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日々あれこれ思いつきメモ

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僕の音楽体験~クラシック音楽と沖縄民謡~

2013-05-14 09:04:59 | 音楽
それまで興味を抱くことのなかった音楽に突然目覚める瞬間というものがあると思う。
以前のブログにも書いたが、僕はなぜかシカゴから車で2時間余りの田舎の町でビートルズの素晴らしさに目覚めた。
僕は今、様々なジャンルの音楽を聞いている。
クラシックから沖縄民謡、そしてもちろんロックもJポップもヒップホップもラテン音楽、トランスなどまで。
それぞれにやはり聞くきっかけがあった。
今回は、クラシックと沖縄民謡について語ってみたい。

まずはクラシックの話から。
以前、ビートルズに興味を持つことが出来なかったのは、
中学校の英語の授業で「Yesterday」と「Let it be」を歌わされたからだった。
しかし、クラシックに関しては学校の授業で興味を持ったのだ。
中学生の頃のことは全く言っていいほど、音楽の授業の記憶がないのだが、
高校の音楽の授業のことは鮮明に覚えている。

僕は高校時代にバンドをやっていた。
その理由は何となくかっこ良さそうだったから。
僕の友人がボーカルをやっていたバンドにベースがいないということで、
じゃあ、俺がやると手を挙げたのだった。
そして、ベースを親に買ってもらい(父親がバイトはダメだといい、ある日ベースが届いたのだった)、バンドを始めた。
当時の僕はレッド・ツェッペリンが大好きだったのだが、
さすがにそれをコピーするようなバンドはなく、
僕が入れてもらったバンドはディープ・パープル~レインボウを中心にコピーするバンドだった。
今思うと、音楽の基を支えるリズム隊での一人であるベースがバンドの中で一番下手だったと思う。

そのバンドのリーダーは本当にディープ・パープルが大好きで、彼はよく語っていた。
ディープ・パープルはクラシックを基盤としたハードロックなのだと。
だから、メロディアスかつ構成としてもしっかりとした曲作りがなされているのだと。

僕は彼の言っていることの意味は分かったのだが、そもそもクラシックに興味をもっていなかった。
だから、感覚として理解していたわけではなく、観念的に理解していただけだった。
そう、僕にはバッハもモーツァルトも何もかもが一緒に聞こえていたのだから。

僕の通っていた高校の音楽の授業では、レコードを聞くという授業があった。
最初に先生がその曲や作曲家のことを説明して、あとはレコードを聞くだけというもの。
その授業の時、周りを見渡すと半分くらいの人たちが寝ていた。
僕は寝てはいなかったが、いかにして暇を潰すかで頭がいっぱいだった。

そんなある日のこと。
僕が今までに聞いたことのない作曲家の名前が出てきた。
その作曲家の名は「ムソルグスキー」。
僕は相変わらず、どうやって暇を潰そうかと考えていた。
そしてスピーカーから音が聞こえてきた瞬間、僕が一瞬にしてその音に心を奪われた。
その曲は言うまでもなく「展覧会の絵」。
もちろん、50分の授業中に「キエフの大門」までをかけることは出来ない。
だから、その時「展覧会の絵」の全体を聞いたわけではない。
でも、あの印象的なプロムナードは本当に僕の胸に突き刺さったのだった。
記憶は定かではないが、ラヴェルの管弦楽のレコードだったと思う。
先生は授業でその一部を聞かせ、こんなバージョンもあると冨田勲のシンセサイザー版もかけてくれた。
その日以来、「展覧会の絵」のプロムナードが僕の頭の中になり続けていた。

ただ、それからすぐにクラシックを聴き始めたわけではない。
その時は「展覧会の絵」だけに興味を持ったのだった。
「展覧会の絵」は僕のiPodに3つのバージョンが入っている。
クラシック全体に興味を持ち始めたのは、20代後半になってからのことだ。
それは、さまざまな音楽体験を経て、クラシックという音楽の素晴らしさに気づいたのだった。
最近では、読書の時などによく聞くし、
大きな意味のでクラシック音楽は僕のiPodの中に結構な曲数が入っている。

やはり、何事にもきっかけが必要なのだ。
沖縄民謡にもきっかけがあった。

それは10年前、もしかしたらもっと前だったかもしれない。
僕はわけあってうつ病になっていた。
最初の3ヶ月はずっと部屋に籠っていた。
外出は病院に行くときだけ。
何もする気が起きず、思考は止まったまま。
当然食欲もなく、みるみるうちに痩せていった。
あの頃、僕が何をして過ごしていたのかほとんど覚えていない。

4~5ヶ月ほど経った頃、僕は何かをしなければという気持ちになった。
でも、その何かは僕には分からなかった。
とにかく、外へ出ること。
でも、外に出ても何も起きない。
で、僕はさらに外へ出ようと、サイパンに行った。
ちょうど台風が過ぎた後で、サイパンの海は汚れていて、ホテルのプールにも入る気にならなかった。
今、記憶にあるサイパンと言えば、トニー・ローマで食べたスペアリブと巨大なオニオンリングだけ。
帰国して1週間後に僕はハワイに行った。
もともとハワイは好きな場所だったので、僕の気持ちは上向きになってきた。
ハワイでは海には入らず、ハレイワやカイルアビーチなどで本を読んで過ごしたりしていた。
そして、それまで興味すらなかったアロハシャツを何枚か購入。
中には200ドルを越えるものも。
さらには、ウクレレまで買おうとした。結局それはやめたけれど……。

ハワイから帰国して、僕は回復の兆しを見せていた。
しかし、ハワイでの気分の良さと東京の生活のギャップで、
再び何もする気が起きなくなってしまった。
ただ、気持ちだけは何かをしようと気持ちが強くなっていた。
仕事以外の何かを。

それまでの僕の生活は仕事だけで成り立っていた。
仕事が面白く、そしてやりたいことがそのまま仕事になっていたので、何も文句はなかった。
しかし、所詮は仕事。楽しいことだけではない。
僕は仕事以外のもの、つまりは趣味を探していたのだ。
そして、仕事と関わりのない人間関係も。

それはなかなか東京で探すことが出来なかった。
やはりどこかに行かなくては。
けれども、そうそう海外には行けない。
2週間に2度も海外へ行けば、お金の問題もある。
そして、それまで1度しか行ったことのなかった沖縄へと飛んだ。

僕は沖縄という場所自体にはそれほどの思い入れもなかった。
ただ、僕は沖縄に行かなければいけない理由もあった。
それから、月に1回ほどのペースで沖縄に行くようになった。
常に一人で。
幾度目かの沖縄で、三線を弾くという機会に恵まれた。
(お店でやっているような無料体験とかではなくて)
その頃の僕は沖縄民謡については何も知らなかった。
安里屋ユンタ、てぃんさぐぬ花すら知らなかったのだ。
それらは細野晴臣、坂本龍一を通じて知ってはいたが、それが沖縄民謡であるという認識はなかった。
三線を弾いてみて、その音色に惹かれた。
何より20年近くぶりに楽器を弾くという行為にとても惹かれた。
その晩、僕は一人で飲んでいい具合に酔っていた。
そしてふと入った三線店で触った三線を購入した。
12万円もするものを。
その時の僕にとっては、自分の楽器を持つということが重要だった。
もし、ハワイでウクレレを買っていたら、三線を買ってはいなかっただろうと思う。

東京に帰った僕はかなり元気を取り戻していた。
12万円の三線。
当然、持て余していた。
でも、それから沖縄民謡、沖縄関連のCDを買いまくった。
タワーレコード、HMVにあるものはすべて買ったと思う。
そして、三線教則本なども買った。
でも、そんなものを読んでも全然弾くことなど出来なかった。
で、本格的に三線を習おうと思ったわけだ。
その頃、僕のうつ病はすっかり良くなっていた。
非常に行動的で、ポジティブになっていた。
自らネットで三線教室を探し、自宅から通えてしかも土日に開催される教室を探した。
その教室に通うようになった頃。
沖縄で雑誌を作るという話があった。
僕はそれに飛びついた。
そして、僕は沖縄に引っ越した。
三線を習い始めて2~3ヶ月後のことだ。
その時の沖縄滞在は約1年ほどで終わってしまったが、
三線を弾き歌うということが僕の生活に潤いをもたらせたことは言うまでもない。
そして、それは本格的な趣味となっていった。
今まで、僕は趣味というものが続いたことがなかった。
三線は最も長く続いたものだった。

今はサーフィンがそれに取って代わっている。
でも、家で週に1回くらいは三線を弾いている。
好きな曲だけを。「白雲節」とか「物知り節」とか。
今でも、三線の音色は僕を落ち着かせてくれる。
ただ、本格的に練習していた頃のような集中力はすでにない。

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