民主主義を守る会に変更します。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

一億総懺悔。

2020-07-17 22:20:03 | 日記

これは漫談も含むが真面目な記事です、恐らく読者の皆様も知らない方が多いでしょう。

これは敗戦後お偉い方の親類が総理になり発した言葉だ、一億総懺悔素晴らし言葉だ。

でもマスクで有名な方が(一億総活躍)(美しい日本)聞いた気がするが面白い、彼はその頃生きていたのだろうか?不思議だし不自然だ、知能が低い故誰かの入れ知恵だろう内容の意味不明。

一億総懺悔とは簡単に申せば、お偉い方や無責任な軍人為政者の責任を国民に押し付ける言葉だ。

国民も戦争に賛成したのだから懺悔せよとの半ば命令だ、確かに軍事国家の思想教育で思った国民も居たろう

しかし倅を名誉の戦死として喜んだ親は多くは無いだろうこの言葉は皮肉を込めて流行語に成った

だがGHQの作戦で中止の言葉になりお蔵入りだ、当然と言えば当然だろう。

だが待ったこの言葉逆の意味で大切なのだ、先程述べたが倅を戦死する戦争には心中反対者も多いし、軍国主義の教育を受けた者にも反省は有ろう、だから流行語に成ったのだ。

俺の穿った私見だが国民の軍事国家へ反省の総括は無かった、本来無能で無責任な戦争を起こした奴らに責任を取らすべきだったし、己がそれに従った反省もすべきだったでも無かった。

現在戦中と同じシステムが残っている、アホとお笑い軍団や電通大企業など多数ある。

これは国民の真の意味での総括が無かったせいだ、憲法改悪の声も起きないだろう。

今現在責任を取れる方も少ない、しかし軍事国家に反対する若者が増える事を祈る。

 


日本人としての我が恥。

2020-07-17 19:59:32 | 日記

本日野坂昭如の本を読んで初めて知り、我が恥を思いました

ブログで(大空襲~)を書きましたが、或る違う意識が生まれました

空襲はドイツ軍が始めましたが、後に日本軍も行っていたとは知りませんでした、我が恥です。

最初は中国の青島(チンタオ)に1914年(大正3年)9月5日~11月7日迄49回の空襲を敢行したのです。

そして当時日本の植民地の台湾にも1917年(大正6年)8月に11回の爆撃をしています、1930年10月7日には

抗日勢力に2ヶ月間空襲、爆弾とガス弾(青酸及び催涙弾)で五百~千人の死者を出しました。

次は陸海軍の中国本土への攻撃です、主要都市20以上です特に酷かったのが重慶と南京です。

南京陥落迄の4か月間に、日本軍は120回以上の空襲を行いかなりの死傷者が出ています。

1938年から1943年の間、重慶爆撃に台湾の基地から延べ一万機、投下爆弾2万1593発(日本軍の記録)

中国側のまとめでは重慶の空襲218回に及び、死者1万1885人以上負傷者1万4100人、焼失家屋

1万7608戸と発表されています。

実際は1934年7月7日、溝橋事件で日中戦争が勃発しておりもっと数は多い筈です。

戦争は常に自国に都合の良いように伝えられます、日本もアメリカに空襲を受けています穿った私見ですが

自業自得とも取れます。

老体で中国の空襲を知らなかったのは己の恥です、しかし学校教育の日本史では明治維新後は全く受けた記憶

ありません、多分現在も同じでしょう日教組の締め付けでより厳しくなったかも知れません。

戦争を二度と起こしてはなりません、問題は無いと言いませんが320万人の犠牲者の礎の基に作られた

平和憲法です、悪徳政治家や特殊階級、金欲家に改悪憲法を作らせ軍事国家は絶対にさせない意識を持とう。

最後に日本人の慰霊者と中国の日本軍に殺された方に黙祷捧げます。   合掌。

参考文献

 

http://www.psaj.org/2018/06/05/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E3%81%AE%E9%83%BD%E5%B8%82%E7%88%86%E6%92%83/