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ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

本日の勉強会

2007-10-21 15:15:00 | メノナイト
5回あったペテロ書の講座は、
今日最後の1回だけ、
参加する事が出来た。


教会の牧師や指導者についてどう考え、
自分達の教会のあり方を模索している時なので
学ぶ事がたくさんあった。


教派によって教会観や組織運営のノウハウが
様々ある中で、
自分達メノナイトではどう考えるのか。
自分達は指導者をどう考え、
群れのあり方をどう考え、
教会そのものをどう考えていくか。


隣の十勝地区で奉仕している伝道師が
私達のために講師として
わざわざ月1回足を運び続けてくれた。


礼拝後の午後から集まるので
疲れていたり
仕事や所用で時間が取れなかったり
いろいろな障害もあったけど
参加した教会の仲間達は皆
とっても楽しみにしていたであるよ。
(何でこんなに勉強大好きなの我々メノナイトは。www)


いや、
実はそれだけ収穫が多くて
事実、楽しかったのだと思う。
私も第1回から参加したかったであるよ。
今回学んだ感想をちょっとだけ。


メノナイトでは
教会のあり方を聖書にある初代教会に習いたいと考える。
もちろん聖書の一字一句を字義通り鵜呑みにするとか
ファンダメンタルという意味ではないよ。
聖書を深く学んで
初代教会がどんな教会運営をしていたか、
キリストにある交わりとして相応しいあり方を追い求める。
奉仕は、役割分担は、リーダーシップは、
そもそも教会観は・・・と。


長い歴史の間に
教会の中に階級制に似た構図が出来たり
無教会という考え方が出来たり
その時代背景や文化や集まった人々の特性によって
教会はそのあり方が変わってきた。
本来キリストにある群れのあり方はどうあるべきか。


では、
私達のメノナイト教会は?


今回講座に参加して"おっ・!σ('O')"と思ったのは、
初代教会のあり方を見ると、
長老、使徒、預言者、福音宣教者、教師、監督者、執事など
役割分担をしているが
いずれの奉仕者も全員共通してしている奉仕がある。
各自がそれぞれの立場で自分の役割を担いながら
共通してしていた奉仕がある。
それは福音を語るという事。


現代の私達の教会に当てはめて言えば
牧師先生は日曜日に講壇で福音を語る。
教会学校の先生してる教会員も
会計係してる教会員も
教会の運営委員も
食事を作ってくれる教会員も
入り口の受付係の教会員も
どんな役割をしている教会員も
日曜日に講壇で福音を語る。
そのために
お互いに励まし合い
お互いのために日々祈る。


例えば
皆の食事を作ってる人が
食事を作る人の立場で福音を語ってもいいのだ。
いや語るべきなのだ。
福音宣教について
より柔軟に考える事が必要だ。


キリストのものとなった者は誰でも
福音を語るべきである。
礼拝のメッセージは
牧師でなくても
信仰を告白し洗礼を受けた教会員なら
誰もがすべき奉仕である。


私達の教会で
牧師でない教会員も
礼拝メッセージの奉仕を分担する根拠がここにある。
つまり
私達メノナイトの礼拝メッセージは牧師だけの仕事ではない。
牧師には牧師にしか出来ない役割と仕事があるが
礼拝メッセージは牧師だけでなく
教会員の誰もがする奉仕である。


この考え方にあっては
教会を運営する上で生じる面倒な事、難しい事、
言い換えれば
”重荷”を牧師・指導者という特定の人間だけに負わせ、
教会員は日曜日に教会に行くだけという構図は
少なくとも無くなる。


しかし現実には
教会員は仕事や子育てや介護をしながら
日曜日の一日を教会の奉仕に捧げているので
皆、しんどい。
常に病気や仕事や家族の事で悩み
問題を抱えながら教会の奉仕も担っている。
不況の過疎地にある教会ならなおの事、
集まるだけでも精一杯、
出来れば日曜日は教会に行ったとしても
疲れる奉仕をするよりも
心身の疲れが消されるような祈りと賛美歌と
牧師先生の説教で癒されて帰宅したい。
面倒な事は牧師先生が全部してくれて
自分は行って励まされて帰って来るだけだったら
どんなに楽である事か。
私達の身勝手な甘えがここにある。


もし、
牧師或いは特定のリーダー一人にだけ
重荷と責任が集中するとどうなるか。


皆、
都合のいい理想像を思い描き作り上げて
自分に都合のいい要求をしたくなる。
面倒な事は全部牧師に負わせる。
もっと親身に身の上話を聞いてカウンセリングをして貰いたい、
もっと家庭訪問を増やして家族伝道して貰いたい、
もっと感動出来るような説教をして貰いたい、
もっと聖書の勉強会を熱入れてやって貰いたい、
もっと他教派と仲良くやって地域伝道に力を入れて貰いたい、
もっと町内会と仲良くやって地域伝道に力を入れて貰いたい、
もっと教会員と親身に話をして貰いたい、
もっと会堂の建物の管理をうまくやって貰いたい、
もっと教会の経済をうまくやりくりして貰いたい・・・
して貰いたい事ばかりだな。
この上さらに
清廉潔白で人格円満で歌が上手くて語学が堪能な人物である事・・・。


本人のみならず
奥さんは控えめで上品で質素倹約やりくり上手で
身なりが清楚で優しくてピアノやオルガンが上手で
料理上手で菓子作りが上手で
植物の手入れも上手でいけばなのセンスもあって
気配りの効く良妻賢母であって貰いたい・・・等々。


そして
何か一つでも意に添わなかったり上手くいかなければ
あれがイヤだこれが気に食わないと
教会から離れたり去ったり
何でも牧師の責任にして
協力の為の力も貸さずに孤軍奮闘の悪循環に陥らせ
一家共々批判と陰口中傷の集中砲火を浴びせ
人間不信の泥沼に沈める。


或いは
逆に独裁的ワンマンの中小企業の社長状態へと
陥るか。


残酷物語だな。


何だか
書いててやんなってきたであるよ。
牧師足りないはずだわ。
足りなくて当然。
皆の期待に応えられるような理想的な牧師なんているか?
でもこれは誇張ではなく
実際にあちこちにある現実。
教会を内側から腐食させる病気。


今日の講座を通して学んだ考え方だと
このような悪循環やメカニズムの狂いは
少なくとも避けられるのではないかと思う。


礼拝のメッセージを
信仰を告白し
洗礼を受けた教会員の誰もがメッセージ奉仕をするとなると
各々自分の役割を担いながら礼拝のメッセージも
担っていく事になる。
当然、
日々の自分の信仰を振り返り
聖書を読み直し、
何度も言葉を吟味しなければならないので
しんどい。
神学とか説教学とか専門教育を受けた訳でないから
聖書の一字一句に詳しい解説を出来はしないし
大体大勢の人々の前で喋ること自体上手く出来ない。
仕事や家事など日常の忙しい合間に
時間を工面して奉仕の準備をするのでしんどい。
そのしんどいところを
お互いに祈って励まし合って
教会の結束は固くなる。


少子高齢化とか過疎地だとかで牧師が少ない中、
自分達が教会をどうやって支えていくか
もっと時間と手間隙を注いで皆で話し合いたいな。
質問も意見もたくさん、活発に出たであるよ。


伝道師Kさん、お疲れ様でした。
半年間ありがとう。
皆楽しかったって。


牧師先生も
毎月の講座が終わっちゃって寂しいって。
よっしゃ次いこうよ次!

予定変更

2007-08-24 07:25:15 | メノナイト
昨夜、
ミーティング終わってじじん家に行ったのは
かれこれ8時過ぎてた。


青みかん頬張りながら家事やってたら
今度は教会の仲間からメールが。
帯広で来月予定されていた同じ教派同士の教会の会議が
都合で中止、延期されたと。


その為に来月仕事の日程都合つけて貰って
休暇貰ってたんですど。
看護師2人辞めて人手不足な職場であるにも関わらず
交渉したらうちの上司は嫌な顔もせずに
勤務の都合つけてくれてたであるよ。
仕事絡みでぶち切れてたら
今度は教会絡み!


最低最悪だな。
こういう予定変更の可能性は
もっとずっと前から予測ついていた筈。
それでも会議を予定しておいて
こんな月末ぎりぎりの
来月の勤務表も出来上がってしまってから延期?
一体誰のどんな都合でコロコロ日程が変わるんだ?
働く者が予定以外に休みを取るのがいかに大変か
遊び半分で軽く考えてるから
こういうぎりぎりの予定変更を当然のようにする。
勘弁して欲しい。


振り回されるのは私の周りの、
教会とは無関係な職場の人々なんだから。

聖餐式

2007-06-10 14:40:00 | メノナイト
今日、礼拝の後は
午後から聖餐式だった。


毎度の事ながら
聖餐式は緊張する。
とにかく緊張する。


私達の教会で行なう聖餐式は
数年前から宣教師の助言を受けて
今の方式に変わった。


以前は
牧師が式の進行役をして
聖餐のパンと杯の葡萄汁は
係りの教会員が銀の盆に乗せて礼拝堂を回り、
一人一人に渡していくか
或いは銀の盆に乗せたまま
順次隣から隣へと手渡す方法だった。
私が洗礼を受けた札幌の母教会も
同じ手順で行なっていた。


数年前、
牧師夫妻が長期の休暇で不在になった時に
留守中のフォローに来てくれた宣教師が
今の方法を提案した。
それを皆で検討し、
聖餐の意味を理解し実感しやすい、
万人祭司の考え方に適っている、
などの理由で
皆の意見が一致して採用した。


実際、
今の手順で聖餐に与るようになって以来、
イエス・キリストがこの私のために
十字架で苦しみを受け
血を流されたという
思いがより鮮烈に脳裏に湧いてきて
緊張する。


牧師先生が帰国した後に
話し合って
本格的に私達の教会の聖餐式として
実行していく事になった。


以来、
何年経っただろう。
している事はそれ以前と同じなのに
形式や手順が一部違うだけなのに
聖餐式は
『自分のために十字架で血を流されたキリスト』の
贖いを実感させられる、
厳粛で緊張感に満ちた典礼へと
自分の中で変わってきた。
そう感じるのは私だけではない。
今日、礼拝の後にその話を教会の仲間達としたら
同じ事を感じると皆口々に言っていた。
緊張する。
とにかく緊張する。
隣の人から『分餐の言葉』を告げられ
自分も口に出して次の人に『分餐の言葉』を告げる、
この上なく厳粛な数秒。


ちょっとここで
紹介させて頂こう。
今、私達の行なっている聖餐式の式次第。


全員が着席する。
(私達の場合、牧師先生が進行役を務める。)


賛美歌を歌う。
(聖餐式の賛美歌)


牧師(進行役)、祈りを捧げる。


聖書を朗読する。
(大抵は最後の晩餐の箇所。)


牧師(進行役)が
銀盆のパンを人数分に裂き、
盆ごと隣の人に渡し、
自分の分を取らずに分餐の言葉を告げる。


 「○○○○さん、
  これは、
  あなたのために裂かれたキリストの体です。」


盆を受け取った人は
感謝して自分のパン一切れを取り、
同じく分餐の言葉を告げて隣の人に渡す。
盆を渡された人は自分の一切れを取り、
同じように分餐の言葉を告げて
隣の人に銀盆を渡す。
こうして銀盆は一巡し、
一番最後に牧師(進行役)の所に銀盆が回って来る。
牧師(進行役)に銀盆を渡す人は
牧師にも「先生」ではなく
他の教会員と同じくフルネームで
「○○○○さん、・・これは・・・」と呼び、
分餐の言葉を告げて銀盆を渡す。


感謝して、
一同、パンを食べる。


次に、
牧師(進行役)が
銀盆に杯を人数分乗せて
盆ごと隣の席の人に渡し、
分餐の言葉を告げる。


 「○○○○さん、
  この杯は、
  キリストの血による新しい契約です。」


盆を受け取った人は
感謝して自分の分の杯を一つ取り、
次の人に同じく分餐の言葉を告げて渡す。
盆を渡された人は自分の杯を一つ取り、
同じように分餐の言葉を告げて
次の人に銀盆を渡す。
こうして銀盆は一巡し、
一番最後に牧師(進行役)の所に銀盆が回って来る。
牧師(進行役)に銀盆を渡す人は
牧師にも「先生」ではなく
他の教会員と同じくフルネームで「○○○○さん」と呼び、
「・・この杯は・・・」と分餐の言葉を告げて銀盆を渡す。


感謝して、
一同、葡萄汁を飲む。


牧師(進行役)は
教会員の一人または数人を指名し、
指名された人は聖餐感謝の祈りを捧げる。


賛美歌を歌う。
(聖餐式の賛美歌)


黙祷。


以上が
私達の教会で行なっている聖餐式。


聖餐式をこの手順にして以来私は、
パンと杯とを手にする時、
ドキドキしてやたらと緊張する。
分餐の言葉を告げる時に
どもったり舌を噛みそうになる。
厳粛で身の引き締まる思いがする。
そんな話を
今日仲間達と分かち合った。
この緊張感もドキドキも
私達は同じく分かち合っている。


私達はお互いに
他者に奉仕する責任を担っている。
『万人祭司』とはそういう意味だという。
そして
食べる時、飲む時、
自分のために
裂かれたキリストの体と
流されたキリストの血に
思いを馳せて
日々の生活を生きる。


写真.聖餐式の杯。
   聖餐式が終わってこれから洗う時に撮影した。

弟子の道

2007-05-20 01:04:06 | メノナイト
自分の所属するメノナイト教会ではよく
「弟子の道」「弟子の道」という言葉を聞くが
いまいちピンと来ない。


「弟子の道」とはどんな事か。


マイミクのカトリック信徒の方のところで紹介された
イエズス会の募集要項の、
一文に惹かれて中身を読んでみた。


心に響いた。


『イエズス会入会を考えている若者に伝えたいこと』
 もし、
 イエズス会に入会するという考えによって、
 不安になったり 心配になったりするなら、
 家にとどまっているほうがよい。
 もし、
 教会を自分の本当の母としてではなく、
 義理の母のようにしか 愛せないなら、
 わたしたちのところに来ないほうがよい。
 もし、
 イエズス会に入ることで、
 イエズス会に何かをしてあげられると考えるならば
 来ないほうがよい。
 もし、
 キリストに仕えることがあなたの生活の中心であるなら、
 来てください。
 もし、
 ひろく強い両肩、開かれた魂、幅広い精神、
 全世界よりも大きな心を持っているなら、
 来てください。
 来てください。
 もし、あなたが冗談を言うことができ、
 人びととともに笑い、
 そしてときには自分自身を笑うことができるなら。
         ペドロ・アルペ神父(イエズス会前総長)
         http://www.jesuits.or.jp/vo_jin.html


すごいなぁ。
ただただ感銘を受けた。
この最後の一文に。


「来てください。
 もし、あなたが冗談を言うことができ、
 人びととともに笑い、
 そしてときには自分自身を笑うことができるなら。」


キリストの弟子の道とは
そういうものなんだきっと。
しもべとなった王イエス・キリストの弟子とは
かくあるべし、なんだろうな。
きっと。


『しあわせ』というタイトルのミニ絵本があって
その中に書かれていた
誰が言ったのか書いたのか分からない一文と
通ずるものがある気がする。


 『自分がしあわせかどうか
  問わなくともよい。
  しかし
  あなたとともにいる人がしあわせかどうかは
  問うがよい。』
        (作者不詳 『しあわせ』女子パウロ会より)

改宗

2007-04-03 10:49:15 | メノナイト
えっと、
教派についてだらだら書いたので、
『改宗』についても書こう。


先に書いた近所のカトリック教会で、
私の所属するメノナイト教会から改宗した人と出合った。
配偶者が幼児洗礼を受けていたためカトリックに移ったが、
その人はメノナイトで受けた洗礼を無効と見なされ、
もう一度洗礼式を受け直したと聞いた。
私はその人に尋ねた。
「それまでの信仰を全て否定されて、
 あなたは辛くなかったですか?」
その人は私に答えた。
「私は2度めの洗礼式の時には泣いたけど
 神様は元々一人しかいませんから。
 私は置かれた場で忠実に信仰を守るのです。」


そこで知り合ったもう一人の信徒の方は、
配偶者がカトリックで受洗したため
SDAからカトリックに改宗していた。
その人もカトリックに移る時に未信者として
一から洗礼を受け直したと聞いた。
私はその人にも尋ねた。
「それまでの信仰を全て否定されて、
 あなたは辛くなかったですか?」
その人は私に答えた。
「寂しくないと言えば嘘になる。
 でも大した事じゃない。
 人間は幾つも教派を作るけど
 神様は一人しかいないから。」


彼らは
自分の好き嫌いや意志で各教派を渡り歩いた末に
改宗の道を選んだのでは断じてない。
幼児洗礼を受けたまま
教会から遠ざかっていた配偶者を持ち、
或いは
自分の所属教会で躓いた求道者を配偶者に持ち、
何とか家族で一緒に教会につながる事を切望した結果、
自分の所属教会を後に置いて、
というよりも
神様が備えて与えて下さったものをお返しして
行けと言われた所に行ったのだ。


数あるキリスト教の教会の中で
自分の所属教会は神様から一方的な恵みとして
自分に与えられた信仰生活の場と私は考える。
そんな所属教会での信仰生活を無効なものとされた時、
どれ程の痛みを彼らが味わったか、
置かれた場所でぬくぬくとしている私には
想像もつかない。


教派によって
考え方やシステムが違うのは当然だし
仕方のない事だと思う。
それぞれの教会の長い歴史の中で
色々な問題を乗り越える過程で
起こってきた相違だと思う。


私が出会った二人が
元の所属教会からカトリックに移った当時の司祭は
たまたま他教派に対して
防衛的な考え方の持ち主だったかも知れない。
実際、
カルトが未信者や他教派からの転入者を装って
羊泥棒を働く事が現実にない訳ではない。
責任ある立場の教職者が
他教派から来た者を警戒するのは仕方のない事。
それでも踏みとどまったのは
彼らに留まるべき確信があったからだと思う。


彼らの信仰は立派だ。
人に目を奪われずに神を見ている。
与えられたものに固執せず
先に信じた者の責任を果たすために
自分が置かれた場所で忠実に働いている。

教会は共同体?

2006-11-24 11:32:25 | メノナイト
過疎地で礼拝20人は多いのかな?
うちの教会、
名簿上はもっとたくさんいるんです。
倍くらいかな・・・待って・・・ ああ、ほぼ倍だね。


北海道のメノナイト派では
教会を信仰の共同体と理解しているのが特色かも知れない。
だから
共同体に理想像を重ねて偶像化してしまう危険を
常に意識していなきゃならないけどね。


うちの教会は1969年の創立以来
いい時も辛い時もたくさん随分紆余曲折波風被って来て
私がここに来た頃は辛い時だった。
今の教会の祈りの輪のつながりも信頼関係も
来た頃には想像出来なかった。
この図太い私が札幌の母教会に戻りたいと思ったほど。


でも
いろんな事で教会は危機を経験するけど
その時に
司祭や牧師の傍らに
一緒に祈って苦楽を共にしようとする、
そんな信徒が1人でもいれば
神様が教会に人を送って下さるっていう事がわかった。
私自身も
自分が運ばれて来た者の1人だったという自覚がある。
あの辛い時に牧師夫妻の傍で
一言も文句言わずに祈っていた、
そんな教会員が1人いた。
私は
その人を見て思ったね。


 あ、
 この人は今キリストと一緒に十字架を担っている。


そしてその人は一緒に祈ってくれないかって
新参者の私に声をかけてくれた。
私はその時『De imitatione Christi』Ⅱの
11章を思い出した。


 イエズスの天の国を愛する人は多いが、
 その十字架をになおうとする人は少ない。
 慰めをのぞむ人は多いが、
 苦しみをのぞむ人は少ない。
 イエズスと共に食卓に着きたい人は多いが、
 イエズスと共に断食する人は少ない。
 キリストと共に楽しむことをのぞむが、
 キリストのために何ごとかを忍ぼうとする人は少ない。
 パンを裂くまでイエズスに従う人は多いが、
 受難の盃を共に飲もうとする人は少ない。
 多くの人はその奇跡に驚嘆する、
 しかし十字架のはずかしめまでつき従う人は、少ない。
 多くの人は不幸が来ない限りイエズスを愛し、
 慰めを受けている限り彼を祝する。
 しかし
 イエズスが姿を隠し、
 暫らくの間でも彼らからさると、
 不平を言い、ひどく落胆する。
 しかし、
 イエズスから受ける慰めのためではなく、
 イエズスをイエズスとして愛している人は、
 患難や苦しみのときにも慰めのときと同様に、
 彼を賛美する。
 そしてイエズスがいつまでも慰めを与えなくても、
 かれらはいつも、感謝と賛美を怠らない。


バルバロ訳だから
イエス・キリストが「イエズス」になってるね。
痛い所を突かれるでしょ。
教会はキリストの生きた体だから
いい時も辛い時もあるし、
そこにいて楽しくなきゃ嘘だけど、
だからと言って
教会に楽しい事ばかり求めているんじゃ
ダメだって事でしょ?
教会が内側から疲弊してくるからね現実に。


あれからもう何年も経ったけど、
その人の祈りを聞かれた神様の御手に
自分も
自分の後から転入して来た中間達も皆、
運ばれて来たのだと
私は思っている。


その頃から少しずつ
祈りの輪に加わり始めた仲間と協力し合って
奉仕やいろいろな教会運営を
牧師と共に皆で担う相談をした時に
ある注意事項が誰からともなく自然と出てきた。


それは
祈りとか分かち合いとか教会として当然の事とは別に
さらにもう一点。
「つかず離れず結束力が固い」が大切だという点。
教会が少人数の人間関係に凝り固まったり
左右されないために、
そして
自分達が仲良し便所友達グループみたいな派閥に
なり下がってしまわないために 、
自戒のつもりで最初の目標としたのが
「つかず離れず結束力が固い」という点。
それが大切。


それから徐々に
意見が合わなくて距離置いてた人と、
よく分からなくて遠巻きにしていた人とが
少しずつ加わってくれて、
さらに
何かに躓いて離れようとしていた人と、
一度立ち去った人とが
少しずつ戻って来てくれた。


人数だけを問題にすれば
結局何年か経つと
また何人も転勤や職探しで出て行って、
入って来る人は少ないんだから
同じと言えるかも知れない。
それで今礼拝は平均20人前後。
でも
遠くに転出した仲間とは
お祈りの輪はつながったまま。
転出した先の教会の力になってくれてると思う。
今も安否や近況報告や祈りの課題は
お互いにやり取りして
支え合ってて結束してる。
私自身随分励まされて助けられた。
ありがたい。


少し前、
牧師先生夫妻との雑談で
私が来た頃の大変だった話をした。


「あの時は
 今の教会の姿が想像も出来ませんでしたね。」


私がそう言うと、
牧師先生は笑っていた。


「僕が36年間牧師やってる間に
 似たような事は何回も遭遇したさ。
 でもその度に教会はちゃんと守られて
 乗り越えてきたよ。
 うちの教会だけでなくて、
 どこも皆そうだよ。」


あの大変な時に
ひたすら忠実に祈ってた仲間に教えられた。
祈りの輪は教会の土台だって事をね。
本人にいくらその話しても
「?」な反応しか返って来ないけど。(笑)

警告

2006-09-15 03:25:48 | メノナイト
聖書の読み方について、恐怖を感じた事がある。
私が今の教会に移って来て間もない頃、
当時の教会のあり方も牧師も教会員もことごとく批判し
裁こうとする人がいた。
その人は理想の教会を求めて
私達の教会を去ろうとしていた。
牧師も教会員も随分苦しみ悩んだ。
その人は教会に来たばかりの私に電話で訴えた。
「牧師先生は説教の時に私をみことばで攻撃する。」


その人は元々別の教派の教会にいた。
洗礼を受けた母教会を出て
自分の理想に叶う教会を探し求め、別の教会に移った。
しかし人間不信に陥るほどの酷い讒言と裏切りを体験して
その教会からも立ち去った。
しばらくは日曜日ごとに
他の都市や地方の教会を彷徨っていたが、
私達の教会に移って来た。
牧師先生はその人に言った。


「元いた教会の人々とまず和解して、
 それからうちの教会に来て下さい」


牧師に言われた通り、
その人は元いた教会の人々と握手してから
うちの教会に移って来た。


その人は熱心な祈りの人だ。
祈った事は必ず叶えられると
確信する熱意を以て祈っていた。
脳梗塞で入院中だった私の父のためにも祈ってくれた。
私はその人の祈りにどれだけ励まされたかわからない。
その人は聖書に忠実であろうとする人だった。
熱心に聖書を読み、
何か自分の意見を言う時には
必ず聖句を引用した上で話した。
聖書の教えから少しでも逸脱する事を恐れ忌み嫌った。
理想の教会を実現するために、
聖書に忠実であろうとして一生懸命だった。


しかし私がここに移って来た頃、
その人は洗礼を受けた教会や前にいた教会への恨みを
また再燃させていた。
私はその人の考える事が理解出来ず、
不思議で仕方がなかった。
母教会を出てあちこちの教派の教会を転々として
悩み苦しんだ末、
最後に受け入れてくれた牧師を
今になって排斥しようとするのは何故か?
メノナイトという教派の特色そのものや
メノナイト同士の関わりを今になって否定するのは何故か?
その人にとって私達メノナイトは
そんなにダメなキリスト者か?
ではその人が洗礼を受けた教派の教会と
和解しないのは何故か?


その人と教会との間をとりなす事が出来ないかと思って、
牧師も教会員達も何とか意志の疎通を試みていた。
私自身も電話で何度か話した。
その人自身も言っていた。


「私はこの教会で躓いたら
 もう他に行く事の出来る教会がない。」


しかし言葉でそう言いながら
発散する方法が他に見つからないのか、
話せば話すほど牧師にも不甲斐ない教会員達にも
恨みはエスカレートし興奮した。
その人は牧師に対して、教会員達に対して、
何らかの被害者意識を持っていた。
しかし被害者意識の根拠になるほどの具体的な危害を、
牧師も教会員達の誰もその人に加えてはいない。
循環するかのごとく同じ恨みつらみの話を
何度も繰り返すうちに、
その人の被害者意識は膨れ上がって
妄想の域に達してきていた。
これ以上の深入りは危険だと私は思った。
ここから先は精神神経科カウンセラーの領域だと。
その人はしきりに私に訴えた。


「牧師先生はいつも説教の時に
 私をみことばで攻撃する。」


私は一笑して取り合わなかった。
何と馬鹿げた幼稚な中傷。
説教の最中に聖句を使って
特定の人間を傷つける事など可能か?
牧師は断じてそんな人ではない。
そもそも聖句はそんなものではない。
福音だ。命の言葉だ。魂の糧だ。
そんな邪悪な動機で
誰かを傷つけようとして聖句を使ったとしても、
相手の方は自分が攻撃された事にさえ気づかないだろう。
いつの礼拝の、説教のどこが?聖書のどこの何章何節?
私は思わずその人に突っ込んだ。
しかしその聖書の箇所を聞いて、
私は言葉がそれ以上出て来なかった。
考えすぎだよと言って電話を切った。
これ以上その人と関わってはならないと思った。
その人の言った事は妄想ではなかった。
その人自身にとって本当の事なのだと直感した。
本人の言う通り、その人は誰かから責められていた。
しかしそれは牧師ではない。
その人が相手にしているのは
牧師でも教会員の誰かでもない、
誰でもない事に本人はまだ気づいていなかった。
誰であろうと立ち入れない、
その人自身にとって現実の事だった。


その人がしきりに繰り返す
「牧師先生はいつも私達をみことばで攻撃する。」
という言葉の意味は何か。
家庭集会の時もそうだったと
その人の言う聖書の箇所のひとつを確かめ、開いてみた。


当時、集会の会場は各家庭で持ち回りだったが
聖書は前回の続きから読むので、
牧師が特別にその箇所を選んで指定する訳ではなかった。
その日どこの家庭で聖書のどこを読むかなど、
誰かが決める訳でもない。
ただ前回読んだ続きを読むだけだ。
それでもその人は
牧師が聖句を使って自分達を攻撃すると
電話口で言い張った。
聖書の箇所はⅠペテロ3;14~16だった。


 いや、
 たとい義のために苦しむことがあるにしても、
 それは幸いなことです。
 彼らの脅かしを恐れたり、
 それによって心を動揺させたりしてはいけません。
 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。
 そして、
 あなたがたのうちにある希望について
 説明を求める人には
 いつでも弁明できる用意をしていなさい。
 ただし、優しく、慎み恐れて、
 また、正しい良心をもって弁明しなさい。
 そうすれば、
 キリストにあるあなたがたの正しい生き方を
 ののしる人たちが、
 あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
          (Ⅰペテロ3;14~16 新改訳)


この箇所は
使徒ペテロから私達キリスト者への激励の言葉だ。
「世間でキリスト者だという理由で中傷され
 陰口されたからといって動揺するな、
 キリストがついてるからめげるな、
 いつか皆わかってくれる、だからがんばれ!」


どう読んでも私には
ペテロがそう言っているとしか思えない。
日常の職場や家庭で
この箇所のペテロの激励を受けて励まされた人が
どれだけたくさんいる事だろう。
その場にいた誰もが
ペテロからの激励を受け取ることができたはずだ。
この聖句で人を励ましこそすれ、
どうやって傷つけるというのだ。
牧師だろうと何者だろうと、
一体誰にそんなことができるというのだ。
一笑した私にその人は言い張った。


「あなたまでそんな事を言うの?
 でも本当の事!牧師先生はあのみことばで
 私に恥じ入れと言っている!」


この箇所を読んで恥じ入れと自分が言われたと
解釈する人の心理を考える。
ペテロのこの言葉を「自分に対する牧師からの攻撃」と
思い込んで牧師を憎悪する心理に、背筋が寒くなった。
その人は意図しているのかしていないのか、
自分から認めたのだ。
自分がキリスト者を罵ったと。
そして警告を受けたと。
その警告がどこから自分に向けられているか気づく事が
出来なかったのだ。
こんなに直接的な方法で、
その場に集まった何人かの者のうち
本人だけにしかわからない形で警告が与えられたのだ。
その人が憎悪をぶつけていた相手は牧師でも誰でもない。
その人は自分が誰を相手に憎悪をぶつけているか
気づいていなかった。
きっと苦しかっただろう。
あんなにキリストに向かってひたむきでありながら、
あんなに一生懸命聖書を学び熱意をもって祈りながら、
どんなに孤独だった事だろう。


その人は牧師を厳しく批判する一方で、
人一倍牧師を慕って頼りにしていた。
教会にいながら孤独の真っ只中にいたと思う。
誰であろうと立ち入れない、
その人と神だけの領域で
何かが起こっているに違いなかった。


その人は元々内臓に病気を抱えていた。
長年の病気と悩みのために、
その人は私達の教会の中の誰よりも
助けを必要としていたと思う。
電話でのやりとりの後、その人は入院した。
私が見舞いに行くと、
牧師が訪れて祈ってくれたと、
その人は子供のように目を輝かせて私に話してくれた。
夜間急に具合が悪くなって入院した時、
その人は誰よりも牧師に来て欲しいと思ったという。
そして遅い時間も構わず病院に駆けつけてくれた牧師が
暗い廊下で一緒に祈り、ずっと傍についていてくれた時、
自分達の教会に牧師が与えられている事を切実に有難いと、
身にしみて有難いと思ったと話していた。


神のなさる事は不思議だ。
不信と憎悪で修復不可能に見えたつながりも、
一瞬にして祝福に変えられてしまった。
しかしそれでも時間が経つとその人は教会を去った。
理想の教会を探して。
その人にとって真の居場所が与えられる事を
祈らずにいられない。
聖霊はすぐそばにいる。
こんなにはっきりと直接的な方法で
警告が与えられる事も現実にあると教えられた。

決心した時

2006-09-03 12:17:09 | メノナイト
1991年の夏の初め、
私は当時定着していたメノナイト白石教会で
洗礼を受けたいと申し出た。
9月の自分の誕生日の前日が日曜日だった。
それまで呪わしいものと思っていた自分の出生日を、
一度死んで新しく生まれる日として
塗り替える事が出来るような、
身勝手な期待をしていた。
その日が洗礼式になるなら時間はまだ充分あった。


「待ってくれますか。」


牧師先生の返事は意外なものだった。
「洗礼準備会をしましょう。
 ただ、少し待ってくれますか。」
待つのは構わないが何故ですかと聞くと、
「今、教会で生まれ育ち長年ずっと日曜学校にいる、
 2人の高校生がいます。
 その2人を井上さんと一緒に
 洗礼準備会に参加させたいので
 彼らの中間テストが終わるまで待って下さい。」


一瞬かっと頭に血が上った。
求道者の信仰よりも
高校生の学校のテストを優先させるなら
洗礼式など10年先でもいい。
私は牧師先生にそう言って
受洗希望の申し出を撤回した。


教会員の子供達は小さい頃から教会で育っていても
中学、高校の年齢になると
部活や受験やいろいろな事情で
教会から離れてしまう事が多い。
親に促されて一緒に教会に来るには来るが、
生まれた時から教会の中にいるので
祈りも賛美歌も聖書を読む事も全て生活の一部として
当たり前になっているため、
自分と主イエス・キリストとの関係を深く考えたり
信仰告白に至る切っ掛けがつかめず、
親達を焦らせていると私の目には映った。
集会での祈りの時にもそれが切実に表わされていた。


「天の父なる神様、御名を賛美します。
 井上さんがイエス・キリストを救い主と認めて
 洗礼を受ける決心をされました。
 神様ありがとうございます。
 どうか神様、どうかうちの子も・・・、
 どうかうちの○○も・・・」


絶句した。
あの高校生達はこんなプレッシャーを
親や回りの教会員達からかけられていたのか。
しかし笑えない。
私の親はわが子の心のあり方に心を砕いたり
なり振り構わず人前で祈るなどした事もないし、
あり得ない。
この教会員の必死な祈りの姿には
親の思いが表わされているではないか。
教会で生まれ育ちながら
まだ受洗の決心を言い表さない高校生の、
神を信じているのかいないのか
親子の会話も減りつつある我が子の魂を案じる親の
切実な思いが。
こんな事で私が短絡的に腹を立てるのは間違っている。
時間を必要とするのは
学校のテストばかりが理由ではないのだ。
自分が試されているとその時思った。
私は受洗の撤回を取り消し、牧師先生に
「待ちます。」と言った。


メノナイトという教派では
幼児洗礼を正当な洗礼として認めない。
自分の意志でイエス・キリストを救い主と認め、
自らの意志で自分の口で信仰を告白して
初めて洗礼を受ける事が出来る。
信仰告白をするかしないかは
主なる神と本人自身との問題であり、
信仰はあくまで本人の意志によって
自発的に告白されなければならない。
親であっても入り込む事は出来ない。
しかし親はわが子の心のあり方に気を揉み心を砕く。


私は2人の高校生と共に洗礼準備会に参加した。
あれこれ考えていた自分の誕生日云々は、
日付が過ぎると馬鹿げたものになった。


2人の高校生達はいずれも寡黙だった。
同世代の他の子供達は既に
自分から信仰告白し洗礼を受けて、
小さい子供達のお守り役や色々な奉仕を務めていた。
2人は何を考えているのか表情硬くうつむき、
少なくとも
自ら望んで受洗準備会の席に着いているようには
見えなかった。
この年齢の子供達に共通する、
周りの者を振り回す要素の一つだ。
訳もわからず情緒不安定になったり暴言を吐いたり
騒いだり暴れたりして周りの者を慌てさせるか、
または逆にぶすっと寡黙で
何を話しかけられても「はい」と「いいえ」しか喋らず
渋い顔をして人と目線を合わせる事すらしない。
私と一緒にテーブルに着いた2人は後者だった。
騒ぐにしろ寡黙にしろ、
回りの大人が自分に注目し心配して
あれこれ気を使うのを当然としているのは同じ。
過干渉を「うざい」と煙たがりながら、
放っておけばふてくされる甘ったれ。
この2人もそうなのか。
2人は親や周りの教会員達に強く勧められて
渋々参加しているのだろうか。
反抗的ですらないのだから掴み処無く厄介だと思った。
私は牧師先生に言った。


「本当に心から望んで
 自分の意志でここに座っているのかどうか、
 本人達にちゃんと聞いて下さい。
 親達や日曜学校の先生に強制されて
 嫌々仕方なく座らされて我慢しているようにしか
 私には見えない、
 一緒のテーブルに着いていて見るに耐えません。」


後日牧師先生が2人に今の気持ちを改めて聞いた。
1人は
「自分はまだそこまで決心がつかない。
 早過ぎると思う。」
と答えた。
正直ではないか。
本人はちゃんと親や回りの者の知らない所で
神様と内緒話をしていたのだ。
その子は翌年に自分から申し出て信仰告白し、
受洗した。
もう1人の子はじっと渋い顔をしていたが意外にも
「洗礼を受けたいと思います。
 よろしくお願いします。」
とはっきり答えた。
後でわかったが、
彼はもっと前から既に受洗の決心をしていたという。
つまり親の祈りは既にずっと前から聞かれていたのだ。
私と同じ日に生まれた兄弟。
今では遭う機会も殆ど無いが、
東京の教会を支える信徒の一人として働いている。
同じ日に洗礼を受けた兄弟の存在は大きな励ましだ。
今でも。


目標の洗礼式まであと少しという頃に、
牧師先生と本人との面談があって
受洗の意志の揺るぎない事を最終確認する。
その最終確認の前に私は大学の先輩に電話をかけた。
その人は学生時代に共産主義に傾倒していたと聞いた。
にも関わらず私が教会に定着するより何年も前から
洗礼を受けたい教会に行きたいと周囲に漏らし、
私なんかよりもはるかに熱心に聖書を読んでいた。
(実に私がちゃんと聖書を読んだのは
 受洗後1年経ってからだった。)
当時教会に行きながらまだ求道者でさえなかった私は、
その先輩が大学内の同級生達を
某政治団体の勉強会とやらに勧誘していたと聞いて
内心快く思っていなかった。
私は挑発のつもりでその人に突っ込んだ。
日頃思想的には神も信仰も否定していながら、
雑談の場では洗礼を受けたいとか聖書読んでいるとか
公言するのは矛盾ではないかと。


「信仰もないのに何で聖書読むの?
 神を否定してるくせに何で洗礼受けたいの?
 共産主義者が洗礼なんか受けてどうしたいの?」


その人は「何でだろう・・」と言ったままだった。
その人の心の深い所に何か葛藤がある事を感じた。
私は無神経な突っ込みをした事を後悔した。
年月が経ち、
自分自身が洗礼を受ける決心をした時になって
私は思い出したのだ。
あの人は今もまだキリストを探し求めているのだろうか。
今もまだ教会に行きたいと思いながら聖書を読んで
葛藤しているのだろうか。
私が洗礼を受けると聞いてその人は電話口で言った。


「あんたは自分の居場所を見つけたんだ。
 おめでとう。
 よかったじゃないか。」


自分の居場所。
私は背中をトンと押された気がした。
その日のうちに私は自分から牧師先生に電話をかけ、
受洗の決心が変わらない事を伝えた。
先輩は結局キリスト者にはならなかった。
その年のクリスマス、
私は1人の高校生と一緒に洗礼を受けた。

木が育つのを見たい

2006-08-09 04:06:54 | メノナイト
ラルフ・バックウォルター宣教師の詩に、
「木が育つのを見たい」がある。


木が育つのを見たい

木が育ち 空に伸び
 葉を一杯につけた腕を
大きく拡げるのを見たい、
 緑の天蓋の下で
休んでいる人々に
 木陰と涼しい喜びを与えるのを見たい。

木が育つのを見て
 手をたたいて
喜び、父なる神である
 創造主を賛美したい、
森に
 生ける美をまとわせてくれるから。

木が育つのを見たい、
 なぜなら創造主が
木の形を
 私の中に作ってくれるから―
それは緑の天蓋の下で
 休息する人々に
木陰と涼しい喜びを与えるためのもの。
 (ラルフ・バックウォルター著矢口以文訳
    『バイバイ、おじちゃん』1986年響文社より)


昔、小学校の夏休みに
科学館のプラネタリウムを見に行こうとして
バスを降りると、
当時まだ舗装されていなかった道路の奥に
可愛い教会があった。
バックウォルター宣教師が
メノナイトの福音伝道の活動拠点にした、
この地で最初の教会だった。
8年前に私がこの土地に戻って来た時、
その教会はまだそこにあった。
週日だったので扉には鍵が掛かっていた。
会堂は古い写真のままだった。
前庭の木立が大きく育って、
野鳥の群れが敷地を占領していた。
昔は英語教室もしていたという。
子供が大勢集まり過ぎて
教室を2つに分けたという話を
バス道路沿線の喫茶店の店主から聞いた。
彼も昔、そこに集まった少年の一人だった。
街の画家が描いたその教会の絵を、
彼は自分の店に飾っていた。
その絵は今、古い教会員が買い取って大切にしている。
バックさんは30年後の教会にどんな夢を持ち、
どんな想像をしていただろう。
小さな額縁の中の教会は、
画家の目を通して可愛らしく鎮座していた。


時代は変わって、
この街から札幌や東京へ人がどんどん流れ出て行った。
仕事を探して。
かつては天幕伝道や英語教室や
映画の上映会やクリスマスに
大勢の若者や子供達が詰め掛けた。
楽しい賑やかな時代が過ぎ去って、
彼らがこの街から姿を消しても
教会に残った人々は神を賛美し
聖書を開いて会の灯を絶やさず祈りを捧げ、
キリストの体を支え続けていた。
私は知っている。
通りすがりに見かける懐かしいあの教会もこの教会も、
その建物の内側には
生きたまま血を抜かれるような苦しい闘いをしながら
この土地でキリストの体を支え続ける信仰者達がいる。


あの可愛い教会は数年前この地上から消えた。
教会員達が天に帰り、或いは自ら立ち去り、
そして他の土地に仕事と住まいを探して
この地を去って行った。
教会に集まる人が減って
真夜中に若者が侵入して敷地内で悪さをし、
泥棒に灯油を抜かれても無防備なまま、
充分に対策して持ち堪えるだけの
力は残されていなかった。
最後にその扉を閉じた人達の気持ちを思うと
泣きたくなる。
自分が招かれ、祝福され、洗礼を受け、
聖書を分かち合い、賛美歌を歌い、
兄弟姉妹と話し、天幕伝道や街頭の募金活動をし、
大鍋で作ったカレーライスやうどんを共に食べ、
卓球をして遊び、
時に議論や衝突も苦い痛みも味わい、
結婚式をし、子供が生まれ、
たくさんの仲間を迎え、
先輩達を天に見送り、
そうやって苦楽を共にしてきた自分達の帰る家が
この地上から消える。
皆が貧しく物も金も充分なかった時代に
たくさんの仲間の手と熱意で、
まさに自分達の手で土台を据え、
力を合わせて建て上げた会堂の扉を、
最後に残った人達はどんな思いで閉めただろう。
自らの手で扉を閉めたその痛みは想像もつかない。


街に住む人は
あの可愛い教会をよく憶えていて懐かしみ、
何とか残せなかったんだろうかと言う人もいた。
私の職場にいた看護助手のおばさんもその一人だった。


「バックさんの子供達が赤ん坊の頃から知ってるよ。
 あの会堂を建てた時、私は手伝ったんだ。
 寂しいねぇ。何とか残せなかったのかねぇ。」


あの建物を惜しんだ人はたくさんいる。
実際、
遠くから教会を眺めていた人や
かつて教会から自分の意志で立ち去った人や、
教会に足を踏み入れた事すらない人までが
あの会堂を惜しんだと聞いた。
通りすがりの小学生に過ぎなかった私でさえが
気に留めていたのだ。
あの会堂がどれ程人から愛されてきたか理解できる。
しかし
皆に惜しまれたあの建物の内側にいた人達、
キリストの体を支えるためあらゆる犠牲と
時間と祈りを捧げ続けていた人達の存在に
目を留めた人は
建物を惜しむ人々の中にいただろうか。
扉を閉じるもっと前に。


誰か一人でもその祈りと賛美の輪に加わるか、
それが出来なくても
中の人々の背負っていた重荷に心を留めて
励まし力づける事が出来なかったのは何故だろう。
無関係なその辺の人ではなく、
別の教会で信仰生活を営む信者でもなく、
かつてあの教会に直接関わりながら離れ、
会堂の建物を懐かしみ惜しむ人達の中から
再び教会に足を運ぶ者が起こったなら、
教会は今もそこに生き残っていたかも知れない。
何故なら、
本来は彼ら自身が教会だったのだから。
教会は建物ではなく生きたキリストの体だから。
会堂の内側で兄弟姉妹が主なる神に捧げる
生きて血の通った祈りの灯し火こそが教会だからだ。
それこそが教会だったのに、
何故皆、建物だけを惜しがったのだろう。
人が立ち去って灯し火が途絶えた時点で、
既に教会はこの地上から取り去られ、
消えて無くなっていたのに。
後に取り残された抜け殻の建造物を
外側から懐かしがり愛しんで教会と呼んでも、
拝んでいる相手は偶像。


私がまだ洗礼を受けた札幌の教会にいた頃、
青年会に集まっていた学生の一人が
雑談の中で言った言葉を思い出す。
私は思う。
当時やっと20歳になるかならないかだった学生。
彼の言っていた事は正しい。
キリスト教徒になって半世紀も経つ大人達の方が
全然解ってない。


「教会って、
 ボク達に与えられた信仰生活の場、
 帰るべき家として神様がボク達一人一人に
 与えて下さったものだと思う。
 誰でもみんな出会いを通して
 それぞれ自分の居場所を与えられてる。
 だからボク達は感謝して
 神様から与えられた居場所で忠実に働くべきなんだ。
 いつか別の場所に行って新しい仕事をしなさいと
 神様から新しい道を与えられるまで留まるべきだ。
 自分から好き嫌いで教会を選んで
 離れたり移り歩くのは、
 ボクはキリストの弟子の道とは違うと思う。」


(その通りだと思うよ。)


でも大丈夫。
建物の扉を閉じて、
会堂がこの世から姿を消しても、
一つの仕事を忠実に果たし終えたのなら、
次の新しい家と仕事がまた与えられる。
そしてまた新しい働きをして、
木は枝を伸ばしていく。
私はそう信じる。

黒猫

2006-07-28 05:37:07 | メノナイト
ここ数日、
自分の内部の文章化しにくいものを
自分で読むために無理矢理書く作業をしていたので
ずっと出力状態だった。
消耗した。
出力状態の時は空腹を感じない。
睡魔も襲って来ない。
昨日の朝から起きていてそのまま今朝を迎える。
時間を意識しない。
カモメやカラスが騒ぎ出してやっと朝だと気づく。
こんな朝を、猫と一緒に過ごした事がある。


昔、宣教師が建てたという旧福住センターには
メノナイト教会の関係者が数人で共同生活をしていた。
老朽化して防火条例にぎりぎり触れそうなほどの
古い建物にはネズミが出た。
住人が貰って来たのか誰かが貰って来たのか
ネズミ捕りのための猫を飼う事になった。
それもまだ子猫をやっと脱するかどうかの雌の黒猫を。


その黒猫は自閉症だと住人が私に言った。
貰って来る前の飼い主の家で
まだ小さいうちから子供達に虐待されて
人間恐怖症状態になった猫。
誰かがドアを開けて入ろうとした瞬間飛び掛かる。
立ち上がろうとすると
逆毛を立てて敵対反応の姿勢をとる。
歩くと足首に噛み付く。
顔を覗き込むと奇声を発し、
目は瞳孔が全開になり、
怯えてわなわなする。
ネズミ捕りどころではなかった。
私はこの黒猫を面白がって猫じゃらしでちょっかい出したり
よくからかって遊んだ。


ある日、勤務先から近いこともあって
私はBSで放送される映画を録画しに立ち寄った。
(自宅のテレビはBS無しだ。今でも。
 どうせ1週間延べ30分位しか見ないから)
目的の映画の放映は午前0時過ぎ。
私はうっかりソファの上で撃沈した。
数人集まって食べたり話したりしていたが、
他の客や住人達は私の眠っている間に引き上げたらしい。
黒猫が私の肩や頭に手を掛けて何か訴えていたが、
夜勤明けだったので構っていられないほど眠くて無視した。


その黒猫、構ってもらえないとなると
意地でも構われたいのか、
私の頭にパンチしたり髪の毛をしゃぶったりしていたが、
なおも無視していると、
急に足音を立てて室内を走り出し、
一周して私の顔面に蹴りを入れた。
私は起きて猫用バスタオルでぐるぐる巻きにして
床に転がしてやり、
そのまま部屋を出てドアを閉めた。
ちょうど30前。
いい時間だった。


知人が寄贈して行った大型テレビの前で
ロッキングチェアに座っていると、
ドアをがりがり掻き毟っている。
映画『ざくろの色』の前に
パラジャーノフのドキュメンタリーがあった。
ドアに体当たりしている。
『ざくろの色』が始まった。
しおらしい、哀れっぽい声で何か言っている。
うるさいので開けてやると
私の隣、テレビの真ん前のテーブルに乗った。
住人に怒られるぞと思って一度下に降ろしたがまた乗った。
暴れまわる様子もないし
面倒臭いのでそのままにした。


テーブルの真ん中には
住人の食べ残した菓子の入った大皿があるのに
全く興味がないらしい。
大きなテーブルの上の、
わざわざ端に寝そべって
私と顔を並べて
テレビの画面を見ていた。
目線がちょうど私と同じ高さだな、と思った。
人間と同じ目の高さでテレビを見たいのか?
飽きる様子もなく約90分間、
映画が終わるまで私の隣で
画面の中の人や物の動きを
凝視していた。
最後まで。


パラジャーノフの作り出した
音と色に酔っ払い、
寝不足も限界を超え、
私は意味不明の上機嫌になって
テープを巻き戻すと再び見始めた。
2度見直しているうちに、
途中でカラスが鳴き始めた。
外は薄明るくなっていた。
黒猫は
私がテレビの電源を落とすまで
私と顔を並べたまま
時々瞬きしながら画面に見入っていた。
体内時計が完全に狂ったなと思いながら
私も画面に見入っていた。
約4時間半。
小顔でなかなか美人だった。

賛美の歌

2006-07-23 01:07:31 | メノナイト
私の母教会、札幌のメノナイト白石教会にいた頃、
知人から日本クリスチャン・ペンクラブ発行の
『祈りについて』という文集を一冊頂いた。


その中に寄せた一文の中で、水谷節子さんという方は
御自分の祖母の事を書いている。
400字の短い文章から鮮明な情景が浮かび上がってくる。
大正時代の受洗。
信仰生活60年。
賛美歌の好きだった人。
水谷さんのお祖母さんは60年という歳月の日々の生活の中で
賛美歌を歌いながらどんな事を思っていたのだろう。
愛用したのは足踏みのオルガンだろうか。
その背後にガラス越しの午後の日差し、
晴れ上がった高い空が見えるような気がする。


水谷さんは文中で言う。
「私は一人で耐えられないから賛美歌を歌う。」
私もそうだ。
この1行の文に言葉で言い表せないほど共感する。


意気消沈している時、人との語らいに飢えを感じる時、
無性に賛美歌や聖歌を
聴きたくなったり歌いたくなったりする事がある。
久しぶりに皆の顔を見たいと思っても日曜日がずっと仕事で
塞がったままひと月以上経った時、
道を歩いていて何となく唇から歌が出てくる。


礼拝に出られなかった日。
「神の力を常世に讃えん・・・」(賛美歌1番)
「力の主をほめ讃えまつれ・・・」(賛美歌9番)
今頃はもう礼拝が始まっているだろうな。
「天地こぞりてかしこみ讃えよ・・・」(賛美歌539番)
「父御子聖霊の・・・」(賛美歌541番)
今頃は頌栄を歌って礼拝が終わる時間だ。
「日々の糧を与えたもう恵みの御神はほむべきかな・・・」
                     (賛美歌?番)
今頃大鍋で作ったカレーを皆で食べているに違いない。
いや、うどんかな。


夜の聖書研究祈祷会に行けなかった夜。
「日暮れて四方は暗くわが霊はいと寂し・・」(賛美歌39番)
「わが霊の光、救い主イエスよ・・・」(賛美歌38番)
「静けき祈りの時はいと楽し・・」(賛美歌310番)
今頃は皆で聖書を開いて輪読しているだろう。
今頃はきっと皆で祈っている。
今頃はもう皆帰ったかな。
今頃は・・・・・。


今日も教会に行けなかった。
そんな事を思いながら一人で道を歩く。
気がつくと歩きながら歌っている。
「久しく待ちにし主よ疾く来たり、解き放ちたまえ・・・」
                     (聖歌620番)
「主よ御許に近づかん・・・」(賛美歌320番)
教会の喧噪が恋しくなる。
そんな時、無性に誰かと賛美歌や聖歌を歌いたいと思う。
何かの目的のためでなく、
何となく皆で手に聖歌や賛美歌の本を持って、
お互いの好きな歌を出し合ってリクエストして何曲でも歌う。
時間を気にせず、明日の仕事を気にせず、
一つのパンを皆で少しずつ分け合って食べるように、
一つの歌に込められた思い出なんかを語り合いながら歌う、
そんな事が無性にしたくなる。


手に余るような自信のない仕事を
一人でしなければならない時、気がつくと歌っている。
「わが身の望みはただ主にあるのみ・・」(賛美歌280番)
「神はわがやぐら・・・」(賛美歌267番)
「歌いつつ歩まん、ハレルヤ・・・」(聖歌498番)
歌いながらその歌を誰かと一緒に歌った時の事を思い出す。


 昼はもの言わず
 夜は語らねど
 声なき歌声
 心にぞ響く(賛美歌74番より)


いつも気がつくと歌っている。
誰かが一緒に歌ってくれる気がして。

一緒に何か食べること

2006-07-21 06:43:20 | メノナイト
福音書には、食事をする場面がたくさん出てくる。
イエスは罪人や興味本位の律法学者とも一緒に食事をされた。
復活された後も、
イエスは御自分を見捨てて逃げた弟子達と一緒に
食卓を囲んだ。
裏切りを責めず、許す許さないも一切言わない。
許せない相手と一緒に食事ができるものだろうか。
自分を裏切って見殺しにした相手と一緒に
何か物を食べて喉を通るだろうか。
イエスが御自分の方から相手を受け入れる姿勢を
貫いておられる事が読み取れる。


イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
           (ルカ24;41~43新共同訳)


和解を求めたのは弟子達からではなく、イエスからだった。


札幌から移転する少し前、
私は光明センターに本を買いに行って
修道士やお店番の人とつい楽しく立ち話になっているうちに
お茶をご馳走になった。
いつも楽しくお喋りさせて頂いてお茶をご馳走になるので、
私は和菓子を持参していた。
皆で食べてくれたので私は嬉しかった。
そこに神父様が帰って来て、
うぐいす餅でお茶を飲みながら私に話しかけてきた。
「どちらの教会の方ですか?」
私はメノナイト教会の者だと答えた。
「名前だけ聞いた事があります。どんな教会ですか?」


中世ヨーロッパで
キリスト教会が世の中を政治的に支配していた時代に、
民衆を管理するための
戸籍や住民登録のように意味づけられていたという幼児洗礼を
正統な信仰のあり方として認めない、
再洗礼派という群れが現れた。
彼らは初めはカトリックに、
後にはプロテスタントによって弾圧され、
生き残った末裔にメノ・シモンズという人がいて、
メノナイト派という教派が生まれた・・?らしい。
私は自分の教会の属する教派なのにあんまり詳しくない。
同じメノナイトの仲間から顰蹙を買うような
お粗末な説明をした。


「そうですか。すみませんでした。」
神父様が頭を下げるので私は慌てた。
「いえ、そんなの500年もの大昔の事です。
私達北海道のメノナイト教会は、
別に誰かから迫害された訳ではなくて、
第二次世界大戦の後に生まれたんですよ。」


私は詩集『バイバイおじちゃん』を残して
帰天したメノナイトの宣教師の一人、
故バックウォルター師の事を思いながら話した。
メノナイトの宣教師達は、その活動の地を偏狭な地方の
特に条件の悪い地域を選んで伝道した。
まだ教会の建てられていない地域、貧しい農村など
他の教派の宣教師が足を伸ばさない地域に住む人々に
キリストの福音を伝えるため、
宣教師達は北海道東部の釧路と帯広を拠点に選んだ。
現在北海道にある私達メノナイトの各教会は
そこから足を伸ばすようにして種が蒔かれ、生まれたのだ。
故バックウォルター師は第二世界次大戦が始まると、
19歳の時キリストの教えを守って信仰のために兵役を拒否し、
母国アメリカで強制収容所に入れられていた。
終戦になって強制収容所を出ると、
彼はメノナイトの仲間の宣教師達と共に
原爆や空襲の償いをすると言って宣教師として日本に渡った。
和解のために僅かでも役に立ちたいと願って
毛布や食糧と聖書を配布し、天幕伝道をし、
そこからたくさんの受洗者が生まれ、
キリスト者として信仰を育てられ、教会がいくつも生まれた。
バックウォルター師から洗礼を受けた人の話を、
私はそのまま神父様に話した。


「素晴らしいですね。」
カトリックの司祭にそう言われると私は恥ずかしかった。
お粗末な説明以上に
もっとお粗末な信徒が偉そうに喋っていたので。
神父様も私に自分の信仰の話を話してくれた。


「私も受洗したのは終戦後です。
 戦争が終わって価値観が何もかも崩れた時に、
 田舎の暗い夜道で、
 いつも灯りが洩れていて賑やかな所がありました。
 プロテスタントの天幕伝道でした。
 集会に行ってみると皆優しくて親切でした。
 つまり私は当初プロテスタントだったんです。
 ある時私はカトリックの教会に喧嘩を売りに行きました。
 歴史的知識や聖書の知識で武装して、
 攻撃準備して行ったんですが、
 出て来たのは中国伝道から日本に来たばかりの、
 日本語の全然上手くないイタリア人の神父様でした。
 私が喧嘩を売りに行くと、
 へたくそな日本語でいきなり
 『タベタカ?』
 と言ったんです。
 あなたは食事を済ませたか、空腹ではないか、
 という意味だとやっとわかりました。
 私はその時食事をまだしていなくて空腹でした。
 神父様は
 『私もう食べたけど、お前と一緒に、
  また食べてもいいぞ。』
 と言って食事を出して、
 一緒に食べて下さったんです。
 参った、負けた、と思いました。」


そのイタリア人司祭が宣教活動をしていた当時、
中国では誰もが貧しくて、
その日何も食べられない事も珍しくなくて、
人と会うとまず何か一緒に食べてから
話をしたのだという。


「後でその神父様は笑って言いました。
 『皆には言葉で伝道したけどお前には胃袋で伝道した。』
 以来私はカトリックに来て、司祭になったのです。」


神父様はまた来てくださいね、と言って
せかせかと次の訪問先に出かけていった。
食を共にする事は和解なのだ。

信じる理由

2006-07-13 01:32:50 | メノナイト
私はイエス・キリストを信じています、という時に
その理由を聞かれた事が2度ある。
イエス・キリストを信じる理由。


準看の学校を卒業して正看の学校を受験した時。
一次の筆記試験に合格し、
二次の面接で聞かれたのは私の信仰についてだった。
自分が信徒である事を公にしたいのと、
両親とは当時まだ絶縁状態だったので他に誰も頼める人がなく、
願書の身元保証人を
私に洗礼を授けて下さった牧師先生にお願いした。
相手はそこに注目した。
面接の担当者は札幌市医師会の役員で市内の開業医だった。
「あなたは神を信じてるんですか?」
「はい。」
「じゃあ、あなたは
どんな時でも神が助けてくれると思ってる?」
「はい。」
「病気になっても?」
「はい。」
私が「はい」と答えた瞬間、
その医師の顔に侮蔑的な笑いが浮かんだ。
私は自分が不合格だと直感した。
「ふん。じゃあ医療なんぞ要らないだろう。
神頼みで病気が治るんだったら簡単だよな、
医者も薬も看護婦も無意味だ。要らんだろう。」
私は反論せず黙っていた。
「で、あなたはどうしてクリスチャンになったんですか。」
どうして。信仰の理由。
ただの興味本位に過ぎない質問だったが、
答えられる限り答えようとした。
しかし、
今思い出しても私の答えは信仰に至る経緯の説明に過ぎず、
信仰の理由を的確に語ってはいなかった。
当然結果も不合格だった。
答えられないのは、
自分が何故生まれたのかわからないのと同じだと思った。


その数年前にも同じ事を聞かれた事があった。
私が洗礼を受ける直前、
家庭集会で知り合ったSさんは、
ある夜帰りの地下鉄の最終を逃してしまった。
結局その晩は私の狭い部屋に泊まって、
教会の事、信仰の事、
お互いの家族の事を明け方まで話し込んだ。
Sさんと私とはそれぞれが家族の事を重荷に感じていたが、
抱えている悩みこそ全く違う種類の別物でありながら、
生まれ育った家庭環境に
自分の身の置き場を見つける事が出来ないという一点だけで
お互いに共感し合っていたと思う。
Sさんは私に聞いた。
「あなたはどうしてイエス・キリストを信じるの。」
どうして。
どうしてという、キリストを信じる理由を
的確に表現する言葉は見つからなかった。
Sさんは私が洗礼式の信仰告白のために準備していた文章を
読んでこう言った。
「あなたには
イエス・キリストでなければだめだという事はわかった。
でも私は違う。
救ってくれさえすれば誰でもいいの。
おシャカ様でも、他の何かでも、オウムでも、統一教会でもね。
私はクリスチャンに向いてないね。
やっぱりもう教会に行くのやめるわ。」


私の書いた信仰告白の文章はSさんの躓きになったのだろうか。
洗礼式の後に、
全教会員達の前で読み上げるために書いたその文章は、
自分が信じるに至った正直な心境を書いたつもりだった。
しかしそれはSさんの問いに対する解答ではなかったのだろう。
Sさんの求めていたものではなかったのだ。
教会に行くのをやめると言われても私は別に動揺しなかった。
むしろ人を動揺させ関心を引いて
掻き回そうとするのかと内心憤慨した。


私は自問自答した。
何故私はキリスト者になったのだろう。
宗教色のない家庭に育ったのに、
自分にとって信じる対象は
イエス・キリスト以外であった事がなかった。
思想や哲学書、
占いや宗教書を興味本位で弄んだことはあっても、
クリスチャンの人々が嫌いだった時も、
教会に幻滅して一度離れた時も、
聖書など読んだ事もなかった時から既に、
心の奥底の一番重要な座を占めているのは
常にイエス・キリストだけだった。
何故イエス・キリストでなければならなかったのか、
他のものでは何故だめなのか私にはわからない。
イエスの教えも知らなかったのに、
信じる信じないに関してはどうしてもキリストにこだわった。
どうしてか。
いくら自己分析してもこれ以上分析のしようがない。
自分はイエス・キリストに対して言葉で説明できない、
懐かしい感情を抱いているとしか、
Sさんに伝える言葉が見つからなかった。


Sさんと私とは同じ教会ではなかった。
私よりもひと足早く洗礼を受けたいと申し出て、
突然それを撤回して周囲を慌てさせる事を数回繰り返し、
その時Sさんの授洗は留保されたままだった。


当時私の自宅によく無言電話がきた。
家庭集会の食事の席で私は愚痴をこぼした。
「昨夜また無言電話があってさぁー。」
Sさんがさらっと言った。
「あ、あれ私。」
「何かあった?」
「ううん。何でもない。」
そんなやり取りを何度かした。
私は無言電話がくるとまたSさんかなと思うようになり、
やがて驚かなくなった。
「何かあった?」と聞いても、
Sさんは不可解なうす笑いを浮かべて何も答えなかった。


ある時一緒にコーヒーを飲んでいると、
「見て。」
Sさんは私に秘密の宝物を見せるようにテーブルに出した。
数錠の睡眠導入剤だった。
「持ち歩いてると安心するの。」
わざわざそれを私に見せびらかしたSさんの動機。
何だろう。
自分の病巣を露出して同情を引きたいのかと、
気分が悪くなって邪険に言った。
「捨てなよ。そんなものまとめて飲んでも死なないし。
記憶障害起こすだけなんだから。」
Sさんはその時も笑っていた。
「いいの。お守りにしてるだけ。」


Sさんが心理的に追い詰められていると知ったのは
ずっと後になってからだった。
Sさんは家庭集会から地下鉄までの道を歩きながら
私に話してくれた。
中学で苛めにあった弟が統合失調症になり、
部屋に引き籠って壁に穴を穿ち、
父親の背広を切り刻み、母親に手をあげていた。
弟は受診も服薬も拒否し、
騙して食事に薬を混ぜるのも難しかった。
母親は心臓を悪くして寝込んでしまい、
父親は世間体を気にして弟を病院に連れて行こうとしない、
と話す当のSさん自身も家族の中で孤立感に苛まれていて、
ひどく情緒不安定だった。
そんな状況から救ってくれるならキリストでなくても、
誰でもいいとSさんは私に言っていたのである。


クリスマスの前夜、
Sさんと私は教会のクリスマスの祝会で会う約束をしていた。
皆も当然Sさんが現れるものと思っていたが、
電話もつながらず、結局来なかった。
Sさんは翌週の家庭集会に現れた。
「Sさんが来るかと思って皆待ってたのに、
何で来なかったの?」
どんよりした表情に曖昧な笑みを浮かべたSさんの言葉に、
私は絶句した。
「行くには行ったの。
教会のドアを開けると皆の声がして、
賑やかで楽しそうで、幸せそうで、それで、
あ、だめだと思って引き返して帰った。」
教会の入り口まで来て、誰の顔をも見ずに引き返した・・・。
言葉が見つからなかった。
考え込んだ私に、家庭集会の主催者は言った。
「そっとしておいてあげなさいよ。」


その後私は病院勤めに入り、
それまでとは別世界で試行錯誤した。
Sさんが間もなく洗礼を受けたと人づてに聞いた。
不合格だった正看コースへの再受験を目論みながら、
準看として臨床1年目に入り、無我夢中だった11月になって
熟年離婚の後一人暮らししていた父が脳梗塞で死にかけ、
私は進学を諦めて札幌を離れた。



Sさんと最後に会ったのは一昨年だ。
偶然行き会ったSさんは溌剌と輝いて見えた。
何て美しくなったのだろうと思った。
あの腫れぼったく暗い、掴みどころのないうす笑いは消え、
しばらく留学していたと話す声も表情も、
別人のように生き生きとして、
ああ本当のSさんはこんなに明るくてチャーミングなのだと、
もう信仰の理由とか迷いとかを突っ込んだり絡んだりもしない、
これから仕事探して働いて、
どんどん前に進むのだな、と思った。
また私が札幌に来たら会って
ゆっくり話そうと言ってお互いに別れた。
私は再会を疑わなかった。


それから数ヶ月後、私は手術場の長時間の立ち仕事のためか
腰椎椎間板ヘルニアで入院していた。
痛みで身動きならない時にSさんからメールが来ていた。


 仕事は仏教系の学校に決まってそこで働いてます。
 私なりの反逆なの。
 あの後私は教会とは距離を置いていて、
 今はもう行っていません。
 私にとって教会と呼べるのはあの家庭集会だけです。


私から返信したのは
急性期の痛みが落ち着いてかなり日数も経ってからだった。
入院中だとは知らせなかった。
何かただならぬ事が起きている気がして、
私の椎間板の話などどうでもいい気がした。
とりあえず返信してみた。

 元気?
 家庭集会懐かしい。
 今、誰と誰が来てますか?
 Kさんは元気?
 聖書の何処を読んでますか?
 仕事決まってよかったね。
 でも何でそれが反逆なの?

Sさんからは
「Kさんは元気だよ、いつも元気」とだけ返事が来た。
もう一度送信してみた。

 何かあった?

Sさんから返事はなかった。
私は「何かあった?」の送信を数回繰り返して苛立ち、
「またか。」
諦めた。


間もなく私自身が自分の事だけで精一杯な立場に追い込まれ、
Sさんに連絡をする事も念頭から遠退いてしまった。
椎間板を手術するか保存治療するかで揉め、
入院生活が耐えられず自宅療養する間に配置換えされ、
一から検査全般の業務を覚えなければならなくなって慌てた。


検査業務を覚えるのに必死だった年の暮れ、
久しぶりに教会に行って、Sさんの訃報を知った。
12月24日の夜に急病死したとだけ。
急病死。急病って何の?病名は?
心筋梗塞らしいと噂を聞いた。
急性心筋梗塞・・・12月24日の夜に?
詳しい事情は誰も知らない。
死後数日経ってから勤務先で学校葬として行なわれた葬儀は、
仏教式だった。


Sさんあなたいつもそうだったよね。
胸騒ぎ起こさせるような、
SOSのサインみたいな言葉を投げて寄こして、
聞き返そうとすると
わざとすり抜けて逃げて私達を慌てさせてた。
ずいぶん混乱したよ。
何回も。
昔からそうだったね。
追いかけたり引き止めたりして欲しかった?
何で反逆なの。
あなたを慕ってた生徒が大勢集まって
皆泣いてたと聞いたよ。
何で12月24日の夜なの。


ちゃんと会って話したかったね。
また会って話せると思ってた。
何故信じるかって、
信じるために、理由なんて必要だろうか。

大切なのは

2006-07-08 18:50:45 | メノナイト
Mindfulness

 固定観念にとらわれず

 惰性でマニュアルをなぞるような心の使い方は避け

 新鮮な興味と積極的な関心を持ち

 対象のひとつひとつに新しい構えで関わり

 心の燃えを感ずるような

 そんな心のありよう。(Dr.M)



ともちゃん

 そんなに勉強するんじゃねぇ

 神様は人を救うけど

 学問は人を救わねぇ

 余計な事考えないで

 迷子のちびっ子が親にむしゃぶりついてくみたいにさ

 イエスさまーって行きな

 大切なのはそれだけだ。(Tさん)



何もかも全部を

 理解できなくてもいい

 一番大切な事さえ知っていれば

 イエス様が私達のために

 十字架にかけられた

 そして甦られた

 それさえ知っていれば充分。

 他のものは後からついて来る。
           (洗礼を授けて下さったA牧師先生)

立派な証し?

2006-07-07 12:55:35 | メノナイト
晴佐久昌英著『恵みの時 病気になったら』
                サンマーク出版 2005年



「僕達キリスト教徒は、
死の苦しみの時にも主よアーメンとかハレルヤとか、
信仰深く立派な証しをしなければならないでしょうか。
僕は自信ありません。」
仕事が休みで夕礼拝に出ると、Bさんが話していた。
Bさんは肝臓の具合が悪くて、その少し前まで入院していた。
ある日、全身にひどい発疹が出て呼吸困難になった。
息を吸い込む事が出来なくて苦しんだという。
「死は必ずやって来ます。」
息が出来なくなった時、死を意識したのだろう。死の恐怖。


でも「立派な証し」って何だ?
私達にとって身近な作家の三浦綾子さんとか、
瞬きの詩人の水野源三さんとか、
或いは末期癌の臨終の苦しみの中で
「Oh…lord」という言葉を残して帰天した私達メノナイトの
バックウォルター宣教師みたいに、
皆を感動させるような、励ますような、
皆の信仰をさらに高めるような、
そんな立派な信仰深い闘病や
死に方に対する憧れがあるのだろうか。
いや、憧れというよりも
暗黙のプレッシャーが私達にはあるような気がする。
「信仰深い感動的な態度、表現、姿勢を
死の苦しみの時にあっても貫く」みたいな、
美化された闘病や臨終を「しなければならない」かのような、
あり得なく不自然で変なプレッシャー。
Bさんはその事を言っているのだと思う。
わかる気がする。


確かにあると思う。
本当に辛くて苦しくてのた打ち回るほどの時に限って、
入院している事も、何の病名で治療してるかも、今の病状も、
誰にも知られたくなかったりするし、
元気になるまで誰にも近寄られたくなかった事が
私にも実際ある。


例えば、
「私、今悪性の病気で借金があって貧乏で家族とも音信不通で
孤独ですけど、それでもこんなに
信仰の喜びに満ち溢れて喜んでます、
だっていつも喜んでいなさいって
聖書に書いてありますから♪」みたいに
取って付けたように尻上がり寿的な
予定調和的な喜びを演じて、皆の信仰を励ますような
かっこいい事を言わなければならないのに、
実はそれどころじゃない。
本当は痛くて苦しくて解決できない悩みもあって、
誰彼構わず罵って殴って暴れ回りたい、
そこら中の物をこっぱみじんに叩き割りたい、
けれどチクショー体が動かない、
家族友人みんな出て行け、
看護婦の嘘つき、医者の役立たず、
神様のバカヤロー、さあ殺せ、殺してくれぇぇぇぇぇぇぇ!
のような状態に、
自分がなってしまうかも知れない・・・という事。


これ何か変だ。何か変。
病気で辛い思いをしている人が、何で
立派な信仰態度を見せるべくプレッシャーをかけられて
病気の苦痛の上に
苦痛をさらに上乗せされなければならないのだ?



Bさんはある末期癌の人の
死に対する姿勢を知って励まされたという。
その人は言った。
「私は人々を感動させたり
勇気付けるような死に方は出来ないかも知れない。
惨めに苦しんで泣き言や恨み言を吐きながら
四転八倒して醜く死ぬかも知れない。
近くにいる人はあまりのひどさに目を背けるかも知れない。
しかし私は思う。
私の惨めな断末魔を見た人は、私の死後、
生きる事の意味を考えるだろう。
惨めな最期であればこそ、
私の死は誰かが生きる事の意味を問い、
死を迎える心構えの機会になるだろう。
立派な証しを出来なくても、
誰かが何か意味を見出すために役立つかも知れない。」


Bさんはその人の言葉によって
少し安心して死を迎えられそうだ、と言う。
そりゃまだ早すぎるってBさん。
「僕も死の間際に立派な証しを出来ないかも知れないけど、
誰かが生きる事と死ぬ事を考えるために
僕でも役立つかも知れない。」
聞いているうちに一粒の麦の例えを思い出した。
それを言うとBさんは、
「僕も最初そう思ったけど、
十字架に架けられたイエス様の死と僕なんかの死を
一緒にするなんておこがましいよ。」と言った。
おこがましくはないよ。命は全て主のものだから。
命を自分のものと思えば驕りになるけど、
命が全て主のものである以上は、
どんな死であってもそれだけの価値はあるはず。


人間が苦しんで苦しんで死ぬという、
そんな断末魔にその当時まだ私は出会っていなかった。
苦しんでいるうちはまだ生きている。
意識が途絶えて苦しまなくなってもまだ死は来ない。
生きたまま水袋のように膨れ上がり、
凄まじい勢いで組織が崩壊していく。
モニターの停止した瞬間に初めて、ああ、終わった、と思う。
一人の人間の人生が完結した瞬間、
その人にお疲れさま、最後までよくがんばったね、
と話しかけたくなる。
看護師や看護助手が死後処置をしながら
遺体にそう話しかける光景を何度も見た事がある。
そう話しかけたくなるのだ。誰でも。
「お疲れさま。」
たとえその遺体が熟れ過ぎて崩れた柿のようであっても、
骨に薄皮一枚貼り付けただけみたいに干乾びていても、
血と膿と吐物や排泄物に塗れていても、
悪臭を放つ巨大なカリフラワーに占領されていても、
思わず声をかけたくなるほど気高く厳粛なものだ。
「お疲れ様でした。大変でしたね。
最後までよくがんばりましたね。」


信仰の喜びに満ちた、平穏な死であれば幸いだと思う。
しかし心の悩みと肉体の苦痛に苛まれた惨めな死であっても、
実際その場に居合わせた者は必ず
生きる事と死ぬ事の意味を自分に問う。
目の前で見ると、問わずにいられない。
だからどんな死であっても
一粒の麦である事に変わりはないと思う。
おこがましくないよ、と私はBさんに言いかけたが、やめた。
Bさんとそれ以上死の話をしたくなかった。
血色の減退した、黄ばんだ顔を見ていると、
近いうちに現実のものになるような予感がしてくるから。
死は必ず来る。だからそれまでは生きる事を考えるのだ。


病気の時に皆を感動させるような
立派な証しをしようなんて考えてられるか?
だいたい立派な証しって何?
内心では大泣きしてるのに、
空々しく自分を飾っていられるか?
そんなカッコいいはずないじゃない。
何か変だよ。何か。


その夕礼拝からしばらくして、
ある日私はカトリック北11条教会の光明センターに行った。
私は日頃から永井隆さんやアントニー・デ・メロ師の本や
テゼのCDを買いにその店に行き、
修道士さん達とよく長い立ち話をしていた。
買った本を袋に入れて貰う間、
カウンターに積まれた薄い小冊子が目に入り、
何となく立ち読みした。
『信徒使徒職養成シリーズ5
 病人訪問 いやされるかかわり』
              (カトリック福音センター刊)
冒頭の詩に目が釘付けになった。
晴佐久昌英司祭の詩だった。


 病気になったら、どんどん泣こう
 痛くて眠れないといって泣き、
 手術がこわいといって涙ぐみ、
 死にたくないよといって、めそめそしよう
 恥も外聞もいらない
 いつものやせ我慢や見えっぱりをすて、
 かっこうわるく涙をこぼそう・・・


あ、これだ。
Bさんや私が引っかかってたあの「何か」は、この事だ。
ごめん。これも追加して下さい。
この詩大ヒットだよ、
私達が引っかかっていた問題に対する大ヒット。
私はそう言ってその店の修道士や店員さんに読んで貰ったが
「ふ~ん。」
何がそんなにヒットなのかはいまいち伝わらない様子だった。
教会に持って行ってBさんや皆に紹介した。
皆一様に「すごくいい詩だ、感動した」と賞賛するだけで
あまり解って貰えない気がした。
Bさんに至っては「あー。夕礼拝の時そんな話したっけねぇ」
それでもうこの話はやめ。


10年経って、今では
『病気になったら』の詩は皆に愛されて一冊の本になっている。