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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

昭和の時代的風景を発見した

2006-04-26 11:51:50 | Weblog
今朝は出勤するのにいつもと違う道を歩いて来たらレトロで素敵な佇まいの何軒かを発見した、そうしたら昔を思い出した。

僕が生まれたのは昭和32年の1月だ。生まれは岐阜市で当時僕の父親は東京に本社がある輸入遊具会社の営業社員で岐阜支社に勤務していた。小学校2年生まで岐阜に居たので長良川の川原で遊んだことや路面電車に乗って母親と買い物に行った事など今でも記憶に残っている。
その後新潟市に転居して2週間後に新潟地震にあった。石油タンクから上がる黒煙を見に父親のスクーターに乗って行ったが近くには行けなかった。地震の瞬間は給食が終わって殆んどの児童が昼休みなので遊びに行ったが、僕を含めた数人は給食を食べ終わらないという理由で教室に居た。地震直後の正直な感想は「うれしい!」と思った、だって嫌いな「ミルクモドキ」を残してもいいからグラウンドに避難出来たから。子供だったから別に怖いとも何とも思わなかったが、その日から2週間だったか3週間だったか忘れたが学校が休みになり、転校直後で岐阜弁しか話せない僕は友達が誰もいなかったので毎日家に居てすることが無かったのを覚えている。

そんな昭和30年代は何処にいっても全部この写真の様な風景だった。田舎では無かったけれど大らかな時代だったのだろう各家の玄関には鍵はあったが誰もかけなかったから、友達とか両親の知り合いとか勝手に入ってきてお茶を飲んでいたり僕が剣道部の練習で遅く帰ると僕の席に座って晩御飯を食べている奴もいた。献立といえば大好物が肉の入っていないカレーライス。大分後になって肉が入るのを知った、食卓には毎日野菜の煮付けとか焼き魚とかしか上がらなかったが別に不思議でもなんでもなく、魚肉のソーセージとか真っ赤なウインナーがご馳走だった。真夏であろうが真冬であろうが何処へ行くにも徒歩か自転車で行った(自転車はチョッと贅沢品だったかな?)。汗をかいて帰ってくると玄関脇の水道で水シャワーを浴びたり水をそのまま飲んだりも平気でした、冷たくて気持ちが良かった。山田 太一原作・大林宣日彦監督の「異人たちとの夏」の映画の中に出てくる風間守夫・片岡鶴太郎・秋吉久美子の好演が蘇ってきた。「ALWAYS 三丁目の夕日」はまだ見ても読んでもいないが、やはりノスタルジックで良いのだろう!!。

今日から新しいプロジェクトがスタート

2006-04-25 12:44:50 | Weblog
今日から再び長い道のりの仕事がスタートしました、以前にオープンリールテープからCDにダビングをする仕事をしましたが、今回はその流れ?をくんでカセットテープからCDにする仕事です。この前よりもカセットテープですから保存性が良いし録音も簡単なので本数は400本です。なかなか先が遠いのですが納期のそんなにタイトでは無いのでボチボチとやって行こうと思ってます。

週末は音楽三昧

2006-04-24 10:33:05 | Weblog
月曜日の朝にしては比較的仕事に行きたく無い病は少ない感じで目覚めた。いつものようにベランダに出てみると遠くが霞んでいる、先週は黄砂で霞んでいたが違うのは人目で判る。なるほど天気が良いより多少曇っているほうが暖かいというのは事実かもしれない。
週末はコンボ・ビッグバンドと吹きまくったのでスポーツの後のだるい感じがする。土曜日はジャズ喫茶でピアノレスのトリオで演奏した、いやいや中々大変だったがまあそれなりに勉強になったし緊張もしたし面白かったが、聞いている人はどんなかな?とは少しおもっている。日曜日は7月にあるイベントのリハーサルを早々とやった。トランペット2、トロンボーン3、サックス5とビッグバンドスタイルでオリジナル半分と買ってきた譜面半分という選曲で練習したが人数が揃うと面白い!!、ビッグバンド独特のドライブ感を久々に味わう事ができた。
また昨日は以前からメールをもらっていたアルトサックスのO君が楽器を持って遊びに来た、アメリカに5年間住んでいて楽器演奏経験が豊富なだけあって中々しっかりとした演奏をしていてこれから一緒にやるのが楽しくなる様な奴だ、性格も良さそうなので早く馴染むと思う。


死球(デッドボール)

2006-04-22 10:20:33 | Weblog
清原がダルビッシュからデッドボールをくらった!!よりによって女房子供を球場に呼んだ日に。過去の例から言って彼がマウンドに走って行かなかったのは奇跡的な事だ。やはり家族に野蛮な行動を見せたくなかったのか?。スポーツの世界での反則行為は歴史的に見て本当に沢山あるが、それは当事者(加害者)本人が「故意ではない」と言い切れば何千年経っても過失という評価か?というと以外にも第三者の意見が大々的に取り上げられて、何日も経たない内に「確信犯」というレッテルが貼られてしまう。これも本当におかしい話である。どんなに競っている戦いであろうともピッチャーが「ここで頭に当てれば勝てる」という発想にまるだろうか?いや瞬間的には思うかもしれないが、その後のこと・当てた本人の将来・家族・球団・自分・自分の家族・マスコミなど等、一般常識人であればあるほど怖くて故意にデッドボールは投げられないのではないかと思う。
やられた方も「今度やられたら絶対にやり返す!!」と宣言しているが、故意の行為に対して100パーセントの報復宣言をしているのだからスポーツマンシップに大いに反する。なになにプロスポーツにスポーツマンシップは通用しないって!!確かに莫大なお金が絡んでいるから、口ではいい事を言ってはいるが実際の行動はといえば・・・・・・・・。ご承知の通りである。逆の立場になってみてバッターが打ったボールがピッチャーに当たって骨折した、これが本当に故意か過失か偶然か?この結果ベンチから敵の選手が大量に出てきてボコボコニされた・・・・・・・、これはたまったもんじゃない。正確に物事を言えは若干ピッチャーよりバッターが立場が弱いような気はするが、大人がやってるスポーツで子供も見てるんだから乱闘はいけない(見ていると面白いけどね)。

話は変わって商売上でのデッドボール、一番手っ取り早いのは「不渡り手形」だ。通常最初から騙す(払わない)奴はたいして値切っても来ないし、納期も大してシビアじゃないものだ、だって実際にお客から注文があった訳じゃないから商品が手元に来ればいいだけなので来てから持って逃げるか売って逃げるかすればいいから。25年ほど前の話だが、僕がまだ独立して間もない頃に仕事で知り合った人から(友達ではない人)音響機器の納入の話を貰った。打ち合わせに行ってみると大きく小さくも無い普通のスナックでマスター曰く「音響だけは自慢出来るセットにしたい」っていうので、当時のお金で180万円位で仕入れた機材を工事費・プランニング費と一緒に250万円で提示したら「支払いは納品の時に現金でいいよね!!」って簡単に言うのであまり経験の無い僕としてもそれが当たり前なのかな?って思って納品したらん、「オープンの日までには払うから」そして「オープンしてドタバタしてるから」「月末来て、間違いないから」「身内に不幸があったから」と続いて2ヶ月くらい経って行ってみたら、僕に紹介してくれた人がお店にいて「彼から居ぬきでお店を買った」っいうから助かった!!と思い集金の件を持ち出したら、「そんな話は知らない兎に角おれが買う前の事だから」ってかわされてしまいし、そのうち「○○組の若い奴らが飲みに来る」だの「親父が来る」だの言われ、泣き寝入りをした。後で聞いたらそいつらは兄弟だったし確かに○○系の人達だった。商売を25年もやっているとこんな話が沢山あるし、思い出したく無くもあり変な話だが懐かしくもある。商売のデッドボールは野球と一緒で当たった場所によって少し痛いのから完全に立ち上がれないのであるが、よくも死ななかった!!という事もこれだけじゃなくて色々あるが、スポーツ界とは違い一般社会は騙されるほうが負けであり、騙した方も「悪運はそう長くは続かない」のである。例のお店は開店直後風営法違反で摘発されて閉店した、警察に行って話しをして伝票・契約書類を見せて機材を引き上げて来た、幾らにもならなかったが販売した。いい勉強になったが本当に社会の勉強は授業料が高いなあ。

新庄剛志が引退

2006-04-21 13:07:32 | Weblog
新庄の引退について色んな人があちこちで発言したり書いたりしていた。僕もその一人として僕の意見を書いているのだが、圧倒的に「彼が軽すぎる」とか「いい加減に野球の事を考えている」という系統意見が目立つが、僕は全く逆に考える。もともとスポーツ選手の選手寿命は最高に長くても40才位が限度だろう、まうまれに45才なんて人がいたり50才なんて人もいるけど、スポーツ競技の種別によってはそれも可能だとは思うけど本当に限られた人しかスポーツ長寿はいない。なぜ?勿論人間の肉体の寿命に大きく起因しているからだろう。生まれてすぐには歩くことが出来ない人間が成長して行き、また歩けなくなって天寿をまっとうして行くまでの80年の中でのピークは何処か?って考えたときに野球はとか相撲はとか水はって決まってきていると思う。だから肉体的な使用度が比較的少ないものは意外と高齢になっても平気で続けていられるのではないのだろうか?
スポーツ選手の知り合いに聞いてみたら、実は「プロを引退した後にアマチュアがあるから結構長く続けていられるものだ」と言われた。という事は34才の新庄がこれからどういう生活をするのか?とか仕事をするのか?を考えて結果出した結論だと思う。引退って自分が決めることだからファンの皆がもう少しって熱望しても叶わないことかもしれないし、「一番輝いている時の美しさを残して引退する」事を実はみんなが夢見ている事なのかもしれない。話はそれるが、ジャズの世界では超がつく有名実力ミュージシャンの殆どが30代から40代で亡くなっている、勿論寿命から言えば相当早いし勿体無いのは当然だ。ただ死んで行く本人が酒やドラッグやらで死ぬのだからこれは又どうしようも無いことなのだが(当然回りは止めささせようとしたろうが)、残された録音が最高に輝いていて誰にも真似が出来ないくらい素晴らしいものだから演奏と人間模様が美化されて伝記とか研究本が後年に出来上がる。まあそれもそれで人生だから良いのだろう!!。その「魔の30代」を奇跡的に?通り過ぎ同年代のミュージシャン達はこれまた殆どが長い現役時代を送っている、皮肉なものだが現在でも70代80代でステージに立って50才の奴に「お前はひよこだ!!」なんて火を噴いている親父(じじい)も相当沢山いる。

15年くらい前にロックフェラーセンターにあるNBCスタジオに見学に行った際に偶々ライブ収録の準備をしていた音響技術者に話し掛けて少し話しをしたことがあった。その時に彼が、なんの仕事をしているの?って聞いてきたので僕は多少ハッタリをかます意味もあって「プロダクションのチーフエンジニア」って答えてしまった。そうしたら本当に彼はビックリしていて何回も本当か?本当か?って聞くので一緒に行った奴がどうして?って尋ねたら「こっちでは60才を過ぎないとチーフになれない」「俺も65才だけどチーフになったのは去年だ」って言うのだ!!いやあ早々に退散した思い出がある。そういえば3年前にブルックリンのスタジオにアルバムを録音に行ったときに、結構年寄りの人がマイクアレンジとかキューボックスの調整をしていたなあ!!。年齢イコール「技術の蓄積」だと思える職種と
「古いデータボックス」としか言わない職種があるんだろうけど、困ったときだけ聴かれて答えるとその時だけお礼を言うような会社も嫌だし社会も嫌だ。引退は自分の意志で決めたいものだ・・・・・・・・・・・。だから新庄は素晴らしい!!という事だと僕は勝手に思った。






大変ためになる本を読んだ

2006-04-19 11:46:07 | Weblog
副島隆彦著「人類の月面着陸は無かったろう論」、内容としては表題の通り行っていない・行けない氏なりの主張がバリバリの言動で書いてある(おかしい表現かな)。僕なんかが読むと確かにたった1年前なのにスペースシャトルが燃えて墜落してんだから35年も前に月に行って着陸して、船外活動して石を持って帰って来るのはなあ!???と思ってしまう。
行ったというのが本当なら行った以上続けて欲しかったし、行かないと言うのであれば何故嘘をついたのか?それも時間が経てば絶対バレル嘘を。どちらにせよアメリカ政府はそれなりの明快な理由があっての行動だろうが、その理由が本当はもっと大事なのでは無いだろうか?行くにしても行ったと見せかけるにしても莫大な資金と時間がかかる。その負担は間違いなく国民が担うことだし世界各国も担わされる。アメリカ単独行動なら他国の事と冷ややかな目で見ることも出来るが特にあの国は力で正義をねじ曲げて子分を引き連れて弱いもの苛めをするのだから始末が悪い。少年の頃はSF冒険活劇なんかのストーリーの中には、タイムマシーンとか透明人間とか異性人とか宇宙戦争とかが出てきて興奮を覚えたものだ。星新一の短編を朝まで読みながら「いつこんな時代が来るのかなあ?」と思いを馳せていたものだ。そんな中でアポロ計画が始まり人類を月に送り込み、移住計画まで知って、異常に興奮を覚えたのを今でも鮮明に記憶している。ところが35年も経ってこんな本が出で、大部分が共感出来る・・・・・・・・・。という事は間違いなく行っていないか?というのが悲しいかな僕の意見である。
詳細は本の中に書いてあるので割愛するが、常識的に(多少の偏りはあるが)考えて
みても氏の述べている事はもっともで、如何に軍事技術が進んでいようとも極秘テクノロジーを持ったプロジェクトだったとしても、現代の技術をもってしてもスペースシャトルは地球の周りを回る事しか出来ないし、100パーセント安全に帰還させる事すら出来ないNASAだ、35年も前にスペースシャトルの何十倍の距離を飛んで月に行く事は出来ても、軟着陸はどうだろう?まして月面を四駆で何十キロもドライブする?なんてやり過ぎなんじゃない!!だから嘘がバレルんじゃないか?とも感じる。他にもっと決定的な「絶対行っていない理由」も書いてあるので興味がある人は読んでみては如何だろう、そして自分で判断される事をお勧めする。

迷惑とはなんぞや

2006-04-18 11:35:40 | Weblog
毎朝通っている交差点にこんなパイロンが暫く前から置いてある、雪がある時にはあまり気が付かなかったが無くなると、ずーっと続いているので初めて見る人は変な感じがするだろう。この標識に書かれているのは「駐輪禁止」だ、交差点の反対側にバス停があるので殆んどの人はここに止めてバスに乗って出勤するから狭い歩道にびっしり自転車が止まっていると歩行者が歩き難いから止めるなという事なのだ。でもここの路線はバスの便が悪く相当歩いてからここにたどり着く人が結構多いと思うのだが、自転車を止めるなという事はバスに乗るな!!という意味にもつながっている。行政側は「歩いて来い」と言うのだろうが、じゃあ自分は30分早く家を出て歩いて(毎日)通う事が出来るのか?確かに出来ないというのは贅沢だと言うのであれば、公共交通機関の充実を図るべきだろう。首都圏及び大都市圏は電車・地下鉄があるので本数も時間も使う側の事を考えている。確かに利用する人口が違うからという事をいうのであれば逸れこそ「格差社会の象徴」だろう。
そもそも自転車が沢山止まるということは近くにあるバス停からバスに乗る人が沢山いるという事なのでバス会社及び行政側が協議をして近くの土地(沢山空いている)を借り上げて駐輪場にするべきであろう。話は違うが、何となくの風潮というか考えであるが自動車よりバイクが弱くバイクより自転車が弱く自転車よりも歩行者が弱い。だから交通弱者という言い方なのかも知れないが、確かに事故に遭ったときの損害・損失・被害を考えれば尤もだけれど全てにおいて一番弱者の歩行者を全て守るというのも可笑しい話で、たまたま歩いている人だって休日には自動車に乗るかも知れないし、晴れればバイクにも自転車にも乗るかも知れない、日ごろ自動車に迫害されている?自転車のおじさんが歩道を歩いていると後ろからベルをガンガン鳴らして「どけどけー自転車がとおる!」って迫ってくる。同じ事を車が自転車にすると「交通法規を知ってるのか?」って怒られる!!馬鹿野郎である。
お役所が無くても良い橋とかトンネルとか公園(余裕があれば文句は言わん)とか量産するならもう少し実態にあった調査をして貰いたいものだ。
話は戻るが、どこの地方都市も大体同じだとは思うけど、独占企業体質バリバリのバス会社が自分勝手に料金と路線を決めて「乗せてやる」と大きい顔をしているが
絶対何かの癒着か談合かある筈だ、何十年間も新規参入も無ければ不採算路線は廃止が当たり前、バス専用路線とかバス優先路線と称して(最近は有名無実みたいだが)バスが我が物顔で走っている(ただでさえ狭い道路をだ)。そんなにバスを優遇するのであれば乗る人が居るから本数が増えて交通渋滞が起こるのだからバス停付近の環境を充実するのが当然だという意見は通らないのだろうか?

思い起こせば

2006-04-13 10:43:34 | Weblog
ある日急にという程ではないけど気が付くと家の近くを走っている国道とバイバスの角に大きな空き地が登場した。少し前まではガソリンスタンドだったのだが競合店が近くにある訳でもないのにイキナリ閉店してしまった。もともとガソリンスタンドになる前はバイパスが川だったので川沿いの空き地だった、だから考えようによっては40年前に戻ったのかも知れない、不思議な運命だったのか?。
その昔、僕たちは中学校に通う時に必ず川沿いを棒をもって歩いて行った。別に暴漢に襲われる事もナイだろうに・・・・・・・、木刀とか金属の棒とか竹の棒とかをもって川沿いを歩くと何となく探検気分で本来行きたくない学校にも知らないうちに到着するという隊長(僕)の暖かい考えからである。当時通っていた中学は僕の家から直ぐのところにある川を歩いて行くと全く信号にも道路にも関係なく西校舎の脇に出るのだ。中学2年の夏休みに入る前日、いつものように悪ガキ4人が集まって川沿いを歩いていると、葦原の端からゴソゴソと体長60センチ位のワニが出てきた!!本物のワニを見るのはガキ達は初めてなので最初は逃げたのだが、よく見ると食べ物のせいか気温のせいか判らないが弱っていてヨタヨタしていた。僕たちが近寄って棒で突っついても何の反撃も出来ないくらいなので悪ガキ2号が家に走っていって犬小屋から毛布を持ってきてくるんで登校した。そうしたらそれはそれは学校中の評判になり大変な事になってしまって担任からは聞かれるは、女の子は泣くわで、困ってしまって悪ガキ3号と僕は放課後プールに放して一緒に泳いでいる所を写真に撮ってから川に放す事に決め、写真部の副部長の女の子に写真を撮ってもらう交渉に行って帰って来てプールに放すと・・・・・・死んでた、昼死んだのか夕方死んだのか?兎に角死んでいた。そして初めて判ったはワニが死ぬと沈むと・・・・・・・、さあ大変誰が取りに行く!!しょうがない隊長のでばんさあ。一応捕獲したのだが小鳥と違い校庭に穴を掘って埋める訳にもいかず、結局元の捕獲場所にそーっと返した。激動の夏休み前の一日だった。その捕獲場所が無くなったスタンドの前あたりなので感慨ひとしおだ、何でワニが居たのか?誰かが飼っていたのだろうが今と違う時代なので相当ブルジョワなんだろう?自分で逃げて来たのか?飼い主が放したのか?サッパリ判らない。後日談なのだがワニの死体を置いた場所を次の日見に行ったら・・・・・・・・・、無かった?そこそこの物体なので鳥が食べたりしても残骸くらいは残りそうなのだが、跡形も無く消えていた。本当かどうかは別にして僕たちは狸寝入りならぬワニ寝入りをしていて又何処かにいったんじゃねーの!!って事にした。そんな40年近くも前の話を空き地を見て思い出してしまった。因みに悪ガキ2号は銀行の部長、3号は不動産屋の社長、4号は板金屋の社長、そして隊長の僕は・・・・・・・・こんな事を書いていてサックスも吹いていてレコーディングもしてアレンジもしてプロダクションの社長だったりもする。
一人を除けば社長だらけだ!!何とも不思議で奇遇な話である。まだ道路が未舗装で自転車に乗ったオバサンが魚を売りに来て、夏は蚊帳を吊って寝ていた大阪万博の次の年のことであった。

久しぶりに発見遭遇

2006-04-12 12:05:53 | Weblog
ここ暫く(2ヶ月くらい)会っていなかったが今朝何気なく川を眺めながら歩いていたら白く動いているものを発見したので良く見ると例の鳥だった。彼なのか彼女なのか、はたまたおじさんなのかおばさんなのか全く解らない。それどころか種類も名前も知らない。朝と夕方によく遭遇するがいつもボーっとしている、もしかして食後の憩いのひと時を過ごしているのかも知れないし、これから食事をしようとしている所かも知れない。この鳥を人に見立ててみると全く同じ状態だというのが解った。たまたま駅前ですれ違った人を見て、リストラ寸前の親父だと思っていたら実は大富豪で一般大衆に紛れて下々の暮らしぶりを研究しているかもしれないし、ミニスカートの清楚なお嬢さんが実は16才で出産して中学生のお母さんカモシレナイ。今すれ違った小柄な外国人女性は映画ローマの休日のアン王女みたいに一般市民体験をしているかもしれないし、実はハーバード大学の留学生だったりして・・・・・・。そういえば知り合いの相当金持ちの親父がいるが、着ている物も普通だし乗っている車も大衆車だし、財布すら持たないで夏はサンダルで飛行機に乗ってニューヨークに行く、人は見かけによらないことを実践している。実に下らないが意外と「人を見る」というのは大事だったりする、清楚な感じと質素な感じ、お洒落と着飾るがどうも解らない。元々庶民も庶民、大庶民の生活が長いので少しお金があると直ぐに我慢していた物を買ってしまいあっと言う間に又金欠になってしまう。「でも物が残ったから」と言い聞かせるが、その物だって体系的にコーディネート出来るような物なら良いがバラバラの一番下のクラスのブランド品じゃあなあ・・・・・、全くもって今の世の中は人を見ただけでは真実は解らないのが実情だとしみじみ感じたが、くれくれも「足元を見る」事だけはしたくないものである。(散々見られてはいるので慣れたが)

自然

2006-04-12 11:19:07 | Weblog
今朝も歩いて来る途中に土筆を見た、毎日見ていると少しづつ大きくなっていくのが判る。人間が物差しも持たずに人目で大きくなっていくのが判るくらいだから成長がよほど早いのだろう。今が季節(終わったところもあるが)の桜なんかもそうだが、昨日までつぼみだと思っていても気温が上がるとあっという間に咲いて散ってしまう。動物を飼ったことがないので確証はないが動物と植物と比べると植物のほうが格段の速さで成長するような気がする。それは恐らく寿命と関係しているのだとは思うが、それにしても毎年毎年同じ所に同じ草が生え同じ木が葉を茂らすのは正に自然だ。僕たちの仕事の中でよく聞く言葉、「自然に喋って」「もう少し自然に演技して」「自然さが足りない」など等・・・・・・・。でねよくよく考えると自然は決して自然ではない!!事に気づく。本来の意味の自然のままにしておくと草も生えなければ太陽も指さないし風も吹かない。僕たちが自然だと思っているだけで、自然の中にあるものはそれなりに根拠がある方法で自然を作り出しているだけだ。「自然の通りに自然に任せていると自然がなくなる」環境破壊とかではなくてもその寿命もあろうし神の選択?もあるかもしれない。英語だかフランス語だかラテン語だかは別にして、どうも相当前に訳された言葉を未だに使っている日本はそろそろ実態に合わなくなって来ている感じがする。

半落ちならぬHi落ち

2006-04-11 10:26:22 | Weblog
自宅の近くに貸し駐車場があり、そこに止まっている高級外車の右前タイヤの所に妙なものが置いてあるのに気づいて早半年近くになる。ある意味妙なものを見ながら半年近くも考えているのも変な奴だと思うけど、その機械は電池式で赤いランプが時たま点滅している。それこそ時限爆弾にも見えるし、無線式カメラにも見えるので最初見つけた時はそーっと側を通ってみたが何の反応もない(時限爆弾だったら爆破して終わりだ)。だんだん慣れてきて飛び跳ねたりしてみたが反応なし。センサーみたいなものが付いているので手をかざしてみても反応なし、という機械なので僕と女房はお手上げ状態だった。ところがある日息子と一緒に側を通る機会があったが、息子が即座に「あれは猫よけだろ!」って言うのでよくよく見ると確かに形が猫の形だ!!又「あれが猫の嫌がる音か?」とも言う?、僕と女房にはまるで何も聞こえない。どうも何かが近づくとセンサーで感知して高周波を出す装置らしいのだ、ということは全く聞こえない僕たちがわからなかっただけで普通の人(とくに若者)は聞こえていたって事だ!!、それは想像するに10KHZ以上は軽くあると踏んだのだが、オッシレーターで確認してみようと何度も思ってみたが・・・・・・、
実際とんでもなく低い周波数から上が聞こえないとショックなので未だに何もしていない。犬笛もこの原理なんだろう。まいった、年はとりたくない無いものだ。

ジャズと生きる

2006-04-11 02:36:42 | Weblog
実は先月の半ば過ぎから事情があって朝方まで起きている、時間とすれば大体3時から3時半位までは確実に起きている。もう2週間も経っているのである程度慣れてきて大して眠くも無くなったし昼も特に船を漕ぐと言うことないので4時間~5時間の睡眠であるが結構ヤレテいるもんだ、友達は体を壊すよ!!っていうが僕の方から言わせればそいつは寝すぎだ、中学生よりも高校生よりも間違いなく睡眠時間は取っている筈。まあそれは置いておいて・・・・・・、とにかく以前の生活と比べると格段に使える時間が増えた(約2倍になった)ので色んな事が出来る、インターネットで情報収集する・曲のアレンジをする・テレビを見る・本を読む、と結構充実した時間を過ごせる。自由に時間を使えるのだが起きていなければ行けない・・・・・・・。最初は結構眠いし退屈だったが自分の時間を見つけると楽しくアットいう間に過ぎていく。今日はジャズピアニストの秋吉敏子の自伝、「ジャズと生きる」を数時間のうちに読んでしまった。ジャズに興味の無い人には全く判らない登場人物でも、僕たちみたいに自分で演ったり録ったりしていると自分事のようにワクワクして読んで行ける。10代半ばに満州から引き上げてきたから10年前までの事を振り返って書いてあるが、2年ほど前NHKの特集番組でも取り上げられて氏がニューヨークのバードランドのカウンターにこっち向きに腰掛けて白いミニのスーツを着て語っていたシーンが思い出される。個人的にも若干の(ほんとうに微々たるもんだが)接触があり、あの時お邪魔したお宅はこれのことが?とかバードランドの従業員通路で(ここが楽屋)一緒にジュースを飲んで話をした時はこういう状況の時だったのか?とか考えながらの楽しい一晩だった。ニューヨーク在住の日本人の知り合いもそう言ったように、「秋吉敏子の音楽ってジャズじゃないよね!」ってアメリカに住んでいる日本人程言うのよねえ!!って笑いながら話す姿が妙に女学生的で可愛かった。内容はネタばれしないように書かないでおくが、自分で道を切り開いた人の言葉は重みがある、決して真似は出来ないが生き様を知る事によって本人に近づいた感じがして幸せだ。

黄砂が来た

2006-04-08 16:56:42 | Weblog
黄砂(こうさ、Yellow sand)とは中国大陸の砂漠の砂が砂嵐によって上空に巻き上げられ、偏西風に乗って飛来し、地上に降り注ぐ現象のことである。気象庁によると大陸性の土壌粒子によって視程が10km以下になる現象と定義されている。主な発生源としては、東から黄土高原、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠がある。
また黄砂は、大気汚染物質などと一緒に大気中に長くとどまり、周辺の雲の色を茶色く変色させ、農作物への被害が指摘されている褐色雲をつくる事もある。

日本では、夏以外に観測されるが、特に春先(3月から5月)によく観測される。西日本や日本海側で観測されることが多い。大量の場合は視界が悪くなったり洗濯物が汚れたりといった被害も発生する。気候によっては冬場でも発生し、これが雪に混じると積雪が黄色く見えることもある。近年その発生が増加傾向にある。中国での過剰な放牧や耕地拡大などがその増加の原因の一つとの説もあり、環境問題としてとらえられる場合もある。 日本では、2000年から2002年の黄砂観測日数が50日前後となり、平年を大幅に上回った。

中国や韓国でも観測される。資料がないため確認はできないが、北朝鮮やロシアでも観測されるものと思われる。中国では特に東部で観測され、都市部では、最近の経済発展による大気汚染との相乗効果で、視程がかなり悪くなることがある。

黄砂の量は、発生地の天候に左右される。発生地で降水量が多いとその後の黄砂は減り、逆に降水量が少ないと、黄砂が増える。


DATのダビングを始めた

2006-04-08 00:24:08 | Weblog
ダットともディーエイティとも呼ぶ16ビット44.1サンプリングで録音出来るテープだ。現在はコンピュータ全盛時代なので殆ど使用しなくなったが、20年近く前からほんの2年ほど前までは放送局とかレコーディングプロダクションなどはDAT録音でマスターを作るのが主流であった、その理由は非常に高いコストパフォーマンスと汎用性フォーマットだろう。現在のMDの前身的位置付けであるけど本質というか発送とか中身は似て非なるもので、非圧縮で非常に再現性溢れるサウンドは当時としては画期的なものであった。   

とはいえ当時はアナログオープンメディアも現在よりは勿論使用しているエンジニアも沢山いた(程度が良い機器が沢山あったから)、クライアントがお金を沢山出したのでメディアの購入もしやすかったし、メンテナンスにもお金を惜しみなくかけていたのでコンディションの良い状態が維持出来たというのもある。問題は機器が重いので移動が大変だった。アナログ機器の為移動したら使用する前に時間をかけて調整をしなければならなかった。値段は国産の移動型で50万円~80万円位い、アメリカ・スイス等の有名メーカーの名機は200万円以上は軽くしていた。因みに2チャンネルで録音出来るものがそれだから24チャンネルの機械は国産で1000万円近くした、大卒の初任給が10万円そこそこの時代にである。

そんな中悪魔の機械DATが鳴り物いりで登場した。エンジニアからすれば確かにディジタル臭い?という理由で嫌がるエンジニアも沢山いたが、経営者とすれば聞いた感じが殆ど変わらずオーディオ的スペックが高く調整が要らない機器が40万円程度で買えるのだから喜んでアットいう間に世界的に普及した。それによりプロフォーマットでもないくせにプロが使え、全く同じ規格でアマチュアが使える普及品も各メーカーが出すことでプロ・アマの壁が一気に無くなった、そしてまた廉価版が出てなお更普及することになる。僕もそうだが大体のエンジニアは以前に録音していたアナログのテープを徐々に使用しなくなりDATでするようになり、やがてオープンをDATにダビングして保存するようになった(勿論コンバーターが発達してからだから暫く後の話ではあるが)。

という考えのもと、今回調べてみたらDATテープが250本程もあり回転ヘッドをテープがこすって回ることもあり、保存性にも限界があるので地道にハードディスクに取り込んで保存しようと思い立ちシコシコと作業を始めた次第である。本のテープが120分というのが主流であったので2日で数本作業をしたが、そうでもしなければ二度と聞く事もなかったであろう自分でも忘れていたものや追加作業をする予定で投げっぱなしになっているもの
や、懐かしいものが沢山出てきて何から手をつけたらいいのか?聞いているだけで時間が過ぎて行くからサッパリ進まない。仕事としてスタートしてから30年近いし人の作品もあれば自分の演奏もあればCMソングもあればアルバムもシングルも放送番組まであるから我ながら作品の多さにビックリしている、そのまま保存するパターンとハードディスク保存
するパターン、ついでに見てみたらオープンリールも150本もあるのでお金には一切ならないけど自分史を作っている感じで暫く作業をする事にした。どうせ暇なら売るほどあるから・・・・・・・・・。

春の息吹

2006-04-05 10:15:47 | Weblog
いつもの徒歩通勤コースのフェンスの脇をふと見たら土筆がちらほら・・・・・、ほうもう春なんだ!と思って撮影した。歩きながら思い出したが、子供の頃(もう40年も前)は家の周りが全部空き地とか草むらだったので春になれば、ふきのとうやセリ・土筆などが秋になればイチヂク・枇杷・柿とかが取れ放題(盗み放題?)だった。母親がつくしを醤油で甘辛く煮付けてくれて食事の際のワンポイントとして出してくれた。その他夏には路地栽培のイチゴとかスイカ・メロンなんかも勝手に頂いて食べたりもした。考えてみると21才になる息子は少しは教えたり会話をしたりしているので同世代の中では比較的知ってる方だとは思うけど、実際畑で野菜がどんなふうに育っていくのかとか葉っぱなのか茎なのか?判らないやつも多い、話が逸れるが魚なんてその頂点(判らない部分の)だろう、名前を知らないなんてまだ良いほうで、殆んどの魚のサイズなんか知らないだろうし、近海魚かどうか?なんか知らないのはまだまし、へたすると川の魚か海の魚か全く判らない子供が大多数と聞くとあーそんな時代かねえ!!なんて妙に年寄りになった自分が嘆かわしい。
確かに僕たちの子供の頃は冷凍・冷蔵技術がまだ発達していなかったので、その季節でなければ取れない素材を上手に調理して食べていたから、春夏秋冬それぞれの味覚を味わう喜びがあった。真冬にスイカが売られていたり、トマトが一年中食べられたりすると一つ間違えると僕たちさえも旬が何時なのか?ちょっと不安になってくる、さて冒頭の土筆であるがバイパス脇の排気ガスにまみれた空気を吸ってさえも一日一日成長する、いやあ強いもんだ。さすがに摘んで食べようなんて思わないが目の保養にはなった。