日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

日田高校OB

2011年06月30日 16時24分45秒 | 日記
こんにちは!

今年も夏が来ましたね、日田は毎回、最高気温の更新とか県内最高気温とかニュースになります。

さてさて、僕の母校である、日田高校の話を少々…


先日、ブログにも載せましたが…僕の母校でとても痛ましい事件が起こりました。僕は議員である前に、一人の卒業生として「何かできないか?」と、ずっと考えていました。

そんな時、小学校から高校までバレーボールを一緒にやって共に勉学を励んだ「重石太志」君から連絡がありました。

※今、重石太志君は「中村獅二郎」(なかむらしじろう)として中村獅童を筆頭とする中村家に所属し、歌舞伎の世界で今も夢に向かって頑張っている人です。パトリア日田でも一度、凱旋公演を行っております。

重石君は歌舞伎公演の合間を縫って、母親の誕生日に少しだけ帰省すると。


僕は…重石君に日田高であった事を話し、二人で何かできないか?と話していたら、日田高校在校生に重石君が講演をしたらどうか?となりました。
重石君だって決して簡単に歌舞伎役者になった訳ではありませんし、彼の歌舞伎に進むまでの苦悩や悩み等は知っているつもりです。彼の講演する内容(予定)としては

・「夢の叶え方」
・「苦難や壁の乗り越え方」
・「一流の物や人達から学んだ人間学」

を題材にしていく事に決めました。ちなみに重石君は既に何度も講演はやってて、朝日小学校、三隈中学校では講演をしております。
早速アポを取って次の日、日田高校を訪ねました。この日は、僕が在学中にとてもお世話になった甲斐先生が出迎えてくれ、しかも家庭科で作ってるお菓子まで頂きました。



家庭科で作っているとは思えない位に美味しかったです。

ひとしきり甲斐先生と談笑した後に、上記の事を伝えました。
「僕達の仕事は名誉とかお金のためにやっている訳ではない、僕が議員になったのは僕と同じ思いをした人を一人でも多く救いたいからだ。」「そして今、日田高校での事件で、心に傷を負っている生徒が必ずいると思う、そんな生徒を一人でも多く救いたいんです、それが僕を育ててくれた母校への恩返しなんです!」

と、自分の想いをストレートに伝えました。(実際、もっと言ってますけど(笑))


甲斐先生は、とても嬉しい事で卒業生がそこまで考えてくれた事にはとても感謝する。
しかし、話が急なため即答はできない。なので後日返答をするとの事で、後は新しくなった校内を先生と一緒にノストラジーに浸りながら案内して頂きました。

僕は次の日、同じ議員である立花正典議員に上記の事を相談しました。

※立花議員は日田林工高等学校の校長を歴任し、教育関係には知り合いも多く、日田高校の方の何人かと顔見知りです。

立花議員も僕の提案には賛成して頂き、後日一緒に日田高校に訪ねてくれました。その時に対応してくれたのが、教育長と教頭でした。僕は同じ思いを伝えました、立花議員も口添えしてくれました。
「彼(重石君)みたいに日田出身で歌舞伎役者になった者はいない、しかも日田高校の卒業生だ。ちゃらんぽらん遊んでた訳でも無く、ちゃんと国立大学も卒業しているんだ。これが四十、五十の人だったらここまで言わないが、彼はまだ二十代で在校生達とも近い年齢だ、是非考えて貰えないだろうか?」

先生方の反応は「校長が来てからでないと返答できない」との事でした。(校長は新任のため後日来校)


その後、新任校長が六月二十日に来て、二十四日に返答がきましたが…


結局、ダメでした。



協力して頂いた、重石君や立花議員に申し訳ないです。僕の熱意が足りなかった事も含め、とても悔しいです。

断った理由としては、日時が急なのと、日田高校がSSHの指定を受けたからカリキュラムの変更が難しいと。

SSH(スーパーサイエンスハイスクール)…高等学校等において、先進的な理数教育を実施するとともに、高大接続の在り方について大学との共同研究や、国際性を育むための取組を推進する。また創造性、独創性を高める指導方法、教材の開発等の取組を実施する事。

『大分合同新聞:日田高校SSH指定』

凄く分かります。進学校としては、勉学に力を入れなければいけないです。

でも、それは先生や学校の都合であって一番大事な生徒都合はどうなの?
たった五十分の時間でさえ、裂けないのか?口で「夢を叶えろ!」と言うのと、実際に夢を叶えた人間を見るのはどちらが良いだろうか?
僕達がやろうしている事は先生・生徒達の過ごす時間の中では、大河の一滴かもしれないけど…でも、何も行動を起こさないとその一滴さえならないんじゃないですか?