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世の中の不思議な事を勝手に追求する中年親父、何処まで行くのか?何の意味があるのか?

久しぶりに発見遭遇

2006-04-12 12:05:53 | Weblog
ここ暫く(2ヶ月くらい)会っていなかったが今朝何気なく川を眺めながら歩いていたら白く動いているものを発見したので良く見ると例の鳥だった。彼なのか彼女なのか、はたまたおじさんなのかおばさんなのか全く解らない。それどころか種類も名前も知らない。朝と夕方によく遭遇するがいつもボーっとしている、もしかして食後の憩いのひと時を過ごしているのかも知れないし、これから食事をしようとしている所かも知れない。この鳥を人に見立ててみると全く同じ状態だというのが解った。たまたま駅前ですれ違った人を見て、リストラ寸前の親父だと思っていたら実は大富豪で一般大衆に紛れて下々の暮らしぶりを研究しているかもしれないし、ミニスカートの清楚なお嬢さんが実は16才で出産して中学生のお母さんカモシレナイ。今すれ違った小柄な外国人女性は映画ローマの休日のアン王女みたいに一般市民体験をしているかもしれないし、実はハーバード大学の留学生だったりして・・・・・・。そういえば知り合いの相当金持ちの親父がいるが、着ている物も普通だし乗っている車も大衆車だし、財布すら持たないで夏はサンダルで飛行機に乗ってニューヨークに行く、人は見かけによらないことを実践している。実に下らないが意外と「人を見る」というのは大事だったりする、清楚な感じと質素な感じ、お洒落と着飾るがどうも解らない。元々庶民も庶民、大庶民の生活が長いので少しお金があると直ぐに我慢していた物を買ってしまいあっと言う間に又金欠になってしまう。「でも物が残ったから」と言い聞かせるが、その物だって体系的にコーディネート出来るような物なら良いがバラバラの一番下のクラスのブランド品じゃあなあ・・・・・、全くもって今の世の中は人を見ただけでは真実は解らないのが実情だとしみじみ感じたが、くれくれも「足元を見る」事だけはしたくないものである。(散々見られてはいるので慣れたが)

自然

2006-04-12 11:19:07 | Weblog
今朝も歩いて来る途中に土筆を見た、毎日見ていると少しづつ大きくなっていくのが判る。人間が物差しも持たずに人目で大きくなっていくのが判るくらいだから成長がよほど早いのだろう。今が季節(終わったところもあるが)の桜なんかもそうだが、昨日までつぼみだと思っていても気温が上がるとあっという間に咲いて散ってしまう。動物を飼ったことがないので確証はないが動物と植物と比べると植物のほうが格段の速さで成長するような気がする。それは恐らく寿命と関係しているのだとは思うが、それにしても毎年毎年同じ所に同じ草が生え同じ木が葉を茂らすのは正に自然だ。僕たちの仕事の中でよく聞く言葉、「自然に喋って」「もう少し自然に演技して」「自然さが足りない」など等・・・・・・・。でねよくよく考えると自然は決して自然ではない!!事に気づく。本来の意味の自然のままにしておくと草も生えなければ太陽も指さないし風も吹かない。僕たちが自然だと思っているだけで、自然の中にあるものはそれなりに根拠がある方法で自然を作り出しているだけだ。「自然の通りに自然に任せていると自然がなくなる」環境破壊とかではなくてもその寿命もあろうし神の選択?もあるかもしれない。英語だかフランス語だかラテン語だかは別にして、どうも相当前に訳された言葉を未だに使っている日本はそろそろ実態に合わなくなって来ている感じがする。