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~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 25

2018-05-29 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 25

節目の第50回大会は、10回大会から13回大会まで4連覇という驚異的な記録を持つ

第一神港商の後身、市神港が17回大会以来実に37年ぶりの返り咲きを果たす。


第51回大会は、絶対的エース杉本投手擁する東洋大姫路が初の栄冠に。

東洋大姫路の創部は1963年の45回大会、市立西宮が優勝した年で

兵庫の高校野球歴史の半数あまりが過ぎようとしていた頃の誕生と意外だ。

2014年に創部50周年を迎え、改修を終え生まれ変わったばかりのウインク姫路球場で

その春選抜出場を決めていた報徳学園と記念試合が行われ観戦に行った。

東洋大姫路野球部~創部50周年記念試合~

51回大会の初優勝から3年後、54回から56回大会を3連覇、

その後も8回の優勝を誇る兵庫の強豪校。

今夏、2011年93回大会以来の頂点を目指す。


第50回大会(1968年)


~伝説の剛腕 市神港・山口~


第50回大会で古豪・市神港を甲子園に導いた山口高志投手
(兵庫県高校野球五十年史より)


1915(大正4)年に産声を上げた兵庫大会は、68(昭和43)年で第50回を迎えた。

節目を飾ったのは、第一神港商時代に選抜大会連覇を誇る古豪・市神港。

37年ぶり6度目の立役者は伝説の剛腕・山口高志だ。

身長169センチと小柄ながら、力を振り絞るように右腕を振り下ろし、うなる速球で押した。

2年春の県大会で2戦連続に無安打無得点試合。


夏は山本功児(元ロッテ監督)がけん引した三田学園に敗れたが、

3年時に春夏連続の甲子園出場を果たした。

関大で日本一に輝き、松下電器から阪急入り。

故障で実働期間は短かったものの、新人王や日本シリーズMVPなど強烈な印象を残した。

プロ野球史上最速とも称された速球に「自分が速さを感じるのは不可能。(評判は)こそばゆい」と山口。

阪神のスカウト、コーチを経て、67歳の今は母校関大で学生を指導している。


神戸新聞 山本哲志氏


第51回大会(1969年)

~東洋大姫路時代の序章~


第51回大会で初の栄冠に輝き、場内を行進する東洋大姫路ナイン


1969(昭和44)年の第51回大会は、新たな強豪がのろしを上げた。

63年創部の東洋大姫路。

弱冠27歳の梅谷馨監督が率い、64年の兵庫大会初出場からわずか6年で頂きに登り詰めた。


同年春の選抜大会8強、尼崎西との決勝はエース杉本正時が無四球で3安打完封。

杉本は全7試合63回を1人で投げ抜いて4度目の完封劇を演じ

「杉本がいなかったら優勝は絶対に無理だった。彼が中心のチームだった」

と当時の部長、大久保強(80)はたたえる。


初優勝を飾った梅谷は、兵庫大会決勝の翌日、姫路商の元監督、田中治を訪れた。

「一から野球を学びたい」と社会人野球出身の田中に監督就任を依頼したという。

田中は甲子園大会後、正式に監督に就き、梅谷との二人三脚の体制を確立。

1970年代の隆盛へとつながる。


神戸新聞 宮崎真彦氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21
第41回大会(1959年)
第42回大会(1960年)


兵庫球児100年のあしあと 22
第43回大会(1961年)
第44回大会(1962年)


兵庫球児100年のあしあと 23
第45回大会(1963年)
第46回大会(1964年)


兵庫球児100年のあしあと 24
第47~49回大会(1965~67年)



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