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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

僕はタバコを吸う

2006-05-31 16:49:45 | Weblog
たばこを吸う少女が増え、若年層の男女間の喫煙率の差がなくなりつつある――。31日の世界禁煙デーにあわせ、世界保健機関(WHO)が米疾病対策センター(CDC)と協力して実施した世界若者たばこ調査の結果を公表した。たばこ産業が女性市場を開拓しようと、「たばこはおしゃれ」という広告に力を入れていることなどが背景にあると分析している。
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こんな記事を新聞で見た。真に馬鹿な話を真面目に論じている事自体がナンセンスである。何で確実に体に悪影響があるタバコを作って売っているのか?売るのを許可しておいて使用を制限する!!マッチポンプもここまで来ると止める事が出来ないのか!!。まさか「世界禁煙デー」なんてイベントをやる○通とか○○堂とかは間違ってもタバコ会社の広告宣伝戦略に携わってないのだろうな!!、禁煙デーのキャンペーンを放送しているテレビ局とかラジオ局は煙草会社のCMは放送してないんだろうな!!
世界的なキャンペーンだから広告会社は莫大な収益をあげるだろう、そしてその中から○○党とか○○先生とかに莫大な献金が行って、その上部団体に行ってその上の・・・・・・・・、なんて考えるのは考えすぎの妄想癖親父なのか?CO2の問題にしても環境破壊にしても自分達の既得権益は絶対守りつつ法律を作るとか基準を定めるとか言ってるだけ、だたいたい企業が政治家とか政党に献金する事が本当に必要なんだろうか?この前テレビの番組で○○先生が「献金が無いと何にも活動が出来ない」って言っていた?なんでー?と思うのは僕だけかなー。
そんなに薄給なの先生方は?なら正規の手続きを踏んで議員報酬を上げて貰えばいいのでは?国民の為に働いてもらっている先生が「本当にお金が足りなくて活動が出来ない」とみんなが認めるのなら誰も文句言わないと思うよ!!、ちゃんとその根拠を示して納得して上げてもらえばいいのでは?そうすれば偏ったお金の流れも癒着も無くなるのに・・・・・・・・・。きっと出来ない理由があるんでしょうねえ!。

タバコの話に戻るけど僕は喫煙者だしタバコは好きだから自己責任で吸っている。
喫煙者を犯罪者の如く扱う風潮もある程度定着したので、レストラン・公共施設どころか普通の事務所とか家庭でも禁煙が当たり前、これはこれで僕は良い事だと思っている、好きではない人が居る以上もっともだ。しかし可笑しい話で、酒が苦手で体質的にアルコールの臭いを嗅いだだけで具合が悪くなる人がいても高級レストランはお構いなしにワインをドンドン勧めるし、ベジタリアンの横を焼き音を立てたステーキを嗅ぎたく無い臭いを撒いて運んで行く。まだまだ納得できないことは沢山あるが、何に例えようがどんな理由を展開しようが喫煙者は犯罪者に近い。
でも僕は辞めない(正直辞められない)、でも国が法律で「タバコを吸ったら逮捕する」とか「ご禁制の代物に手を出したら死刑」とかいうのであれば辞めざるを得ないだろうと思う。何でもかんでも売っておいて使用は禁止じゃあ道理が通らない「値上げをすれば喫煙者が減るだろう」は全く違う、「値上げをする事で利益を生む奴らがいる」である。戦前・終戦後は今では考えられないような劇薬とか相当ヤバイ成分の薬とかが薬局でハンコもなしにバンバン買えたそうだ。時期は違うが僕たちが子供の時に毎日買い食いしていたドギツイ色の食べ物も禁止ではなかった。
相当問題のある成分が含まれているものは禁止して行って現在がある。タバコなんかかわいいもんよ?という事も勘ぐれば言えるかも知れないが、とんでも無い!!相当体に悪影響があるんだよ!!と国も医者も民間団体も女房もベーシストも僕を責める。でも何処かの誰かが莫大な利益を生む為に仕組んだシステムにのってドンドン煙草を吸って死んでいくのは嫌だし御免だ。包囲網がドンドン狭くなって来る、いよいよ辞め時が来たか?。


形がある物と無いもの

2006-05-31 12:08:44 | Weblog
「形がある物は何れ壊れる」、「形が無いものは何れ忘れ去られる」これは当たり前だ。という事はよくよく考えてみれば「何でもそのうちには無くなってしまう」というのだろう。有形・無形の財産なんてものも無くなってしまえば(居なくなってしまえば)何の価値も無くなるし、カリスマと崇めていた人が居なくなってしまえば今度は何を・・・・・・・・・。どんなに新しい機種の携帯電話を持っても時間が経って壊れたり古ぼけたりして機能を果せなくなったら終わり!機種交換だ。
この前の話じゃないが、お金だって天国だか地獄だかには持って行けない、なのに何故溜め込む事に至上の喜びを得るのか?ある不動産関係の友人が電話で「税理士から仕事をするなって言われた」とノタマウ、何故か?と問うたら「税法が変わり年収2400万円以上になると相当税金が上がるから」と言われたらしい。
彼曰く、「税金を払う為に働いている訳じゃなくて遊びたくて働いているので、そんなに税金を取られるなら仕事はしない方がずっとましだ」と涼しい顔で言っていた。もう15年も前になるか、同業者と彼が話しをしている席にたまたま僕も居たら資産の話になって、別の奴が「8億円も資産があるから管理が大変」といったら彼は「えー!あんなにあるようでそんなしかないの?」っ言うから話の続きを聞き耳立てていたら「俺は45億円くらいかな」といっていた様な・・・・・・・・・・、クラクラと意識が遠のいてしまったよ。

価値とは本人が認めて初めて成立するという、他人が認めないけど本人だけが認めたら「相当価値が高いもの」になる。有形・無形は関係ないが、お金の価値を認めない人は全世界でどの位いるのだろうか?まあ発展途上国とか共産主義国とかチョッと違う国は別とすれば全員に近いのではないか?
そのくせして、庶民は某氏が著書で「愛なんて金で買える」とか「金があれば何でも出来る」というのを聞いて「違う世の中金ではない」って言う。うそうそ!!、みんなお金だと思ってるが、それを前面に出すと「卑しい」とか「守銭奴」とか「金の亡者」だとか言われるから適当に周りの人間と話を合わせているだけじゃない!?。どう考えてもお金があるって良い事だと思うが?。ただお金も得た手段にもよるから、人を殺して盗んだお金とお爺ちゃんの代から家族皆で朝から晩まで働いて貯めたお金を同じには出来ないし、そのお金で立てた御殿みたいな家だって近所の人達は「あそこはお金があっていいよねえ!!」としか言わない。問題は本人の意識だと思うね、お金にしても家にしても家具にしても車にしても何れは無くなるか使えなくなる、自分が生きているうちに使い切れる適度なお金と回りにあって嬉しくなるようなもの(家なのか車なのか判らんが)があれば僕は物凄く幸せだ。

写真の家だって当時はピカピカで楽しい生活の音が満ち溢れていたのだろうし、その後は蔵か倉庫に改装して有意義に使ったのだろう、そして今があるしその今が決して悲惨なとか悲しいとは言えないだろう、懐かしい昭和の香りを漂わせているだけでまだまだ価値はあるのだから・・・・・・・・・。
「形ある物は必ず壊れる」しかし「形がない心に残る」でも死んだら終わりだ、生きているうちが花なのだ、有意義な人生を送りたいと常々思う僕である。

ご利益とは

2006-05-31 11:24:40 | Weblog
毎朝通勤している反対側に神社がある。毎年6月になると通りの両側を埋め尽くして露天が続く通りで、一時は全国一番の数を誇ったそうだが昨今の経済状況を反映してか、ここ数年はかなり数が減って多少は歩きやすくなったようだ。
そして、僕が歩いている側には少し小さい神社がある。ここは毎年新年のお参りに行っている所だ。最近仕事が減って悲しい状況なので毎朝お参りをしながら出勤しようと思うのだが、さてどちらが良いのか?・・・・・・・・。
こればっかしは大きい方が良いとか小さい方が良いなんて関係無いだろうし、良く言う学問の神様とか商売の神様とかあるから得意じゃないほう(失礼な話だが)にお願いをしても迷惑かなー・・・・・・・・、とか思って!!。まあ方法としては、事前チェックをして得意分野を確認してから正式にお願いをするという事を考えているが、いかんせん毎朝ギリギリの時間に家を出るもんだから神社に寄る時間が無いんだよねー!!こんな事じゃ駄目だとは解っているけど中々習慣というか日常は変えられない。休みの日に見に行ってと何回思った事か?これが自分を駄目にしてる・・・・・全くその通りだ。

ビレッジバンガード

2006-05-30 13:22:19 | Weblog
日本にある雑貨屋ではなくてマンハッタンにある老舗のジャズスポットの事である。そう多くはないが何回か行った事があるが、滞在のスケジュールが合わなかったのと面倒くさいというのもあって月曜日のバンガードジャズオーケストラは聴いたことが無かった。昨年まったくのプライベート旅行でニューヨークに行ったので、ワザワザ?月曜日にかかるように予定を組んで初VJOという事になった。

滞在していたミッドタウンから地下鉄の乗り、14丁目の駅で降りてセブンスアベニューを下っていくと見えてくる割と解り易いお店だ。僕たちは夜の9時30分のステージをホームページで予約していたので時間通りに行ったら、当たり前だが前回のお客を全部出してからじゃないと入れない!!というアナウンスだったので10分程待ってから入場した。皆さん知っての通り、ジャズの名盤が数多くライブレコーディングされているお店で敷居が高そうだが、以外に観光客だらけでアットホームな感じ、とはいえスペースに限りがあるので満員になったので隣通し他人であろうが夫婦であろうが関係なく押し込められて座る。これもある意味ジャズの醍醐味だが、若い女性からすると若干嫌なんだろうな?と思いつつもメンバーが何となく登場して来て予定より多少遅くなったがステージが始まった。
それはそれは凄いのなんのって聞いてみなけりゃ解らないじゃなくて、聞いても解らない位い凄い演奏だった!!。勿論僕たちとは比べられないし、比べたら失礼そのものではあるが、演奏を聞きに行く事で「パワーを授かる」という感じで、仮に日本にツアーで来たときに聞きに行くという感じとは一味も二味も違う部分を求めにニューヨーク・マンハッタンで聞いたという事が僕たち3人には相当プラスになった。(とはいえ現実的には何処が変わったんんだ?という感じではあるが)
以前に2回行ったときには本当に観光客がライブを見に来たっていう感じだったので正直な話誰が出ていたのかの忘れてしまっている。本当に失礼な話ではあるが短い滞在日数の中で目一杯あちこち行くので勘弁してもらおう!!。


先週末

2006-05-29 15:23:18 | Weblog
土曜日は毎月1回のコンボのライブの日でカルテットで演奏した。いつものメンバーの2名が欠席という事で2人(ピアノとドラムス)がトラだったので、チョッと違うスタイルの人達だったので戸惑ったが一生懸命演奏して無事終了、直ぐに食事というか軽く酒を飲みに繁華街に繰り出したのだが、歩いている時の時間が10時少し過ぎだったので皆で「なんでこんなに寂しいんだ!田舎町だ」なんて言っていて、何時もと違う焼き鳥やに入って楽しい時間を過ごして午前2時少し前に表にでたら、とんでもく人が溢れていた。さすがに歩けない程ではないにしても、驚くばかりの熱気だった。さっきまでの雰囲気とはまるで別の町みたいだった。

思い出した事がある。何年か前の年の暮れを挟んで2週間ほど仕事で沖縄に行った時の事だ。朝9時にバスが迎えに来て現場へ、そして夕方は6時30分にまたバスでホテルへ・・・・・・・。こんな生活を2週間続けていたが、僕たちは毎日30人位で何チームかに分かれて宴会をしていた。比較的朝が早いのでそんなに遅くまで騒いではいなかったが、それでも何回かは2時くらいまで飲んでいた事があり、それまでは10時過ぎにはホテルに歩いて帰っていたので、「那覇といっても人通りは少ないねえ」って毎日話しながら夜風にあたりながら、時折屋台のラーメンを食べてみたりもしていた。いつも通る屋台のラーメン屋を出て「毎日こんなでよく営業してるよなあ」なんて言い合っていた。
そんな或る日、僕たちのグループ(8人)が初めて入った店で結構盛り上がってしまって2時30分位に慌てて帰る支度をして店から出たら!!信じられない位いの人の波!!嘘でもなく殆んど渋谷状態!!、人並みをかき分けて歩いてホテルに着いた。
翌日の送迎バスのドライバーにその話をしたら、全く普通に「ここは夜の1時を過ぎてから皆飲みにいって朝まで飲んでいてそのまま会社にいくんだ!!」って事を聞かせてもらった。話半分にしても、凄いのなんのって!!その日は週末ではなくて火曜日だったので、金曜になるともっと凄い人なんだった、いやー参った。
所変われば全然風習も生活も違うもんだ、なんてチョッと前のことを思い出した夜だった。ついでに話をするが、5年くらい前だったが、もうとっくに廃れたはずの暴走族が沢山走り回っていたのも驚いたもんだった。雪国の僕たちとしては懐かしいので今度は遊びで行って見たいが、遊びとなると時間もお金もかかるので実現しそうもないが・・・・・・・。

地獄に行くか?行かないか!!

2006-05-26 17:21:33 | Weblog
先週友達と飲んでいて「俺たちは行くか?」というより「行かないか?」で大変盛り上がった。期せずして今週の頭にもその話が別の友人と出た、と思ったら昨日も又別の話題から出たのでさしずめ「お裁き週間」となってしまった。
当たり前の話ではあるが、結果として解らない事で何時間も費やすのは無意味だという結論になったのは良いが、最高なのは自分の知り合いの中で「誰が地獄行き」になるか!これは最高に面白い。本人が居ないので好きな事をバンバン言えるし、相当こき下ろしても害にもならないので変な話であるが盛り上がる。

さて、地獄に行く定義は何かというと、まず間違いないのは殺人だ!!という事は一致した。その次はというと善良な市民を不幸のどん底に突き落として自分だけ贅沢な暮らしをする。これも皆で「あるある」と納得、その次は不倫か?殺生か?で順位は入れ替わるが、その次となると親父連中としてはもうネタ切れになってしまった。意見としては、公序陵辱に反する事だとか法律違反だとか嘘をつくとかと段々と日常生活の中の出来事になってしまった。
酒が入っているから時間が経つにつれて「大懺悔大会」になってしまって誰かがお題を発表すると(告白すると)別の親父も「俺なんかもっと凄い事した」と言いはじめる。盛りあがる盛り上がる・・・・・・・・・・・・。

結局のところ(当たり前だが)結論なんか出る訳がないが、殺生は毎食胃の中に入れている物が殆んどだし、ゴキブリ殺したとか旅行前にインコに餌をやるのを忘れて帰ったら死んでいたとか、魚釣りが趣味だからとか皆経験してるし、不倫となると全員一度ならずも風俗経験者だし(素人もそれなりに!!)、規則だって守る訳がない(立ちしょんとか駐車違反だとか)親父連中だし、となると詐欺か!!粉飾か!密告か!
ていいとこ方向性が出た。出たのはいいが、その先はとなると「地獄のキャパ」の問題で人類が生まれてこのかた相当どころか大変な数の人間が地獄送りになっている!!だからある程度情状酌量があるのではないか?なんて話も出たが、地獄にいく筈の人がそれと正反対の善行もある場合どうする?この場合は大変だ!!だって「医者が死にそうな人を100人助けて1人殺したら?」どうなる???。最高なのは「若い頃は毎晩精子を殺しまくった」。これには大うけした!!。という事で今回も結論でずで解散した。あーあ楽しかった。

アップ撮影に成功!

2006-05-25 10:09:56 | Weblog
昨日からチャンスを逃すまいって感じでデジカメを持ち歩いているので、今朝は最高のシャッターチャンスに遭遇した。
結構近づいたんだけど全然逃げようとしないから、もしかすると僕の事を意識してたりして・・・・・・・、なんて思ってるんだけどね。

本当に来るのか?7月4に地震?

2006-05-24 14:09:06 | Weblog
「大地震のXデーは7月4日」。民間の地震研究者が不気味な警報を発するなか、損害保険各社でつくる損害保険料率算出機構が先週末、40年ぶりに地震保険料率を見直す申請を金融庁に行い、話題となっている。47都道府県の危険度格付けを変更しており、一部では「やはり大地震が近いのか」との声も飛ぶ。地震列島に危機は迫っているのか。
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という記事がhttp://www.zakzak.co.jp/top/2006_05/t2006052410.htmlに載っていた。
本当と思うか、ガセととるか?各人の判断による部分が非常に多いし、そこに個人的な見解を挟む余地が無いほど専門的な分野である。民間信仰とか占い・予言上での事であれば「いつもの事」とある程度だけ準備をするのだが、上記の記事を読むと「今回は本当か?」と誰しも思ってしまう。
まあ最悪を想定する事で相当数の危険は回避出来るという論理から言えば、準備を怠らないで過ごすという事しかないのだが、一部疑問が残る部分は地震や災害関係の商品を扱うお店や企業、はたまた関連の団体(具代的には知らないが)等が異常に儲かってみたり・・・・・・・・、なんて事があるのか?「備えあれば憂いなし」と言ってしまえばそれまでだが昨今の災害の記憶が新しい地域の住民はなお更不安になり、物を買うだけではなくて家まで手放して(放棄して)他所へ避難したり、補強工事をしたり・・・・・・。こちらは相当費用もかさむし仕事にも影響が出てくる。極端な話し地域の経済にも影響が出るなんて事はないのだろうか?

「風説の流布」なのか「警告」なのか?僕には判らないが、幸いにして外国みたいに暴動とか略奪が起きない安全な日本だから多少は安心していられるが、○○の大予言が流行ったとき(流行すたりもあったものではないが)は色んな人達がマスコミ等で独自の研究結果として発表していたが、外れたときのフォローとなると曖昧にフェイドアウトしてしまってテレビも扱いが無くなる・・・・・・・・。
だからといって僕たちは心配だから、それを扱うテレビ番組を見てしまう。別にテレビや新聞や雑誌に何の恨みも無いが、芸能ネタと政治ネタとか事件報道を一緒にして決められた通りの段取りで折角呼んだ専門分野のコメンテーターの話を途中なで遮ってコマーシャル!!こんな事ばっかり各局がやっているから「相当ヤバイ」のか「軽くヤバイ」のか「ネタ」なのか判らなくたってしまいませんか?みなさん!!

話は戻るが、今回みたいに具体的な地域が赤くとか塗られていると危険度がどれくらいあるのかとは関係なしに怖くなってくるし、何か対策を考えないといけなくなって来てしまう。それも政府の方針なのか?まだ時間があるので徹底的に検討してもらって願わくば「誤報」だった事を願うばかりだ。


昼から雨が降ってきた

2006-05-23 14:22:40 | Weblog
今朝久しぶりに「黄昏鳥」に会った、本当は朝だから「たそがれ」とか「まどろみ」は居あわないしそぐわないとは思うが、何をするでもなくボーっと動かない鳥だから何となくそんな言い方をしている。
今朝会った時はいつもの通り写真を撮ってもジッとしていて別に逃げる素振りもなく、かといってこちらを気にしてる風もなくて他を見て目を逸らしていた。今朝思ったのだが、昨日の気温が29度あって今日が20度そこそこ、まあまあの気温差なので人は長袖だったりTシャツだったりと体温をコントロールしているが、あいつはいったい暑いのか寒いのか丁度良いのか?全く不明!!尚且つ吹雪いている真冬も灼熱の真夏も同じ衣装!!、にもかかわらず涼しい顔をしている。いやあたいした鳥だとは思うが種類も名前も判らない。それどころか友達も家族も見たこともないし、一緒にいる鳥も居ない、全く天蓋孤独な「木枯らし紋次郎」みたいな奴だ。

毎日歩いていると同じ時間帯に必ず会う人が何人か居る。車だと目に入らないので気にはならなかったが歩くと本当に色んな人に会う。
間違いなく60才以上に見受けられる男の人だが、毎日短パンとTシャツでリュックを背負って走っている。どう考えても「通勤」のような感じもする。でも何もランニングで体を鍛えているのなら走るだけで良いのに?、間違い無くどこかに出勤していく感じがするのだが・・・・・・・・。
他にも年齢は僕よりも多少上に見えるご婦人がバス停まで歩いていく姿を毎日見る。ものすごくお洒落をして高級バッグをいつも抱えていて割と急ぎ足で通り過ぎていく。夜のお店的なファッションとは違うが他の誰もが違和感を覚えて振り返りたくなると思う程変わっている、どこかのブティックのオーナーなのか?会社の経営者なのか?見た感じはそうだけど「バス通勤」だから違うだろな・・・・・・。
後は毎日ラフな格好をしてヒョコソョコと軽い足取りで歩いてくる同年代の白髪のおじさんがいる。このおじさんはコンビにを通り過ぎて直ぐの所にある自販機で毎朝缶コーヒーを買って飲みながら歩いて僕とすれ違う。コンビニで買わない理由は彼なりにあるのだろうが、鞄も何も持っていないが毎日同じ方角に歩いてゆくので僕は密かにパチプロか?なんて思っている。自販機で買うコーヒーは「ゲンを担いでる」なーんてね。

逆に僕はどんな感じに写っているのか?ネクタイをしている訳でも無いし、急いで歩いている訳でも無い(多少遅れても全然関係ないから)。でも毎日大体同じ時間帯に歩いている、勿論鞄を持っているので散歩にも見えないし、髪も染めているから会社員には到底思えないし・・・・・・・・。
という事は実は僕が一番「怪しい親父」という事になるかー!!ははは。

朝まで見つめたライトスタンド

2006-05-22 15:20:57 | Weblog
1983年に明快なビジョンも計画も無しに僕はアマチュアのビッグバンドを結成した、当時のメンバーは今はもう誰も居なくなってしまったが確かスタート当時は8人だったと思う。
紆余曲折を経てそのバンドが20年経った(もった)記念に、ニューヨークにレコーディングに行くという壮大な計画を立て、1年の準備期間を経て2003年の10月についに実現を果たした。総勢18名(メンバー他写真撮影2名)結構な大所帯で、さながら小さい会社の社員旅行だ。現地での予定と頼むべきミュージシャンが直前まで決まらない等ドキドキしながら当日を迎えた。

全員に共通しているのは適度な開放感と緊張感、そして大きな不安感だったのだろう?到着した日の夜には全員でマンハッタンに繰り出して相当飲んだし食べた。明日待ち受けている未体験の部分がそうさせたのは当然の事だ。しかし、その不摂生とハメを外した事のつけが翌日回ってきた。(殆んど寝ていないのだから当たり前だ)
現地で1日の調整日を経てレンタル楽器を借りてブルックリンにあるレコーディングスタジオに到着し、多少遅れ気味ではあったが、まあまあの進行状態でリハーサル(本当は時間が勿体無いので直ぐに録音したかったが)を十分過ぎるほどして、これから録音という時に疲れと緊張からなのだろうが、メンバーの1人がギックリ腰(多分)になってしまい座っても居られない状態になってしまった!!こんな時にこんな事になるなんて、と思ってみても始まらない、心得がある人間がマッサージなんかしてみたが全然痛みは引かない・・・・・・・・・、しかしそんな事ばかりしている訳にも行かないので予定通りレコーディングをスタートさせた。後でテイクを聞いてみると本人は全く拭いていないので可哀想だ!!とは思ったが、現場では僕は相当慌てていたし焦っていた。2日目での出来事だったし、レコーディングの翌日はクローズドスペースではあるがライブを控えていたし、彼の仕事上の立場からして相当無理して会社を休んで来ているのを知っているので、「このまま動けなかったら」とか「予定通りの日に帰国出来なかったら」とか色々考えてしまっていた。

時間が来たので録音を終了して迎えのバスに抱えられて乗り込む姿も病人そのもので、ホテルに帰って部屋に帰るなりベッドに倒れこむ姿が痛々しい。
そんな中、録音の重圧?から開放されたメンバーが三々五々飲みに行ったり食事に行ったりするという。もちろんそんなものは全く自由だし、僕の付き添いたい気持ちを強制する積もりも無かった、ただ「絶対連れて帰る」という使命を果たすべく対策を考えながら(とはいえなす術は無かったが)隣の部屋で留守番をする事にした。誰も居ない部屋で何時隣からヘルプの電話が架かってくるか?ドキドキしながら向かいのデリで買ってきた簡単な夕食の食べ残しを照らしていたのがベッドサイドのライトだった。
レコーディングは仕事としての参加部分もあったので、トラックシートを引っ張り出して、帰国してからの差し替えの事とかグルーピングの事、バックアップもマルチとして残していないので帰るまでの保存の事、輸送時のデータ消去の事とか色々考えなければならない事もあったので、期せずして時間が出来たのは有難かったが正直「こんな事企画しなければ良かった」「なんでこうなる訳!!」と悲しい気持ちと腹立たしい気持ちとで朝までライトを見つめて起きていた(同室のS君が帰ってきても眠れなかった)。きっと蛍光灯ではないオレンジの光だったからそれがて出来たのかもしれない。

結果として最悪は回避され(ほかにも色々あったが)予定通りライブもこなし、帰国する事が出来た。彼も翌日から普通に職場に復帰したらしい(本人から何も聞いていないので想像だが)。そんな訳で遊びと仕事で外国に行くことが昔は結構あったが、ベッドサイドの明かりをまじまじ眺めたことも無かったし見ようとも思わなかった。しかしたまに電球を見るとあの時の死んでしまいたい(大袈裟か!)と思った状況が湧き上がって来る、あの時は必死だった。でも今は全然嫌でもないし又やれと言われれば喜んでやるだろう!!、良くも悪くも僕はそんな人間である。

素晴らしい人の思い出

2006-05-18 10:42:17 | Weblog
一昨日の夕方買い物に行った帰りに20年ぶりに某AM放送局の送信所の前を通ってそびえ立つアンテナを見たら思い出したので書くことにした。
25年ほど前にCM音楽製作プロダクションを退職して自分で独立し、小さいながらも業務用の音響機材を借金して買いそろえた。もともと独立を反対していたプロダクションの圧力とか妨害もあってプロダクションの親会社から出入り禁止!!という措置をとられてしまった。まあそれはそれとして何だかんだと細かい仕事で食いつないでいて3年ほど経った時、同年代のディレクターから番組のテーマ曲作成の依頼があり、それをきっかけに再び放送局との付き合いが始まった。順調に仕事をしていて3年ほど経った時FM放送局がスタートするという話を聞いたが、僕としては現在のAM局の仕事もそこそこあったので全然気にはしなかったが、当時懇意にしていた広告代理店の社長が「話をしておいたから一回会ってくれ」と勝手にFM局の制作・営業のチーフを連れてきてしまったので渋々会って話しをしたら、「まだ技術部門の制作プロダクションの当てが無い」というのでその放送局と仕事をするようになってしまった(売り上げにはなるので正直嬉しかったが)。
当時は地方都市にはAM放送局しか無くてテレビ局もラジオ局もFM放送というものが「海のものとも山のものとも判らない」といいつつも相当脅威に感じていた。既存のスポンサーが相当数流れるだろうと言われていたこともあるが(多少なりともそれが現実になったことも事実)・・・・・・・・。
FM局の仕事をして1年くらい経ったある日、AM局の制作局長から電話が来て呼び出された。僕としては、「ついに来るべき時が来た」という感じで間違いなくAM局の仕事は出来なくなるなあ、と覚悟を決めて参上した。そうしたら待っていたM局長は臭い顔をしている部長だの課長だのを前にして、「競合相手の同業他社(他局)の仕事をしているそうだな?」と切り出した。僕が正直に答えると信じられない事に
「どんどんやれ!!」って言うのだ。驚いている部下を目の前にして理由を説明した
、「テレビ全盛時代にもう一度ラジオにスポットを当てたい」「だからAMだろうがFMだろうが短波であろうが関係なく良い番組を作れ」「そうすればラジオ全体としての存在感が大きくなる」と言うのだ。僕自身驚いたが同席している連中は言葉を失い黙っているだけだった。そしてこうも言った「ただし絶対安売りはするな、価値が下がると俺たちも迷惑する」「いいものは高い!!当たり前だ、」と息巻いた。
本当に有難かったし、嬉しかった。そもそもM局長は報道記者を長年やって来た人で相当独自の考えを制作現場に導入したので上司(当然数は少ないが)とか同僚には少し舐められていたし、定年前の腰掛(失礼ではあるが)的なポストでもあったが、部下には滅法受けが良くて新入社員の歓迎会で「俺のことを○○チャンと呼べ」「役職で呼んだ奴は絶対許さん」と挨拶したそうだ。後日談であるがその期の新人の中でKという大変才能豊かな変わり者が居た、彼が酔った勢いで「○○チャンまあまあ」と酌をしに行ったら、マジに殴られたそうな!!。そしてよく朝会社で局長室に呼び出されて「K君悪かった俺も酔ってたからさあ・・・・・・」と言われたが、彼からすると何が悪かったのか?判らなかったそうだ。それから月日が経ち、3年後に定年した、そして暫く現場の中継のディレクターを嘱託でやっていて結構現場で会う機会が多かった。体調が悪いと言うことで顔を見なくなって1年くらいで新聞に死亡広告が出た、あっけない最後だった病名は肺がんだった。確かに皆に「機関車トーマス」と影で言われていたくらいのヘビースモーカーだった。斜めに咥えたタバコからプカプカ煙を吐いて「しししししー」と笑うユニークな姿が思い出される、体は小さいが大きくて素晴らしい人であった。ちなみに僕は人間は小さいが体はデカイ「ししししー」。

春の旬り幸が到着

2006-05-17 10:13:10 | Weblog
バンドの中の唯一の「野生親父」M嶋君がおとといは竹の子、昨日は天然の山菜と椎茸を取ってきてくれた。早速早めに退社して家族で手分けして、てんぷら・おひたし・ひき肉のはさみ揚げと大変美味しくいたただいた。僕の周りを見ても自然に親しむ輩は殆んどいない。というのも若い時からスタジオに篭ったり、土曜・日曜・祭日もなく(むしろその日が書き入れ時)働いていたので家族で山菜捕りとか友達を誘ってピクニックなんてタイミングがとても合わなくて行っていない者が多い。そんな中でM嶋君は本当に異色というか異質だ。真冬に吹きすさぶ海岸にテントを張って一人で釣をしたり、まだ雪の残る山野を駆け巡り沢山の「自然の産物」を届けてくれる、ありがたい事だ。今週末も又捕りに行くと言い残して行ったので来週早々には又美味しい春の味を堪能できると楽しみにしている、音楽親父は自分では行かない癖に結構食べ物にはうるさい!!と周りからの評判だ!!、ははは。

ちょっとアップぎみ

2006-05-15 15:44:47 | Weblog
今日は抜けるような青空で湿度も気温もちょうど良い塩梅で徒歩通勤にも気合が入った。いつものようにお気に入りの路地を通って、振り返って見ると妙に郷愁溢れるというか心が温かくなって再び携帯電話のカメラのシャッターを切った。
構図が中々決まらず(そんな凝ってもねえ!)まごまごしてたら本格的なカメラをもったお兄さんが格好いいマウンテンバイクで登場!!もちろん早々に退散した音楽親父でした。

スケッチ

2006-05-10 15:41:00 | Weblog
きょうは本当に暑い一日だった。25度を軽く超えて29度というまさに夏本番を思わせる陽気になった。朝歩いて来る時に、ふと見ると、涼しいうちに書いておこう?だったのか例の僕が大好きな昭和風景をスケッチしている人がいた。リュックを足元に置いて簡単ながら素人が使うとは思えない道具を出して鉛筆で書いていた。やっぱり近くで見れば写真を撮ったり絵を書いたりしたくなる風景なのだが、なんとなく秘密を盗まれた感じて勿体無いと思いつつも機会を無くしてしまい声もかけずりすれ違った

こんな時代でも政府は「不況を抜けた」だの「戦後空前の好景気の予測」だのふざけた事をノタマッテイル。それを言いつづけている大先生様は全員全くと言っていいほど生活観が伴わない生活を営んでいる、毎晩赤坂の料亭で芸者をあげて会合をして自動的に献金を貰い、税金からの給料を支給されているのに殆ど仕事をしないで自分の選挙での当落しか考えていない。
いつの時代でも変わりは無いのだろうが弱い人間は「淘汰される」という自然の摂理なのだからどうしようもない?のだろうか。流行している「勝ち組・負け組」なんて言葉も今の時代を象徴している言葉だ、いつの時点で勝つというのか?負けとするのか?、という定義もいい加減なもので間違いなく今の境遇と正確レベルだけを評価しているのだろうが、何に勝つのかというのと何に負けるのというと殆どの部分で「お金」なんだろう!!。
一時逮捕される前の堀江被告が「愛もなんでもお金で買える」と言って大顰蹙を買ったが、それは簡単な話、僕は当たっていると思う。貧乏人の僻みなのだろうが、生きて行く全ての部分が深くお金に関わっている現代では「愛だの希望だの夢だの」を語るには間違いなくお金が必要だ。「そんな事は決してない」という人も沢山知っているが僕の知っている人は全員可也の生活レベルを維持している人達だ。逆に夜逃げだの離婚だの自己破産だのという話には借金が絡むという人達ばかりしかいない(そんなの当たり前の話だが)。

弱肉強食が格差社会を助長し、弱者を切り捨てして行きつつも「福祉福祉」と言う政治と経済には嫌気が差した、と友人はいいつつも帰っていった。「才能と生活はリンクしない」そんな人が周りに30人も居るとも言った。でも生きるしかない、「死ぬのも又大変なお金と労力と決断が要るから」という悲しい話を笑いながら平気で出来る僕たちはある意味本当の友人なんだろうが・・・・・・・・・・・、いやはや困ったもんだ。

2006-05-09 00:10:34 | Weblog
夕方歯医者に行くので早めに退社して外を見ると多少煙っていたので一瞬「火事?」なんて思ったら歯医者から出たら結構凄い霧だったので写真を撮ってみた。だいたい街中に住んでいると霧なんて10年に1回も見ないんじゃないだろうか?実際霧を街中で見たのは初めてだから40年以上は出現しないことになる?まあこれは統計も記録も確認していないので怪しいとは思うが、本当に珍しいことだ。以前B級映画で「ザ・フォグ」というのをテレビの深夜枠でやっていたのを思い出した。夏のある日イキナリ出現した霧の中に昔遭難した船の乗組員の幽霊なんだか悪魔なんだかが混じって上陸して次々と町の人々を殺して行くというストーリーだった。たしかに内容は無いが、霧というミステリアスな現象を題材にしているので結構怖かった。今日の霧は5月にしては冷たくて歩いていると気持ちが良かったが、車を運転している人は怖かったんだろう?と考えながら息子にたこ焼きを買って歩いて帰ってくる道すがら一応ミュージシャンとしては「霧のサンフランシスコ」「霧子のタンゴ」「霧氷」「霧に咽ぶ夜」をうろ覚えながら口ずさんで来た。出だしが怪しかったり、サビが出てこなかったりしたが、さすが親父!!古い曲なら任せておけー!!散々キャバレーで演奏したわい。