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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

いよいよ祭りが始ります

2006-06-30 10:30:34 | Weblog
この地域というか日本全国でトップに位置するくらいの規模のお祭りが今日の夜から始る。信号4機分の道路を封鎖して露天が立ち並びます、数にすると700店とか800店くらいはあるか?バブル絶頂期は1000店を超えたという新聞の記事を見たので不正確だけど相当の店が立ち並びます。今日の夜からの本番に備えて昨日の夜からトラックが集まり、ナンバーも熊本とか旭川とか本当に全国どこからも来てるって感じです。
この神社はご託宣といって秋の収穫を占う行事があるので、境内は超満員で入れないばかりか道路も凄い人手で賑わいます。ですから今日からの3日間は近所どころか結構遠いエリアも渋滞するので仕事にならない・・・・・・・とばかりに会社に勤めていた頃は、営業もそこそこにして帰っていた30年前の思い出が沸いてきました。

関連性は?

2006-06-26 22:49:58 | Weblog
土曜日の夜(正確には日曜日の朝)いつもとは別の道を歩いて帰る途中に物凄いものを発見した。ラブホテルと宗教法人が一緒になっているビルがあった。そしてもっと驚異的なのは、入り口が一つになっていた、ある意味理に適ってはいるのは「どちらに行くか解らなくする」意味合いがあるのか?はたまた「ちょっとお祈りして行く?」って誘うのか?まあそれは流石に無いとして、中々根性がいると僕は見た。詳しくは語らないし考察もしまい。

実にナイスな味

2006-06-24 11:37:33 | Weblog
昼ご飯を作ろうと冷蔵庫を物色したら、初めて見る面白いネーミングの物が出て来た。
残り物でチャーハンの予定だったが急遽インスタントラーメンを作ることにして、お湯が沸くまで時間があったのでパチリ!

元気に緑

2006-06-24 09:15:48 | Weblog
タバコを吸いにベランダに久しぶりに出たら全部のプランターから見事に草花が咲き誇りマニアならたまらん風景だ。
日頃家に居ないし、居ても昼間はベランダに出ないので珍しいから携帯で写真をアップするついでに文章もアップ。馴れれば苦にならないだろうが文字を打つのに時間がかかり、結局長続きしないのが難点だ。頑張ってしばらくは携帯で書いてみようか?と朝の空気に触れて思った。

荒井由実

2006-06-22 15:16:30 | Weblog
あえて松任谷由実と書かないのには理由がある。初期の彼女の作品には静かに流れる音楽の中にと当時としては稀有なヨーロッパ+アメリカの香りがついていて大好きだ、だから彼女の作品を聞くときは殆ど「荒井」時代を聞いている。

1978年当時僕は21才だった。20才でCM編集スタジオ入社して1年がたった頃で、まだ何も判らないのに大先輩が転勤になったしまい全く一人でスタジオを切り盛りする羽目になった。昼はそんなこんなで大変だったが、夜のバンドマンの仕事も友達も少しは出来て慣れてはいないまでも何とかキャバレーやサパークラブに出入りも多くなり始めた頃、自分では希望してはいないもののお客からのオーダーがあるので見よう見まねでアレンジしたり、楽器の録音をしたりしていた。
そんなある日部署は違うが同年代の若者達でドライブに行く事になり4台の内の1台が僕の車だった。たまたま同乗する事になった女の子が持ってきたのが「紅雀」のカセットテープだった(当時はカーステレオもカセットだったので録音済みのテープも販売していた)。何曲か聴いていくうちに「ランドリーゲイトの思い出」が出てきたのだが、マイナーから始まりメジャーのテーマ、間奏はまたマイナーに戻り、メジャーのテーマからマイナーのエンディングに続く・・・・・もこんな感じのポピュラー曲は初めて聴いたし、聞いたことのない言葉のランドリーゲイトが妙に新鮮で心に入ってきた。たまたまその時が歌中の情景と同じ季節感があったのでなお更思い出深いし、今でも夏草に匂いを嗅ぐと思い出す。

荒井由実は八王子出身の事もあり、立川の米軍基地周辺の歌が割合多いと聞く。昔は基地内にランドリー工場があり、そこの傍にあるバス停が「ランドリーゲイト」だと何かで読んだし。歌のエピソードとしては、一緒に遊んでいた子が何か問題を起こして強制送還をくらった歌なのだそうだ。
彼女の膨大な数の楽曲とアルバムの中では比較的目立たないアルバムだし、思いっきり背伸びもしてないので子供~少女~大人と変貌する過渡期に出来たアルバムだったのかもしれない。荒井由実の歌には生活観が無いと良く評論されていたが、僕は逆に歌に登場する「ジミヘン」だのピザを「ピッツァ」と書いたり、錆びた金網とかの描写を見て「こんなに生活観があるのに!」と憤慨した記憶がある。

ようは田舎もんが都会に憧れていただけだったのかも知れないが、その後は貪るように彼女の曲を聴いたり実際に車を飛ばして「ドルフィン」とか「ビール工場」を見にいったのが本当に懐かしい、何でもかんでも昔を懐かしむのが親父の習性だし特権なのかも知れない、許せ。

はっぴいえんど

2006-06-22 11:47:46 | Weblog
「風街ろまん」は彼らのセカンドアルバムであるがファーストの「はっぴいえんど(通称ゆでめん)」と甲乙つけがたい名作だ。
71年の発売だから僕が14才の頃に発売されたアルバムで、当時クラスは別だが仲の良かったS君のお姉さんが遊びに行った時に買って帰ってきた一緒に聞いたのが最初だった。これ以外にも複数きっかけはあるが、乾いたスポンジが一気に水を吸い上げるが如く、僕が音楽の道に突き進む初期の忘れられないアルバムである。

当時3才上の彼女は高校2年生で、女子高のフォーク同好会に所属しながら吉田拓郎で有名になり全国に広がった「○○フォーク村」に所属していた。そこで大学生のKさんと付き合うようになり、僕たちも含め彼から本当に沢山の音楽を聞かせてもらいフォーク・ロックを学んだ。予断だが後年仕事で彼に会ったが、高名なグラフィックデザイナーになっていて驚いた。もっと驚いたのはお姉さんで某有名ミュージシャンの奥さんになっている事だ。
話は戻るが、僕たちが当時傾倒していたのは「六文船」「ザ・ディランセカンド」といったバンドだった。ある程度メロディックであり且つ歌詞の意味が明快に解らなければ当然僕たち中学生には理解出来ないので、前出のバンドは特に捻くった音楽性は無かったし、ロックのにおいいはしたが臭くは無かったのが好きになった理由かもしれない。Sと二人で「S&Gの明日にかける橋」のコードをギターで探っていた時に彼女が「Kさんが兎に角聞けっていうから買ってきた!」と出したので、渋々盤を交換して針を落とした瞬間3人は虜になってしまい、夕飯までの間ずっーと聞いていた。丁度今くらいの季節だった、梅雨なのに晴れていたが湿っぽい空気の中、窓を全部閉めて部屋に篭って「風をあつめて」と「夏なんです」を何回も何回も飽きずに聞いていた。

あれから随分長い間二人てコピーをしたがSが細野晴臣のまねをして歌うことは簡単に出来たが、僕が細野ギターを真似るのに8年かかったのが懐かしいが、途中でジャズに興味をもった僕が少しづつSから離れて行って知らないうちにデュオは解散してしまった。30才も半ばに差し掛かった時に夜スタジオで仕事をしていたら彼がイキナリ酒を持って遊びに待て、ノート20冊位い書き溜めた歌を見せてくれた。本人も行っていたが、あの時に触れた松本隆の詩に強烈に刺激を受けてづーっと歌を作り続けていたそうだ。日本語にピッタリと嵌る歌詞のアコースティックロックバンドの「はっぴいえんど」からYMOに移行した細野晴臣、日本屈指のセッションギタリストの鈴木茂、ご存知大瀧詠一、そして日本トップの作詞家である松本隆、彼らの原点はここにある、そして僕の原点も14才の梅雨時にあるのかも知れない。

ちなみに細野晴臣の祖父である細野正文氏は、逓信省の役人だった時に日本人で唯一タイタニック号に乗船し事故に遭遇・生還していることで有名である。
その後に父親が生まれているので、死んでいたら細野晴臣は生まれていない事になる・・・・・・・・・、運命を感じる出来事だ。


カーペンターズ

2006-06-19 12:44:12 | Weblog
何となく思い出話も含めて今回はカーペンターズだ。1970年代に絶大な人気を博した兄弟ディオで、当時としてはロック全盛の中では異色のポピュラーバンドだった。デビューした頃は「綺麗な発音で愛と恋を唄う兄弟シンガー」という彼らは評論家の中では全くと言っていいほど評価は低く、長くは居ないだろうと誰もが思ったとレコード評には書いてある(極端な話ではあるが)。ただアメリカ本国での評判は悪かったが、日本ではデビュー直後から爆発的に売れた。何故なら日本人があこがれるアメリカンスタイルがあったし、優等生が歌うすがすがしい歌にある意味飢えていた日本の四畳半的フォークの食傷気味なところあったという事だろうか。

当時中学生だった僕たちは親が不動産会社を経営するS君の家に殆ど毎日のように入り浸っていた。やっとテレビ・電話が家に導入されて喜んでた僕たちからするとそこは夢のような空間だった。遊びに行くとお手伝いさんが居て3時には必ず見たこともないような豪勢なおやつを出してくれ、眩いばかりの調度品に囲まれた部屋の隅にあるサンスイのプリメインアンプとジムラン(当時はJBLスピーカーをこう呼んでいた)から大音量でカーペンターズが流れていた。
だから僕たちはケーキとダージリンの味につられて男女関係なく毎日最低でも5人多い時にはクラスの半分近い人数で押しかけていた。またそれを目を細めて喜んで見つめていた親父さんがいた。結果的には事業の関係で会社を閉めてしまい当時の言葉で言えば一家離散してしまうが、それもでの間(僕が20才になる少し前)通わせて貰った、そのお陰でカーペンターズは曲名はもちろん歌詞カードが無くてもインチキ英語で全部唄える!!逆に歌詞カードがあると全然違うから何の自慢にならないから最近の場合はカラオケに行くとモニターに歌詞が流れるので皆が見ていてとても恥ずかしくて歌えない(声も出ないのだけど)。

カーペンターズサウンドはリチャードの音楽性と豊富なエンジニアテクニックとカレンのベルベットを超えるハニーボイスにある。当時としては誰も考えなかったコーラスの多重録音をしてみたり、クラシックで使う楽器と歪んだエレキギターを組み合わせて見たりと意外性のあるアレンジの中に絶対の必要性をもったメロディーラインが絡む・・・・・・・・・・、恐らくこのグループ以外にベトナム戦争で荒んだ心を癒したグループは居ないだろう?という記事を後年読んだことがある、確かにもっともな話だ。音楽で仕事をしているどんなジャンルの人でも嫌いにならないし、好きな曲が一曲以上あるのがカーペンターズなのかも知れない。
恥ずかしながら数年に渡り市民講座で「カーペンターズ講座」の講師をさせてもらった事があるので彼らの事に関して知識としては沢山持っている積もりだし、相当好きにもなったが調べれば調べるほど全盛期の輝きが失われていってしまう。始めから終わりまで輝いて過ごす事がどんなに困難かが解る典型的なアメリカンアイドルだからあえてここでは何も書くまい。

ニューヨーク・ニューヨークを聞くなら

2006-06-17 19:42:51 | Weblog
音楽は仕事以外聴かない僕が歩くようになって少しづつ聞くようになった、一応音楽を仕事にしているのでCDは1200枚位い持っているのだが、どうしても聞かなければいけない状態に追い込まれて始めて聞くので未整理状態でどこに何があるのか判らない。昨日たまたま何かの時に出してしまい忘れていたフランクシナトラのデュエット(1998年)を録音して聞いて歩いていたのだが、あまりにも楽しい曲だったので4回も聞いてしまったのが「ニューヨーク・ニューヨーク」だ。
ライナーを見たら想像していたよりずっと新しくて1977年に作られた曲と書いてあり、タイトル通りデュエットというので凄いというか異色のメンバーがシナトラと唄っている。アレサ・フランクリン、バーブラ・ストライザンド、フリオ・イグレシアス、ボノ、グロリア・エステファン、カーリー・サイモン、とキャリアもジャンルも豊富なメンバー連中!凄いのはシャンソンの大御所シャルル・アズナブールとも一緒に歌っている流石にシナトラのグレートなところだ。
ニューヨーク・ニューヨークはトニーベネットと洒脱な掛け声も交えて実にリラックスして吹き込まれている。以前からライザ・ミネリの同曲は何回も聞いていたのだがシナトラが唄うと実に味があって(正直声は出ていないが)楽しいテイクだ。
1915年生まれだから生きていれば91才だが残念なことに98年に亡くなっている。マンハッタンからハドソン川を挟んだニュージャージー州生まれで、同州の出身有名人はポール・サイモン、メリル・ストリープ、ジョン・トラボルタ、マイケル・ダグラス、ホイットニー・ヒューストンと大きいしニューヨークに近い割にはそんなに沢山はいないようだ。あの独特のイントロが流れてくるとタイムズスクエアの喧騒と華やかなショービジネスを髣髴とさせるアメリカを代表する100曲の中でも上位に位置すると僕は勝手に思っている。



懐かしい名前アンディウィリアムス

2006-06-16 15:51:26 | Weblog
アンディウィリアムスhttp://www.andywilliams.com/といえば誰もが知る白人シンガーで、青い目をした端正な顔つきでテレビ番組「アンディウィリアムスショー」は勿論日本では「味の素」のCMでも登場していた。
最近サッパリ名前を聞かなくなったなあと思っていたが、たまたまネットで調べものをしていたら見つけたのが冒頭のアドレスだった。懐かしくて見てみたら何々80才の現在もまだ現役で毎日ステージに立っていると書いてある、もっと驚くのはツアーにも出ていたのだ!!いやあすごい人もいるもんだと関心しつつも共演者をみてまた驚いた、60年代半ばに「恋のダウンタウン」で大ヒットを飛ばしたぺトラクラーク、「恋はフェニックス」「ウィチタラインマン」のご存知グレンキャンベルも一緒だ!!。こんな豪華なショーは滅多に見られないので場所を確認してみた(まあ一生行けはしないと思うが参考の為)、アメリカのど真ん中カンサス州の詳しい地名は知らないが、州道なのか国道なのか大きいみちからドンドン奥に入って行き、最終的には地図に表せない道路を更に入って行った所に彼の所有する「ムーンリバーシアター」があるらしい。それも2000人を超える客席を持っていると書かれているので凄いもんだ!!。

話は違うが有名人には2つのタイプに分かれると良く言われる。一つは、どんなに有名になっても下積み時代の苦労を忘れずコツコツとお金を貯めて引退後も現役と同等の暮らしをする者、もう一つは現役(売れている時)の時に全部お金を使い果たして贅沢をしていて老後は悲惨な生活をして人知れず亡くなる者だ。
前者は同年代の人間には受けが良く、後者は若い後輩には好かれたり尊敬されたりする。どちらが良い?なんて聞かれても僕らは関係ない事だし、人それぞれの価値観だから個人で決めるしかないだろう。一番輝いている時にスパッと身を引いて稼いだ金で別荘で悠々と死ぬまで暮らすという人は、貯めたお金で悠々と別荘で若い奥さんと死ぬまで暮らすと同等だが、稼いだお金を全部事業につぎ込んで番頭に持ち逃げされるとか、共同経営者に騙されるとかは良く聞く話だが、もっと最悪なのは若いときに稼いだんだけど誰の忠告も聞かず好き放題な事をして現在は一銭も無い、絶頂期に苛めたり馬鹿にしたりした奴に集りに来る奴!!。いますよー皆さんの周りにもきっと何人も!!。

話は戻るが僕は「昔の名前で出ています」がそんなに悪い事とも思わないし生き残っていれば当然だと思うんです、だって時代は変わって当たり前なんだから。でも昔の思い出を語ったり思い出したりする中に絶対必要なのが映画であったり歌であったり本であったりするのだから郷愁溢れるオリジナルの人に会いたい気持ち当然でしょう。ただ見苦しいばかりのステージは悲しくなる・・・・・・・・・・。
さてアンディはどちらなのか?大変興味もあるし昔も振り返りたいのだが、人知れずアクセスを考えてみた。新幹線で東京に行き成田に行って・・・・・・・・・・、
計算したら53万円という金額になった!!一人だと勿体無いので家族を連れて行くと150万円かー、非常に厳しいー!!、ホームページを見ながらレンタルCDを借りてきて聞く、幸いにして「ムーンリバーシアター」でライブ録音されたアンディのクリスマスアルバムが出ているとの事なので是非いかがか?

夜明け前の出来事

2006-06-16 14:30:34 | Weblog
以前によくお世話になっていたハドソン川を挟んだ対岸のお宅のベランダから眼下を望むと一つだけポツンと離れて銀の建物が目に入った。時差ぼけで中々眠りが浅くて眠れないうちに朝の4時を過ぎてしまい、どうせならと思いキッチンでコーヒーを沸かしてベランダで一服していた。朝が早いニューヨークでもさすがに早朝に近い深夜?ということもあり車のライトも疎らに通りすぎて行く中、広い駐車場の右側にポツンと黒いバンが止まっていたので、少し不思議な気がして暫く見ていた、なぜなら、日本では銀行の駐車場に車を止めて近くの喫茶店に行くとか買い物に行くなんて事はよくする事で判るが、近くに一軒も建物がないから用事といえば銀行に行くしかない?筈だし、友達のマンションに遊びに行くにのでも無い・・・・・・。
少し興味があったので見ていたらなんと、通用口から人が出てきた(ように僕は見えた)、そして車の前に来ても乗り込む様子もなく立ち話をしている、それも男女だ。案の定?程なく抱擁を始め、キスをして・・・・・・・・。その先を期待したんだけど流石に20分ほどして車に乗り込んだ。僕は一瞬「すわ銀行強盗か?」と思ったが、強盗がそんな余裕かます筈が無いので残業帰りのオフィスラブかい?と納得したのだが、それにしても不自然な行動だ!!まあ世の中には色んな趣味を持してっている人が多いのでねえ・・・・・・・・・・・。良く解らないうちに黒いバンは走り去っていった、そして夜が明けて皆が起きてきたのだが面倒なことになるのが嫌で僕は誰にも言わなかった。あれから数年たっているのだが何の話も聞かない(まあ聞く手段も方法もないのだが)から事件性はないのだろう、気になるのは男女のあの後だ・・・・・・・・・ははは。




梅雨入りかあ

2006-06-15 16:33:26 | Weblog
日本列島各所で梅雨に入った、特に沖縄は大雨が降っている。歩いて通勤している身には辛い季節だ。でも真冬の凍った道でも歩いていたのだから何とかなるとは思っているが、とにかく濡れるのが嫌でしょうがない。靴もカバンもGパンも会社につく頃にはヨレヨレになっていて真に気持ちが悪い。ほんの何週間だからジッと通り過ぎるのを待つしかないが・・・・・・・・・・・。

雨といえばアジアとか東洋とかのイメージを僕は持っている。トニーベネットが唄う「思い出のサンフランシスコ」を別名「霧のサンフランシスコ」と言ったり、スタンダードソングの「フォギーデイ」なんてのもあるが、以外に欧米の雨は印象に無い。あえてあるといえば、土砂降りのベーカー街を帽子とトレンチコートを着た謎の紳士がホームズの事務所を尋ねてくるシーンとか、ティファニーで朝食の土砂降りのラストシーンか?・・・・・・・・。
実際に何回も色んな所に入っているが雨には殆ど遭遇しない。あっても半日も降れば止んでしまう程度のものしか記憶に無い。
いつだったか忘れてしまってが、ニューヨークの34丁目にあるデパートに行った時
の事、用を済ませて出てきたら雨が降っていたので入り口脇のショーウィンドーの所で友達を待っていたら、かなりお年を召したご婦人が自分の傘を差し出して「地下鉄の駅まで一緒に行こう!」と言ってくれた、僕が友達を待っているから結構ですって丁重に辞退したのだが、言葉が通じなかったのか?「遠慮しないで!!」っいうもんだから根負けして入れてもらって歩いて地下鉄の入り口に行った。当然待ち合わせの時間が迫っていたので直ぐに戻ろうとしたら、なんと彼女は又入れてくれて一緒にデパートに戻った!!。何をしたかったのか何なんだか良く解らなかったが、「きっと若い東洋人フェチなんじゃないのー?」って思って再度丁重にお礼を言ったら何とまた別の人に声をかけていた!!、きっと寂しくて誰かと話をしたかったんだろうという事に僕はした。(英語力不足で僕では満足出来なかっととも言える)

別れ際に写真を急いで撮ったらブレテしまい適度な芸術感が出てしまったが、笑うのはその後の事、両手に沢山荷物を持っていたので自分で傘がさせないので(実際僕が傘を持った)ボーイ代わりに使いたかったんだと思うが、荷物を持ち替えた時に小降りになったもんだから傘を忘れて去っていってしまったニューヨークの老婦人であった。(ご想像どおり次の人には断られていた)

二つの話

2006-06-14 12:33:19 | Weblog
昨日の夕方ラジオで本当に久しぶりに上田馬之助の名前を聞いた、その番組では冒頭で九州の地元の病院で療養中だと言っていたのでどうしたりか?と思い聞いていたら大事故に見舞われたとの事、10年前に移動中の交通事故でフロントグラスを突き破って道路に投げ出されたという。本来間違いなく死んでいてもおかしくない事故で鍛えていた上田だからこそ生きたのだとみんなが語った。その上田が病院で運転していた事務所の社員の死の方に触れ「なんで将来がある若いやつが死ぬんだ!俺が代りに死ねば良かったくだ」と号泣したそうだ。自分が首から下が麻痺し肺も損傷して喋るのも大変だというのに良く言えたものだと関心する。

相撲界からプロレスに転向した人で、竹刀をもって金髪を振り乱して暴れる姿が印象的な典型的悪役レスラーだが、場外乱闘の時に逃げ遅れた老婆を見て直ぐに止めたり、タイガージェットシンが客席だ暴れた時にはタイガーを止めずに客が近づかない様に必死で観客を防御していたというエピソードがある、これも悪役時代に修行で4年間過ごしたアメリカで学んだジェントルマンシップなのかもしれない。
番組では地元の小学生と一緒に久々にプロレス観戦をしたと報じていた、それも動けない体を子供達に見せて、絶対負けるな!困難から逃げるな!立ち向かえ!と教えたかったのだそうだ。介護している奥さんも本当に素晴らしい!「大変なんて思った事は10年間一度も無い」と当たり前のように語っていた、「動けない人を動ける人が支える事が当然だ」と。肺の損傷でかすれ声ではあったが上田馬の助から確実に僕は力を貰った。

もう一つは指揮者の岩城宏之の死去の報に触れた事だ。東京芸術大学音楽学部打楽器科を中退してプロ入りした日本のクラシック界の重鎮というか宝だ。ちなみにたった一人いた同級生は日本のジャズドラマーの草分け故白木秀夫だった、なんと当時の定員は2名だったそうだ!これを聞いて白木秀夫のテクニックが解ろうというものだ。癌で苦しみながらもベートーベンの交響曲全曲を暗譜で指揮をするというトンでもない神業を2回もしている、インタビューで彼は「ベートーベンを指揮していて死ぬ事が望み」「人類最高の作曲者であるベートーベンに触れながら死にたい」と酸素吸入を人に見られまいとトイレでしながら振り抜いた。
2001年に初めて病魔に冒されながらも、その都度復活して何度もステージに立ったて観客を喜ばせてくれたのだそうだ、しかし何で人間はそんなに頑張れるのだろうか?人を喜ばす使命感なのだろうか?それとも自分自身が悪魔に対する挑戦なのだろうか?きっと本人以外には解らない無限の理由があるのだろう!!、何かをやれる間は
やろうという気持ちを与えてもらった昨日の2人だった。

○○の頃

2006-06-13 10:53:19 | Weblog
出勤途中にいつもヘッドホンで音楽を聴いて歩いてくるが、大半がカーペンターズだ。ジャズを演奏しているので友達の大部分は毎日ジャズを聴いているみたいだが、僕は他にもCM関係の仕事もしているし、演歌のおじさんのアレンジもしているので特に限定して仕事をしてはいないので割と沢山の音楽を意識して聴いている。カーペンターズの前進がリチャードカーペンタートリオといってピアノトリオだと云うことは以外に知られていない。リチャードが大学の頃カレンがドラムスを叩いていて、全米学生音楽祭(正確ではないが)みたいなコンクールで優勝までしたいる。だからカレンのドラムのテクニックはなかなかのものだ。だから好んで聞くという事ではないまだが、彼らの音楽性が妙に僕に合うというか日本人に合うと誰かも言っていた、まず嫌いだと言う人は少ないのではないだろうか?
リチャードの持つクラシカルな雰囲気をあえてジャズ・ロックのミュージャンが演奏するというある意味特殊な手法が刺激があるようで無くて僕は大好きだ。

今日も数曲聴きながら歩いていると、今の季節にピッタリな風景に出会ったので写真を撮ってみた。「若葉の頃」といえばビージーズがテーマと挿入歌を歌った映画「小さな恋のメロディ」を思い出す。マークレスターとトレーシーハイドが小学校を抜け出して(サボってかな)結婚の約束をする?みたいな内容だったが、バックに流れるビージーズとかCSN&Yなんかがピッタリとはまっていて、本当に素晴らしかった。又「落ち葉の頃」というと妙に「アローンアゲイン」とか「クレア」を歌ったギルバートオサリバンを思い出す。60年代から70年代にかけて珠玉の名曲が沢山生み出された頃、中学生だった音楽親父の僕はお小遣いなんて概念も無かったので好きなレコード盤も買えなかったし(買おうという気も無かった)、周りの友人たちもそうだった。だからAMラジオの深夜放送を録音して持ち寄って聴いてコピーして演奏した、いや正確には演奏ではなく歌をうたったのだ。だってコードというものは知っていたけど3つしか知らないから全く演奏出来なかったのだ。今から思うと本当に懐かしい。

迷惑メールの話

2006-06-11 11:07:32 | Weblog
殆んどの人に迷惑・フィッシングメールが届く変な時代になった。最近の傾向は携帯メールへり普通のパソコンメールが圧倒的に多いらしい。僕はフリーメールを3個と普通のEメールアドレスをもっているが、全部にかなりの数が毎日届く。平均すると大体20から25通くらい毎日毎日アダルト系と融資系のメールが届く、だから一日中外出していると夜帰ってチェックして嫌になる、そんなのまとめて迷惑メールで処理をすめば!とかホルダーを作って一括削除をすれば!という友達もいるが、アドレスが有名なフリーメールのドメインなので稀に必要なものも一括削除される危険もあるのでタイトルだけは一応チェックするのだが、中々これも大変な作業なのだ。しかし不思議な事がある、専門家の意見を聞くと「必ずアダルト系を見た」とか「どこかにアドレスを書き込んだ」という、でも先日定年して始めてパソコンを買って初めて知り合いがいたのだが、本人は何にも知識が無いので暫く電源ほほ入れなかったというが、2週間してメールを開いたらすでに4通アダルトなメールが来ていた。?まさか!プロバイダーから漏れてる?筈は無いし本人はインターネットなんかしてないので理由が解らないと相談された。そんなの僕も解らないが、とにかく多いのは間違いないという話をしてあげたら、「気分が悪いから」と全然ネットに繋がなくなってしまった、折角のパソコンも台無しである。定年して時間があるので毎日インターネットで色々資料を調べたり、友達を作ったりとバラ色の未来を夢見たのに・・・・・・・・・。こんな人は星の数ほどいるんだろう?悪い世の中になったもんだ

反則だがミニミニ菜園

2006-06-09 16:12:03 | Weblog
毎朝歩いて来る遊歩道と川の際に上手にいろんな野菜を作っている人がいる。割と年配の人で会うと気さくに挨拶をしてくれるので、その堂々とした態度に一瞬「許可をもらっているか」と思ってしまったが、どう考えても許可なんか下りる筈も無い。歩きながら見て来ると長い距離に渡って沢山の野菜を作っているので、恐らく自分で食べるのだろうけど水を撒く様子を見たらとても食べるとは思えない程の汚い川の水だったから・・・・・・、意外に「おすそ分け」とかいって人にやって自分は食べなかったりして!!。