郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

もみじ情報11月15日

2019-11-15 17:39:10 | 2019最上山もみじ情報
もみじ情報11月15日(金)   宍粟市山崎町元山崎


穏やかな快晴、紅葉が深まりつつあります。

明日(16日)は山崎本多まつりプレイベントがあります。(下記ポスターをご覧ください)
+エリア限定「もみじ小僧」出現予告(下記ポスター)




▲▼弁天池から見たもみじ山 色が深まりつつあります。

▲池の赤いもみじの上方左には大きなメタセコイヤが色づきはじめました。



▲満足して帰られる御一行

 ▲展望台からみた山崎 東南


▲展望台から 


第三回本多まつり 11月17日(日)  見どころ 武者行列13時~14時
プレイベント 11月16日(土) 本多記念館特別展、山崎城下町めぐり




こんなポスターが
イベント限定モンスター出現! もみじ小僧出現‼


地名由来「高下・青木・塩田」

2019-11-15 12:05:25 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
地名由来「高下・青木・塩田」      宍粟市山崎町


               閲覧数4,222 【件(2010.1.27~2019.10.31)

山崎町菅野地区内

■高下(こうげ)

揖保川の支流菅野川中流域。地名は古代の宍粟郡の郡衙(ぐんが)(郡家)の転訛とする説、芝草(こげ)から生じたとする説がある。中世には柏野(かしわの)庄に含まれ、間所(政所か)・皆森(かいもり)・助森・吉藤など、荘園や名田とのかかわりを推測させる小字名が多い。山崎藩本多氏時代の大庄屋は3人が定員で(山崎町史)、当村の庄家氏は代々その役を勤めており、管轄下の村々は高下組とよばれた。庄家文書によると、庄氏の祖は長水城の城主宇野氏の重臣であった荘(庄)太郎左衛門政春で、弘治元年(1555)当村で500石を与えられて帰農し、「構」に居住したという。

【近世】高下村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。当村から市場村・木谷村が分村、分村年代不詳。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領。地内米山には百枝槻があり、ここを中心に藩主が一代に一度 鹿狩りを行った(播州宍粟郡誌)。享保年間(1716~1736)当村は高下村とともに三日月藩領奥小屋村を相手に西山の入会権をめぐって争い、浪人時朝五郎左衛門の尽力により勝訴した。彼は直訴の罪により処刑され、墓碑が残る。

神社は、東諏訪神社・西諏訪神社。寺院は、日蓮宗法伝寺。明治22年菅野村の大字となる。

【近代】高下 明治22年~現在の大字名。昭和50年中国自動車道が開通。昭和58年高下バリア(検札所)設置(現廃止)





■青木(あおき)

揖保川の支流菅野川の上流~中流域に位置する。
【近世】青木村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、元禄10年(1697)からは三日月藩領。

神社は吾勝(ごしょう)神社・若西神社。若西神社は若邇志大明神ともいい、青木から市場まで菅野谷一帯村々の信仰を集めた(播州宍粟郡誌)。寺院は、臨済宗中山庵(現在は無住)。字中井の青木銅鐸出土地は県指定史跡。昭和35年(1960)農作業中に弥生時代中期のものとみられる銅鐸が発見された。明治22年菅野村の大字となる。

【近代】青木 明治22年~現在の大字。はじめ菅野村、昭和29年からは山崎町の大字。明治24年篠陽小学校から菅野小学校が独立。昭和59年菅野中学校が統合により山崎西中学校となり、鹿沢に移転。昭和50年南の山麓に中国自動車道が開通。





■塩田(しおた)

揖保川の支流菅野川の上流域。政所という小字名があり、中世には荘館が設置されていたものであろう。谷地区の尾根上には塩田城跡があり、石垣の一部と空濠跡が残る。天正元年(1573)羽柴秀吉の軍により落城という。

【中世】塩田村 室町期に見える村名。播磨国宍粟郡のうち。室町期と推定される12月13日の宇野村頼書状に「播州宍粟郡内塩田村・塩生野村・□村等事」と見え、村頼が難波備前守に当村などの披露を報じている(東大影写本富田仙助氏所蔵文書)。

【近世】塩田村 江戸期~明治22年の村名。宍粟郡のうち。」はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、元禄10年(1697)からは三日月藩領。農業を主とするが、山稼ぎも重要な収入源で大豆・蒟蒻(こんにゃく)・桃などの産地として知られた。また、領主が使用する木炭の生産地で(播州宍粟郡誌)、寛文年間(1661~73)の下村手控帳によれば炭竄(かまど)役として銀27匁が記録されている。神社は、産霊神社。寺院は、浄土真宗本願寺派明證寺。明治22年菅野村の大字となる。

【近代】塩田 明治22年~現在の大字。はじめ菅野村、昭和29年からは山崎町の大字。良質の木炭産地として知られていたが、昭和30年代に入るころから衰退。

ことば
政所(まんどころ):荘園の現地で支配の実務を扱った所。

◇今回の発見:塩田には今も地名で使われている政所(まどころ)、高下には間所(まどころ)、皆森、助森、吉藤等の荘園や名田の名残と思われる小字が存在していること。ただ、塩田の地名の由来は辞典には記述がない。土万地区の塩山(塩野村)と同様、川上の地にあって塩は何を意味するのだろう。