旅に出よう。恋をしよう。

世界一周一人旅。見て、触れて、感じたもの。恋をするように旅をする。

で、結局インドってどうなのよ?[デリー]

2009年11月08日 | 11ヶ国目インド

インドの首都・デリーに到着したのはすっかり日が暮れてから。
身なりのいいお兄さんに助けられ、地下鉄へ。


今回そんなに乗ってませんが、インドは結構鉄道が開通しています。
主要な都市はほとんど電車で結ばれています。
駅の床には電車待ちのインド人が沢山雑魚寝してます。
不慣れだと乗るまで結構びびりますが、何とかなります。


雑魚寝する人のいないめっちゃ綺麗な地下鉄に乗って到着したニュー・デリー駅。
目指すのは駅前に伸びる安宿街メイン・バザール。

一歩地上に出るといつもの騒音。
駅前ロータリーにたむろするタクシーの間をすり抜け、辿り着く。



まっすぐ伸びるメイン・バザールを見た第一印象  「汚ないカオサン...」


通りには安宿とみやげ物屋と食堂と銀行etc
今まで各国で見てきた安宿街と同じ顔ぶれ。
でもアスファルトで舗装されてるのに、何故か足元は泥っどろになっていて、
道端には投げ捨てられたゴミが目に付き、
道には人とリクシャで溢れ返る。


どこまで行ってもインドはインド。


デリーは特にトラブルの多い街って聞いて警戒していたのに、
街を歩いていてもそんな感じは無く、自分にとってはむしろ大人しいくらい。

いつもなら顔を見かければ声を掛けてくるリクシャも
「ちょっとどいて~」
って脇をスルーしていくし、

みやげ物屋の兄ちゃんも
「ハロージャパニ!」
って言うだけで店の前から離れない。

「もっと来いや!」
って身構えていた自分はすっかり肩透かしにあった気分。
結局デリーでは特に何を見るわけでなく、のんびりと過ごしておりました。



さて、インドに行くと「大好きになる人」と「大っ嫌いになる人」に大きく分かれるって話。

道上に人と車とゴミと牛と糞が一緒に並び、
埃と騒音と暑さとしつこさが歩く人を包み込む。

日本を出て、いきなりインドに行ったら
「んなとこ2度と行くか!!」
ってなること間違いなし。
それ位インパクトは強いです。

自分はいくつかの国を経験していたので最初からインドに馴染むことができました。
それでも人に疲れ、お腹をこわし、肉体的にも精神的に弱りながら歩いていたのも事実。


現在の結論としては

「嫌いじゃないけど、お腹一杯。しばらくいいです。」

こんな心境。
でも自分の中のインド成分が減ってきたらまた行きたくなるだろうな、そう思ってます。
それだけ人も空気も文化にも魅力がありました。


その中でも特に人。

騙そうとする人を見分け、客引きや物売りを振り切り、やさしい人に助けられ、子供達と一緒に笑う。
こんなに地元の人と関りを持つ国は他にありませんでした。





まだ「大」は付かないけど、好きですよ。インド。


次はシルクロードの発着点、ヨーロッパとアジアの混じる国・トルコへ行きます。


桃色シティ[ジャイプル]

2009年11月07日 | 11ヶ国目インド

アーグラーからバスで5時間。あっという間に到着したジャイプルの街。

街に近づくとインドに来て初めて見る高層ビル。
看板を見ると中には企業のオフィスやショッピングモールが入っているらしい。
新市街は意外にもちょっと都会。

でも城壁を越え、旧市街へ入ると景色は一変。
そこには見慣れたインド。
街を歩けば、人と車と牛と埃。
これはどこに行っても変わらない。
何故かちょっと安心。



この街は通称「ピンク・シティ」。
通りの両側に並ぶ建物は確かにピンク色。
でもピンクってよりは赤茶色の方が合ってる気がするけど。


つまり「赤茶色シティ」...うん、無いわ。




自分がまず訪れたのは「風の宮殿」。
通りに面した壁は全面に装飾が施されているのに、横から見ると奥行きが無い...
日本にいるとき電車から見える面だけ豪華で裏はボロアパートっていうのを見たことがあったけど、
それに似てる気が。


 

ただ、風の宮殿がボロアパートと違ったのは建物の中もしっかり造ってあること。
中は2つの中庭とそれを囲む高い塀で構成されていて、人はその塀の上を歩く。
少し高いところから見下ろすと、エッシャーの騙し絵のよう。

そして、壁には少し低い位置に小さな小窓。

「この小窓から宮廷の女性たちが自らの姿を外から見られることなく、街の様子を見たり、
祭を見て楽しむことができるようになっている」byウィキ...だそうです。


不思議な造りにテンションが上がった「風の神殿」を出て向かったのは、
すぐ隣の「ジャンタル・マンタル」。
ここは天文学が盛んだった当時のインドでより正確に星の動きを計測するために造られた天文台。




 

中にはどうやって使うんだかヘンテコな形をした巨大な機器がいくつも並べられ、ちょっとシュール。
それでも巨大な日時計は2秒単位で正確な時間を示し、
その他の機器は月をはじめとする様々な星の位置を割り出す。


何にも分からない自分の感想は

「美術館の屋外展示...」

それ以外は疲れていたせいか大した感想も無くその場を後に。


ガイドブックに載っている情報は限られている。
ガイドを雇えば詳しい説明(大抵、英語だけど)が付いて理解は深まるのは分かってる。
入り口には「ガイドはいらんかね~」ってオヤジたちもいる。

この旅行は時間があるようで実は足りない。
世界は広い。
もっと行きたい場所がある。
もっと知りたいと思ったらガイドを雇った方がいい。
未だにどこで依頼するのか(したいのか)、その線引きができない。


風の宮殿も、ジャンタル・マンタルも実はその後行ったシティ・パレスも
当時のマラハラジャ(=殿様)が住んでいた豪邸の敷地内。
おかげで全ての見所は徒歩数分。


人さまの庭の中を歩き終え、次はインド最後の街・首都デリーへ。


世界で一番美しい墓[アーグラー]

2009年10月30日 | 11ヶ国目インド

インドで一番有名な建築物、タージ・マハル。
写真や映像で見てきたものを自分の目で見る。
ここも素晴らしい発見と感動の場所でした。




立派な正門をぐぐる時、遠くにその姿が見える。

近づいていくとそれがただの白い建物じゃないことが分かってくる。
建物を構成する白大理石は1枚1枚微妙に色が変わり、飴のようにうっすらと光を通す。
入り口にはコーランと美しい装飾。
それらは全て異なる色の石の組み合わせ。

靴を脱ぎ、長い列に並んで建物の中に入る。
すると足の裏から伝わってくるひんやりとした石の感触。
そして薄暗い廟の中に並ぶ2つの棺。


自分が知ってたのは当時の皇帝が亡くなった奥さんのために建てたお墓ってことぐらい。
ガイドブックによると22年もの歳月と莫大な費用をかけてタージは完成。
その後皇帝は自分の息子に幽閉され、死後妃の棺の横に葬られる。


お墓ならゆっくり眠りたいだろうに、中は音が良く響く...
毎日沢山の人が見に来るお墓に響く声。
こんな環境じゃ安眠できない...ちょっと彼らに同情。




建築物としてみるとタージは完全な左右対称。
それは不思議な魅力を持っていつまでも飽きずに場所を変え、角度を変えて何時間もそこにいました。


 





さて、自分が今回宿をとったのはタージまで徒歩5分程度の安宿街。
宿のすぐ裏手は市場が広がり、地元の人の生活が垣間見れる場所でした。
特にあても無くぶらぶら歩いていると「ハロー!ジャパニー」って相変わらずの声。
それでもカジュラホとは違って、純粋に興味津々といった感じ。


特にカメラを持って歩いていると、

「ワン フォト~」

って声がかかり

1枚撮るとそこからはノンストップ!
そこいら中から子供達が集まってきて即席の撮影大会がスタート!

1枚撮っては笑い、
1枚撮ってはポーズを変え、
1枚撮っては入れ替わる。




人が集まりすぎて、収集つかなくなった時もありましたがそれも含めて楽しい時間。

日本にいる時はなるべく他人と関りを持たないようにしてました。
でもインドにいる人たちは大人も子供もどんどんぶつかってくる。

「ハロー!ジャパニ~」
「名前は?」
「何歳?」
「日本のどこに住んでるの?」
「仕事は何?」
「ひとりで来たの?」
「インドは初めて?」
「インドはどう?」
「インドにどれ位いるの?」
「結婚してるの?」
「恋人はいるの?」etc...

1つ質問に答えると周りにそれを伝えてみんなが笑い、
次の質問に答えて、また笑う。
ちょっとインドの歩き方が分かってきた。



気持ちをオープンにして、「喜怒哀楽」全開でいこうと思います。



次は少し西へ移動、ジャイプルの街に行きます。


<おまけ>
屋根の先っちょをつまむポーズ。


あたたかい石の彫刻[カジュラホ]

2009年10月29日 | 11ヶ国目インド

「ハロー、ジャパニー!」

インドに入ってからはこうやって声を掛けられることが増えた。
というか、ほとんどそう言われる。

どの国にも客引きはいたし、大抵2言目には「トモダチ~」になってる。
自分でもそのあしらい方は分かってるつもりだった。でも...

ここは無理!
しつこい!!
多過ぎる!!!


部屋を出て、一歩通りに出るとわらわらと群がる客引き達...

「ハロージャパニー、マイ・フレーン(ド)」
「ドコカラ来タ?トーキョー、オーサカー、ナゴヤー、フクオカー...」
「トーキョー!グッド・プレイスネ~」※埼玉って言っても通じないので...
「トーキョー、ドコ住ンデル?」
「Oh、ロッポンギー」
「私ノ妹、ナゴヤ住ンデル。」
「アナタノ名前ハ何デスカ?」
「私ノ名前ハ○○デス!」
「アナタ今ドコ行キマスカ?」
「私ノ店スグソコ、見ルダケ、高クナイ」
「チョット待ッテ!ドコ行ク?待ッテクダサーイ」

こんな感じのやり取りが行く先、行く先ひたすら続き、
中には飯食うとこまでついてきて

「店、見に来い」だの、
「ガイドはいらないか」だの、
「車あるぞ」だの、


「いーらーん」っちゅうねん!
長時間の移動と寝不足で疲れてるのに、お前ら何やねん!!


英語でやり取りするのも疲れるし、
日本語で話しかけてくるのは全員詐欺師だと思ってるしで、
外に出るのが正直嫌になってしまいました。
インド人、本格的にうざいです。




さて前置きが長くなりましたが、

バラナシを出て、夜行列車とバスを乗り継ぎやってきたカジュラホ村。
交通の便も悪く、最初のやり取りをするメインストリートも500m程度。
辺りには原っぱが広がる(本来は)のんびりとしたところです。

ここには世界遺産・カジュラホの寺院郡を見にやってきました。


ゲートを抜け中に入ると、綺麗に刈り込まれた広大な芝生の公園。
その公園の中、遺跡が点在しています。




近づいてみると建物を支える土台、壁を埋め尽くす天女や神様、緩やかな曲線で作られた屋根。
ひとつひとつ小さな模様まで丁寧に彫られ、
ジリジリと肌を焼く日差しの下浮かび上がる彫刻。
それは石で造られているのに今にも動き出しそうな温度を持っていました。
彫刻は外側だけでなく、内側にも広がり手で触れて初めてその石の冷たさに気付くほど。


 

しかし何だかなまめかしい。



ここは通称「ジキジキ・テンプル」。
ストレートなネーミングですがそれで有名な事も事実。


正直最初は興味本位で見に来ました。
しかし、実際に自分の目で見てからはその素晴らしさに感動。
美術に関しても素人ですが、何世紀も前に造られた建造物郡。
これだけレベルの高い彫刻は世界中探してもそう無いだろうと思います。


とはいえ自分にとっては居心地の悪さも相当なもの。
ここには長居せず、次の町アーグラーへ向かいます。


余談。
インドの列車は遅れるとき、めちゃめちゃ遅れます。
それって時にはこいつらのせいじゃないかと...


聖なるドブ川の生活[バラナシ]

2009年10月25日 | 11ヶ国目インド





「じゃ、15ルピーでホテルまでね。」
リクシャのおやじはぶつぶつ言いながら走り出す。

「ホテルまで5キロもあるんだ。夜だし危険だ。普段は50ルピーもらってる。」
「こっちのホテルにしないか?安くて綺麗だ。」
「釣りは無い。バクシーシ(※喜捨)をくれ。」

バラナシはこんな会話から始まった。
日本だったら考えられない。
そりゃそうだ。
日本じゃないんだから。

そこの生活に馴染み、受け入れ、身につける。
そっちの方が楽しい事を知っているから。





バラナシの町は迷路みたいに細い路地が入り組んでいて、
道の両脇をレストランやらお土産屋やら安宿やら雑貨屋やらが所狭しと並ぶ。
そこをバイクがクラクションを鳴らしながら走りぬけ、
道端にはゴミと牛と牛の糞...


こんな汚い町なのに不思議と嫌じゃない。
バスの中で会った香港人の言葉を思い出す
「because this is India.」



バラナシの宿は「クミコハウス」。
ずっと昔からある有名な日本人宿でオーナーのくみこさんご夫妻も健在。

ドミはめちゃめちゃ汚いし、落書き(アート?)だらけだし、マットレスもぼろぼろだけど
何故か心地いい。

毎日、朝起きてチャイを飲み、
牛をよけながらぶらぶら町歩き、
夕方になればガートに座ってガンガーを眺める。
そんな日が続いてた。


ある日早起きをして日の出を見ながらボートに乗った。
朝日に照らされた川面はきらきら光って
そこでは

沐浴をする人のとなりで
洗濯をし、そのとなりで
体を洗い、そのとなりで
歯を磨き、そのとなりで
遺体を焼いていた。


    

そこは聖なる川で、生活の川だった。
じゃぁ、自分にとっては?







次はカジュラホへ向かいます。