郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

2024千年フジの開花状況と青モミジ(新緑)

2024-04-15 11:52:22 | 2024千年フジの開花状況と青モミジ(新緑)

「2024千年フジの開花状況と青モミジ(新緑)」と題して、千年フジの開花状況と最上山公園の青モミジ(新緑)を3~5日単位でお知らせする予定です。
 このブログに書き加えていきますので、関心のある方はブックマークしてくださいネ。
 千年フジを楽しんだ後、最上山公園まで足を延ばせば、数多くの青モミジが出迎えてくれますヨ。

最新 2024.4.30(火) 最終撮影

昨日の雨ですっかり花が落ちて、見栄えがわるくなりました。
房の数が多すぎたのか、近年にない短い花房で見ごろも短いものになりました。来年に期待したいものです。









2024.4.26(金)











ほぼ満開になりました。ただ、今年の花穂は例年に比べてやや短いようです。
このまま状態で、連休の終わりまでもってくれればと思っています。

 
2024.4.23(火)
 ここ数日で、花穂はここ数日で伸び、見ごろを迎えています。境内はフジの香りが立ち込めています。













2024.4.19(金)現在 





花穂の長さが、20㎝~30㎝程になり、上部には花が咲き、香りが漂い始めました。見ごろまであと1週間ぐらいでしょうか。


2024.4.15(月)現在
 花穂(かすい)が成長しているところです。まだ、10数センチ程伸びています。今年は桜の開花が昨年より1週間ほど遅くれましたが、フジも同様で4月下旬から5月上旬、ちょうどゴールデンウィークに楽しめると予想しています。
 昨日の4月14日(日)は、夏日を思わせる雲一つない汗ばむ陽気でした。これから花房がぐんぐん伸びていくと思われます。









最上山公園内の青もみじやつつじ










































最上山公園は野鳥が一杯、バードウォッチングと野鳥との触れ合いができる!?
 公園内では鳥たちの鳴き声が盛んに聞こえてきます。
そこで驚きの光景を目にしました。それは、手乗り文鳥ならず、手乗りヤマガラの光景です。
 この場所によく足を運んでいるTさんは数匹のヤマガラと知り合い、手に止まるまでに仲良しになっています。木の枝から手のひらに飛び移り、手のひらのヒマワリの種を食べに来たのです。ヤマガラは人懐っこい野鳥で学習能力があることを初めて知りました。


▲ヤマガラ(写真中央)がやって来ました。


▲ヒマワリの種が大好物のようです。


最上山公園は、こんな自然豊かなところです。


 宍粟市山崎町案内板


2024食べ歩きMAP


【関連】昨年同期の千年フジの様子








光福寺の大糸桜(2024)

2024-04-03 05:24:28 | 日記
 令和6年(2024)4月2日(火)午後1時 樹齢300年以上といわれる大糸桜は今年も元気よくほぼ満開を迎えていた。昨年より1週間程度開花が遅れたようです。この週の土日までは楽しめるでしょう。
 光福寺の前の小高い山の頂上まで登り、お寺の写真を撮りました。山の頂上には村の神社があります。
 今年は、お寺の桜や山でメジロやウグイス等の野鳥を目撃してカメラを向けました。その成果はこの終わりの写真をご覧ください。



▲前方の山の中腹から


▲前方の山の頂上から





 







 




 
▲向かいの山の山頂付近で





▼道すがらの花々
 






▼メジロやウグイス等を目撃
▲山の頂上付近でウグイスの鳴き声が聞こえ、止まっている所を探したがわからず、適当に写真を撮り拡大すると写っていました。(^∇^*)  上の写真でどこだかわかりますか? 



▲右上部に写っていました。 その他お寺の桜にはメジロやヒヨドリ(?)が飛び回って、カメラを向けましたが、大きめのヒヨドリは撮れましたが、メジロは動きが早くて失敗しました。(-_-;)

▼ヒヨドリ(?)




→昨年(2023)の大糸桜


ぶらりふるさと地名考「戸原」

2024-03-05 11:29:26 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)

  今回は宍粟市(しそうし)山崎町の最南端にある戸原(とはら)地区を取り上げました。前回の城下地区の南側に位置しています。戸原地区を構成する三つの自治会の川戸、宇原、下宇原を中心に探っていきます。 
 明治22年(1889)に町村制が施行され、川戸、宇原、下宇原の三ケ村が戸原村となりました。村名は旧村名の合成地名です。城下地区で取りあげた宍禾郡(しさわのこおり)を構成する七つの里の一つで比地の里に属します。比地の里は現在の上比地、中比地、下比地と宇波良村(宇原・下宇原)・比良美(新宮町平見)・川音村(川戸)・庭音村(現在地不明)とあります「播磨国風土記」。この宇原には16基の古墳が確認されています。古墳時代後期になり、農業開発が進み、台地や揖保川の氾濫原が耕地化され生産力が向上したことで、それぞれの村に経済力を蓄積した有力者が現れたと考えられます。この宇原の古墳は最も整った古墳であり、付近には条里遺跡もあります。揖保郡に最も近いこの地域は、早くから進んだ農業地域で、それだけ文化の先進地であったと考えられています。

▲戸原村図(明治後期)

1,川戸 古くは河戸とも書いた。揖保川中流東岸。平野部に条里遺跡が見られる。、風土記には川音村とあり、村名は天日槍命(あめのひぼこ)がこの村に宿泊したとき、川の音がたいへん高いといったことに由来するという。現在の川戸が遺称地とされている。播磨公弁円の墓と伝える五輪塔があり、目の病気に霊験があるという。村内の揖保川には山崎藩の堰立て工事は当村の庄屋が担当していました。蟹籠漁(かにかごりょう)も盛んに行われました。高瀬舟舟運も盛んで安政から嘉永年間には、船が10艘あったという。明治22年に戸原村役場が置かれた。

宇原の地名由来「宇原、下宇原」共通 
 地名は、河畔に茂っていた茨(いばら)から生じたものという。奈良期には、宇波良村と表記され、読みは、うはら、うわらとも。この地名は、葦原志許乎命(あしはらしこおのみこと)が国土を占拠した時、この地は小さく室の戸のようだと言ったので、表戸と名付けられ、これが転訛したものと言います。

2,宇原
揖保川中流域東岸。水田には条里の遺構があり、門ケ坪、蔵ケ坪の小字が残る。地内の井ノ口には藩の米蔵が置かれていました。安政年間当村には高瀬舟25艘あったという。

3,下宇原 揖保川中流域東岸の平野部。宇原村から下宇原が分村、なお分村の年代は不詳。村名は宇原の南(下流)に位置することによります。水田中に条里遺構がみられます。



▲平見山より南東方面を望む 写真左下、山麓に戸原小学校が見える。その近くは宇原、右側は下宇原の集落である。(昭和59年)

岩にまつわる二つの実話
一、元禄年間(1688~1704)川戸村と宇原村が、揖保川対岸香山村との間に入会地をめぐる争論があり、魔手岩(真手岩)と称する巨岩を村境に決定したという(播州宍粟郡誌)。現在岩は取り壊されていますが、宍粟市とたつの市の市境あたりにありました。 
二、昭和48年(1973)川戸には盗人岩(ぬすっといわ)という名勝地が川べりにあり、道路拡張のために村人に惜しまれながら取り壊されました。

住民の足として活躍した橋替わりの宇原の渡し場
 江戸時代以降揖保川は筏流しや高瀬舟による物資の運搬が盛んでした。戸原村は揖保川沿いにあり、多くの高瀬舟を所有し、船大工小屋を持つなど、舟運の一役を担っていました。ただ住民の町への移動には橋が必要でした。しかし明治以降は木橋で何度も洪水で流され、宇原においては昭和37年(1967)になってやっと頑丈な橋、今も使われている宇原橋ができました。その日は宇原の渡し場がその役目を終えた日でもあります。それは近隣地域で最も長く住民の足として使われたものでした。「宇原渡場跡」の石柱が宇原橋の北(100m余り)の東の土手上に地元宇原老人会の手により立てられ、地域住民共有の記憶を伝えています。

終わりに 
 初めて戸原方面に行ったとき目にしたのは、真新しい戸原小学校の校舎で、少ない集落の数にしては立派な校舎という印象を受けました。二宮金次郎の像があったのを覚えています。小学校の南の畑には細い布のようなものが一面干してあった。それは干瓢(カンピョウ)だとわかるまでかなりの時間を要しました。昭和の初めの「宍粟の繒圖」には戸原の特産物として西瓜と胡瓜が書かれ、それを物語る胡瓜の箱付め作業(川戸)の写真もあります。日当たりがよく米のほかこのような野菜が栽培されていたことを知りました。つい先日、戸原小学校が来年廃校となることを聞きました。時代の流れとはいえ寂しいものです。

参考 『山崎町史』、『角川日本地名大辞典』、『ふるさと戸原』
※この記事は山崎郷土会報 NO.142 令和6.2.23 より転載

【関連】
●水運物語「宇原の渡し」

1、ぶらりふるさと地名考「宍粟」
2,ぶらりふるさと地名考「山崎」
3,ぶらりふるさと地名考「城下」
4,ぶらりふるさと地名考「蔦澤」

◆宍粟・播磨周辺の城郭 アドレス一覧


もみじ最新情報 令和5年(2023)11月29日⑧ 落葉

2023-11-30 05:22:52 | 2023最上山もみじ情報
もみじ最新情報 令和5年(2023)11月29日(水)午前8:30~12:00
 
 今朝は空は比較的明るく、午前8時半にモミジ山に登った。しかし一面薄雲がかかり、風が西から東に向かって動いている。20~30分待っただろうか、一面明るくなってくれた。
 この日は、モミジ山の頂上から展望台に向かい、その後百畳敷、千畳敷に上り、そして下山し弁天社に立ち寄ったあと、すぐ横の石段から山崎八幡神社境内のモミジを見て回った。






   



  






   






  










【関連】
・篠ノ丸城跡
・播磨・宍粟の城跡一覧
・播磨の童謡詩人 三木露風
「三木露風 露風と母かたのこと ①
「三木露風 露風と母かたのこと ②

もみじ最新情報 令和5年(2023)11月28日⑦ 落葉

2023-11-28 13:00:45 | 2023最上山もみじ情報
もみじ最新情報 令和5年(2023)11月28日(火)午前9時から11時

    昨夜小雨で、今朝少し晴れ間が見えたので、モミジ山に駆け上るが、太陽が雲の間にあった。しばらく待っていると、雲の間から明かりが差し込み始め、当たりが明るくなった。ここぞとばかり動き回りシャッターを切った。
 昨夜散った落ち葉が一面を彩り、モミジの絨毯を見ることができた。天気に恵まれれば、ここ数日は、楽しめると思います。









  











▲ようこそ!上郡町からのお二人
  


 

モミジ最新情報 令和5年(2023)11月29日⑧


【関連】
・篠ノ丸城跡
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「三木露風 露風と母かたのこと ①
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