なお味で、満腹だったことを忘れて、ぺろりと平らげました。

これで占めて一人当たり壱萬円ほど。
料理でもう、大満足だったのです、更に満足したのが店員さんの接客。
静かで丁寧,気配りも行き届いていて、出来具合などに不安を感じていると、すかさずやってきて、さり気無くしてくれます。
また、帰りに際しては店外までお見送りをしてくれました。
しかも、ボールペンとティッシュのさり気無いおみやまでついて、一人当たり壱萬円強とは、トータルで考えると実に適正価格!だと感じました。

極偶には、こういう贅沢もいいもんですね♪
ただ、あくまでも極偶に・・・です。

19時半から2時間ほど,閉店間際まで居た店を後にし、駅へ向かう途中,方向が違う(都営浅草駅)と職場の方と別れてから、折角だから・・・と、浅草寺へ詣でてから帰りました。
本堂は閉まっていましたが、案外多くの人が境内を行き交っていました。



ちなみに...
すき焼き“風”なものを昨春まで5年間,年に1回食べていました。
それは、ほろほろ鶏を使った鍋料理で、合戦祭に参陣すべく訪れた石和温泉の「冨士野屋夕亭」にて頂いていました。
これはこれで、中々美味しかったですが、最初はちょい,抵抗していました(^^ゞ
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「庁」じゃないのか?!

2007年01月10日 | くない観
防衛省スタート 首相「新たな国造り第一歩」

前日の9日に施行された法律に基づいて「省」格した防衛省。
けどこの法律,昨秋から冬に掛けて衆参両院を難なく通過して、いつの間にやら気が付いたら!?という感じがとってもします。
なぜ今なのか...
防衛庁が「省」格したことによって、「権限が増えた」とはよ~く聞くのですが、では、それによって如何ほどの予算が充てられるのか?!
このことに、誰も言っていないのが、気になって気になってしょうがないです。
なにせ、例え義務とは言え、私(達)は“日本国”に対してなけなしの財産を「税金」の名の下に、強制的に“投資”しているのですから。
ゆえに、“投資家”たる国民の意見を聴き、その結果を詳細に報告する“義務”があるはずです,政府には。

また、何でも政府与党内には早くも省庁再「々」編構想があるとか。
けど、外務省などと重複(というよりは競合?!)する任務がみられるところを見ると、政府与党の無計画ぶりが何と無く垣間見られ、ほとほとイヤになってきます。
そもそも何ゆえ今この時期に「省」格させたのか,その根拠が何処にあるのか、実に興味のあるところです。

今度の防衛庁の「省」格は、この国の在り様すら変えかねない、極めて重要な事項。
先の省庁再編に於いて、与党は選挙公約にこれを掲げていました。
けど、ちょい前の衆院選挙に於いてこのことを聞いた記憶は、私にはありませんです。
ならば...
このことを国民に問う事無く、勝手に決めてしまった政府与党の何気ないエゴ,傲慢さには、更に怒りを覚えます。

第一、防衛省は現状に於いてはまだ、「自衛隊管理組織」たる防衛庁のままで十分だったのです。
何せ、その自衛隊の根拠が曖昧の上、外務省などとの専管事項の調整と整理統合が為されていない現状に於いては、唯単にもう一つ,縦割り行政の弊害が生まれただけ...の様な気がしますから。

おまけに。
私の職場からも見える市ヶ谷の防衛庁本庁舎。
ここの門柱には、初代防衛相となった久間章生揮毫の門標が掲げられていますが...
なんとかならないのかなぁ、あれ。
本人は自信満々で嬉々としていましたが、如何よ,あれじゃぁ...。
「省」格に尽力した大臣への恩返しのつもりなのかもしれないけど、あれだって,(少しけちな言いようかもしれないけど)税金だよ。
防衛相1人の楽しみで書き上げた門標なんざ、要らないよ!まったく...。

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All Check Blue...

2007年01月09日 | つれづれ
とうとう、仕事始めの日がやって来てしまいました...
29日から2週間近くあったので、世間一般に比べれば長~いお休み。
ただ、感覚的には更に長く,一ヶ月くらいあったように思います。
それだけ、“何もしなかった”“何も無かった”ということでしょうか(苦笑)...
しかし、この長い休みの副作用として、怠け癖がすっかりと脳中枢を占拠!
目覚まし(ケータイのアラーム)にも反応できず...
一応、最初のうちは「起きろって鳴ってるぞ!」「起きなきゃ」っていう意識はあるのですが、その反面,すぐさま「あれはきっと誤作動だ...」「気が済むまで寝ていよう」と納得させようとする意識が出現。
この“攻防”は15分間ほど続きました...。

また、制限時間内で身支度を整えるのも久しぶりだったので、手際と段取りが悪く、気付けば予定を10分オーバー,遅刻をしないギリギリの時間に出ることに。
身が引き締まるほどの寒い朝,空気の乾燥に四苦八苦しながら、全速力で自転車をこいで自宅最寄駅へと向かいました。

休み中の移動は専ら車,定期があるにもかかわらず、利用しなかった電車に乗るのは、実に,両国へ行って以来一週間ぶり。
しかも、通勤電車に乗るのは更に一週間上積だったので、一入疲れました。
尤も、この日からまた“学校”も始まったがゆえに、混み具合も結構なものでした。
そういえば、クリスマスを過ぎてから一時,空いた感じがあったのですが...。
この混雑が為に、地下鉄東西線などは定刻よりも10分も遅れで運転。
こうなることは予測してはいたのですが、実際にそうなると焦るもの。
“新年早々遅刻”なる不名誉な仕事始めにはしたくない!という気持ちも手伝ったのですが、反面,得てしてこうなる自分の“運”にもちと、納得してしまいました(苦笑)

結果,職場最寄駅からはダッシュ!ダッシュ!!をしたので、何とか,9時の2、3分前に着きましたが、それでもまだ、怠け癖(気分)は抜けきれませんでした。
返って、劇混みの東西線車内で、立ったまま寝ていた自分の振舞いには正直,驚きと情けなかった・・・です。
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関東流のお持て成し[大蛇丸殿歓迎宴]

2007年01月08日 | 美味しいもん!
年末も押し迫った旧年戌年の師走,12月29日。
関西より“大蛇丸殿が上京”されるとの報を受け、不肖このくないが(喜び勇んで)幹事となり、禅想殿のご協力を得て、都内で一席設けることとなりました。
このご参集下さった関東衆は、紋次郎。殿哲坊殿マコ殿で、もはや馴染みとなった新橋【魚金】を、此度の“接待席”としました。

予約は18時からだったので、新橋駅西口SL広場前に17時50分集合としたのですが、私は、その前にあれやこれやと野暮用雑用していたら、あっという間に時間が・・・。
当初の予定だと、大手町(東京駅)から新橋まで歩いて行くつもりだったのですが、有楽町を目の前にして、最早時間に間に合わないと察し、慌ててそこから山手線に乗って向かいました。
新橋駅のホームを降り、改札を出たそこは烏森口。
待ち合わせは、この目の前・・・に在るはずのSLが無い?!と、一瞬ちょい慌てましたが、直ぐに思い出し,そのある方へと向かって行きました。
ただ...
駅からSLまでの行き方を、大蛇丸殿に間違って説明してしまったことは、痛恨事でした...。
でも...
ちょい遠回りして着いたSL前には、意外にも,紋次郎。殿が既に到着されていまいた。
続いて、実はこれよりも先,無事に到着していた大蛇丸殿と、寒さ凌ぎでいたマツキヨにて,約一年ぶりに再会しました。
ちなみに、その時も冬の嵐の日・・・でしたね。
(続いてマコ殿も到着。)
哲坊殿からは、既に10分ほど遅れる旨の連絡があったのですが、禅想殿が現れず...
実はこの日朝,待ち合わせ時間の確認を行っていたのに、どうしたんだろう?!と思い電話して見ると...
「烏森口にあるうどん屋まで来て」
...とのことだったので、私以外の3人でまず,そちらへ移動していただきました。
この直後,哲坊殿とも合流できたので、直ぐその後を追うと、右往左往する3人を発見!
うどん屋の場所を案内しようしていたところへ、禅想殿が登場。
突然のこととで、一瞬状況を理解できなかったのですが,まぁ、無事合流できたので、いざ!【魚金】へと向かいました。

夏以来久しぶりの【魚金】
オフィス街の新橋に在って、殆どの会社が仕事納めだった前日は、大変な混みようだったそうですが、この日もまた,ご多分に漏れず満席で、店の入口には“待ち客”まで居ました。
ただ、この日の客層には家族連れなどがあって、いつもの雰囲気とはちょい、違ってはいました。。。

さて、魚類が安くて美味い!この【魚金】にて於いて、来たら必ず食べねばならぬものが2つ,“金目鯛の煮付け”と“ほやの塩辛(↓)”。

このうち、前者は禅想殿が事前に手配をして下さったので頂くことできたのですが、後者は残念,この日は入荷していなく食べられませんでした。。。

ただ、相変わらずここの刺身は天下一品!

実に美味い!!ものを、この日も頂くこと出来ました。
そしてまた、“酒豪”を囲めば当然か...
今回この席では事実上のポン酒祭と化して、【魚金】にある全国各地の銘酒を次々と“制覇”して行きました。
その、酒肴のあまりの美味さと、凄く面白いこの宴席に、私もついつい杯を重ねてしまいました...
勿論?!そのツケはこの後に、“少々”やってきました(^^ゞ

なお、忘年会の大津波が前日に去った?!とはいえ、18時からのはや満席,店口には待ち客が居るほど人気な【魚金】に於いては、2時間で出ざるを得なく...
一色存分楽しんでから後,ここを後にしてまた、“不夜城御用達”の焼とん【まこちゃん】へと移動しました。

店の外からは満席の様に思えましたが、幸運にも、6人ピッタシ座れる奥のテーブル席へと案内されました。
ここでまず、全員揃って注文したのは“ホッピー”でした。
それは、大蛇丸殿がご存知なかったので、百聞は一見に如かずと、注文したのです。が、私は先に【魚金】で重ねたポン酒の貯金が有り余っていたようで、この途中,暫し中座して夜風に当たってきました(^^ゞ...
お蔭で、折角のやきとんも満足に味わえずじまいでした...。

なお、ここには閉店間際まで,3時間近く居て、また存分に酒肴と談笑で楽しみました。が、尤も私は途中システムダウンしてしまいましたが...。
大蛇丸殿には、関東の酒肴を存分お楽しみいただけたようでした。

これよりまた、暫しのお別れとはなりますが...
一年後の冬・・・とは言わず、またのお越しをお待ちしております。
また、コチラから出向く折には何分良しなにm(_ _)m

ちなみに...
この宴席での話題の中心は、亥年の大河「風林火山」でした。が、いつしかエロ話になっていたのは、いつもの事?!ですね(笑)
コメント (3)
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ボタンの掛け違い

2007年01月07日 | くない観
テレビ朝日系にてこの土日,2夜連続放送された「白虎隊」。
初めは、ジャニーズが多数起用されたことによるアレルギーから見る気は無く、所詮は視聴率狙いか・・・と、一歩以上引いて,冷めて見ていたのですが、やはりちょい気になって見始めたが最後...
その迫力と臨場感に引き込まれ、気付けば最後まで見入ってました。
ドラマの構成上,時間的制約からか、少々強引に感じるところもままみられましたが...
豪華なキャストは然ることながら、最初は侮っていたジャニーズ連中の白虎隊士はほぼ“同年代”の役と言う事もあってか中々よく、東山紀之の会津中将容保公などはもう、よく似ていてはまり役だったかと思います。
また、薬師丸ひろ子のナレーションや劇中のBGMなども、何処と無く物悲しく,劇中の雰囲気とよく合って良かったです。

ゆえに、私的には,この日から始まった大河よりも、断然面白かった!と思います。

特に最後,会津公が降伏を決断し、征討軍参謀等に対して手を付き,面を伏して謝罪する場面などはもう、尊王佐幕ゆえに会津贔屓で見ていた私にとっては涙無には見られませんでした...。
その起因は、降伏に際して会津中将公と家老萱野権兵衛長修(演:石倉三郎)とが交わした会話(台詞)に全て、集約されていました。
それは...
萱野権兵衛)
「誰もが嫌がり、避けてきた御役目(京都守護職)を引き受けたのに、この有様になるとは...」
「裏切りなどがまかり通る世の中になるとは...」
会津中将公)
「そうした世の中が、いつまでも続くはずが無い。」
会話(台詞)は、忠実には再現してはいませんが、大約,このようなことを言っていました。
この思い,正にその通りなのです。
ゆえにより、幕府にいわば振り回されて艱難辛苦を味わった会津松平家のその悲運に対して、同情の念,深く思うのです。。。
幕末の一栄一落はただ、家祖保科肥後守正之公(土津霊神)の遺訓(「会津家訓十五箇条」)に従い、内実は嫌々ながらも御公儀の為,朝廷の御為にと、京洛の治安秩序などに取り組んだのに...。
正に、一寸先は闇,有為転変の世の中、判断一つ間違えば...です。

この他にも、戊辰戦争(北越戦争)では贔屓とする米沢上杉家や仙台伊達家なども、会津松平家ほどでは有りませんが、悲運を蒙っています。
時代の流れの中で、戊辰戦争は明治維新を一気に推し進める原動力にはなった,とは思いますが、正直,尊王佐幕な私にとっては、幕府以下,会津松平家や米沢上杉家など、多くの佐幕派が艱難辛苦を味わった,また、その後の日本を見るに、ただただ“残念無念”としか思えません。。。

やはり...
黒船来航後、混乱したとは言え、それなりに纏まっていた歯車が、一気に,加速度的におかしくなったのは“最後の実力派”であった井伊直弼のあっさり過ぎた横死と、英邁なる14代将軍家茂公と孝明天皇の若すぎる崩御だったのなか...と、思います。
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くないの【チキンラーメン】

2007年01月06日 | ラーメン万歳!
この2日前の4日は、栃木の伯母宅へ,毎年正月の恒例となっている佐野厄除け大師参詣も兼ねて日帰りで行ってきたのですが...
その晩から、俄かに不調を感じたので早々に床へ着いたのですが、その甲斐なく,翌朝起きた時には体全体が倦怠感に覆われていました。
しかも、関節に鈍い痛みも感じていたので、いよいよ風邪であることを確信しつつ体温を測ってみると...
平熱よりも1℃高かったので、大事を取って、終日休んでいました。

晩には、高校以来の友達が久しぶりに北海道から「帰って来た」との連絡を受けたので、一杯やる約束をしていたのですが、無念にもそれも断念...
平日に折角に休んでいるので、いろいろと計画していたのですが、それも断念し,終日、先日職場の方から勧められてお借りした「ウルトラマンガイア」のDVDを見ながら一日中寝込んでいました。

そして、明けて6日。
終日休んでいた効果か、幾分の倦怠感や頭痛などはありましたが、随分と恢復していました。
そのお蔭か、起きて早々に,前日には無かった空腹感に刺激されました。
はてさて、何にしようかなぁ...
弱っていた体に栄養もつけたいとも考えていた時に見つけたのが、朝刊一面に載っていた安藤百福氏の訃報記事。
そう!かの“チキンラーメン”を生み出した御仁なれば、その敬意も含めて,これを朝食にしました。
家には好都合にも、栃木から美味い卵を持って来たので、袋からどんぶりに移したチキンラーメンの上にこれを乗せ、そこへ熱湯を注いで蓋をして、待つこと3分...
あっつ~くした湯を注いだので、その先から白くなっていった卵が、蓋を開けたらもう,さながら温泉卵状態の、よい加減になっていました。
そこへ、刻み葱と七味唐辛子を加えて頂いたのですが...
私的ながら、実にシンプルでショ・ミーン的なのですが、とって~も美味かったです。
これは何時ものことですが、(当然)スープまできれ~に平らげました。
お蔭で、なんだか栄養もついて体調が恢復した!気がしました。


安藤百福日清食品創業者会長へ、篤く御礼申し上げます。
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いざ酔いの月

2007年01月05日 | 春夏秋冬
これは、前日4日のこと。
厄年に入って以来,毎年正月に参詣している佐野厄除け大師(栃木)へ、今年もまた行ってきました。

昨年までは、隣接する町に住む伯母宅へ,1泊2日で行っていたのですが、今年は日帰りにしたので、朝早く,7時前に家を経ちました。
この日は、世間一般の多くは仕事始めなので、道路の混まない内にと出たのですが、それが功を奏してか,今回もまた、一般道のみですが至って順調。
一度も渋滞らしきものに巻き込まれること無く、何時よりも30分ほど早く,2時間掛からずに行くこと出来ました。

ただ、厄除け大師(春日岡)へ着いたのは10時半過ぎ。
伯母宅にて少し休息の後、この近くに住む親戚宅まで伯母宅の車で向かいました。

御大師様前の道は正月の時季,ホコテンになっているので、沿道両側一杯に屋台が軒を連ね、店舗を構える各店も、これに負けじと参詣客目当てに呼び込みをしていて、平日にも関わらず,相変わらずというべきか、大変に賑々しかったです。
ただ、ちょい値が張るので手は出ませんでした...
じゃがバターにはとても惹かれたのですが...


さて、今回の参詣は厄年を終えた弟の“名代”も兼ねていたのですが、その本人より,今年も引き続いて「御札を頂戴したい」という依頼を受けてきたので、私のも含めて,今年もまた、本堂にてご祈祷を受けるまでの1時間ほど掛けて、有難い御札を頂戴して参りました。

この後、伯母さんが休んでいた親戚宅にてお茶などを頂いてから、昼食を取りに毎度馴染み・・・というか、親戚が営む佐野ラーメンの隠れた名店【弓削食堂】へ行き、いつもの餃子とライス付きの“ラーメンセット”(930円)といか天を食らって来ました。
毎度ながら、大満足の内に伯母宅に帰って来た後,暫し昼寝をしたりア、ウトレットへ行ったり、精米をしたり、晩御飯頂くなどして、家路に着いたのは20時過ぎ。
寒夜の空には、数多煌く星に、一際明るく白く輝く真ん丸いお月様が、青白い光を地に,仄明るく照らしていました。

ここは、住宅街の一角にある自宅とは違って、民家も疎らな田舎。
街灯などの灯りは無く、首都圏よりはきれいな空気が手伝ってか、とてもきれいに輝いて見えました。
復路は、そんな中を運転して行きましたが、その田舎道では、街灯よりも明るく,満遍なくそこを照らしていまいた。
ゆえに、時たま引っかかる信号待ちの折は、“進め”の指示が出る時まで暫し,ヘッドライトを消して、周囲の闇に同化して、思わずこれに見惚れていました。

ただ...
満月は前日3日に迎えていたので、この夜上がった月は“十六夜月”でしたが、それでも,陽暦にては新年最初の満月(みつき)はとてもよかったです。

なお、復路もまた、往路と同じく混む時間帯を回避したお蔭でか、至って順調に,また2時間も掛からずに着きました。
その時にはもう、月は空高く,小さくなるほどに上がっていました。
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招福万来!七福神詣!!

2007年01月04日 | くない卿見聞記
旧年中は、私的に良き事が無かったので、新年亥年を機に,招福を願って我が街にある“七福神詣”に行ってきました。

その出発は元日の朝,6時40分。
本来は大晦日より元旦まで、一睡もせずに、出遅れた各所への「新年の御礼」をするつもりだったのですが・・・気付いたら、ケータイのアラームに促されて、出発の10分前に起床。
すばやく身支度を整えて家を出、まずは自宅最寄駅へ,初日の出を拝むべく向かいました。
この東南方向は窪地になっているので、(特に)冬の日の出を見るには格好の場所。
そのテラスには、最多で2,30人が集まり、その瞬間,初日の出を今か今かと待っていました。
・・・そして、雲一つ無い晴天の中,日の出の定刻である6時53分、空を朱色に染めながら、真っ赤な「初日の出」が上がってきました。

その、凛として厳かな雰囲気に見惚れつつ、しっかりと拝んでから、いざ!七福神詣をすべく、御城下町へと向かいました。


車を、春と秋の祭で“中心”となる市駐車場(無料)に止めて、ここから400mほど東へ行った住宅街の一角に集った神様を詣でに行きました。
その、まず(一番)最初に詣でたのは、“毘沙門天”を祀る安城山甚大寺

堀田家の菩提寺であるこの寺は、羽州山形城内に建立されたものを、延享3年の転封(相模守正亮)を機にこの地へ移ってきたそうです。
今でこそ、時間と周囲の環境の所為もあってか、実にひっそりとしてはいますが、かつては城主家の菩提寺に相応しい、大伽藍を要した寺であったそうです。
誰一人居ない,さながら一番乗りの感がある(寺の)本堂へ詣でるべく近づくと、少し戸が開いていたので、ちょい中へ入ってみました。
大伽藍は明治初年に焼亡してしまいましたが、昭和36年に別寺院より移築してここにあるそうですが、比較的浅い時代は感じさせない,実に落ち着いた,凛とした雰囲気を感じました。

続いて詣でたのは、この斜向かいで“弁財天”を祀る清浄山嶺南寺

七福神を祀る寺院の目印として掲げられた幟が無かれば、由緒正しきお邸と見過ごしてしまいそうなこの寺では、秘仏の弁財天を10日まで特別に公開しているのです・・・が、それがあるであろう、本堂の戸は閉まったまま。
静かにひっそりと,その隙間から見てみましたがよく判らず、残念にも拝す事出来ず、(一応)小さく静かに弐礼弐拍手壱礼をして、ここを後にし・・・ようと思ったら、ガラガラと,古めかしい本堂の磨りガラスの戸を開きました。
中から出てきたのは、初老の女性で、(多分)ここの住持さん。
元旦というのに...
「こんな朝早くからいらしゃるとは思いませんでした」と言いながら、「準備は出来ていますから」と、本堂の戸を開け、秘仏を拝させていただきました。
これに改めて礼をし、住持さんに御礼申し上げてその向かい,“寿老人”を祀る正覚山宗圓寺へ行きました。

ここは、佐倉順天堂の創始者佐藤泰然や執政香宗我部家の墓があるそうですが...
ここは、先の2寺よりも更に人気が無く、(比較的)真新しい本堂の戸は、ピッチリと閉まっていましたが、幸い,寿老人は本堂左に祠に祀られていたので、無事,福徳円満を祈して、次,ここから南へ500mほど行った所に在る、久栄山妙隆寺へ。
“大黒天”を詣でに行きました。

複雑に入り組んだ旧城下町の路地を入ったところに在るこのお寺で、まず最初に大声で出迎えてくれたのは、立派なゴールデンレトリバー。
先の宗圓寺でもそうでしたが、これがまた咆えること咆えること。。。
私はただ、信心深く詣でているだけなのに(苦笑)...
しかも、この妙隆寺の住持あろう人も、不思議そうに私を見ていました。
一方,私には全く邪まなことは無いので、とりあえず「こんにちは」と挨拶してから普請中の境内を進んで本堂と、その近くに御座します大黒天様を詣でてから、次,我が街の総鎮守・麻賀多神社へと向かいました。
しかし...
手元の資料をよくよく見ると、西へ行く前にまだ一つ,詣でていないところがあることを確認してたので、地区図とケータイのEZナビウォークを手掛かりに、入り組んだ細道へ進んで、そこへと向かいました。

一群から少し離れたところ,“毘沙門天”を祀る玉寶山松林寺

区検察庁の隣にひっそりと佇むここには、“毘沙門天”のほかにも“聖観音”が祀られており、その配置が石版で,賽銭箱の奥に配してありました。
既にこの時本堂の戸は開いており、自然と,当たり前のように線香が置いてあったので、有難くこれを点けて参りました。

次に詣でたのは、松林寺から西へ1kmほど行ったところに在る我が街の総鎮守・麻賀多神社です。
流石にここは元旦らしく賑々としており、巫女さん達も「お参り有難うございます」と、笑顔で挨拶してくれました。
新年早々,嬉しきことで((笑))...。
さて,ここには“福禄寿”が祀られており、(まず)本殿へ詣でた後,この右脇の東参道口に御座します三峰神社(祭神は麻賀多様の祖父母神)へも詣でました。

ただ、これは後で気付いたのですが、ここには“恵比寿様”も祀られていたようですが、ここへは詣でずに、次,最後はここから南,(旧)武家屋敷の一角に在って“大黒天”と“布袋尊”を祀る大和田山大聖院へと向かいました。

先の麻賀多神社の雰囲気とは一変して、それまでと同じくまたひっそりとあるここで、「除災招福」と「笑門来福」を祈り,ここに七福神を(一応)全て詣でました。

これで今年一年,良い年!でありますように...。

∥ちなみに∥
我が街の「七福神詣」は10日まで,御朱印の受付けは10時から16時まででした。
なるほど。
だから何処もひっそりと,時には犬に咆えられ、驚かれたりするわけで(苦笑)...
コメント (5)
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