四旬節も四週目。
早い。
今年は何だか物凄く早い。
教会に出かける前に、
菜の花の辛し和えと
私の作った桜のなんちゃって炊き込み飯を食べて
ウマい、いろいろ季節を感じて幸せだという
ばばからのメールを受け取った。
そうか。
食べ物がウマくて季節の変化を味わう事が出来て、
それがばばにとっての幸せなのだ。
確かにそれはその通りである。
ばばが自分の置かれた境遇に満足し
幸せだと表現したのは離婚以来、いや、もしかしたら
結婚以来初めてかも知れない。
離婚する前に既に、ばばが自分の境遇に嫌気が差していた事を
子供だった私は間近で見て知っている。
この人は結婚して家庭を持っても子供が生まれても
自分の趣味やしたい事をしたいだけしても、やっぱり不幸だった。
そして離婚した後さらに不幸になった。
ばばが幸せだと言葉に出して表現した事、
そのものが祝福だと感じて神に感謝した。
今日はあの新人の大人しいヘルパーさんが
じじに同行していた。
今日の説教、聖書はガラテヤ6;11~18。
しかし、このわたしには、
わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、
誇るものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対して
はりつけにされているのです。
(ガラテヤ6;14)
賛美歌の時、ついじじとヘルパーさんの方を見る癖がついた。
ちゃんと賛美歌の頁を開く事が出来たか、
何処を開けばいいかわからず困っていないか、
つい気になって振り返る。
見るとじじは悠然と賛美歌を開き、歌詞に見入っていた。
私は少なからず驚いた。
ヘルパーさんが賛美歌を歌っていた。
あくまで介護業務なので礼拝の最中は仕事と割り切って
ただじじの隣にじっと座っててくれるだけで充分なのに
ヘルパーさんは賛美歌を歌っていた。
前にもこのヘルパーさんは
礼拝説教を真剣に、食い入るように聞いていた。
キリスト教の教会という場所には
昨年のクリスマスに
じじの同行で初めて足を踏み入れたと言っていたが
説教を聞く視線も、賛美歌を歌っている時も、
並々ならぬ関心を注いでいるのがわかる。
じじの介護業務だけでなく、
この人自身が神を礼拝し、賛美している。
それも真剣な表情で。
早い。
今年は何だか物凄く早い。
教会に出かける前に、
菜の花の辛し和えと
私の作った桜のなんちゃって炊き込み飯を食べて
ウマい、いろいろ季節を感じて幸せだという
ばばからのメールを受け取った。
そうか。
食べ物がウマくて季節の変化を味わう事が出来て、
それがばばにとっての幸せなのだ。
確かにそれはその通りである。
ばばが自分の置かれた境遇に満足し
幸せだと表現したのは離婚以来、いや、もしかしたら
結婚以来初めてかも知れない。
離婚する前に既に、ばばが自分の境遇に嫌気が差していた事を
子供だった私は間近で見て知っている。
この人は結婚して家庭を持っても子供が生まれても
自分の趣味やしたい事をしたいだけしても、やっぱり不幸だった。
そして離婚した後さらに不幸になった。
ばばが幸せだと言葉に出して表現した事、
そのものが祝福だと感じて神に感謝した。
今日はあの新人の大人しいヘルパーさんが
じじに同行していた。
今日の説教、聖書はガラテヤ6;11~18。
しかし、このわたしには、
わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、
誇るものが決してあってはなりません。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対して
はりつけにされているのです。
(ガラテヤ6;14)
賛美歌の時、ついじじとヘルパーさんの方を見る癖がついた。
ちゃんと賛美歌の頁を開く事が出来たか、
何処を開けばいいかわからず困っていないか、
つい気になって振り返る。
見るとじじは悠然と賛美歌を開き、歌詞に見入っていた。
私は少なからず驚いた。
ヘルパーさんが賛美歌を歌っていた。
あくまで介護業務なので礼拝の最中は仕事と割り切って
ただじじの隣にじっと座っててくれるだけで充分なのに
ヘルパーさんは賛美歌を歌っていた。
前にもこのヘルパーさんは
礼拝説教を真剣に、食い入るように聞いていた。
キリスト教の教会という場所には
昨年のクリスマスに
じじの同行で初めて足を踏み入れたと言っていたが
説教を聞く視線も、賛美歌を歌っている時も、
並々ならぬ関心を注いでいるのがわかる。
じじの介護業務だけでなく、
この人自身が神を礼拝し、賛美している。
それも真剣な表情で。