今日7月12日深夜は、昭和20年に我が町が大空襲に襲われた日だ。
B29編隊133機による、E46焼夷弾10500発、M47焼夷弾2204発、計約803トンだった。
罹災人口47976人、死者628人以上、負傷者1150人以上、焼失戸数9490戸です。
勿論俺は団塊の世代故に家族からの伝言だ、産めよ増やせの末っ子にて話は多く聞いて居た。
しかし親類らの話は聞くが他人からは無い、9日から戦災展が開かれる予定だったがコロナ問題で中止になった。
もう一会場が有るが、脳梗塞後遺症で車の運転止められているので俺の記憶だけで書きます。
最初の攻撃目標は中心街がだったが雨天の為、東方にズレた現在は繁華街だが当時は未だ田畑だった。お陰で被害の縮小有ったかも知れない、中心街は全域燃えたが西側は我が家近辺迄だった。
本日の新聞で読んだが、戦災の語り人によると路地には死体か負傷者知れない方が多数居たという。悲惨だ。
我が家は、15キロ以上離れたお袋の実家に叔母家族と一緒に疎開していた、しかし南の空は夕焼けの様だったという、先の語り人も語っていたが皮肉にも綺麗だったという、失礼だが事実だったらしい。
私事だが、叔母の胎内に居るうちに父を亡くした従兄が、囲炉裏で右手に大火傷を受け後遺症を残した疎開が無かったら事故は起きなかったろう、是も戦災の被害者だろう。
これは亡くなった長女の話だが、艦載機(グラマン?)の機銃掃射を近くで見ていたという、何人か亡くなったそうだ、操縦士の顔をも見たが怖くて動けなかったそうだ。少女としては当然だろう。
警戒警報が鳴れば防空壕に逃げる、19年に生まれた三女を抱いて母が入ると赤子が泣く、兵隊らしき人間に出て行けと言われたらしい、理由は簡単だ敵機に聞こえるからだと言う、恐らくヒステリックパニックで感じたのうだろうが、幼児心にも笑えた(これでは負けるな!)否もう負けていたのだ正解だろう。
語り人が最後に語る、「友達と美味しものを食べ、勉強やスポーツが出来るのは皆には当たり前、この当たり前は平和だから当たり前なのだ、平和が一番の宝物。」真実だ。
平和憲法は押し付けられた憲法だから改悪の意見が有る、320万人の礎の基に作られた世界に誇れる平和憲法だ。
慰霊者の為に守り抜こう、絶対に守ろう。
お笑い軍団や、金欲政治家、特殊階級の金儲けの手段にしては駄目だ、潰せ。
宇都宮空襲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E7%A9%BA%E8%A5%B2
合掌。