年号暗記第4弾。
聖徳太子が隋との国交を開くため、小野妹子を隋の煬帝に使わした。
この時の「日出づる処の天子~」と書かれた国書は非常に有名だ。最初煬帝は国書の内容に激怒したらしいが、国益を考えた結果日本と国交を開くことにした。
遣隋使の派遣に伴い、日本から多くの留学生・留学僧が隋に渡ったが、この中の何人かが後の大化の改新時の原動力になる。
蘇我氏の専横を何とか抑えながら、仏教を基本とした中央集権国家を目指した聖徳太子だったが、その死後、息子の山背大兄王は蘇我氏に滅ぼされ、蘇我氏の専横がますます激しくなっていった。
その蘇我氏を倒し、大化の改新を成し遂げた陰に、聖徳太子の送った留学生たちがいたというのも何か因縁のような。
さて、今回の覚え方だが、これもたいして変わりばえなく、
6 0 7
群れなして、妹子迎える隋の人
違うのは、視点が隋の側ってことかな。
聖徳太子が隋との国交を開くため、小野妹子を隋の煬帝に使わした。
この時の「日出づる処の天子~」と書かれた国書は非常に有名だ。最初煬帝は国書の内容に激怒したらしいが、国益を考えた結果日本と国交を開くことにした。
遣隋使の派遣に伴い、日本から多くの留学生・留学僧が隋に渡ったが、この中の何人かが後の大化の改新時の原動力になる。
蘇我氏の専横を何とか抑えながら、仏教を基本とした中央集権国家を目指した聖徳太子だったが、その死後、息子の山背大兄王は蘇我氏に滅ぼされ、蘇我氏の専横がますます激しくなっていった。
その蘇我氏を倒し、大化の改新を成し遂げた陰に、聖徳太子の送った留学生たちがいたというのも何か因縁のような。
さて、今回の覚え方だが、これもたいして変わりばえなく、
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群れなして、妹子迎える隋の人
違うのは、視点が隋の側ってことかな。
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