gogo-going-blog

世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

昭和の時代的風景を発見した

2006-04-26 11:51:50 | Weblog
今朝は出勤するのにいつもと違う道を歩いて来たらレトロで素敵な佇まいの何軒かを発見した、そうしたら昔を思い出した。

僕が生まれたのは昭和32年の1月だ。生まれは岐阜市で当時僕の父親は東京に本社がある輸入遊具会社の営業社員で岐阜支社に勤務していた。小学校2年生まで岐阜に居たので長良川の川原で遊んだことや路面電車に乗って母親と買い物に行った事など今でも記憶に残っている。
その後新潟市に転居して2週間後に新潟地震にあった。石油タンクから上がる黒煙を見に父親のスクーターに乗って行ったが近くには行けなかった。地震の瞬間は給食が終わって殆んどの児童が昼休みなので遊びに行ったが、僕を含めた数人は給食を食べ終わらないという理由で教室に居た。地震直後の正直な感想は「うれしい!」と思った、だって嫌いな「ミルクモドキ」を残してもいいからグラウンドに避難出来たから。子供だったから別に怖いとも何とも思わなかったが、その日から2週間だったか3週間だったか忘れたが学校が休みになり、転校直後で岐阜弁しか話せない僕は友達が誰もいなかったので毎日家に居てすることが無かったのを覚えている。

そんな昭和30年代は何処にいっても全部この写真の様な風景だった。田舎では無かったけれど大らかな時代だったのだろう各家の玄関には鍵はあったが誰もかけなかったから、友達とか両親の知り合いとか勝手に入ってきてお茶を飲んでいたり僕が剣道部の練習で遅く帰ると僕の席に座って晩御飯を食べている奴もいた。献立といえば大好物が肉の入っていないカレーライス。大分後になって肉が入るのを知った、食卓には毎日野菜の煮付けとか焼き魚とかしか上がらなかったが別に不思議でもなんでもなく、魚肉のソーセージとか真っ赤なウインナーがご馳走だった。真夏であろうが真冬であろうが何処へ行くにも徒歩か自転車で行った(自転車はチョッと贅沢品だったかな?)。汗をかいて帰ってくると玄関脇の水道で水シャワーを浴びたり水をそのまま飲んだりも平気でした、冷たくて気持ちが良かった。山田 太一原作・大林宣日彦監督の「異人たちとの夏」の映画の中に出てくる風間守夫・片岡鶴太郎・秋吉久美子の好演が蘇ってきた。「ALWAYS 三丁目の夕日」はまだ見ても読んでもいないが、やはりノスタルジックで良いのだろう!!。