郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

もみじ情報11月24日

2019-11-24 18:45:18 | 2019最上山もみじ情報
もみじ情報11月24日(日)  宍粟市山崎町元山崎

曇り空。イベント最終日。昨日ほどではないが、多くの訪問客があった。
もみじはいよいよ落葉が見られ、あと数日モミジの絨毯が見られそうだ。

明日午前中イベント会場の撤去作業が始まる。
そのあと、この場所はfree駐車場となります。



もみじ山を望む

もみじ山の西側にある山崎八幡神社 参道付近










▼もみじ山の中腹辺り




▼展望台付近

▼展望台より





水運物語Ⅲ 「宇原の渡し」 

2019-11-24 06:45:46 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
水運物語Ⅲ 「宇原の渡し」 


【閲覧数】1,508件(2009.12.16~2019.10.31)



宇原の渡し 



昭和37年(1962)宇原橋が完成するまで、山崎や新宮・姫路に行くには大切な足であった。揖保川流域では一番長く存続したという。
 
揖保川に橋ができるまでに、渡し船が活躍した。山崎の主なものに出石(いだいし)の渡し、須賀(舟元)の渡し、田井の渡し、宇原の渡しがあった。

「写真で見る郷土史やまさき」より


▲「ふるさと戸原」より



水運物語Ⅱ 「船着場の跡」

2019-11-24 06:37:23 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
水運物語Ⅱ 「船着場の跡」

【閲覧数】1,610件(2009.12.15~2019.11.24)

昭和18年 山崎町出石(いだいし)の船着場の跡




 高瀬舟は、山崎町出石を出発し、網干港まで約7里(28km)を半日程度で到着する。その積荷は、年貢米、大豆、木炭、薪、鉄など。ときには、人も便乗したという。


ことば
高瀬舟:室町時代末期頃から利用され初め、昭和初期まで運航された。船底が平たい木造船。帆走もしくは馬や人間が曳いて運行され、物資の輸送を主な目的としていた。