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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

64年間漂流した後に生き返った死体

2007-06-30 13:43:09 | Weblog
1990年2月。バミューダ海域の沖の方で、一隻の漁船が漁をしていると、そこへどこからともなく白い布で出来た、袋のようなものが流れてきた。袋はそこそこの大きさだったので、何か入っているのかと思い、船の上へ引き上げて中を開けてみると、中から人間の死体が出てきた。

歳は60過ぎくらいで、やつれた感じの男性の死体である。いや、違う・・死体ではなかった。その袋の中の男は「ここはどこだ!」といきなり叫んだのである。
船員たちは皆、びっくりしたが、生きていると分かった以上、放置しておくわけにもいかない。詳しい事情を聞いてみると驚くようなことを語り始めた。

男の名前はミッシェル・ガヤンといい、フランスからバミューダの方に移住してきたのだが、自分は1926年に死んだはずだと言い張るのだ。
死んだはずだと本人は言っているが、現にこうして生きている。袋詰めで海を漂っていたために、精神に異常をきたしたのか?・・船員たちは半分そう思いながらもとりあえずバミューダ島の病院に連れていくことにした。

病院についてカルテを調べてみると、確かに男の言うように1926年にミッシェル・ガヤンという男がガンで死んでいたことが判明した。63歳で死んでいる。
そしてさらに調べてみると、彼の遺言で、死体は焼かれずに布でくるんで水葬として海に流されたということまで分かった。死亡証明書に押してある指紋を照合した結果、本人に間違いはない。
となると、実際生きていた状態であるのに水葬にされて息を吹き返したということも考えられるが、問題はその年月である。彼が死んだのが1926年、そして発見した今は1990年。彼が死んでから実に64年の歳月が経っている。ずっと生きていたなら本来ならば127歳になっているはずだ。
なのに、当のミッシェル・ガヤンは死んだときの年齢そのままの状態で64年間も死体として海を漂い、そして今、再び生き返ったことになる。彼に何が起こったのか、あるいは時間を超越したのか、結局謎は解明されないままだった。

驚きの虚乳

2007-06-29 21:34:01 | Weblog
何となく徘徊していたら、ベッカムの奥さんのビクトリアの写真を発見した。元スパイスルズのアイドルだったとはいえ(再結成の話も耳にしますが)、こんな大きく見せなくたってねえ!!、身体とのバランスからいっても本物には見えないんだから。
アメリカには巨乳マニアが多いと聞くが程ほどがよいのでは、By 日本人の音楽親父。

「大卒」の「高卒」違い

2007-06-28 10:40:45 | Weblog
大阪市に、「大学卒」の学歴を「高校卒」と偽って採用された職員が965人いる事が判明し、定職1ヶ月の処分になるという。予想よりもかなり多かったと当局は見ているが、他の自治体でも調べれば出てくる事が予想される。
しかし、「大学卒のぼんくら」と「高校卒のやり手」のどちらが仕事をするか?、なんて質問する以前の話しだし、自分が大学を出ていても「高校卒業程度」と思っている訳だから、あんまり問題にしなくても良いのではないか?。なんて思ってみたが、ヨクヨク考えてみると、就職難の時期に高卒枠の現業の方が大卒枠の事務職よりも募集の数が多かったのと、同じテストをすれば大卒の方が有利?だというので大卒の癖に高卒枠で採用になったヤツが965人いるという事は、もともと採用されていても良い人で不採用になってしまった人が965人も居るということ。
これはちょっと大変なことかも?、だってその人達の人生がこの事で変わってしまっているので、今更「再雇用」なんてお互い出来る訳はないから解決方法は無い。現在の職員を停職1ヶ月にした所で「甘すぎる」とは思う。確かに安定した生活を望むのは当然の事ではあるが、平気で嘘をついて人を蹴落として得た安定だとしたら、子供に何と説明する?、どんな手を使っても勝てば官軍さ!!、お父さんよりも政治家を見てみろ!!、もっともっと悪い事を皆がやっている。俺たちのやっている事なんて可愛いもんさ、たまたま発覚したから問題になってるので、お前も見つからないように悪い事をするんだよ!!。こんな親がいたらたまったもんじゃあない、でも居るんだろう。

ゴールデンゲートブリッジ自殺分布図

2007-06-27 19:03:55 | Weblog
日本人も心を病んでいる人が沢山いるが、アメリカは人口も多いし仕事のシステムも違うので自殺者が多いという。そんな中でサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジは相当自殺者が多い(富士山の樹海ほどではないらしいが)。映画とか観光パンフに出ているあの綺麗な橋の殆どそころ中から人が飛び込んでいる。ある意味抑止力を狙っての発表なのか?、日本じゃあ絶対こんな図なんか作らないのだが、流石にアメリカは裁けているのか?進んでいるのが。

エノラ・ゲイ搭乗員と被爆者が対面

2007-06-26 11:45:32 | Weblog
13歳の時に広島で被爆、米国に渡りケロイドの治療を受けた笹森恵子さん(75)=米カリフォルニア州在住=が20日、ニューヨークで行われた非営利団体「アジア協会」のイベントで、原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元搭乗員セオドア・バン・カーク氏と初めて対談した。笹森さんは「罪のない人の上に原爆を落とすことが戦争を早く終わらせる方策ではない。二度と起こしてはならない」と訴えた。カーク氏は、終戦から約62年を経た今も「原爆が(戦争終結を早め)多くの人命を救ったとの信念は変わらない」と正当化。両者の主張は平行線をたどった。原爆を投下した米国人と、笹森さんら広島、長崎の被爆者の証言に基づくドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」=原題「ホワイトライト/ブラックレイン(白い光/黒い雨)」=の試写会に伴う企画で、原爆投下から約62年を経た笹森さんらにとって運命的な出会いとなった。 【共同通信】

当時も今も軍人は、「上部からの命令」は絶対であるから拒否出来る訳は無いし「直接的にな行動を起こした」のは彼だが、命令したのはアメリカ国・アメリカ軍だ。詳しい事は解らないが、出撃に際してある意味「マインドコントロール」もあったのかも知れない。(普通の神経なら無理な筈だから)
被爆者の立場からすれば、直接的な爆弾投下の張本人から話を聞きたいしも是非謝罪の言葉も欲しいのは当然だ。人間であるなら当然「泣きながら謝罪」をするべきだ。しかし、それをさせない現実が戦争という悪魔の行為にあるし、正当化をしてはいけない。
軍人であろうが民間人であろうが、アメリカ人であろうが日本人であろうが無駄な死は一緒だ、徴兵されて戦地に行く前は皆善良な市民であり家族がいて恋人がいて沢山の未来があった。勿論、広島・長崎の人達にとってはあり得ない現実だ。

アメリカは真珠湾の奇襲攻撃に怒って強硬手段にでた・・・・・・・・、でもそれは違うだろう!!も奇襲とはいえ真珠湾の奇襲攻撃は軍事施設だ、逆にアメリカ軍は広島・長崎・東京他各地の民間人を標的にして攻撃を繰り返した。当然ながら人としての道に反している事は明確だ、しかも戦後こんな国と友好条約を結び「喜んで手下」になって法律まで改正して他所の国に侵攻する手伝いを平気でしている。もしかして政治家の大先生たちは「悲惨な戦争」の実感が無いのかもしれない?、国民が爆撃から逃げまどい、サイレンに怯えて飢えに必死で耐えていた時に「普通の生活」をして安全が確保されていたのかもしれない?とさえ思ってしまうほど戦争に対する実感が無い人達が多い。

いまだに「なんの根拠もない」アメリカの大儀に振り回され、言いなりになる日本、戦争で失われた命はまったく無駄だった、それが解るのであればアメリカに追従するはずがないのだが・・・・・・・・・・・・・。毎年夏が来るといろんな思いが交錯する、本来は開放的になる季節なのに。
50歳の僕がこんなだから両親くらいの年代の人達はさぞかし辛いのだろう。



だから夜の海は嫌いだ

2007-06-25 21:00:14 | Weblog
昭和30年7月28日、林間学校のような形で三重県津市の海岸の海岸を訪れ、その海で泳いでいた中学生たちが突然、集団で溺れ死ぬという事件が発生した。
この時の死亡者は36名。普通に水泳を楽しんでいた、この中学生たちに一体何が起こったのか・・。かろうじて生き残った生徒の話を聞くと、例えばある生徒はこう証言している。
「私が泳いでいると、突然友達のAさんが、〇〇さん、あれ見て!と叫び声を上げました。彼女の指さした方向を見ると、同級生たちが次々と海の中に引きずり込まれていってました。そして波の上には何か黒い人間たちの集団がひたひたとこちらに迫ってきていました。
その黒い人間たちの集団はどんどん私の方にも近づいてきて・・・よく見るとそれは防空頭巾をかぶった大勢の女の人たちだったのです。その人たちは泳ぐというより波の上を移動しているといった感じで・・あっ・・と思っと瞬間、いきなり私も誰かに足を引っ張られて海の中に引きずり込まれました。
海の中で薄れていく意識の中で、私は足をつかんで放さない、無表情な防空頭巾の女の人をはっきりと見たのです。」この生徒を含めてこの時助かったのは9名。なんとかこの生徒は助かったものの、その後肺炎を併発して30日間入院することになった。入院している最中も彼女は「亡霊が来る・・亡霊が来る・・。」とうわごとのように言い続けたという。

ここで昔、この地に何があったのかを調べてみると・・・、この事件のちょうど10年前の昭和20年7月28日の終戦間際、B29の大編隊が津市上空を襲い、実に250名もの死者を出していることが分かった。この時、死体の大半はこの海岸の砂浜に埋められていたのだ。
生徒たちを襲った、防空頭巾やもんぺ姿の女性は、この時に成仏しきれなかった戦争の犠牲者たちなのだろうか。また、この海岸では7月になると、奇怪な死に方をする人がその後の相次ぎ、釣りをしていた人が理由もなく沖へ沖へと歩いていき、水死したまま死体も上がらないとか、また、先の生徒と同じような目にあった男性が、やはり「亡霊が来る・・亡霊が来る・・。」病院のベッドでうわごとを言いながらなくなったりもしているのだ。そしてその後、この海岸には死者を慰霊するための女神像が建てられた。

慰問コンサート

2007-06-25 09:58:42 | Weblog
毎年恒例の病院慰問コンサートに行ってきた。例年だと10月の終わりから11月あたりに行くのだが、今年は沢山の患者の皆さんが見に来てくれるので会場を隣の養護学校の体育館に移した関係で、6月に早めて開催された。
以前にピアノを弾いていたO君も喜んで聞いてくれたし、関係者も患者の皆さんも喜んでくれたので往復3時間かけて行った甲斐があった。当然終わってからの生ビールが美味しかったこと美味しかった事!!。本当に1年に一回しかしないビッグバンドでの手弁当(食事だけは出してもらっているが)コンサート、僕たちも実は楽しみにしている。

そろそろ夏なので

2007-06-24 08:52:54 | Weblog
文化2年(1805年)、神田橋のあたりに一人の金持ちの老人が住んでいた。その老人は、一人の少女を幼い時から家で使っており、少女自身も、田舎から出て来てその家で一生懸命働いていた。
老人は少女をたいそうかわいがり、少女に仕事をさせるだけでなく、裁縫や文学など色々な習い事もさせ、きちんと教育もしていた。ある日少女が楽器を習ってみたいといったところ、老人は快く承知し、屋敷へ出入りしていた琴の師匠に頼んで少女に琴を習わせることにした。
少女の覚えは早く、ほどなくして琴をマスターしてしまった。双方共に幸せな日々が続いていたある日、少女は熱を出して寝込んでしまった。最初は風邪だろうと思っていたが、なぜか病状は悪化する一方で、老人もすぐに医者を呼んで診てもらうことにした。
医者が言うには、これはかなりの大病らしい。「万が一のことがあるかも知れません。これは親元に返した方がいいでしょう。」医者にこう言われて、老人はすぐに少女を親元へ返してやった。もしもこのまま少女が死ぬようなことになったら、せめて親元で・・と思ったのである。
少女が帰って何日か過ぎた。ある晩、老人が寝ていると、少女が突然枕もとに現れた。
「どうしたんだ!? 病気はよくなったのか? いつ帰ってきたんだ?」
老人はびっくりして尋ねた。
すると少女は泣きながら「ご隠居様。幼いころから大変お世話になりました。私を自分の子供以上に大切に育ててくれまして、いつかお礼をいわなければ、と思っていたのです。今となってはまもなくの命となり、せめて最後にご隠居様に一言お礼が言いたくて帰ってきたのです。」
「何を今更改まって言ってるんだ。私の方こそ、これまでよく働いてもらって礼をいうぞ。確かにお前がいなくなってから私も不自由しているが、まだ完全に良くなってないんだろう?ゆっくり休んで早く元気になっておくれ。」と、老人が言うと、

「身に余る言葉、光栄です。ありがとうございます・・。」
そう言って少女は部屋から出ていった。

次の日、老人は少女が本当良くなったのか、病気の間はどうだったのか、様子を聞きたくなり、人を少女の両親の元へやった。実家に帰っていた時のことを聞こうと思ったのである。
だが、使いの者は帰ってきた途端、「あの少女は昨晩亡くなったそうです。」と告げた。
「そんなバカな・・。昨日の晩、私の枕もとに少女は帰ってきていたのに・・。」
老人が不思議がっていると、そこへ少女の琴の師匠がやってきた。琴の師匠は老人を見るなり、「ちょっとお話したいことがあります。」と、話しかけてきた。
「今朝私は、少女の親元へ様子を見に行って来たんですが、そこで少女が亡くなったことを告げられました。何でも昨日の晩、急に容態が悪くなったそうです。
ですが両親が言うには、少女が布団の中で苦しみながら、しきりに『私を抱き起こして下さい』と頼んだんだそうです。両親もなだめて安静にしておくように言いましたが、あんまり熱心に頼むので抱き起こしてやると、少女は畳の上に正座し、手をついて・・あたかも目の前に人がいるかのように話しかけ、何かの返事を聞いてはまた目の前の見えない誰かにお礼をいい・・というような行動をしばらくとった後、『身に余る言葉、光栄です。ありがとうございます・・。』と言ってまた布団に入り、『もはや心残りはありません』と言って、そのまま亡くなったそうです。」
琴の師匠の話を聞いて老人はびっくりした。少女の生死の境での思いが老人に伝わってきたのだ。少女の最後の本心を聞いて、老人は涙が止まらなかった。

梅雨なのに

2007-06-23 15:49:05 | Weblog
梅雨に入ったのに少ししか雨が降らず、止んで空の塵が掃除されたのか素晴らしい夕焼けと雲がお目見えした。こういうときに何気なく撮った写真にUFOが紛れこんでいると話題になるのだが、写ってなかった。

さすがわが息子

2007-06-22 23:22:26 | Weblog
今日帰ってきて、「社内販売の梅を買ってきた」と一言。何にするのとか思ったらブランデーで梅酒を造って毎晩飲みながらインターネットをするという。
社内販売は、「越の寒梅1人8本」「米」「梅」となんで寒梅8本を選ばなかった解らないが、自分は梅酒を飲みたかったに違いない、さすがに僕でも22才の時はのん兵衛ではなかったので親を超えたか!!、まあそれがどうしただが。

アルファベット オブ ブルックシールズ!!

2007-06-21 14:27:41 | Weblog
さして難しいスペルでもなし、読みにくい文字でもない。何でこんなに沢山書かれているのか?。最近ヨーロッパの各都市(街)の壁・橋・ポストなどに「ALPHABET OF BROOKE SHIELDS」と落書きが目立つようになり、調べてみると(どうやって?)イギリス・ドイツ・オランダなどで確認されたのだそうだ。日本人は特に落書きが好きで、神社・仏閣・橋・などの観光地に行くと必ず相合傘の落書きを見る。自由の女神に行くフェリーの待合室の椅子にもあったし、ブルックリンブリッジにもあったし、メイシーズの木のエスカレーターにも日本人の住所と名前があった。だからきっと、ヨーロッパを旅行中のブルックシールズマニアのバカな日本人が書きながら移動してるんじゃない?、なんて思ったものの良く見てみると筆跡が違うので少なくとも数人以上が関わっている感じもする・・・・・・・・・・。こういうものって妙に気になるもんだ。

年金についての疑問?

2007-06-20 17:35:50 | Weblog
毎日毎日ニュースで朝から晩まで取り上げている年金の事。テレビのニュースで「自分が正しいかどうか確認してくれ」と言ってフリーダイヤルに電話をかけろと言うが、何でだ!!!、どう考えても国が制度上行っている事の確認なんだから、一番話が早いのは係りが調査をして「あなたはこれでどうですか?」という方法が何でとれないのか?。
どう考えても日中仕事をしている親父連中が電話したり出向いたりなんて出来るわけが無いのに、ましてやデータを持っているのが自分たちだから僕達よりも把握しやすいのにねえ。どうせ調査も電話応対要員とか連中の残業代も税金なんだから、ペナルティを課して時間がかかってもすれば良い、いや絶対にさせなければダメだと思うんだけどねえ。

UFOの光線かい!!

2007-06-20 15:15:47 | Weblog
6/15の夜にイランの天文学者が撮影した夜の空に広がる霧状のものだが、暗い中で自発発光しているので自然のものでは無いような気がする。そもそも以前何かの本で読んだが、天文学者ゆーや天体観測に従事する人達はさぞかしUFO等怪しいものを沢山目にするのだろう?、と思うと意外にそうではなくて、実際は星にしか興味が無くて真剣に星しか見ていないので、光るものが見えると「人工衛星」か「流星」か「飛行機」と思って良く見ないらしい。でも今回の観測では「1分間に20度の割合で傾いていた」そうで、900キロ離れた場所からも観測されたそうなので大規模な「何か」が発生した事は間違いないらしい。

横転事故に遭遇

2007-06-19 21:58:49 | Weblog
仕事の帰り、自宅の近くにあるバイパスの交差点でタクシーとワンボックスとの事故に遭遇した。まだ救急車も来ていない所で、ワンボックスは道のすみまで転がっていた。
こんな事故でも運転していた人は大きい怪我はないようだった。シートベルトは絶対するべし!!、信号守るべし!!、いやあ驚いた。

宇宙人がUFOに乗って地球にやってくる理由ランキング

2007-06-18 16:02:54 | Weblog
1位、人間と人差し指同士をくっつけてみたい。2位、たこの姿ではないことを証明したい。3位、ライトセーバーの販売(高額で売れることを知ったので)。4位、地上絵展覧会。5位、麦畑の幾何学模様制作。6位、麦畑の幾何学模様制作。7位、麦畑の幾何学模様制作。8位、牛肉の調達。9位、若気の至り。10位、地球に文明を広めたい。
gooランキングという所から見つけました。結構沢山の人から投票があったみたいだが、個人的には9位の「若気の至り」が気に入ってます。