甲子園きっぷ  yama’s stadium☆彡

~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 42

2018-06-20 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 42

第79回大会は、報徳学園が16年ぶりに決勝の舞台へ。

4番のひと振りで劇的な優勝を飾った報徳学園。

永田元監督さんの初めての夏甲子園は、報徳の球歴や、

監督として初の甲子園の道が開いた永田監督さんの中でも

忘れることのない劇的な決勝戦となったことだろう。

神港学園が逆転をした直後の報徳の底力。

逆転の報徳だ!

この対戦を観れなかったことが残念でならない。

記事の写真の神港学園バッテリー・・・

あと一歩で夢敗れた悔しさは想像を超えて切なすぎる。

しかしミスや追い詰められての1本ではなく、ある意味気持ちの良い敗れ方だったのかもしれないな。


第80回大会は、兵庫の夏初めて東西に分かれての記念大会。

東兵庫77チーム、西兵庫89チームによるドリームマッチとなった。

東は仁川を18-3で下し文句なしの報徳が2連覇。

現在の大角監督さんはこの時の主将。

写真の中で中を飛んでいる捕手が大角監督さんかな~?

西は姫路工業と3-2の接戦を制した東洋大姫路が1986年 第68回大会以来12年ぶりの甲子園へ。

東洋大姫路は前年に就任した藤田監督さんの甲子園への道を開いた記念すべき記念大会となった。



第79回大会(1997年)

~報徳 劇的サヨナラV弾~


第79回大会決勝、劇的なサヨナラ本塁打で優勝を決め、喜びを爆発させる報徳ナイン


1997(平成9)年の第79回大会決勝は劇的なサヨナラ本塁打で決着が着いた。

前年夏の優勝校・神港学園と同年春の選抜大会4強の報徳が激突。

二回までに4点を先行した報徳を神港学園が猛追し、八回表に逆転。

粘る報徳は八回裏に追いつくと、九回4番申原直樹のバックスクリーンへの3ランで激闘に終止符を打った。


81年の全国優勝以来、夏の甲子園から遠ざかっていた名門報徳は同年以来、16年ぶりの兵庫大会制覇だった。

就任4年目で監督として初めて夏の全国切符を手にした永田裕治監督はサヨナラ本塁打の瞬間、

「手の震えが止まらなかった」と言う。


報徳は選抜大会で1試合18奪三振を記録した左腕前田章、後にオリックス入りした肥田高志ら

タレントがそろい、敗れた神港学園も3バン米川将義が7試合で計15安打、5割7分7厘の高打率を残した。


第80回大会(1998年)

~初の東西分割、両雄輝く~


第80回記念西兵庫大会で12年ぶりの夏の甲子園出場を決めた東洋大姫路ナイン


史上初の東西分割開催となった1998(平成10)年の第80回記念大会。

東兵庫は報徳、西兵庫は東洋大姫路が頂点に立ち、兵庫の両雄が存在を誇示した。


東洋大姫路は復活を告げる優勝だった。

77年に全国制覇を達成しながら、平成以降は春夏とも甲子園出場はなし。

不祥事による監督交代もあり、しばらく低迷していたが、97年に就任したOBの

藤田明彦監督がわずか1年で名門を再建した。


姫路工との「姫路決戦」は同点の九回にスクイズを敢行。

伝統の猛練習で鍛え上げられた東洋大姫路らしく執念で決勝点をもぎとった。


仁川との「西宮決戦」を制した東兵庫の報徳は、前年春の選抜大会から4季連続の甲子園出場。

2年生からベンチ入りしていた捕手の大角健二主将は4度とも甲子園の土を踏み、

現在は監督として母校を率いる。


神戸新聞 松本大輔氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)


兵庫球児100年のあしあと 41
第78回大会(1996年)

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兵庫球児100年のあしあと 41

2018-06-20 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 41

1992年 第74回大会の初優勝から4年、神港学園が2度目の優勝。

ノーシードの夏だったようだけど、ここ数年兵庫の夏を観ていて思うこと・・・

勝ったチームが強いんだ!

ノーシードだからと構える必要も不安を持つこともはない。

ノーシード校は一戦多く対戦することになるが、1回戦を勝利し勢いを持ったチームの活躍が素晴らしかった。

通年ではどの地区のチームとの対戦になるかは時の運。

しかし今夏の兵庫は東西に分かれての大会となるので、

秋春の地区大会で対戦したことがあるチーム同士の夏の対戦となることも多いに考えられる。

対戦校によっては秋春の悔しい想いを夏に晴らすために、更に気持ちが入った熱戦も予想される。

兵庫の東西大会対戦組み合わせは、いよいよ来週26日に迫っている。


第78回大会(1996年)

~神港学園 神戸対決制す~


第78回大会決勝で神港学園が育英との神戸対決を制す


私学が4強を独占した1996(平成8)年の第78回兵庫大会。

春は県大会東神戸地区大会初戦で敗れたノーシードの神港学園が4年ぶり2度目の王座に返り咲いた。


3回戦で春季県大会覇者の津名を3-1で退けると、4回戦は県尼崎に1-0の辛勝。

苦戦を良薬に、準々決勝からは3試合連続2桁得点と波に乗った。

ノーシードの神戸対決となった決勝は育英に15-3で大勝した。


左腕エース岡本賢之を中心とした守りは全7試合合計で6失点、5失策と抜群の安定感。

北原光広監督の長男直也(現監督)が捕手を努め、主軸を担った藤原通は立命大を経て阪神に入団した。


春の県大会4強で優勝候補の一角に挙げられていた神戸弘陵は3回戦で敗退。

エース山井大介は後に中日入りし、2013年にノーヒットノーランを達成したほか、

40歳になった今季も完封勝利を挙げた。


神戸新聞 大原篤也氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979年)


兵庫球児100年のあしあと 31~40
第62回~第77回大会(1980~1995年)

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兵庫球児100年のあしあと 31~40 第62回~第77回大会

2018-06-19 | 高校野球

兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)


兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)


兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)


兵庫球児100年のあしあと 38
第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)


兵庫球児100年のあしあと 39
第75回大会(1993年)


兵庫球児100年のあしあと 40
第76回大会(1994年)
第77回大会(1995年)

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兵庫球児100年のあしあと 40

2018-06-19 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 40

第76回大会は、前年全国制覇を果たした育英との兵庫大会決勝で1得点に涙した姫路工業が

兵庫大会史初となった飾磨との姫路対決を制し初優勝、甲子園への道を開いた。


第77回もチームの歴史を変えた尼崎北が初優勝。

あの阪神淡路大震災のあった夏だった。

自分自身、震災の被災者であったあの時、選抜が開催できるのか・・・

という状況は遠目に耳にしていたけど、生活再建に奮闘していた頃。

選抜も夏の甲子園も全く記憶にはない。

というのも、この頃、私は高校野球に全く興味がなく、

一度もテレビでも甲子園、高校野球というスポーツを観たことがなかった。

興味がなかったというより、野球自体が好きじゃなかったのだ。

だからこの年だけじゃなく、それまでの高校野球、野球自体に目を向けたことはなかった。

今の自分があるのが・・・自分でも不思議。

私が野球嫌いだった?と、今を知る方は目を丸くするだろうなっ@@。。。

もうすぐこの白球回想 夏の兵庫大会史にその真相の時がやってくる。


第76回大会(1994年)

~姫路工台頭、公立の雄に~


第76回大会で初優勝を果たし、福井薫監督を胴上げする姫路工ナイン


公立の雄として台頭した姫路工は「旬」を迎えていた。

前年の兵庫県大会は春優勝、夏準優勝、秋準優勝。

秋の近畿大会では4強入りし、甲子園初出場となった1994(平成6)年の選抜大会でベスト8に進んだ。


同年春の県大会は3位に入り、近畿大会で4強進出。

優勝候補の筆頭格として挑んだ第76回兵庫大会は初戦の2回戦こそ川西北陵に3-2で

九回逆転サヨナラ勝ちと薄水を踏む思いだったが、尻上がりに調子を上げて決勝へ。


大会史上初の姫路決戦となった飾磨との戦いは2-0で制した。

創部47年目での悲願達成。

「選手が最後に甲子園で成長した力を発揮してくれた」

と目を細めた監督の福井薫は溶接科教論で、当時46歳だった。


神戸勢の連続優勝を6でストップさせ、公立としては7年ぶりの栄冠。

16強のうち10校を占めるなど公立勢が躍進した。


第77回大会(1995年)

~震災乗り越え尼崎北制す~


第77回大会決勝を制し、夏の甲子園初出場を決め、大喜びする尼崎北ナイン


1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、被災地の球児たちにも大きな影響をもたらした。

ただ、一時は開催が危ぶまれた選抜大会は神港学園、育英、報徳の3校が

そろって初戦を突破し、地元に明るい話題を提供した。


春の兵庫県大会は選抜出場全3校を直接対決で破った村野工が初優勝。

迎えた第77回兵庫大会では初めて、グリーンスタジアム神戸

(現ほっともっとフィールド神戸)での試合が組まれた。


村野工と選抜出場3校が準決勝までに姿を消す中、

決勝は春の県大会4強の尼崎北とノーシード神戸弘陵の対戦に。

エース越智崇を中心にチーム一丸となった尼崎北が郡雄割拠の大会を制した。


選抜大会は4度の出場歴を誇るが、夏の甲子園は創部45年目で初めて。

母校を率いた31歳の植田茂樹は「ありがとうと言いたい」と後輩たちに感謝した。


神戸新聞 大原篤也氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)


兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)


兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)


兵庫球児100年のあしあと 38
第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)


兵庫球児100年のあしあと 39
第75回大会(1993年)

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兵庫球児100年のあしあと 39

2018-06-19 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 39

1990年 第72回大会から3年ぶりに育英が優勝。

1935年 第21回大会で育英商が初優勝を飾ってから5度目の甲子園。

甲子園では初出場の21回大会準優勝が最高成績。

22回大会ベスト4、39回大会初戦敗退、72回初戦敗退。

21回大会から58年戦い続け悲願の初全国制覇を成し遂げた。

兵庫勢としては1981年 第63回大会 報徳学園が全国制覇を遂げてから12年ぶり7度目の全国制覇。

育英の制覇から24年、兵庫球児は甲子園決勝の舞台から遠ざかっている。

特別な夏にその姿を観たい!


第75回大会(1993年)

~育英、悲願の全国制覇~


第75回大会決勝、8回、内野ゴロの間に生還する育英の大村直之


前年秋の兵庫県大会は公立勢が4強を独占。

春の兵庫県、近畿大会は姫路工が初優勝した。

迎えた1993(平成5)年の第75回兵庫大会。

初の決勝に進んだ姫路工を相手に、前年の選抜大会8強メンバーが残る育英が私学の意地を見せた。


息詰まる投手戦となった大一番。

後に近鉄などで1865安打を放った育英・大村直之が「足」で攻めた。

両校無得点で迎えた八回、先頭打者で二塁打を放った大村を犠打で三塁に進め、

渡辺順之の二ゴロの間に決勝点を奪った。

直前のスクイズ失敗も素早く帰塁し、強い打球の内野ゴロで迷わず本塁を突いた

大村のセンスが3年ぶり5度目の栄冠を引き寄せた。


甲子園では今も残る30犠打の大会最多記録をマークするなど機動力を駆使し、

兵庫勢としては12年ぶりの頂点に立った育英。

当時の主将、安田聖寛が2012年から母校を率いる。


神戸新聞 大原篤也氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)


兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)


兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)


兵庫球児100年のあしあと 38
第73回大会(1991年)
第74回大会(1992年)

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兵庫球児100年のあしあと 38

2018-06-19 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 38は、73回大会、74回大会とも初優勝校の誕生。

73回大会は、現在身近に応援させていただいている神戸村野工業。

記事に出てくる安達投手は一昨年亡くなられた。

安達氏は阪神タイガースを退団後多々の経緯を経て、

中学硬式チーム美蹴館ロケッツの監督さんを務められていた。

私の幼馴染のご主人と深い親交があり、あれは2010年だったか・・・

その幼馴染の息子がヤングリーグのチームで野球をしていた時、

対戦した際に一度だけ安達氏にお会いしたことがある。

あの安達氏が・・・まだ41歳というお若さでの訃報に衝撃を受けた。

その安達投手擁する神戸村野工業は春夏連続の甲子園出場を果たした。

幼少期患っていた小児がんを克服し野球道へ。

プロ野球選手まで登りつめた安達氏は、甲子園への道を切り開いた村野工業の球歴に大きな名を残す大投手だ。

この優勝から27年。

100回目の夏、後輩たちが甲子園で輝く姿を空の上から見て欲しい。

ご縁いただいた村野工業の選手たちが27年ぶりの甲子園を目指す夏を気持ちを込めて応援したい。


74回大会は、神港学園の初優勝。

昨年ご勇退された北原光広元監督さんの初甲子園であった。

神港学園チームTシャツの背中にある「この一球」の意味をこの記事で知った。

現チーム主将の佐々木選手のお父さんは村野工業の選手だった。

よくお会いするがとても気さくな方だ。

そこにも繋がりがあり、村野工業とは不思議なご縁を感じる。

神港学園はこの後78、85回大会でも優勝を遂げているが、

今夏、北原直也新監督さんと15年ぶりの甲子園を目指す。

200回を迎える時、北原新監督さんの胴上げのシーンが記事になっていたら素敵だ。


第73回大会(1991年)

~安達擁し村野工初V~


第73回大会で初優勝に導いた村野工の安達智次郎投手


1991(平成3)年の第73回大会は、140㌔超の速球を誇る大型左腕の2年生エース

安達智次郎を擁した村野工が悲願の初優勝を飾った。


ノーシードからの発進だったが、3回戦で神戸弘陵を1-0で退け、勢いに乗った。

安達は後に「誰も甲子園に行くとは思っていなったでしょう」と回想する。


同級生の黒田哲史(元西武など)とともに、翌春の選抜大会にも出場した。

21(大正10)年創部の古豪だが、甲子園出場は78年春の選抜大会が初めて。

計3度の聖地で、まだ白星は挙げられていない。


安達は松井秀喜(元ヤンキースなど)の外れ1位で阪神に入団。

けがなどもあって1軍出場はなく、99年限りで現役を退いた。

打撃投手を経て神戸市内で飲食店を経営していた2016年、内蔵疾患のため亡くなった。

41歳の若さだった。


第74回大会(1992年)

~神港学園、大願成就~


第74回大会で初優勝を飾り、胴上げされる神港学園の北原光広監督


直近4年間で3度目の決勝進出。

1992(平成4)年の第74回大会で神港学園がとうとう大願を成就させた。


準決勝で選抜8強の育英を撃破すると、決勝では春の県大会覇者・滝川第二を退けた。

前年準優勝の悔しさを知るエース井上立暁を中心に、旧私神港時代の82年から

指揮を執る北原光広監督が執念を見せた。


好投手として注目された岡山・倉敷商高時代、暴投でサヨナラ負けした苦い経験から

一つ一つのプレーにこだわってきた北原監督。

「この一球」を座右の銘とし、阪神・淡路大震災の影響で開催が危ぶまれた95年の選抜大会で

8強に進むなど、春夏計8度の甲子園で8勝を挙げた。


指揮官は2017年度限りで退任。

選手時代に父子で甲子園に出場し、コーチ、部長としてチームを支えてきた長男直也にタクトを託した。


神戸新聞 大原篤也氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)


兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)


兵庫球児100年のあしあと 37
第72回大会(1990年)

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いろんな~再~

2018-06-17 | 高校野球



今週末は、もう梅雨が明けたかのような紫陽花が似合わない晴天初夏の陽気です。

兵庫球児の夏の始まりまで三週間。

ここまで来ると更に一週間が過ぎるのが早く感じます。

楽しみなような・・・寂しいような・・・

夏の始まりには色々な想いが行ったり来たりします。


村野工業ひよどりグラウンドの紫陽花

昨日もこのグラウンドへ夏を目前に頑張る選手たちに会いに行って来きました。

昨日はいろんな~再~に出会えました。

ひとつは昨年チームの選手たち、吉田くん、柏木くん、麻木くんに再会できたこと。

麻木くんは秋の大会や親善大会などで何度か会った以来お久しぶり。

吉田くんや柏木くんとは2月の卒部式以来の再会。

変わらぬ素直さと笑顔に会えて本当に嬉しかった。

先日の近畿大会で米川くん、志水くん、道才くんたちと会えたり、

卒業後もそれぞれ色々な道で頑張っていて、良い顔しているみんなと会えるのは嬉しい。

先輩たちはよくひよどりグラウンドへ顔を出すようで・・・

後輩たちが気になるんだよね~。

こうして母校グラウンドへ戻ってくる彼らが本当素敵だ!

吉田くんと河原選手
こっそり残すつもりがカメラ目線だなっ



いい先輩だ。

昨日は夏までにみんなの野球を観る最後となった。

初めてこのグラウンドにお邪魔させていただいたのは2015年秋の終わり。

春になり、入学直後の今の3年生との出逢いがあった。

あの時は顔も名前も分からない選手だったけど、

1年経ち、2年が過ぎ・・・

もう最後の夏。

あ~ぁ早いなぁ・・・もっと観ていたかったなと、とても興味深いチームとなった。

村野工業は三年生のラストゲームまであと一週間。

グラウンドには三年生の挑戦がまだまだたくさんあった一日だった。

何度も何度も言うけれど、最後の一瞬までチャンスは必ずある。

それを忘れずあと一週間精一杯ガンバレ!

そんな想いでグラウンドを後にした。


久しぶりに会えた選手と~再~

先週グラウンドの中で会えなかった選手と~再~

できれば夏の前に、最後の夏にもう一度会いたいと願う~再~

いろんな ~再~ があった。

6月16日 夏へ向かう選手たちのあしあと

道才選手 おっ!久しぶり



























ナイスバント!



















大江選手 ラッキーボーイだったね~































木場選手













河原選手



木場選手も河原選手も、いつも一番前。
率先力が素晴らしい選手たちだ。







宮脇選手

ナイスヒット!





笑顔で準備してたのにね~試合終了。
最後にフルスイングもう一度観たかった><残念!

田畑選手











「ファースト来い!」・・・と呼ばれる前に行ってみた(*´∀`*)笑

















城間選手

城間選手の夏をまた観に行くよ。



前田選手

審判中も・・・グラウンドの状況を見て土を均す。
考え、行動できる素晴らしい選手だ。
こういう選手はどの場所に居ても応援したくなる。





昨日は写真として残せなかったけど・・・
林選手自身の高校野球のあしあとを残しにまた観に行くよ。

そして・・・
3年生選手たちの高校野球が、誰よりどこより長い夏になりますように

ここ数回、大事な練習時間に邪魔をしてしまってごめんなさい

多くの頑張り、あしあとを残すことができたことに感謝します。

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兵庫球児100年のあしあと 37

2018-06-15 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 37では、育英が33年の時を超え悲願の優勝。

33年・・・この長すぎる時間に、どれだけの育英球児が汗と涙を流してきたのだろう。

そう思うと、とても感慨深い優勝だ。


第72回大会(1990年)

~育英、33年ぶりの奪還~


第72回大会決勝で力投する育英の戎信行投手


1990(平成2)年の第72回大会は豊岡こうのとり球場が会場に加わり、

但馬で初めて夏の高校野球の球音が響いた。


16強はノーシード組8校を占めた。

8つよいは公立が参加6年目の神戸高塚のほか、御影工、加古川西、この年の選抜大会に出た川西緑台、

私立は育英、報徳、東洋大姫路、滝川第二の各4校。


決勝は戎信行(元オリックスなど)をエースに擁した育英が打撃戦の末、

9-8で東洋大姫路を下した。

実に33年ぶりの栄冠。


監督の日下篤は

「苦しい試合だった。最後まであきらめなかったのが勝因」

と選手をたたえた。


1点差の明暗。

その後の両校の歩みは対照的だった。

勝った育英は復活の自信をステップに、3年後の第75回大会で全国制覇を果たす。

敗れた東洋大姫路は第74回、75回大会とも初戦で姿を消した。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)


兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)

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兵庫球児100年のあしあと 36

2018-06-15 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 36


第70、71回大会には創部間もない2チームが兵庫高校野球の歴史に新たなあしあとを刻んだ。

第70回記念大会は、滝川から伝統を受け継いだ滝川第二が何と5年で初の兵庫頂点へ。

節目の大会であるが、現在のように東西に分けて行われた大会は第80回が初めてのこと。

この年から健闘光るチームへ敢闘賞が贈られるようになった。

惜しくも優勝は逃したものの、選手たちの良き思い出のひとつになりますね。

しかし・・・敢闘賞自体があることを初めて知った。

現在は素晴らしい応援を魅せてくれたスタンドの応援プレイヤーたちを讃え

応援優秀賞が贈られるが、何年に始まったのだろう・・・。

前年の69回大会から勝利校の校歌斉唱が聞かれるようになったが、

70回大会に、スコアーボードに校旗が誇らしげに掲げられるようになった。

今は当たり前に見る光景だけど、熱い戦いの後の静寂のあの瞬間は、

勝った選手、敗れた選手、両者に想いを馳せながら健闘を讃える

私にとって心落ち着ける貴重な時間だ。

この頃の兵庫大会開会式、開幕戦を甲子園で行っていたということにも驚きだ。

甲子園県兵庫球児の特権と言えば・・・だけど、他府県と同様に

優勝して目指してきた場所へ初めて・・・再び立つ。

それがやっぱりいいな。

しかし辿り着けなかった選手にとっては、深く大切な思い出となったことは、ただ良かったと思う。

今夏の開会式、開幕戦は明石トーカロ球場で行われる。

決勝はほっともっと神戸で・・・

全く個人的には、決勝は明石トーカロ球場で観たかった。

あの場所は硬式軟式球児とも想い入れのある兵庫球児たちにとっての聖地だと思うんだ・・・なぁ。


第71回大会は神戸弘陵が初優勝。

甲子園では、2回戦 佐賀商業に6ー2で初勝利、3回戦は尽誠学園に3-1で惜しくも夏を終えたが、

時代は昭和から平成へ。

史上8人目となる先頭打者ホームランも飛び、さらに思い出深い夏となったことだろう。

この後、神戸弘陵は兵庫の頂点から遠ざかっている。

今チームにはご縁ある室井投手が最後の夏を迎える。

チームとしては29年ぶりの夏二度目の頂点を目指し頑張ってほしい。

記事に紹介されている写真がカラーになり、身近に感じる時代へ進んできた。


第70回大会(1988年)

~滝川第二創部5年でV~


第70回大会で初優勝を果たし、歓喜に沸く滝川第二ナイン


1988(昭和63)年の第70回記念大会は加古川東が西宮東、滝川、高砂のシード校を連破して

29年ぶりにベスト8へ進み、新設された敢闘賞を受けた。


決勝は滝川第二が7-4で東洋大姫路を下し、2年前の決勝の雪辱を果たした。

創部から5年目の初優勝。

佐野貴英(元大洋)が主将を務めた滝川第二は全国選手県1回戦で、

戦前の第18回大会以来という降雨コールドゲームで高田(岩手)を破り、

夏の甲子園大会兵庫勢通算100勝をマーク。

県高野連理事長の釜内和夫は

「兵庫の輝かしい伝統に新たな一ページを記した」と祝福した。


第70回大会から勝利校の校歌とともに校旗も掲揚されるようになった。

甲子園球場まで兵庫大会開会式後の開幕試合を制した姫路東の遊撃手、的場慎は

「あこがれの甲子園で校歌を聞けて最高の感激」と取材に答えている。


第71回大会(1989年)

~神戸弘陵、初の頂点~


第71回兵庫大会で初優勝し、甲子園に出場した神戸弘陵ナイン


1989(平成元)年の第71回大会は、プロ注目の本庄雅章をエースに擁した

関学の18年ぶり8強進出が話題となった。

当時の高校球界では珍しい長髪のナインは伸び伸びプレーした。

北播勢の頑張りも目を引いた。

社が8強、小野は13年ぶりの16強。

三木東も出場12年目で初勝利を挙げ、3回戦は延長十八回の死闘を制した。


神港学園、東洋大姫路、津名、神戸弘陵が準決勝へ進み、決勝は25年ぶりの神戸対決に。

参加163校監督の最年長、57歳の高木太三朗が率いる創部7年目の神戸弘陵が

11-1で神港学園を破り、初優勝を果たした。

高木は「選手が元気いっぱいだったので必ずやってくれると思った」と会心の試合を振り返った。


エース前田勝宏は西武に、全国選手権で大会史上8人目の先頭打者本塁打を放った

主将の出口幸夫は巨人に入団した。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)

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100回記念イベント♪゜・*:.。. .。.:*・♪

2018-06-14 | 2018 夏☆甲子園

今夏は高校野球100回の節目の夏を記念して色々なイベントが行われるようですね。

私が行きたいイベントをピックアップ

高校野球!と言えば、やっぱり西浦達雄さん。

毎夏甲子園の風物詩・・・というか、私は楽しみにしていた甲子園駅前でのミニコンサート。

今はもう見れなくて本当残念です。

そのミニコンサートには夏を終えた高校球児をステージへ招いて素敵な思い出作りをされたり・・・

本当、高校球児を愛してやまない方だなと、そんなお姿に感動をもらったことも。

最近では地元のショッピングモールでのミニコンサートへ行かせていただきました。

高校球児への思い出作りに西浦さんの詩をお借りすることも多く、

以前、西浦さんのブログでご紹介して下さったことがあり、

コンサート後のサイン会で、そんなお話しをさせていただいた際、

ぜひ甲子園でのミニコンサートの再開を・・・と。

いつか再びを楽しみにいているのですが現在は実現していません。

たくさんの方も西浦さんの歌声をあの場所で聴くことを楽しみにしておられるだろうと思います。

そんな西浦さんが!8月20日(月)JR西宮駅前の西宮フレンテホールで

~オレたちの夏~と題したコンサートを開催されます。

これは行きたい!

でも・・・1番仕事が忙しい月曜日

日程的に難しくて本当ほんと!残念

お時間ご予定許される方は、西浦さんの生の詩をぜひ

チケット購入が必要のようです。

詳しくは~

西浦達雄コンサート2018 ~オレたちの夏~


また7月21日(土) 大阪市中央公会堂(大阪市北区中之島)で、

「感謝祭~ありがとう 夏100回 これからも~」と題し、

牛島和彦さん(大阪・浪商=現大体大浪商)、金村義明さん(兵庫・報徳学園)、

佐々木主浩さん(宮城・東北)による高校野球の魅力と未来を語り合う感謝祭が開催されます。

第2部では市立尼崎高校の吹奏楽部がブラスバンド曲を演奏されるそうです

これも行きたいなぁ~!

午後1時半開演@@!兵庫大会真っ最中だし~これも難しいよねぇ~><

ご予定合われる方はぜひ

事前申込制(参加無料)で聴講券はWebで申し込みだそうです。

感謝祭の模様はバーチャル高校野球でライブ配信されるそうです。

まだ兵庫の対戦組み合わせは決まってないから分からないけど

その日、市立尼崎の試合だったらブラバンは試合に来ないのかなぁ~?!

「感謝祭~ありがとう 夏100回 これからも~」


東京ドーム内にある野球殿堂博物館 企画展示室で2018年5月29日から開催されている

特別展「高校野球 100回目の夏」も見てみたい!

第100回大会記念特別展 東京ドーム野球殿堂博物館

「高校野球 100回目の夏」


期間は9月30日(日)まで。

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兵庫球児100年のあしあと 35

2018-06-13 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 35


第68回大会には明石城西、北摂三田、伊川谷北が甲子園への道を歩み始めた。

この年には出場校は現在とほぼ同数の164校となり、甲子園県の兵庫が「近くて遠い甲子園」・・・

と言われるようになった全国でも指折り数える激戦区となった。

67回大会から2連覇 東洋大姫路が史上4度目の決勝延長戦(十回)で滝川第二を下して8度目の甲子園へ。

1963年創部の東洋大姫路。

1969年 第51回大会の初優勝から僅か18年の間に8度の優勝は本当に凄い。


第69回大会は、東洋大姫路が強さを魅せる中、前年準決勝で涙した明石が

1984年 第66回大会から3年ぶり6度目の優勝。

この後30年もの長い時間が流れ、明石は決勝の舞台に上がっていない。

100度目の夏、古豪明石3年ぶり7度目の優勝!を多くのOBの方々は心待ちにしているだろう。


この大会から今では必ず観る光景、応援者もその姿を楽しみにされている勝利を讃える校歌斉唱が聞こえるようになった。

この頃の各校の部員数がどのくらい居たのかは不明だけど、スタンドで戦う選手にとっても

勝利の校歌斉唱は懸命に応援プレイに徹したことへ何より胸を張れる瞬間だったはずだ。

驚くは、69年目にして・・・

またひとつ兵庫の高校野球の大きな改革だ。


決勝で敗れた高砂ナインへ監督さんの言葉が胸に染みる。

そう・・・球児たちはみんな

そこまでの長い時間それを目指して、経験したことがない者には絶対に分からない、

考えられないくらいの汗と涙を流してきたんだから。

素晴らしい指導者との出逢いだな。


第68回大会(1986年)

~東洋V2、長谷川 躍動~


第68回大会決勝で力投する東洋大姫路の長谷川滋利投手


1986(昭和61)年の第68回大会は明石城西、北摂三田、伊川谷北が初出場し、参加校は164校を数えた。

ベスト8は加古川西、明石、星陵、須磨(須磨翔風)、西宮南の公立5校、

滝川第二、神戸弘陵、東洋大姫路の私立3校。

明石を7-0で下した滝川第二と、旋風を巻き起こした西宮南を延長戦で退けた東洋大姫路が決勝に進んだ。


総力戦となった決勝。

東洋大姫路は7-7の延長十回、長谷川滋利(元マリナーズなど)が

左前打で出塁してサヨナラのホームを踏んで連覇を達成した。


長谷川は83年、宝殿中(高砂市)が全国制覇した時の優勝投手。

監督の梅谷馨は「日本一になるような子はどこか違うものを持っている」と言っていたが、

その勝負強さは大したものだった。


滝川、滝川第二を率いた吉本宗泰と梅谷が対決した最後の試合でもあった。



第69回大会(1987年)

~高砂破り、明石が栄冠~


第69回大会決勝で高砂を破り、6度目の優勝を果たした明石ナイン


1987(昭和62)年の第69回大会から春夏の甲子園大会同様、

勝利校の校歌が試合後の球場に流れるようになった。


ベスト8は宝塚西、舞子、武庫荘、高砂、明石、社の公立6校、

東洋大姫路と村野工の私立2校。

決勝も明石ー高砂の公立対決となり、藤本一郎、井上高行が゛投の2本柱゛を

形成する明石が4-1で春夏連続の甲子園出場を決めた。

3年ぶり6度目の栄冠。


高砂の左腕エース橋本智裕は、全7試合59イニングを1人で投げ抜いた。

決勝翌日の8月1日付神戸新聞には肩を落とす高砂ナインの写真とともに、

監督の藤井智司の「泣くな。みんなよくやったんだ。みんなに100点、いや150点やりたい」

と選手をたたえる言葉が載っている。


東洋大姫路監督の梅谷馨が今大会を最後に勇退した。

甲子園出場は夏が5度、春は3度だった。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)

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兵庫球児100年のあしあと 34

2018-06-13 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 34


第66回大会は、1960年 第42回大会で強豪育英を1-0で制し、

前身の明石中を含め4度目の優勝を手にしてから24年の時を超えて明石が優勝。

前年、須磨友が丘、川西西陵、三木北、神戸弘陵が初出場し、

翌年の、この66回大会では西宮甲山、播磨南、加古川南の3校が新たに兵庫高校野球の歴史に加わった。

66回の歴史の中で3度目の決勝延長戦となった。

初の決勝延長戦となった1934年第20回大会、優勝した神戸一中と対戦したのが前身の明石中だった。


第67回大会は、東洋大姫路が3年ぶりに優勝。

次に紹介する68回大会で連覇を果たすことになる。

その東洋大姫路と4回戦で一旦、部の歴史にピリオドを打った滝川の最後の夏。

姫路球場にその勇姿を観ようと7千人もの人が集まった光景を思い浮かべる。

その翌年、伝統を受け継いだ滝川第二が決勝に進出し、史上4度目の決勝延長戦を戦うことになる。


第66回大会(1984年)

~明石復活 24年ぶりV~


第66回大会で24年ぶりに優勝旗を手にした明石ナイン


1984(昭和59)年の第66回大会終盤は、ロサンゼルス五輪の会期と重なった。

西宮甲山、播磨南、加古川南の初陣3校を含め、155校が参加した。

同年開校の播磨南は1年生だけのチーム編成で臨み初戦でコールドゲーム負けしたが、

翌々年に大会初勝利を含む2勝をマークする。


名門復活を告げる明石の24年ぶり優勝が、全国的な話題となった。

村野工との決勝は延長十一回の熱戦を3-2で制した。

5回戦の香寺戦、準々決勝の舞子戦、準決勝の神港学園戦とも

1失点で切り抜けた小柄なエース高橋俊夫の外角低めを突く粘投がさえた。


主将だった岸本剛は県高校野球史に

「目標はベスト16突破だった。甲子園へ行きたい気持ちはあったが、現実とあまりにもかけ離れていた。

だから甲子園でPL学園に負けるまで本当に夢見心地だった」

と思い出を寄せている。


第67回大会(1985年)

~名門「滝川」最後の夏


第67回大会4回戦の東洋大姫路ー滝川戦を報じる1985年7月25日付の神戸新聞紙面


1985(昭和60)年の第67回大会を最後に廃部となる滝川が、全国的な注目を集めた。

東洋大姫路との4回戦。

姫路球場は約7千人の観客で膨れ上がった。

東洋大姫路・豊田次郎(元オリックス)、滝川・池上誠一(元近鉄)の両エースの投げ合いが続く。

東洋大姫路は七回、代打長谷川滋利(元マリナーズなど)の適時打で決勝の1点を奪った。

同年の選抜大会に出たチーム同士の対戦となった決勝は東洋大姫路が2-1で報徳に逆転勝ちした。

3年ぶり7度目の栄冠。


滝川の伝統は滝川第二が継承。

野球部の灯が消えた滝川で「新しく部をつくろう」という機運が高まり翌春、県高野連に再加盟する。

昭和40~50年代に部長を務めた平田家興(78)は

「滝川第二は伝統を受け継いだが、滝川の甲子園出場回数という歴史を引き継げない寂しさがあった」

と打ち明ける。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


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第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)

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兵庫球児100年のあしあと 33

2018-06-12 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 33


兵庫県は南北にも広い。

東西には鉄道での移動も便利な兵庫だけど、南北の移動はなかなか大変だ。

兵庫県北部にある豊岡こうのとり球場や春日球場へ試合を観に行くには

兵庫県民でも小旅行のような距離となる。

現在でも阪神間のチームが、こうのとりで~?!大変!と思う試合も時々ある。

1982年 第64回大会から試合会場の配慮がなされたそうで、

朝イチの試合チームにとっては大きな改革だったと思う。

第64回大会の覇者は、第59回大会で全国制覇を達成した東洋大姫路。

甲子園ではベスト4まで勝ち上がった。

あのミスタージャイアンツ長嶋茂雄氏が絶賛した選手が兵庫県の最北端

そこは日本海が広がる新温泉町に居た。

高校球児が目指す『甲子園』は、青春のすべて、宝、より大きくしてくれた師と語る。

一人も多くの兵庫球児が、このように思える高校野球であってほしいと思う。

記事には6度目の優勝を飾った東洋大姫路球児の歓喜の光景が紹介されているが、

その喜びの横で悔しさにじませ下を向く市川の選手に胸熱くなる。

この光景に感じる切なさは、いつの時代も変わりない。


第1回大会には、たった7校だった出場校が第65回大会には152校となった。

現在は更に増え、今夏は162校

(2017年は市立神港と神港橘の連合チームがあり163校162チーム)が甲子園を目指す。

第65回大会には、一昨年第の98回大会 33年ぶりに悲願の優勝を果たした市立尼崎が優勝。

第59回大会(優勝 東洋大姫路)、第61回大会(優勝 明石南)二度の決勝進出も甲子園へあと一歩。

三度目の決勝進出でようやく掴んだ甲子園きっぷだった。

98回大会優勝時の前田主将(現日体大野球部)のお父さんとはちょっとしたご縁があり

親しみを込めて読ませていただいた。

64回大会の市尼球児は観ていないが、前田主将率いる市尼球児を甲子園で観た時のように

はつらつと甲子園で輝いた姿が浮かぶ。


三度目の正直・・・

市立尼崎は連続決勝進出ではない3度目の決勝だったが、

第1回大会から3年連続決勝へ進出した明石中(20~22回大会)、育英(33~35回大会)がある。

一際悔しさ感じる記録。

近々では97回~99回の3年、明石商業が涙した。

今夏4度目の挑戦で初の優勝を飾り歓喜の輪が見られるか・・・

楽しみな夏だ。


第64回(1982年)

~中播磨決戦、東洋に軍配~


第64回大会で市川を破って優勝を決め、喜ぶ東洋大姫路ナイン


1982(昭和57)年の第64回大会から、シード校の4回戦までの試合が近くの球場で固定された。

例えば北播の有力校・社。

前回の組み合わせでは初戦の2回戦が神戸市民、3回戦姫路、

4回戦尼崎記念だったが、今回はすべて明石となった。


準決勝は東洋大姫路2-1報徳、市川3-2育英と、いずれも1点差ゲーム。

大会史上初の゛中播磨決戦゛は10-0で東洋大姫路が勝ちどきを上げた。

5年ぶり6度目の栄冠。

甲子園では準決勝で優勝した池田(徳島)に3-4で敗れた。


元巨人監督の長嶋茂雄が「三拍子そろった素晴らしい選手」とほれ込んだ

浜坂中(兵庫県新温泉町)出身の三塁手、田中泰がチームを引っ張った。

田中は県高校野球史に

「甲子園は私の青春のすべてであり、宝であり、私をより大きくしてくれた師である」と寄稿している。


第65回大会(1983年)

~市尼崎、三度目正直~


第65回大会で洲本を破り初優勝し、場内を行進する市尼崎ナイン


須磨友が丘、川西西陵、三木北、神戸弘陵が初出場した1983(昭和58)年の

第65回大会参加校は152校を数えた。

全国49の地方大会では神奈川、大阪、愛知に次ぐ4番目の多さ。


ベスト8は同年の選抜大会に出た高砂南をはじめ市尼崎、洲本、尼崎小田、

県尼崎、東播工と公立校が6校を占めた。

残る2校は滝川と三田学園。

4年ぶりの公立決戦は池上隆寛(元ヤクルト)が3番を打つ市尼崎が8-0で洲本を下して初優勝した。

これまで2度、決勝で涙をのんだ悔しさを「三度目の正直」で晴らした。

洲本は2年生投手川畑泰博(元中日など)が進撃を支えた。


市尼崎もエースは同じ2年生の宮長貞行。

母校は2016年夏の甲子園に2度目の出場を果たした。

アルプス席で応援した宮長は「33年前の光景がだぶった」と取材に答えている。


神戸新聞 吉岡猛逸氏

兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


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第63回大会(1981年)

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兵庫球児100年のあしあと 32

2018-06-11 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 32

第63回大会は報徳学園が60回大会から3年ぶりの優勝。

大好きな金村(投手)さんの登場です♪

金村さんの野球解説、あの的を得ているボヤキ方が何ともおもしろいですよね~

記事に紹介されている写真は満面の笑みで優勝旗を掲げる金村さん。

若い!(当然か~)細い~

明るい性格がにじみ出ている金村さんの素敵な青春の笑顔です。


春夏連続の甲子園出場、初の全国制覇と最強報徳時代の到来。

兵庫勢としては6度目の優勝となった。

全国制覇へと導いたチャンスメイカーは・・・何と!

兵庫大会準々決勝の土壇場で「代打」で打席に立った永田裕治選手。

後に報徳学園の大きな歴史を刻まれ、2017年ご勇退された報徳学園 永田監督さんだ。

縁とは本当凄いものだなぁ~。

永田監督さんは9月に行われるU18アジア選手権に出場する高校日本代表の監督として采配を振るわれる。

恩師と共に目指すアジアの頂点。

とても素敵な光景だなぁ。

一人でも多く報徳球児がメンバーに選ばれることを願う。


第63回大会(1981年)

~報徳、金村擁し悲願~


第63回大会を制し、優勝旗を差し上げ喜ぶ報徳の金村義明投手


1981(昭和56)年の第63回大会決勝は、報徳が5-1で東洋大姫路を下して

春夏連続の甲子園出場を決め、さらに悲願の全国制覇を達成した。


村田真一(元巨人)が4番を打つ滝川との準々決勝で命拾いをしている。

1点リードされて後のない九回、代打永田裕治の中前打を足場に追い付いて延長十二回、サヨナラ勝ちした。

兵庫大会ベスト8止まりと紙一重の「日本一」だった。


ドラフト1位で近鉄に入る金村義明が、エースで4番の大黒柱。

全国に頂点への道のりも険しかった。

主将の大谷晴重は2002年の神戸新聞連載で、

工藤公康(現ソフトバンク監督)を擁する名古屋電気(現愛工大名電)との対戦を

「勝つことより三振を10個以上しないことが目標だった」と振り返っている。


永田は02年の選抜大会で、今度は監督として母校を優勝に導いた。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)

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兵庫球児100年のあしあと 31

2018-06-11 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 31

1984年 滝川第二に夢託すこととなった(旧)滝川の最後の栄冠となった第62回大会。

100回目の夏、決勝で兄弟校対決が見られること、

復活後初の甲子園出場を多くの大先輩たちが楽しみにしておられるだろう。


第62回大会(1980年)

~「滝川」最後の優勝~


甲子園で力投する滝川の石本貴昭投手


県高校野球界をリードしてきた滝川と報徳が夏の決勝で顔を合わせるのは、

1980(昭和55)年の第62回大会が初めて。

同年の選抜大会ベスト16の滝川が4-2で逆転勝ちし、春夏連続の甲子園出場を決めた。

10年ぶり7度目の栄冠。

「滝川」としての優勝は、これが最後となる。


左腕エース石本貴昭が進撃の立役者となった。

東洋大姫路と対戦した正念場の準決勝は11奪三振、1失点の快投。

ドラフト1位で近鉄に入り、5年目の85年、19勝(3敗)7セーブをマークして堂々の勝率1位に輝いた。


石川と滝川で同級生だった将棋の谷川浩司九段は同校野球部史に

「昭和55年センバツの鳴門戦で石本君が突然制球を乱し、

三塁側アルプス席の私達は立ち上がって肩を組み

『石本頑張れ』と精いっぱい応援した」と寄稿している。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)

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