gogo-going-blog

世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

春の息吹

2006-04-05 10:15:47 | Weblog
いつもの徒歩通勤コースのフェンスの脇をふと見たら土筆がちらほら・・・・・、ほうもう春なんだ!と思って撮影した。歩きながら思い出したが、子供の頃(もう40年も前)は家の周りが全部空き地とか草むらだったので春になれば、ふきのとうやセリ・土筆などが秋になればイチヂク・枇杷・柿とかが取れ放題(盗み放題?)だった。母親がつくしを醤油で甘辛く煮付けてくれて食事の際のワンポイントとして出してくれた。その他夏には路地栽培のイチゴとかスイカ・メロンなんかも勝手に頂いて食べたりもした。考えてみると21才になる息子は少しは教えたり会話をしたりしているので同世代の中では比較的知ってる方だとは思うけど、実際畑で野菜がどんなふうに育っていくのかとか葉っぱなのか茎なのか?判らないやつも多い、話が逸れるが魚なんてその頂点(判らない部分の)だろう、名前を知らないなんてまだ良いほうで、殆んどの魚のサイズなんか知らないだろうし、近海魚かどうか?なんか知らないのはまだまし、へたすると川の魚か海の魚か全く判らない子供が大多数と聞くとあーそんな時代かねえ!!なんて妙に年寄りになった自分が嘆かわしい。
確かに僕たちの子供の頃は冷凍・冷蔵技術がまだ発達していなかったので、その季節でなければ取れない素材を上手に調理して食べていたから、春夏秋冬それぞれの味覚を味わう喜びがあった。真冬にスイカが売られていたり、トマトが一年中食べられたりすると一つ間違えると僕たちさえも旬が何時なのか?ちょっと不安になってくる、さて冒頭の土筆であるがバイパス脇の排気ガスにまみれた空気を吸ってさえも一日一日成長する、いやあ強いもんだ。さすがに摘んで食べようなんて思わないが目の保養にはなった。