招詞。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエス・キリストによって
わたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
(Ⅰコリント15;55~57)
全ての民、喜べ、
主イエスは死に勝ちませば
陰府の力早や失せて、人の命限り無し。
明日をも知らぬ世に住み、
涙の谷辿る身の
悲しみも悩みも消え、今は喜びに溢る。
(327番『賛美歌21』)
地よ、声高く告げ知らせよ、貴きイエスの甦りを。
死より命へと導き給う主イエスと共に我ら進まん。
天よ、喜べ、地よ、讃えよ、造られしもの声合わせよ。
主の甦りのこの日を祝い、尽きぬ喜び我ら讃えん。
(326番『賛美歌21』)
聖書はⅠコリント15;12~26。
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、
わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは使者の仲から復活し、
眠りについた人たちの初穂となられました。
死が一人の人によって来たのだから、
死者の復活も一人の人によって来るのです。
つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、
キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
(Ⅰコリント15;19~22)
先月、ヘンデルのオラトリオ『メサイア』の全曲上演が
この小さな片田舎で実現した。
牧師夫妻はこの2年間混声合唱団に参加して猛練習を積んだ。
その中のソプラノのアリアが印象深いという。
わたしは知っている
わたしを購う方は生きておられ、
ついには塵のに立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。
(ヨブ19;25~26)
そして合唱が後に続く。
しかし、実際、キリストは使者の仲から復活し、
眠りについた人たちの初穂となられました。
(Ⅰコリント15;20)
牧師先生は説教の中で
先日ローマ教皇が東日本大震災で被災した7歳の女の子からの質問に
答えた事についても触れていた。
「なんで子どももこんなに悲しいことにならなくてはいけないのですか」
子供の質問は、答えるのが難しい。
教皇の答え。
…私たちはこれに対する答えを持っていません。
でも、イエスが皆さんのように無実でありながらも苦しんだ事、
イエスにおいて示された本当の神様が、皆さんの傍におられる事を、
私たちは知っています。
たとえ私達が答えを持ち合わせていなくても、たとえ悲しみは残っても、
この事は私にはとても大事な事に思われます。
神様が皆さんのそばにおられるという事、
これが皆さんの助けになる事は間違いありません。
いつか何故こうだったかが分かる時さえ来るかも知れません。
今、大切な事は、「神様は私を愛しておられる」と知る事です。
それはたとえ神様が自分を知っているように見えなくてもです。
いいえ、神様は私を愛して下さり、私の傍におられるのです。
そして、世界で多くの人達が皆さんに心を寄せ、皆さんの事思い、
皆さんを助けるために、何か出来る限りの事をしようとしている
という事を知って、心強く思って欲しいのです。
そして、いつか、この苦しみが無駄ではなく、その後に良い計画、
愛の計画がある事を理解出来る日が来るでしょう。
安心してください。
私達は、あなたと、そして全ての苦しむ日本の子供達と共にいます。
私達は、祈りと行いを通して皆さんをお助けしたいと思っています。
そして、神様が皆さんを助けて下さる事を信じて下さい。
その意味で、皆さんに一刻も早く光が訪れるよう一緒にお祈りしましょう。
(バチカンニュースより
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=481014)
誰にも答える事の出来ない子供からの質問に対して、
「イエスも無実でありながら苦しまれた、この苦しみが無駄ではない、
神は私達を愛しておられ、共にいて下さる」
と答える事が出来るのは、
主イエスの復活、永遠の命、主が私達と共にいて下さるという確信があって
初めて言う事が出来る。
この世の生活でどんなに辛い日々を送ったとしても、
私達は復活された主イエスによって自分が生かされている事を信じる。
死者の中から初穂として甦られたイエスが私達と共にいて下さるからである。
ハレルヤ。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
わたしたちの主イエス・キリストによって
わたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
(Ⅰコリント15;55~57)
全ての民、喜べ、
主イエスは死に勝ちませば
陰府の力早や失せて、人の命限り無し。
明日をも知らぬ世に住み、
涙の谷辿る身の
悲しみも悩みも消え、今は喜びに溢る。
(327番『賛美歌21』)
地よ、声高く告げ知らせよ、貴きイエスの甦りを。
死より命へと導き給う主イエスと共に我ら進まん。
天よ、喜べ、地よ、讃えよ、造られしもの声合わせよ。
主の甦りのこの日を祝い、尽きぬ喜び我ら讃えん。
(326番『賛美歌21』)
聖書はⅠコリント15;12~26。
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、
わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは使者の仲から復活し、
眠りについた人たちの初穂となられました。
死が一人の人によって来たのだから、
死者の復活も一人の人によって来るのです。
つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、
キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
(Ⅰコリント15;19~22)
先月、ヘンデルのオラトリオ『メサイア』の全曲上演が
この小さな片田舎で実現した。
牧師夫妻はこの2年間混声合唱団に参加して猛練習を積んだ。
その中のソプラノのアリアが印象深いという。
わたしは知っている
わたしを購う方は生きておられ、
ついには塵のに立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。
(ヨブ19;25~26)
そして合唱が後に続く。
しかし、実際、キリストは使者の仲から復活し、
眠りについた人たちの初穂となられました。
(Ⅰコリント15;20)
牧師先生は説教の中で
先日ローマ教皇が東日本大震災で被災した7歳の女の子からの質問に
答えた事についても触れていた。
「なんで子どももこんなに悲しいことにならなくてはいけないのですか」
子供の質問は、答えるのが難しい。
教皇の答え。
…私たちはこれに対する答えを持っていません。
でも、イエスが皆さんのように無実でありながらも苦しんだ事、
イエスにおいて示された本当の神様が、皆さんの傍におられる事を、
私たちは知っています。
たとえ私達が答えを持ち合わせていなくても、たとえ悲しみは残っても、
この事は私にはとても大事な事に思われます。
神様が皆さんのそばにおられるという事、
これが皆さんの助けになる事は間違いありません。
いつか何故こうだったかが分かる時さえ来るかも知れません。
今、大切な事は、「神様は私を愛しておられる」と知る事です。
それはたとえ神様が自分を知っているように見えなくてもです。
いいえ、神様は私を愛して下さり、私の傍におられるのです。
そして、世界で多くの人達が皆さんに心を寄せ、皆さんの事思い、
皆さんを助けるために、何か出来る限りの事をしようとしている
という事を知って、心強く思って欲しいのです。
そして、いつか、この苦しみが無駄ではなく、その後に良い計画、
愛の計画がある事を理解出来る日が来るでしょう。
安心してください。
私達は、あなたと、そして全ての苦しむ日本の子供達と共にいます。
私達は、祈りと行いを通して皆さんをお助けしたいと思っています。
そして、神様が皆さんを助けて下さる事を信じて下さい。
その意味で、皆さんに一刻も早く光が訪れるよう一緒にお祈りしましょう。
(バチカンニュースより
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=481014)
誰にも答える事の出来ない子供からの質問に対して、
「イエスも無実でありながら苦しまれた、この苦しみが無駄ではない、
神は私達を愛しておられ、共にいて下さる」
と答える事が出来るのは、
主イエスの復活、永遠の命、主が私達と共にいて下さるという確信があって
初めて言う事が出来る。
この世の生活でどんなに辛い日々を送ったとしても、
私達は復活された主イエスによって自分が生かされている事を信じる。
死者の中から初穂として甦られたイエスが私達と共にいて下さるからである。
ハレルヤ。