原始的な音楽はリズムにあったのではないかと思う。
ある種のリズムは人に高揚感を与え、浮遊感を与え、そしてエクスタシーを与える。
もう20年ほど前のことだったと思う。
ちょうどワールドミュージックがブームとなっていた時代。
僕はレゲエにはまっていた。レゲエにはまっていた人は僕だけではなく、
結構なブームになっていたので、夏になるとさまざまなところでイベントが開催されていた。
僕はさまざまなイベントに行っては、ビールを片手に揺れていた。
レゲエは横揺れの音楽だから。
あれは、確か湘南のどこかのビーチで開催された小さなイベントだった。
好きなミュージシャンが出演するので見に行ったのだ。(だれが出演していたかはわすれてしまったが……)
そのイベントにアフリカのミュージシャンが出演していた。
ユッスー・ンドゥールのようなメジャーなミュージシャンではない。
彼は、ただ太鼓を叩くだけ。バックトラックも何もない。ただ、ひたすらリズムを刻むだけだった。
しかし、それは僕にとってとても衝撃的な音楽であったのだ。
自然と心を奪われていく。身体が自然に動いていく。心が高揚感に満たされていく。
そして身体中が表現のしようもない何かで満たされていく感覚に陥った。
人の記憶の何処かに刻み込まれたリズムというものが存在するのではないかと思ったものだった。
その後長らく、そんな経験をしたことはなかった。
次に経験したのは、石川県輪島市の祭りの時だった。
その祭りは夜から始まり深夜に終わる。確か海を背景に和太鼓の舞台が設えられ、松明の明かりの中で激しくも厳粛なリズムが刻まれる。
それを見ている間、自分の心が徐々に高揚していくのを感じた。そして最後には感動に包まれていた。
祭りなので、当然のこと神に捧げる太鼓である。その場の雰囲気に飲まれたせいもあって、僕はまるで神の存在を感じたような気分になった。
リズムにはそんな力があるのだ。だから、ある種の宗教ではリズムやそれを刻む音色などが効果的に使われるのだ。
もうひとつ、僕を虜にしたリズムがある。
それがポエトリー・リーディングだ。もう何年前か分からない。15年くらい前かもしれない。いやもっとかも。
「SLAM」という映画があった。当時、僕は映画の担当もしていたので、この作品を試写で見た時になんと素晴らしい映画だろうか。
ポエトリー・リーディングとはなんと素晴らしいカルチャーだろうかと感動した。
そして、主演のパフォーマーが来日してパフォーマンスをするということで、配給会社に招待された。
映画で観るのとは違って、やはり生でみるパフォーマンスは心に直接響いてくるものだった。(言うまでもなく、バックトラックなどはない)
残念ながら、僕は英語が出来ない。彼の発する言葉の内容はほんの一部しか分からない。
でも、リズムに乗せて詩を読むことによって、間違いなく何かが伝わってきた。
その夜、僕は確か渋谷の道玄坂を感動に身を震わせながら駅へと歩いた記憶がある。
言葉が通じなくても、何かを伝える方法はあるのだと思う。
それが、多分人の身体に刻み込まれたリズムなのではないだろうか。
通じる言葉を確かなリズムに乗せれば、それはより強く、真意を伝える手段になり得るのだろうとも思う。
ある種のリズムは人に高揚感を与え、浮遊感を与え、そしてエクスタシーを与える。
もう20年ほど前のことだったと思う。
ちょうどワールドミュージックがブームとなっていた時代。
僕はレゲエにはまっていた。レゲエにはまっていた人は僕だけではなく、
結構なブームになっていたので、夏になるとさまざまなところでイベントが開催されていた。
僕はさまざまなイベントに行っては、ビールを片手に揺れていた。
レゲエは横揺れの音楽だから。
あれは、確か湘南のどこかのビーチで開催された小さなイベントだった。
好きなミュージシャンが出演するので見に行ったのだ。(だれが出演していたかはわすれてしまったが……)
そのイベントにアフリカのミュージシャンが出演していた。
ユッスー・ンドゥールのようなメジャーなミュージシャンではない。
彼は、ただ太鼓を叩くだけ。バックトラックも何もない。ただ、ひたすらリズムを刻むだけだった。
しかし、それは僕にとってとても衝撃的な音楽であったのだ。
自然と心を奪われていく。身体が自然に動いていく。心が高揚感に満たされていく。
そして身体中が表現のしようもない何かで満たされていく感覚に陥った。
人の記憶の何処かに刻み込まれたリズムというものが存在するのではないかと思ったものだった。
その後長らく、そんな経験をしたことはなかった。
次に経験したのは、石川県輪島市の祭りの時だった。
その祭りは夜から始まり深夜に終わる。確か海を背景に和太鼓の舞台が設えられ、松明の明かりの中で激しくも厳粛なリズムが刻まれる。
それを見ている間、自分の心が徐々に高揚していくのを感じた。そして最後には感動に包まれていた。
祭りなので、当然のこと神に捧げる太鼓である。その場の雰囲気に飲まれたせいもあって、僕はまるで神の存在を感じたような気分になった。
リズムにはそんな力があるのだ。だから、ある種の宗教ではリズムやそれを刻む音色などが効果的に使われるのだ。
もうひとつ、僕を虜にしたリズムがある。
それがポエトリー・リーディングだ。もう何年前か分からない。15年くらい前かもしれない。いやもっとかも。
「SLAM」という映画があった。当時、僕は映画の担当もしていたので、この作品を試写で見た時になんと素晴らしい映画だろうか。
ポエトリー・リーディングとはなんと素晴らしいカルチャーだろうかと感動した。
そして、主演のパフォーマーが来日してパフォーマンスをするということで、配給会社に招待された。
映画で観るのとは違って、やはり生でみるパフォーマンスは心に直接響いてくるものだった。(言うまでもなく、バックトラックなどはない)
残念ながら、僕は英語が出来ない。彼の発する言葉の内容はほんの一部しか分からない。
でも、リズムに乗せて詩を読むことによって、間違いなく何かが伝わってきた。
その夜、僕は確か渋谷の道玄坂を感動に身を震わせながら駅へと歩いた記憶がある。
言葉が通じなくても、何かを伝える方法はあるのだと思う。
それが、多分人の身体に刻み込まれたリズムなのではないだろうか。
通じる言葉を確かなリズムに乗せれば、それはより強く、真意を伝える手段になり得るのだろうとも思う。
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