読み始める前に、じじに2、3説明した。
私達の教会では
聖書を読む時は出来るだけ一人で読まず、複数で読む。
人が一人で聖書を読むと
自分独自の解釈に凝り固まったり脱線し易いという理由。
教会員が独善的な読み方に暴走する危険を避けるため。
私達は聖書は皆で分かち合いながら読む。
神の御言葉は魂の糧だから。
糧は皆で分かち合うのだ。
皆で聖書を読む時は
その日にどこまで読み進むか区切りの良い所まで決めて、
一人1節ずつ、声に出して輪読する。
意味のわからない箇所は皆で調べ合ったりするが
どうしてもわからない事は一礼してスルー。w
読む前に普通は賛美歌を歌い、感謝の祈りを捧げる。
読み終わったら、
皆でその時その時の祈りの課題を出し合って
とりなしの祈りを捧げる。
でも、お祈りは、
じじはまだ自分の言葉で自然に祈る事が出来ないので
主の祈りと使徒信条を一緒に唱えた。
私達の教会では
聖書を読む時は出来るだけ一人で読まず、複数で読む。
人が一人で聖書を読むと
自分独自の解釈に凝り固まったり脱線し易いという理由。
教会員が独善的な読み方に暴走する危険を避けるため。
私達は聖書は皆で分かち合いながら読む。
神の御言葉は魂の糧だから。
糧は皆で分かち合うのだ。
皆で聖書を読む時は
その日にどこまで読み進むか区切りの良い所まで決めて、
一人1節ずつ、声に出して輪読する。
意味のわからない箇所は皆で調べ合ったりするが
どうしてもわからない事は一礼してスルー。w
読む前に普通は賛美歌を歌い、感謝の祈りを捧げる。
読み終わったら、
皆でその時その時の祈りの課題を出し合って
とりなしの祈りを捧げる。
でも、お祈りは、
じじはまだ自分の言葉で自然に祈る事が出来ないので
主の祈りと使徒信条を一緒に唱えた。
細川ガラシャは百両持って伴天連を訪ねたと
三浦さんの本に書いてあるぞ。
実は、
私はその三浦さんの本『細川ガラシャ夫人』を
読んでいない。
で、
江戸時代初期の百両が
今ならどれくらいの貨幣価値なのか
ちょっと調べてみた。
日本銀行金融研究所貨幣博物館のQ&Aでは
"米価から計算した金一両の価値は、
江戸時代の各時期において差がみられ、
おおよそ初期で10万円、
中~後期で3~5万円、
幕末頃には3~4千円になります。"
という回答が出ていた。
一概には言えないけどおおよその目安として
江戸時代初期、
細川ガラシャの時代の1両が10万円だとすれば
単純計算で100両は1000万円くらいかな。
「細川ガラシャは百両持って伴天連を訪ねたと・・・」
って、じじ、
そんな大金何処にあるの。
1000万払って受洗かい。
そんなんじゃあ誰一人救われないっしょ。(笑)
元々何億積んだって
洗礼は金で買えるものではないし。