日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

市議会議員

2011年04月16日 02時52分16秒 | 日記
僕には尊敬する議員がたくさん居ます。上杉鷹山、田中角榮、吉田茂、白洲次郎(←厳密には政治家と言えない)

日田にも一人いらっしゃいます。
しかし、その方は今期限りで引退されます。理由は詳しく述べられませんが……

その方はブログを開設してましたので、相手は知らなくても僕はその方をずっと知ってました。

先日、その方とお話をする機会がございました。色々とお話を聞かせて頂きましたが、その中でも印象的だったのが…

・政治家とは、個を捨てて市民のためにやらなければいけない事もある。

・例え市民の声が沢山あっても、市のためには黙殺しなければならない事もある。

・君には確かに知名度もコネも何もない。しかし、守るべきものが何もない、自分の好きなようにやりなさい。それが一番だ。


とても考えさせられる言葉でした。出来ればご一緒に仕事をしたかったです。
議会で孤軍奮闘し、良い事は良い、悪い事は悪いと言える数少ない議員の一人でした。
意志を引き継ぐとかはおこがましくて言えませんが…少しでも近づける様に…


いつか議会に戻ってくる事を信じて、まずは選挙戦を勝ちます。

原点

2011年04月13日 02時20分03秒 | 日記
僕が政治家を目指そうと決意した原因は色々ありますが、今日は原点の話をしたいと思います。
写真は日田市内のある場所です。


ここが…、この場所が、僕の政治家を目指そうと思った原点です。


僕の兄は知的障害者です。
分類すると「高次脳機能障害(こうじのうきのうしょうがい)」になります。


今でもハッキリと覚えていますが、僕が3歳の時に、兄はこの場所で車に跳ねられました。

キキキキィィィ!!

と、けたたましい音と共に兄は僕の目の前で車に跳ねられ、地面で気を失う前に兄が発した言葉は…

「おか…あさ…ん」

の一言でした。
それからの記憶は僕には無く、次の記憶は病院で全身包帯まみれの兄でした。

事故の影響で兄は脳に障害を持ち、先程申しました「高次脳機能障害」になりました。


※高次脳機能障害…交通事故や頭部のけが等で脳が部分的に損傷を受けたため、言語や記憶、行動等に障害が起きた状態。


ここからが僕を含め家族が本当に辛い体験を多々します。
普通の行動・普通の言葉を言えない兄は、普通の生活さえできなくました。買い物や遊び等、外に行けば周りの人達からは奇形な目で見られ、時には、あからさまに声に出す人も居ました。
僕はそんな周りの視線が未だに悲しくて腹が立ちます。
兄だってなりたくてなったんじゃない!それ以上に、感受性が強い兄や家族だって悩んで苦しんでいるんだ!
なんでそんな目で見るんだ!やめてくれ!

と、子供ながらにずっと思ってました。
仕事やプライベートの時間を削ってまで面倒を見てる両親、そんな家族の苦労や悩みをずっと近くで見てました。少年時代は兄の事でイジメにあってましたが、両親にこれ以上負担を掛けたくないためずっと黙ってました。

大人になり市役所に兄の事で何度も家族と相談に行きました。しかし、市役所での対応は、たらい回しの後回し。
しましには障害者施設のリストを渡されて、

「これで自分達で調べて下さい。」

と言われました。
僕は頭にきました。僕達は散々調べて、行動して、現状ではできないからここに来てるんだ!自分達で?ふざけるな!


日田市の現状や職員の対応はもう信用できませんでした。


日田市は人口7万人の小さな街で、その内障害者は2千人ほどいます。言い換えれば個々の違いはあれど、2千組の家族が同様の体験をしております。

ある障害者を持つ両親はこう言いました。
「周りから奇形な目で見られるのは障害者を持つ家族が最初に当たる壁だ、それを乗り越えていくしかないんだよ。」

僕は……


違うと。そういった社会が悪いと思いました、僕達が作り上げた社会なら、僕達が作り替える事ができるんじゃないかと?
僕は政治家になるのが目的ではありません、あくまで手段に過ぎません。
少しでも障害者に優しい街や社会にしたいだけなんです。
僕が障害者を持つ家族の代表として、市政を少しでも変えたいだけなんです。
少しでも僕みたいな辛い思いをする家族や人達を救いたいだけなんです。

大震災

2011年04月08日 12時58分58秒 | 日記
関東東北大地震からもうすぐ一か月が経とうとしてます。

人々の記憶からは少しずつですが、大地震の事が薄らいできてます。しかし、まだまだ被災地の方達は戦っています。見えない明日に対して必死でもがいてます。タイトルにあるように「今、出来る事」をもう一度考えてみませんか?


ちなみに写真と人物は関係ありませんし、写っている人は僕ではありません(笑)。懇意にして頂いてるデザイナーの方です、この方は常に被災地の方に「何か自分が出来る事はないか?」と考えている人です。その姿勢は見習うべき事や行動力等多々あり、本気で自分で家を買い、被災地の方がこちらに住めるように今から準備している方です。


偽善ではない、偽善と思うその心が偽善だと思います。やっている本人は偽善とか思う前にすでに行動を起こしている。


PRAY FOR JAPAN