バスを降り、客引きに連れられて行ったホテルは偶然にも日本人宿。
フロントには日本の漫画が並び、ネットも無料、スタッフは日本語が話せて、安いドミも。
あと、ホットシャワーが勢いよく出る!
安宿の好条件が色々と揃ってます。
客引きに連れられて行ったところで当たりの宿はあまり無いんですが、今回はよさそうです。
実はこの街で、沢山の人と出会えました。
まずニャチャンで別れた友達2人と街で再会し、ハノイに向かうバスを見送る事ができました。
また宿では世界一周中の日本人旅行者3人と会い、そのうちのひとりとは偶然にも日本に共通の友人が!世界は狭い!!
ホテルの近くには安くて、美味しいレストランがあり毎日通い、
極め付けだったのが
ホテルでブレーキの壊れてる自転車を借り、街を走っているとそのまま迷子に...
完全に知らない場所を走ってると、下り坂で曲がりきれずに転倒!!
すり傷を負ってしまいました...
自分の血を見てテンション落ちまくりのとこ、
傷の治療をお願いした通りがかりのおうちはなぜか昼間っから酒盛り中。
そこに飛び入り参加して一気に元気に!!
名前も知らなければ、きっと再会する事も無い人たち。
でも、短くても楽しい時間を過ごせた事はいつまでも覚えていると思います。
今回の旅行、ベトナムはこの街が最後。
ベトナムへ行く前は正直嫌いな国でした。
それがホーチミンで「いいとこ」に変わり
ホイアン、フエを見てからは「めちゃめちゃいいとこ!」に変わりました。
正直、そう変わっていくとは思ってなかったので自分自身びっくりしてます。
次は再び国境を越え、ラオスのサワンナケートへ向かいます。
再び寝台バスに揺られ、ホイアンへ来ました。
旧市街と呼ばれるところは中国様式の古い建物が並び、
建物をそのまま生かした、レストラン・カフェ・土産物屋が軒を連ねてます。
街並み自体が世界遺産に登録されてるそうで、それを知ってからはその雰囲気のよさに納得。
古いのに新しい。
まさに今、生きている世界遺産です。
実際に歩いてみると、主要なところは歩いて見て回れるくらいの小さな街。
その中で気になったのが、街中でやたら見かけるオーダーメイドの服屋。
店先には厚手のコートがずらり。
しかも1軒2軒じゃなく、何十軒も...
ベトナムは常夏の国なので、町の人も自分もTシャツ・短パン...
「誰がこんなん買うんだ?」って思いながらコートを見てると、
「こちらウールのコートになります。」
「いやいやいやいや、この暑い中誰が買うんすか?」
って聞いたところ
安く仕立てのいい服が作れるので、海外からのお客が多いとの事。
確かによく見てみると、採寸してもらってる白人さんがちらほら。
さらにあても無く街を歩いているとき、誰かに呼ばれてる...ような気がする。
振り返って見てみると子供がこっちを見てる。
手を振ってみると
「フォト~●□▲○◆▽」
「フォト~●□▲○◆▽」
フォト?
手招きして、自分を呼んでる!
そのままおうちにお呼ばれして、お茶を頂きました。
お互い英語とベトナム語で全く会話はできませんでしたが、身振り手振りが大活躍!
「伝えたい」って気持ちで意外と何とかなるもんです。
ただシャオくん(7ヶ月)は最初から自分を見て怯えまくり、
だっこしたらスイッチが入り大泣き...
お兄ちゃんの元へと帰っていきました。
ゆったりとした時間が流れ、街の人たちもとても穏やか。
久しぶりに街歩きをしてるだけで、楽しいところに出会いました。
次はもう少し北上し、ベトナムのほぼ真ん中フエの町を目指します。
人生初の寝台バスはなかなかハードでした...
指定されたシートは最後尾のど真ん中。
2段ベッドの下で天井は中腰になれないほど低く、足も満足に伸ばせない。
両隣に人がいるため寝返りもうてず、そのくせ隣の客は寝相悪い...
移動の8時間ろくに眠れず、耐えておりました。
一緒に行動してる友人が。
いや自分も同じような席だったんです。
ただ隣の席で足が伸ばせた。
それだけの違いででよく寝れるんです...
そんな思いの果て、海辺の町・ニャチャンへ来ました。
ここはローカルに人気のビーチリゾートらしく海や浜辺で遊んでる人たちが結構います。
浜辺にはこんなの(写真・左下)があったり、
遊歩道が整備されていたり、結構頑張ってる感はあるんですが、
どこか垢抜けない...
ビーチリゾートっていうより、海水浴場。
が、町の記憶はここまで...
実はこの町で完全に体調を崩し、丸2日寝込んでおりました。
カンボジア~ベトナムの国境で熱をはかった時、
何度もやり直しさせられてたのでその時から微熱があったんだと思います。
症状は発熱、頭痛、悪寒、吐き気。
ベッドから起き上がる事もできず、薬を飲み、細々とパンと水を飲みながら丸2日。
「このまま悪化したら保険使って病院行かないとまずいよなぁ」
とか、
「でもニャチャンじゃでかい病院無いだろうから、ホーチミンまで移動するのしんどいなぁ」
とか、結構具体的に考えては凹んでました。
ただ、ホーチミンに向かうバスで一緒になった日本人旅行者と3人で
行動していたので、色々助けてもらって無事回復!
やっぱり持つべきものは友でした。
海にも行ってなければ、町もろくに見てませんが
次の町、古都ホイ・アンへ向かいます。
次の移動も寝台バスです。
今度は座席指定済み!!
街中の道という道にバイクの洪水
何十台ってバイクが走り、すり抜け、逆走、クラクション...
カンボジアから国境を越え、ベトナム南部の大都市・ホーチミンへ来ました。
日本が車社会ならベトナムは完全にバイク社会。
歩行者よりもバイク優先。
そんな何十台も走ってくるバイクの間をすり抜け渡るコツは
止まらない、
ビビらない、
とにかく渡る!
そのうち慣れます。
あとベトナムはボッタクリがひどいので、ツーリストの間では評判が悪い!
正直、自分も嫌いな国でした。
というのも、ベトナム人は「お金を持ってる人からは取っていい」っていう
何とも迷惑な考えがあるそうで、金銭トラブルが絶えないんです。
一桁多く言ってこないか、
おつりを誤魔化してないか、
相場と比べてどうか...
財布を開く場面では特に注意して見てたんですが、
思ってたほどボラれない。
多少のツーリストプライスはあるにしても、大した額じゃない。
※なるべく事前に値段を確認。納得いかなければ断ってますよ。
そのうち気取らない街の人たち、
美味しいベトナム料理に魅せられてどんどん評価が上がってく!!
そうなるとうるさい&危ないって思ってたバイクの河もひとつの特徴って思えてきて、
相場の10倍とかふっかけてくるバイタクもかわいらしいもの。
結果、ベトナムいいとこじゃん!!
ってなりました。
ただ2、3キロの距離を10キロ以上あるって言ってきたり、
腕をつかんで無理やり土産物屋へ連れて行こうとしたり、
やっぱり気は抜けませんが...
さて、そんなイメチェンを果たしたホーチミン。
せっかくなので近郊の1日ツアーへ参加してきました。
『カオダイ教とクチトンネルツアー』
カオダイ教は1900年初頭に始まった新興宗教で、
世界中の様々な宗教をミックス、
キリスト、マホメッド、釈迦、孔子、トルストイ、ビクトル・ユーゴーなどを
聖人や使徒として仰いでいるそうで、
その中2病的な発想は突っ込みどころ満載!!
実際に行ってみるとやたらと派手な建物。
ただ宗教関係の建物は基本どこも派手なのでそんなに気になりません。
そこに白いアオザイを着た人たちが集まり、お祈りをしています。
新興宗教って響きからくる怪しげなイメージとは違い、意外とちゃんとしてるような印象を受けました。
もうひとつのクチトンネルはベトナム戦争時代、
アメリカ軍と戦ったベトナム軍が実際に使用した地下トンネルの一部を展示したもので周辺16の町を結び、最大1万人もの人たちが暮らしたそうです。
実際にトンネルを通ってみるとめちゃくちゃ狭い!
しゃがみながら1人通るのがやっと。
ツアーの前日、市内にある戦争証跡博物館にも足を運んでいたので、
アメリカ軍が使用した兵器や枯葉剤、
その枯葉剤の影響で生まれてきた奇形児...
(ベトちゃん・ドクちゃん兄弟もこの枯葉剤の被害者でした。)
結果的にベトナム戦争を両軍の視点から見ることになったんですが、
一番印象に残っているのは
戦争証跡博物館にあった彫刻のタイトル
『WHY...』
人が人を傷つけ殺すのに、人よりも大きな兵器を使う。
「なぜ...」
宗教や考えの違いから争いが起きるのなら、
めちゃくちゃに感じたカオダイ教の教義もひとつの考えかもしれない
そう思えてきます。
市内観光や近郊ツアーにも参加し、満喫したホーチミン。
次は人生初の寝台バスに乗って海辺の町・ニャチャンへ向かいます。