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ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

主日礼拝

2011-03-13 23:30:00 | 詩篇
招詞。
詩篇34;1~22。


  どのようなときも、わたしは主をたたえ
  わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
                    (詩篇34;2)


主をほめたたえよ。
私達は自分の口に責任を持たねばならない。


造り主であられる主だけが
私達の生命を生かすか殺すかの主権を持っている。
私達の生命は主のもの。
私達は主に生かされている。


本日は講壇交換で同じメノナイトの
近隣の地区の教会の牧師先生が礼拝説教の奉仕をし、
私達の教会の牧師先生は先方の教会の礼拝で奉仕している。


聖書箇所は創世記2;4~17。


主なる神の愛と恵みに留まる。


神の愛を受け、神の祝福を受け継ぐために
私達はこの世に生かされている。


“信じる”と“信頼する”とは異なる。
私達は主に生かされ愛されている事を信じ、
神の愛と配慮を感じ取る事が出来るか。
神を頼りにして生きているか。




神は我が力、我が強き砦、
苦しみの時の近き助けなり。


たとい地は変わり、山々は揺らぎ
海に移るとも恐るる事無し。


神の都には、豊かに流るる
清き川ありて御民を潤す。


世の民は騒ぎ、国は揺らぐ。
神の御言葉に世界は慄く。
            (457番『賛美歌21』)



じじは牧師先生から話し掛けられて嬉しそうだった。
よかったな、じじ。


帰り際、子供達の一人が帰りたがらず
車に乗るふりをして姿を消し、慌てた。
教会の敷地の陰に隠れていた。
教会で子供同士でもっと遊びたいのに、
家に帰っても誰も遊んでくれる人がいないのに
どうしてこんなに早く帰らなければならないのかと
真剣に抗議し、遊ぶ権利を主張してむくれている。
生意気盛りで、でも寂しいのだ。
じじ同様、教会に来るのを楽しみに、喜んでいる。
主なる神に愛されている子。




一昨日の巨大地震と津波とで、
仙台在住の教会関係者の消息が未だ不明である。


どうか無事で。
主よ、憐れんで下さい。