今日は最後の講壇交換で
近隣の同教派の教会の牧師先生が説教奉仕に来ている。
招詞
詩篇135;1~4
賛美歌
全地よ、主に向かい歓喜の声をあげよ。
歓びの歌を主に携え行け。
造られし者は知れ、主こそ神と。
我等は主のもの、主の羊の群れ。
感謝の歌を歌い進め、主の門に。
御名を誉め歌い、主の庭に入れ。
御恵みは深く憐れみは永久に
変わらぬ真実は代々に揺ぎ無い。
讃えよ、主の民、御使いと共に、
恵みに溢れる父、子、聖霊を。
(148番『賛美歌21』)
聖書の箇所は創世記3;1~24。
主の御言葉に留まろうと題して。
人は自分が罪を犯した事を「魔がさした」と言う。
「魔がさす」とは何か。
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。
それを食べると、目が開け、
神のように善悪を知る者となることを
神はご存知なのだ。」
(創世記3;4新共同訳)
女は蛇の言葉を聞き、
取るなと神に言われていたその実を取って食べた。
男にもその実を渡し、男も貰って食べた。
その行為がばれた時、各自が言い逃れする。
男は「女が自分にくれたから」と、
女は「蛇が自分をだましたから」と、
それぞれに責任転嫁する。
ここで、
「他人のせいにするんじゃありませんっ!」
と神は言われず二人を追い出してしまわれた。
親が小さい子を叱るのと同じ状況は展開せず、二人は楽園を追放された。
何故か。
二人共、自らの意志で神との約束を破った、
その事実を認めなかったからである。
牧師先生は言う。
「蛇の言った言葉をよく読んで下さい。
取ってはならない実を取って食べろとか、神の命令に背きなさいとは
蛇は一言も言っていない。
魔がさしたとか、悪魔にそそのかされたとか
私達は自分の罪をそう言い表さないでしょうか。
女は蛇の言葉に誘惑されました。
男は女の行為に誘惑されました。
神の命令に背く事を選択したのは女も男も、
それぞれ各自が自分自身選んでした事です。
どんな誘惑があるにせよ、
私達が罪を犯す時は自分の意志で選択し、決定し、実行します。
してはならないとわかっていて犯す罪は全てそうです。
他の誰かのせいではない、蛇でも悪魔のせいでもない。
本人の意志で選んで行なった罪です。
神の御旨を知る以上、私達は神に対して責任があります。
自分が自らの意志でしたと自覚しなければ
罪を悔い改める事は出来ません。」
罪の悔い改めは、
自分の意志でやったと認める所から始まる。
近隣の同教派の教会の牧師先生が説教奉仕に来ている。
招詞
詩篇135;1~4
賛美歌
全地よ、主に向かい歓喜の声をあげよ。
歓びの歌を主に携え行け。
造られし者は知れ、主こそ神と。
我等は主のもの、主の羊の群れ。
感謝の歌を歌い進め、主の門に。
御名を誉め歌い、主の庭に入れ。
御恵みは深く憐れみは永久に
変わらぬ真実は代々に揺ぎ無い。
讃えよ、主の民、御使いと共に、
恵みに溢れる父、子、聖霊を。
(148番『賛美歌21』)
聖書の箇所は創世記3;1~24。
主の御言葉に留まろうと題して。
人は自分が罪を犯した事を「魔がさした」と言う。
「魔がさす」とは何か。
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。
それを食べると、目が開け、
神のように善悪を知る者となることを
神はご存知なのだ。」
(創世記3;4新共同訳)
女は蛇の言葉を聞き、
取るなと神に言われていたその実を取って食べた。
男にもその実を渡し、男も貰って食べた。
その行為がばれた時、各自が言い逃れする。
男は「女が自分にくれたから」と、
女は「蛇が自分をだましたから」と、
それぞれに責任転嫁する。
ここで、
「他人のせいにするんじゃありませんっ!」
と神は言われず二人を追い出してしまわれた。
親が小さい子を叱るのと同じ状況は展開せず、二人は楽園を追放された。
何故か。
二人共、自らの意志で神との約束を破った、
その事実を認めなかったからである。
牧師先生は言う。
「蛇の言った言葉をよく読んで下さい。
取ってはならない実を取って食べろとか、神の命令に背きなさいとは
蛇は一言も言っていない。
魔がさしたとか、悪魔にそそのかされたとか
私達は自分の罪をそう言い表さないでしょうか。
女は蛇の言葉に誘惑されました。
男は女の行為に誘惑されました。
神の命令に背く事を選択したのは女も男も、
それぞれ各自が自分自身選んでした事です。
どんな誘惑があるにせよ、
私達が罪を犯す時は自分の意志で選択し、決定し、実行します。
してはならないとわかっていて犯す罪は全てそうです。
他の誰かのせいではない、蛇でも悪魔のせいでもない。
本人の意志で選んで行なった罪です。
神の御旨を知る以上、私達は神に対して責任があります。
自分が自らの意志でしたと自覚しなければ
罪を悔い改める事は出来ません。」
罪の悔い改めは、
自分の意志でやったと認める所から始まる。