歴史好き・キゴウ君のひとりごと

主に日々の暮らしで感じたことなどを歴史的なことを交えてひとりごとりたいと思います。

セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行 part2

2007-01-16 17:58:45 | Weblog
安倍総理は昨晩、セブから帰国しましたが、わたくしたちは来週セブに旅立ちます
セブ旅行ではいろいろ見てみたいのですが、とりあえずまず最初に 南十字星がぜひとも見たいですね
南十字星を見上げながらセブ特産のラム酒でもいただきましょうかね~

わたくしが子どもの頃にハレー彗星がやってきました。
それにボイジャー2号が天王星・海王星に接近したりしていました。
それ以来星座がとても好きになりました
遥か昔の人々が眺め、そして星座として表現したものを現在のわたくしたちも見ていると思うとなんともロマンをかき立てられます。

南十字星は北緯20度くらいらですと十分に見えるそうですので北緯10度あたりに位置するセブからですとよく見えるはずです。
きっとマゼラン一行も星座を観測しながら旅をしたことでしょう。
それとマゼランが南アメリカを通過する際に発見したマゼラン星雲もみたいですね。
しかし、北半球のセブからマゼラン星雲が見えるのか調べてみないとわからないのですが。
わかる方がいらっしゃいましたら教えてください

では簡単にわたくしどもの旅行計画を披露しましょう。

予定表:いつもすてきなコメントを寄せてくださる腹大黒さんとsyn3に作成し ていただいたものを一部改訂させて掲載させていただきます。
1月/
22日(月) 腹大黒邸で前夜祭(飲んだくれるつもりです)。

23日(火) 関空発 9:55
        17~19時ごろセブ到着 ホテル到着後、移動して、ハッサンのレストランでJoさんとの夕食。

24日(水) 朝食後 ガイサノマートorSMマート(スーパーマート)で必要品(ビーチサンダル、T-シャツ、半ズボンなど)の買い物。
      何でもあって、日本から持ち込む必要なモノは無いそうです。
      換金。SMでは飲茶料理が楽しむ。。これが安くてうまいそうです。
      昼食後Jo亭に移動。プールで楽しんだ後、セブ見物へ。
      要塞見物の後、セブを一望できるトップへ。
      夕食はMr.Aでオリオン、南十字星を見ながら優雅に楽しむ。

25日(木) レイテ組(syn3・キゴウ)は早朝セブ港へ。残留組はセブ・マリン・リゾート、Jo亭でゆったり。レイテ組は深夜帰宅。
       レイテ島では、 マッカーサーにチョークスリパー作戦、syn3がね・・・ 
       もう戦争は終わったはずですがね・・・

       Cebu 6時出発 Cebu-Ormoc 船 2.5時間で 8時半 Leyte Ormoc 上陸9時にバスに乗車 10時半 Tacloban 着 帰りのバスを確認してマッカーサー探索。Ormoc発19:55に間に合う一便前に乗るとして17時半発で撤収。 18:30 Ormoc着。19:55 Ormoc-Cebu 22:30着。 現地滞在時間8時間です。





26日(金) 昼食はハッサンのレストラン。
        ここで翌日の船の予約、スキンダイビングの機材を手配します。マクタンの名所も回ります。
        (船は1日借り切っても2000~3000ペソぐらい、ホテルの価格はボッタクリ、ゴーグル、シュノーケルは間違いなく借りられるそうです)
       夕食はゴールデンカウリかライトハウス、セブの素朴な味を楽しむ。

27日(土) アイランド・ホッピング (島巡り)

       ハッサンの船着場から出て、船を借り切り、島巡り、スキンダイビングをします。
       シュノーケル、フィンは手配できると思います。たしかハッサンのダイブショップで借りられるはず。 

28日(日) 予備日。ガンシューティング、買い物、シュノーケリングなど、各人、自由に行動。

29日(月) セブ出発

このような予定で セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行を楽しんできますね



北欧物語 part3

2007-01-16 16:15:17 | Weblog
北欧の国々は現在はどれも比較的に小さいのであまり目立ちませんが、過去においてはヨーロッパにとどまらず、ロシア・北アメリカ・北アフリカ・トルコ・中東にまで進出していた時代がありました
俗に言うヴァイキングの時代です
ここでひとりがたる人々はノルウェー・スウェーデン・デンマークに住んでいた人々です。
アイスランドはヴァイキングの時代にノルウェーから移民してきた人々の子孫の国で、デンマークからの正式な独立は第二次世界大戦後ですのでノルウェーやデンマークの歴史と共にひとりがたりますね。
フィンランドは他の北欧の国々の北方ゲルマン系のノルマン人ではなくてフィノ・ウゴル族といって流れがすこし違いますので別個にひとりがたらせていただきます。

ノルマンとは、英語で言いますと NORTH MAN です。
ヨーロッパ大陸の人々からしてみると「北の人」ですからノルマン人と呼ばれていました。

9世紀ごろから約200年間ほど、北欧に住んでいたノルマン人たちがヨーロッパ各地に食料や土地をもとめて盛んに侵入していきました
当時のノルマン人は船に乗って攻めてきたので“vikings(ヴァイキング)”と呼ばれました。“vik”(入り江)の人という意味です。
なぜこの時期にヴァイキングの活動が盛んになったのかは諸説あります。
一つは北欧で人口増加がすすみ人があふれ出てしまった。
他にはヨーロッパでフランク王国が分裂して付け入る隙があったなどです。

ヴァイキングの人々は主に本国で得られない食料や物資を略奪していたのですが、一部の人々はそのまま攻め込んだ土地に住み着いてしまいました。

代表的なところですと現在のフランス・ノルマンディー地方があります。
当時 フランス王国はデンマークに住むノルマン人の一派であるデーン人の侵略に頭を悩ませていました。
そこでフランスの王様は「わしの家来になっておとなしくしてくれるのならフランス北西部の土地を分け与えてやってもよいぞよ~」とものすごい妥協策に打ってでました。

デーン人の酋長は,ロロと言う名でした
ロロは「マジですか。ラッキー。住み着いてしまえばこちらのモノだ。」と喜んでフランス王の提案をうけいれフランス王の家来になって現在のノルマンディー地方に住み着きました。
おかげでデーン人の略奪行為は止まりました。
でもデーン人たちはフランス王の家臣・臣民であるという意識はなかったみたいです。
そしてそのうちとんでもないことが起こりました。
なんとロロの子孫であるノルマンディー公ウィリアムがイギリスに攻め込んで、イギリスの国王になってしまったのです
ウィリアムはフランスではフランス国王の家臣であるノルマンディー公であるのに同時にイギリスの国王になってしまいました。
このことをきっかけにフランスとイギリスが争うようになってしまいました。

ヴァイキングたちは他にもいろいろと進出していきます