出かける。
今日は年に1回の
道内の同じ教派の教会が
一同に集まって総会をする。
私も
牧師先生と別の教会員と共に
帯広に行く。
例年、この会は
百鬼夜行の物凄さを増している。
朝から晩まで不毛の議論で迷走する
沈没寸前の帆かけ船で
この晴天の休日を消耗しなければならない。
あーあ。
今日は年に1回の
道内の同じ教派の教会が
一同に集まって総会をする。
私も
牧師先生と別の教会員と共に
帯広に行く。
例年、この会は
百鬼夜行の物凄さを増している。
朝から晩まで不毛の議論で迷走する
沈没寸前の帆かけ船で
この晴天の休日を消耗しなければならない。
あーあ。
昨日礼拝の後、講座に参加した。
教会員会並みに参加者が集まった。
講座というのは
今、私達の教会でしている月一回の説教講座。
講座のねらいは、
「教会生活、教会形成の中で、
礼拝説教を担当し、それが可能となる説教者を育成する」
牧師も牧師以外の教会員も
皆で礼拝メッセージの奉仕をする、
私達の教会の
教派独自の礼拝のあり方ならではのものだ。
実はこの講座、
教会員会で私の友達が提案し、
他の教会員達もその必要があると賛同して
実現した講座だ。
教会運営の一端として
毎月第四日曜日の礼拝に
教会員が礼拝でメッセージを語るのだが
今私がいる教会は過疎地の小さな教会なので
年に一回は自分にその奉仕の当番が回ってくる。
札幌の母教会はもっと人数の多い教会だったが
それでも2年に1回は回ってきていた。
皆、自分の回が迫ってくる1、2月前頃から
聖書を開き、祈り、
仲間に祈ってくれと頼んだり
自分の日常の信仰を振り返って格闘し始める。
友達が要望したのは
自分の語るべき信仰の証しを
その日集まる人々に福音を相応しく語るための
心構えやノウハウを
専門家である牧師先生から少しでも学べないか
という事だった。
それだけ真剣に悩みながら取り組んでいる。
その友達の声に「私も学びたい」「私も」「私も」と
賛同が集まって、
牧師先生が「月一回なら時間取れるよ」と
応じて下さって実現した。
教会では
どうしても牧師先生でなければならない仕事が
山のようにたくさんある。
しかし
私達の教派で礼拝説教とは伝統的に
牧師も教会員も、
誰もがしなければならない奉仕の一つである。
日常の何時何処でも
求められたら即座に自分の信仰を表現し
的確に福音を宣べ伝える語る事ができる様に
誰もが使命を担っているという考え方。
しかし実際、
思いはあってもどう語るか、
どう伝えるかで皆悩む。
例えば
自分のこんな話し方でいのか、
誤解なくちゃんと伝わってるかどうか、
限られた時間内だし、
内容については、聖書の箇所は、とか。
独り善がりの弁論大会であってはならないし
聖書研究会の発表ではないし
だらだら自分の日常体験を垂れ流すのも違う、
勿論仲間内の井戸端会議などでは断じてない。
さて・・・・。
あれこれ自分の思いでこねくり回さないで
自分の魂と口を主に委ねて語れ、
語るべき言葉は与えられる、
自分が自分の思いで喋るのではないと
多くの先輩達から言われてきた。
確かにその通り。
その通りなんだけど、
聞き手がいる以上、伝わったかどうか
自分は相応しく務めたかどうか、
心配になる。
それで必然的に
自分の信仰を吟味せざるを得なくなる。
緊張するしね。
だって聴衆の大半は、
自分達の仲間の長所も短所も
その信仰のあり方も
日頃お互いに知り尽くし合っている
牧師先生と教会仲間達と求道者達なんだから。
巧く喋ろうとしたり
欺瞞や自己陶酔に陥ったり
聖書箇所の捉え方がずれたり
自分の思いだけで喋ったら
そんなのは簡単に見抜かれる。
飾りや誤魔化しなど一切通用しない。
それに
初めてキリスト教の教会を訪ねて来た人や
シェルターに逃げ込む逼迫した気持ちで
救いを求めて来た人達が
聴衆の中に含まれている事をも思えば
礼拝メッセージの奉仕は責任重大である。
友達は言う。
「自分の語ったメッセージを通して
初めて教会に来た人が
少しでも
キリストの愛に触れる事が出来るように
伝えたいけど
自分はこんなんでいいのか、思うのさ。」
それは私も思うよ。
礼拝メッセージをする度に
自分がどんどん
鉄面皮の恥知らずになっていく気がする。
牧師先生が言った。
「それは僕だって
毎週悩むよ。
ちゃんと伝わるかどうか、
語った事を受け止めて貰えるかどうか。」
すんごく美味なけんちん汁を作った教会員が
嘆息した。
「凄いねぇ。
年一回でも悩むのに、
牧師先生は毎週やってるんだもの。
大変だわぁ。」
皆して、
牧師先生の苦労を感じ、しみじみ。
いずれにせよ
講解説教でも主題説教でも、
聞き手に応じて聞き手に合わせて話す事、
自分の考えではなく聖書が何を語っているか、
そこが大切だという事。
聞き手を意識して、というのは大切。
礼拝説教だけでなく、
そもそも新約聖書からして
対象者を意識して書かれているし。
そのせいかここ数年、
何度も繰り返し通読するうちに
自分が新約聖書を知らず知らずに
3つに分けて読んでいる事に気づいた。
自分で深く考える事もなく習慣化したこの順序は
そういえば対象者別の三分類になっている。
ヘブライ、ヤコブ、ペトロ→ユダヤ人対象
ルカ、使徒言行録、パウロ書簡→異邦人対象
ヨハネ、ヨハネ書簡、ユダ、黙示録→迫害下のキリスト教徒対象
講座の後、牧師先生と話した。
自分の聖書の読み方について。
牧師先生は言った。
「口の中で飴玉を転がすように。」
なるほど。
教会員会並みに参加者が集まった。
講座というのは
今、私達の教会でしている月一回の説教講座。
講座のねらいは、
「教会生活、教会形成の中で、
礼拝説教を担当し、それが可能となる説教者を育成する」
牧師も牧師以外の教会員も
皆で礼拝メッセージの奉仕をする、
私達の教会の
教派独自の礼拝のあり方ならではのものだ。
実はこの講座、
教会員会で私の友達が提案し、
他の教会員達もその必要があると賛同して
実現した講座だ。
教会運営の一端として
毎月第四日曜日の礼拝に
教会員が礼拝でメッセージを語るのだが
今私がいる教会は過疎地の小さな教会なので
年に一回は自分にその奉仕の当番が回ってくる。
札幌の母教会はもっと人数の多い教会だったが
それでも2年に1回は回ってきていた。
皆、自分の回が迫ってくる1、2月前頃から
聖書を開き、祈り、
仲間に祈ってくれと頼んだり
自分の日常の信仰を振り返って格闘し始める。
友達が要望したのは
自分の語るべき信仰の証しを
その日集まる人々に福音を相応しく語るための
心構えやノウハウを
専門家である牧師先生から少しでも学べないか
という事だった。
それだけ真剣に悩みながら取り組んでいる。
その友達の声に「私も学びたい」「私も」「私も」と
賛同が集まって、
牧師先生が「月一回なら時間取れるよ」と
応じて下さって実現した。
教会では
どうしても牧師先生でなければならない仕事が
山のようにたくさんある。
しかし
私達の教派で礼拝説教とは伝統的に
牧師も教会員も、
誰もがしなければならない奉仕の一つである。
日常の何時何処でも
求められたら即座に自分の信仰を表現し
的確に福音を宣べ伝える語る事ができる様に
誰もが使命を担っているという考え方。
しかし実際、
思いはあってもどう語るか、
どう伝えるかで皆悩む。
例えば
自分のこんな話し方でいのか、
誤解なくちゃんと伝わってるかどうか、
限られた時間内だし、
内容については、聖書の箇所は、とか。
独り善がりの弁論大会であってはならないし
聖書研究会の発表ではないし
だらだら自分の日常体験を垂れ流すのも違う、
勿論仲間内の井戸端会議などでは断じてない。
さて・・・・。
あれこれ自分の思いでこねくり回さないで
自分の魂と口を主に委ねて語れ、
語るべき言葉は与えられる、
自分が自分の思いで喋るのではないと
多くの先輩達から言われてきた。
確かにその通り。
その通りなんだけど、
聞き手がいる以上、伝わったかどうか
自分は相応しく務めたかどうか、
心配になる。
それで必然的に
自分の信仰を吟味せざるを得なくなる。
緊張するしね。
だって聴衆の大半は、
自分達の仲間の長所も短所も
その信仰のあり方も
日頃お互いに知り尽くし合っている
牧師先生と教会仲間達と求道者達なんだから。
巧く喋ろうとしたり
欺瞞や自己陶酔に陥ったり
聖書箇所の捉え方がずれたり
自分の思いだけで喋ったら
そんなのは簡単に見抜かれる。
飾りや誤魔化しなど一切通用しない。
それに
初めてキリスト教の教会を訪ねて来た人や
シェルターに逃げ込む逼迫した気持ちで
救いを求めて来た人達が
聴衆の中に含まれている事をも思えば
礼拝メッセージの奉仕は責任重大である。
友達は言う。
「自分の語ったメッセージを通して
初めて教会に来た人が
少しでも
キリストの愛に触れる事が出来るように
伝えたいけど
自分はこんなんでいいのか、思うのさ。」
それは私も思うよ。
礼拝メッセージをする度に
自分がどんどん
鉄面皮の恥知らずになっていく気がする。
牧師先生が言った。
「それは僕だって
毎週悩むよ。
ちゃんと伝わるかどうか、
語った事を受け止めて貰えるかどうか。」
すんごく美味なけんちん汁を作った教会員が
嘆息した。
「凄いねぇ。
年一回でも悩むのに、
牧師先生は毎週やってるんだもの。
大変だわぁ。」
皆して、
牧師先生の苦労を感じ、しみじみ。
いずれにせよ
講解説教でも主題説教でも、
聞き手に応じて聞き手に合わせて話す事、
自分の考えではなく聖書が何を語っているか、
そこが大切だという事。
聞き手を意識して、というのは大切。
礼拝説教だけでなく、
そもそも新約聖書からして
対象者を意識して書かれているし。
そのせいかここ数年、
何度も繰り返し通読するうちに
自分が新約聖書を知らず知らずに
3つに分けて読んでいる事に気づいた。
自分で深く考える事もなく習慣化したこの順序は
そういえば対象者別の三分類になっている。
ヘブライ、ヤコブ、ペトロ→ユダヤ人対象
ルカ、使徒言行録、パウロ書簡→異邦人対象
ヨハネ、ヨハネ書簡、ユダ、黙示録→迫害下のキリスト教徒対象
講座の後、牧師先生と話した。
自分の聖書の読み方について。
牧師先生は言った。
「口の中で飴玉を転がすように。」
なるほど。
母教会を離れ、釧路に来て10年経った。
私は今もまだメノナイトにいる。
今いる釧路の教会で代議員になった。
それまで代議員をしていた仲間が出産、子育てで
総会などに出席するのが難しくなったのだ。
代議員というのは、
年一回のメノナイト協議会総会に各教会を代表して出席し、
出された議案に対する議決権を持っている。
この2年間、
メノナイト協議会総会に出席して、
殆どがただ黙って座って聞いているだけの私も、
群れのあり方について考えさせられた。
メノナイト教会協議会は、
過去20年以上も前から土地と建物を巡る問題を抱えている。
10年前には札幌の福住センター、今は帯広の協議会ハウス。
いずれも宣教師達が残した建造物である。
もう10年も経ったのか。
あの福住の廃屋の時から。
10年前、
U教会の指導者達とB教会のK氏が中心となって有志を集めて始めた農業共同体は、
今も存続している。
教会指導者の娘夫婦が今は中心となって一家で畑をやっている。
娘婿はアメリカ人で初めの頃は農業をしに来たような話だったが
いつの間にか宣教師の肩書きになっている。
この人は一体いつ召命を受け、いつ神と人に自分を捧げ
いつ宣教の使命を受けたのだろう?
この人の農業ビジョンは聞いた事がある。
しかし農業以外は信仰告白すら聞いた事が無い。
何故なら彼は信仰の話を出来るほどには日本語があまり上手くない。
それでもメノナイト協議会の宣教師という事になったらしい。
限られたごく一部の有志で始めたこの農業共同体という事業、
この10年の間にメノナイト協議会で運営する事業でもあるかのように
意味づけし直され、暗黙のうちに変質している。
農業経営はそう甘くない。
収益が上がらず万一負債を抱えたり維持しきれなくなったとしても
協議会全体の事業として認知させてしまえば
教会指導者の娘夫婦や一部の有志が苦しまずに済む。
こうして個人が自分の個人事業を教会協議会に持ち込んで
協議会全体を巻き込んだり掻き回しても誰も何も言わない。
何故ならその個人事業は『メノナイトの信仰共同体』を名乗っているから。
地方の各教会はいずれも過疎地で、
自分達の教会を維持し存続するだけで精一杯の厳しい状況にある。
協議会全体の事など考える余裕すら無かったりする。
金も時間も好きに使える人達がやりたい放題しても
誰も止めない。
でも、実際経営は大変だろうな。
儲かる事業ではないから。
赤字ではないの?
経済的に。
代議員になって総会に出てみて、
およそ信仰者の集まりとは思えない、えげつない光景を目に見た。
主がその場にご臨在になって、
神の目に見られている事を意識するなら決して出来ない筈の、
毒々しい言動や態度が協議会総会の席で横行している。
監事は二人ともそれぞれに
電気店の社長と測量会社の社長でありながら、
まるで株主総会を荒らし回る総会屋か
酔っ払ったチンピラがごろついているみたいに見える。
U教会とB教会から一人ずつ選出されて監事となった二人が
何故か正義の味方になって誰彼の間違いを暴き、
他人に言葉を挟ませず口に泡を飛ばしてまくしたて、
昼食の弁当が配られても食前の祈りすらそっちのけで
自分達の言い分の正当性を主張し続ける。
他人が発言する間、
腕組みして斜め45度上を見て脚を組み、
ふんぞり返っている。
国会議事堂で口汚い野次を飛ばす議員にそっくりだ。
メノナイト協議会で歴代の監事が
これほど高圧的だった事が過去にあったろうか。
およそキリスト教徒の集まる場にそぐわない、
浅ましく場違いな二人の監事の姿である。
彼らの言う事に正当性があったとしても
これではその信憑性も額面通りに受け入れる事自体難しい。
私が昔、学生として恩師やK氏と交流があった当時には、
二人とも全く違う人間像だった。
人柄は穏やかで気さく、一緒に食卓を囲み、共に聖書を読んで、
世間話に花を咲かせた事もあった。
それぞれに気のいい二人の信徒だった。
それが一体いつから二人ともメノナイト協議会の刑事になったのか。
問題の帯広の協議会ハウスは福住よりももっと古い。
その昔、北米メノナイトの宣教師達が開拓伝道し始めた最初の土地であり、
その当時の建物だ。
老朽化甚だしく、宣教師と伝道師が2人で各一部屋ずつ住んでいる以外に
現在会議などでは全く使われていない。
二人の監事が注目し、攻撃の的にしている人は、
帯広教会の宣教師時代からの古い教会員である。
北海道各地に宣教し各地の教会を育てた宣教師は、
当時まだ若かったその人に一つの希望を託したという。
「この土地で教会を支え、守ってほしい。」
この時代の青年達は皆一途で熱心だった。
同世代の青年達が何人も献身し牧師となってメノナイトの群れを支えてきた。
その人も宣教師から託された事を使命として
この半世紀、教会の敷地の隅に建てられた小さな家に住んで
ずっと一つの教会を支え続けてきた青年の一人だった。
その間に帯広の教会には多くの出来事があり、
教会員が多い時も少ない時もあり、宣教師や牧師がいた時期もあり、
いない時期も長かった。
その間C氏はずっと一つの教会に留まって支えてきた。
長年牧その人は働きを捧げ続ける牧師先生達や古い教会員達と同じように
宣教師から託された約束を守ってきた人だ。
宣教師の建てた帯広の協議会ハウスが
建材も今の消防法に触れ、老朽化して使用に耐えない、
帯広教会だけで維持管理するのは荷が重過ぎる、十勝地区でも厳しい、
協議会全体でどうにかしなければならないと、
1984年頃には既に家庭集会の食卓で話題に出ていた記憶がある。
その頃私はまだ札幌で求道者ですらなく
発足間もないS教会やK氏宅の家庭集会に出入りする常連客として、
食卓を囲む雑談の中で何となくその話を聞いていた。
私が耳に聞いた1984年からこの2008年までの24年間、
札幌在住の教会指導者や監事達が自ら帯広の現地に根を据え何かをしようとした事は
少なくとも無い。
今現在のように口から泡を飛ばして激昂するほどの関心を示した事も無かった。
協議会ハウスの問題は24年かそれ以上前から今と同じ状態で棚上げ放置されていた。
この四半世紀の間、協議会ハウスの建物を維持管理してきたのは
帯広の教会とその敷地に住む代表を務めてきた人である。
二人の監事達は帯広教会の代表が協議会の土地建物を不正に私物化していると指摘し、
この2年の間ずっと追求し糾弾し続けてきた。
自宅に連日メール、ファックスを送りつけ、
まるで犯罪者に対するように言動でも文書でも同氏を恫喝した。
物陰でも、協議会総会の場でも。
年に1回の総会の他に、臨時総会で詰問し、年数回ある執行委員会で槍玉に挙げ、
それ以外不定期に呼び出して刑事ドラマか裁判まがいに吊るし上げてきた。
ある時は総会の場で監事二人がその人一人だけを退席させ、
欠席裁判の真似事までもしようとした。
私も総会の場で何度か目撃した。
全教会の代表の集まる場で帯広の代表と執行委員長を務める標茶の牧師を、
悪意剥き出しに詰問する時の、あの二人の監事のもったいぶった得意げな表情。
わかってるのか。
円陣を組んだ総会の机の真ん中に立って見ているのが誰か。
見られてるよあなた方。
私は恐ろしくて仕方がない。
帯広代表の妻が体調を崩したと聞いた。
電話やファックスが鳴ると、また監事達からの恫喝か
詰問調の膨大な文書かと思って身が竦むと聞いた。
脅迫神経症状態に陥っていたのかも知れない。
そもそもは
大昔に教会の将来を託したアメリカ人宣教師も本人も、
そして過去から現在に至るまでに在籍していた教会員達も
法律には全くズブの素人、無知であった。
教会に人の多い時もあればどっと減る時もあり、
教会の存続だけでも精一杯で土地建物の登記など顧みる余裕も無く、
曖昧なまま年月が経ってしまったというのが本当のところだろう。
私は思う。
監事達が主張するような、
帯広の代表が不正をして私腹を肥したかのような嫌疑は見当違いである。
30年間存続ぎりぎりでやっている教会でどうやって私腹を肥やせるというのか。
総会の場で幹事達が一人の人を吊るし上げ詰問し、
登記や事務手続きの不備を論って糾弾するのを見た人達は思っていたのではないか。
滑稽な言い掛かりだと。
法律に無知なら無知で、法務局に行って尋ねたらいい。
手続きの不備も、指導を受けて手続きし直せば済む。
実際帯広の代表は役所の窓口を訪ねて手続きの仕方を聞き、調べる事は調べた。
監事達から追い立てられるようにして。
ところが二人の監事は総会の度に役所からOKを貰ったものまでも
あれが足りないこれがたりないと突っ返し、
総会の議事進行を掻き回し、空転させ続ける。
「まだ不備がある」
「そんなんじゃ足りない」
「それは納得出来ない」
「やり直せ」
「調べ直せ」
挙句には、
「Cさんがやったのでは不十分だ。」
「Cさんが調べたものは信用出来ない。」
「Cさんは素人だから」
「うちの会社の関係者で
そういうのをやってくれる業者がいるから
そっちに依頼しやり直しして貰いたい。」
こうして
総会で帯広の老朽化した協議会ハウスを巡って延々と埒も無い議論を繰り返し、
地元の十勝で今後老朽化した協議会ハウスを維持管理する事は
過疎地に立つ教会の群れとしては荷が重い、解体し処分すべきという意見もある。
一方、
地元でない札幌のU教会の指導者と教会員達、
B教会のK氏と教会員達、監事二人は協議会ハウスをリフォームし若い者を集めて
イベントに使えと主張する。
とにかく建物を残したいと。
建物がありさえすれば何かビジョンも生まれると主張する。
つまり使う目的は思いつかないが建物は存続させて運営の主導権だけは握りたい、
若い者を集めて一緒にワークキャンプをやらせて共に働けば人は育つ、と言った。
育ったか?
この20年余り、若い者を集めて物陰で何をしてきたか。
私も昔集まった若い者の一人であるが、また同じ事をやりたいのか。
福住で学生達を支配して裁判の真似事をしたように。
監事二人が総会の席で一人の人をを詰問するのを見て思った。
あの時の、
学生を呼び出して裁判の真似事をした時もこうだったのかと。
こんな風にスケープゴートを決めて裁判ごっこをしたくて若い者を集めていたのか。
当時の福住に集められていた学生達はどうして今この場にいないのか。
彼らがメノナイト協議会の教会に残っていないのが
どうしてなのか、誰も考え及ばないのか?
20年前、裁判の被告のような扱いを受けて躓き去った人は
山奥の小さなメノナイト教会代表の息子と結婚したが
代表も重鎮だった教会員も世を去ってしまった今、
その小さな教会は片手で数えるほどの人数で細々と礼拝を捧げている。
言ってみても仕方ない事だが
今は亡き教会代表者の息子とその妻となったあの学生達が
もしあの福住で躓いたりしなければ。
きっと
山奥の小さな教会では代表者が世を去っても
その子供達が一家で賑やかに礼拝していたかも知れない。
しかしかつて福住に若い者を集めようとした人達は
今また今度は帯広の土地と建物を使って昔と同じ王国を作りたがり、
裁判ごっこを繰り返している。
そうやって昔から教会の将来を悉く潰してきた。
これからも潰すのか何の自覚も無く。
そして
自分達は現地に出向いて維持管理に労するつもりはなく、
協議会の中で自分達の息のかかった者を選んでやらせる、
新しく福住センターを立て直した後のように。
意見を押し通し、自分達の手は汚さず、
後の面倒は人任せにして、
自分達は長沼で畑を耕したい訳か。
アーミッシュみたいに。
なるほど。
がっかりする。
ここでもまたU教会の指導者達とその仲間。
そんなに主導権を握って何か事業をしたいのか。
教育者や事業主の支配欲は際限が無い。
彼らが帯広まで来て自分達の手で何かをするなら別に誰も反対はしないと思う。
遠方から言いたい事を言い好きな事をするだけして後の面倒は実質上、地元任せ。
10年前の福住センターの時も今の帯広協議会ハウスの時も
相変わらず陰で怪文書や根回し電話が暗躍している。
そして会議の場での糾弾、吊るし上げ、
人の落ち度を根拠に幼稚な勧善懲悪的態度で
メールやファックスを立て続けに送り付け、執拗に個人攻撃を繰り返す。
私と同じ教会から執行委員に選出された仲間が当惑していた。
監事の一人から送られて来たメールには
ご丁寧に猥褻画像が添付されてきたという。
嫌がらせか。
なるほどね。
勘違いな正義の味方気取りで人を裁く者が現れても、
メノナイト協議会に集まった人々の中には
横目に見ながら誰一人諌める者も無い。
がっかりする。
これが現実。
これが自分の信仰を告白した教会の所属する
協議会のありのままの姿なのだ。
長所もたくさんあるのに、
私達の群れは
主が一番忌み嫌われる事を散々やってきてしまった。
今年5月の総会では
帯広の協議会ハウスと帯広教会の土地建物に関わって
法的無知や事務的不備を指摘された帯広代表と
議事進行と事務手続きに不備を指摘された執行委員長である標茶の牧師が
一同に謝罪して閉会した。
会議が解散してもなお標茶の牧師先生が
出席者の一人一人に謝罪の言葉をかけて回る姿を私は見た。
私にまでも「申し訳有りませんでした」と声をかけてきた時、
私は非常に悲しく残念に思った。
無知は罪か?
謝罪とは、
誰かに痛みや犠牲を強いた時にすべきものであって、
土地建物に関する10年20年のややこしい問題は、
特定の誰彼の落ち度によるものではない事を
誰もが皆知っている筈だ。
私達は誰でも、
日頃関わった事のない法的手続きには全くの無知であり、
わからないための試行錯誤が協議会には確かにあった。
皆がその試行錯誤から学びこそすれ、
特定の誰彼の失敗や落ち度として断罪したり、
誰かが誰かに謝罪するような筋のものではないと
私は思う。
むしろ、
私達がこれまで知らないわからないで済ませ、
無関心でいた事のツケを、
特定の人に長い間負わせてきた結果であり、
それに大の大人達が皆して長年無頓着でいたという、
現実がある。
あの場に集っていたキリスト者の一人として
自分の方こそ
恥ずかしく申し訳ない気持ちで一杯だ。
群れの維持管理や運営を特定の誰か一人に負わせたら、
当然うまくいく筈がない。
何故なら誰にでも欠点があるからだ。
主なる神は私達を
一人で何でも出来るようにはお造りにならなかった。
足りない所を周囲の教会仲間が補わず、
面倒な事を一人に任せたままにしたら、
重荷を負う人は孤軍奮闘の状態に陥って
物事うまく立ち行かなくなる。
帯広教会とその代表のように。
代表を務める人物の足りないところを監事達に糾弾されたとしても
同じ教会の仲間が遠巻きにせず一緒に協力して教会の重荷を担うとか
せめて一緒に祈って励ますとかしていたら、
或いは代表が自分だけで頑張らずに教会員に腹を割って協力を募っていたら、
せめて祈ってくれと願っていたら、
状況は全く違ったものになっていたかも知れない。
残念なのは
帯広の教会員達が自分達の教会の代表を務めた人に
長年教会の面倒な問題を任せたままにしていた事、
そしていざこのように問題が生じると、
遠巻きしていた教会員は監事達の言い分を鵜呑みにして代表一人に問題の責任を問い、
感情的な軋轢と不信感を生じてしまった事。
本来責任があるのは代表一人ではなく代表も含めた全教会員の筈。
それが何処からこうも見当違いな軋轢が生じたのか。
教会員達と代表との間を執り成し和解に導く事が出来る立場にあるのは
今帯広にいる一人の宣教師と、札幌から来た伝道師。
しかし二人とも執り成しの役割を果たしていない。
特に伝道師の方は
元々札幌の教会で私と同じ恩師の教え子であり、
B教会の人脈からアメリカに留学して帰国後から伝道師となった。
そしてU教会、B教会、監事達の利害を代弁し監事達の側の立場に立って
代表を感情的に批判している事が議事録の文面に読み取れる。
福住の廃屋で耳にした、
あの変な警告めいた言葉の意味は
こういう事だったのかと思う。
この群れは散らされる。
私の目には
組織崩壊の図式がそのまま
今のメノナイト協議会の姿に重なって見える。
責める方と責められる方とが互いに猜疑心を抱く時、
群れは破綻に向かう。
一度損なわれた信頼は簡単には戻らないからだ。
不信感と猜疑心で協議会が幾つにも寸断されていく。
長年群れをよく見守ってきて
とりなしの働きをする事の出来るはずの人達が
立て続けに世を去ってしまった。
この群れは散らされる。
10年前にこの警告を耳にした時から今日までに、
メノナイト協議会の中で幾つの教会がこの地上から姿を消しただろう。
福住の建物と土地、帯広の協議会ハウスの土地建物に固執して総会を混乱させ、
無益に空転させ時間を浪費する間に協議会に連なっていた教会達はどうなったか。
幾つの教会が機能停止状態に陥ったか。
幾つの教会が協議会の群れから距離を置いたか。
幾つの教会が存続の危機に瀕しているか。
総会の机の端っこにすら取り上げられず、
協議会総会は幼稚な裁判ごっこをだらだら続けている。
悪魔は隙を突いて信仰者の群れに揺さぶりをかける。
それを見抜くなら、仲間の特定の誰か彼かに
偏って群れの重荷を負わせていた事に気づく事が出来る筈。
気づく事が出来ればねぎらって協力こそすれ、落ち度を責めるなど、
信仰者の良心があれば到底出来ない筈だ。
人の落ち度を見つけたら見つけた者にこそ補う責任がある事は
聖書を読んだ事があるなら誰もが知っている。
責めるだけなら今どきの子供らがよくやる愚劣で陰惨ないじめと同じ、
この先何年かかろうと何一つ解決しない。
しかしこんな事は
キリスト教とは無縁な一般社会の常識、
組織運営のため暗黙のルールである。
キリストを知らない一般の人々が当たり前に実行している最低限の協働ルールが、
今のメノナイト協議会には無い。
「主がお入用なのです。」(マルコ11;1~10)
総会の場で
誰か一人を正義の味方気取りで人を責め立てていた人達は
相手がキリストを背負ったろばである事を忘れている。
相手の背中にキリストがいる事を。
口汚い言葉と態度で愚弄しているその相手は
一人の人間として長所もあり欠点もありながら主に入用とされて教会に招かれ、
自分を捧げ時間を捧げ、長年一つの教会を支えてきた、用いられてきた人だ。
その事を忘れている。
私達は一人一人がろばである筈。
主が私達一人一人をお呼びになった。
総会の席に着座する時、
主イエスを背中に乗せたろばを思い浮かべようと思う。
一人一人が主に必要とされ、呼ばれてここに来た。
自分も、相手も。
考えが合っても合わなくても、
私達は誰もが主に必要とされ、呼ばれ、
召し出されてここにいる。
互いを見る見方が違ってこないだろうか。
(追記2008.9.2)
そんな甘い期待を持って
臨時総会の日程に合わせて休暇を取ったら
中止の知らせが来た。
総会の議事進行に耐えるまでに
執行委員会で話が進まず、幹事達が納得しないからと。
あの警告は
いずれ本当のものになるだろう。
私一個人について、信仰のあり方を考える時、
自分がキリスト者である事とメノナイト教会協議会に属している事とが
矛盾してきている。
自分が所属するだけでなく、
父までもがメノナイトで今年洗礼を受けたのは、一体どういう意味なのだろう。
聖霊、来たりませ。
この群れを散らさないで下さい。
私は今もまだメノナイトにいる。
今いる釧路の教会で代議員になった。
それまで代議員をしていた仲間が出産、子育てで
総会などに出席するのが難しくなったのだ。
代議員というのは、
年一回のメノナイト協議会総会に各教会を代表して出席し、
出された議案に対する議決権を持っている。
この2年間、
メノナイト協議会総会に出席して、
殆どがただ黙って座って聞いているだけの私も、
群れのあり方について考えさせられた。
メノナイト教会協議会は、
過去20年以上も前から土地と建物を巡る問題を抱えている。
10年前には札幌の福住センター、今は帯広の協議会ハウス。
いずれも宣教師達が残した建造物である。
もう10年も経ったのか。
あの福住の廃屋の時から。
10年前、
U教会の指導者達とB教会のK氏が中心となって有志を集めて始めた農業共同体は、
今も存続している。
教会指導者の娘夫婦が今は中心となって一家で畑をやっている。
娘婿はアメリカ人で初めの頃は農業をしに来たような話だったが
いつの間にか宣教師の肩書きになっている。
この人は一体いつ召命を受け、いつ神と人に自分を捧げ
いつ宣教の使命を受けたのだろう?
この人の農業ビジョンは聞いた事がある。
しかし農業以外は信仰告白すら聞いた事が無い。
何故なら彼は信仰の話を出来るほどには日本語があまり上手くない。
それでもメノナイト協議会の宣教師という事になったらしい。
限られたごく一部の有志で始めたこの農業共同体という事業、
この10年の間にメノナイト協議会で運営する事業でもあるかのように
意味づけし直され、暗黙のうちに変質している。
農業経営はそう甘くない。
収益が上がらず万一負債を抱えたり維持しきれなくなったとしても
協議会全体の事業として認知させてしまえば
教会指導者の娘夫婦や一部の有志が苦しまずに済む。
こうして個人が自分の個人事業を教会協議会に持ち込んで
協議会全体を巻き込んだり掻き回しても誰も何も言わない。
何故ならその個人事業は『メノナイトの信仰共同体』を名乗っているから。
地方の各教会はいずれも過疎地で、
自分達の教会を維持し存続するだけで精一杯の厳しい状況にある。
協議会全体の事など考える余裕すら無かったりする。
金も時間も好きに使える人達がやりたい放題しても
誰も止めない。
でも、実際経営は大変だろうな。
儲かる事業ではないから。
赤字ではないの?
経済的に。
代議員になって総会に出てみて、
およそ信仰者の集まりとは思えない、えげつない光景を目に見た。
主がその場にご臨在になって、
神の目に見られている事を意識するなら決して出来ない筈の、
毒々しい言動や態度が協議会総会の席で横行している。
監事は二人ともそれぞれに
電気店の社長と測量会社の社長でありながら、
まるで株主総会を荒らし回る総会屋か
酔っ払ったチンピラがごろついているみたいに見える。
U教会とB教会から一人ずつ選出されて監事となった二人が
何故か正義の味方になって誰彼の間違いを暴き、
他人に言葉を挟ませず口に泡を飛ばしてまくしたて、
昼食の弁当が配られても食前の祈りすらそっちのけで
自分達の言い分の正当性を主張し続ける。
他人が発言する間、
腕組みして斜め45度上を見て脚を組み、
ふんぞり返っている。
国会議事堂で口汚い野次を飛ばす議員にそっくりだ。
メノナイト協議会で歴代の監事が
これほど高圧的だった事が過去にあったろうか。
およそキリスト教徒の集まる場にそぐわない、
浅ましく場違いな二人の監事の姿である。
彼らの言う事に正当性があったとしても
これではその信憑性も額面通りに受け入れる事自体難しい。
私が昔、学生として恩師やK氏と交流があった当時には、
二人とも全く違う人間像だった。
人柄は穏やかで気さく、一緒に食卓を囲み、共に聖書を読んで、
世間話に花を咲かせた事もあった。
それぞれに気のいい二人の信徒だった。
それが一体いつから二人ともメノナイト協議会の刑事になったのか。
問題の帯広の協議会ハウスは福住よりももっと古い。
その昔、北米メノナイトの宣教師達が開拓伝道し始めた最初の土地であり、
その当時の建物だ。
老朽化甚だしく、宣教師と伝道師が2人で各一部屋ずつ住んでいる以外に
現在会議などでは全く使われていない。
二人の監事が注目し、攻撃の的にしている人は、
帯広教会の宣教師時代からの古い教会員である。
北海道各地に宣教し各地の教会を育てた宣教師は、
当時まだ若かったその人に一つの希望を託したという。
「この土地で教会を支え、守ってほしい。」
この時代の青年達は皆一途で熱心だった。
同世代の青年達が何人も献身し牧師となってメノナイトの群れを支えてきた。
その人も宣教師から託された事を使命として
この半世紀、教会の敷地の隅に建てられた小さな家に住んで
ずっと一つの教会を支え続けてきた青年の一人だった。
その間に帯広の教会には多くの出来事があり、
教会員が多い時も少ない時もあり、宣教師や牧師がいた時期もあり、
いない時期も長かった。
その間C氏はずっと一つの教会に留まって支えてきた。
長年牧その人は働きを捧げ続ける牧師先生達や古い教会員達と同じように
宣教師から託された約束を守ってきた人だ。
宣教師の建てた帯広の協議会ハウスが
建材も今の消防法に触れ、老朽化して使用に耐えない、
帯広教会だけで維持管理するのは荷が重過ぎる、十勝地区でも厳しい、
協議会全体でどうにかしなければならないと、
1984年頃には既に家庭集会の食卓で話題に出ていた記憶がある。
その頃私はまだ札幌で求道者ですらなく
発足間もないS教会やK氏宅の家庭集会に出入りする常連客として、
食卓を囲む雑談の中で何となくその話を聞いていた。
私が耳に聞いた1984年からこの2008年までの24年間、
札幌在住の教会指導者や監事達が自ら帯広の現地に根を据え何かをしようとした事は
少なくとも無い。
今現在のように口から泡を飛ばして激昂するほどの関心を示した事も無かった。
協議会ハウスの問題は24年かそれ以上前から今と同じ状態で棚上げ放置されていた。
この四半世紀の間、協議会ハウスの建物を維持管理してきたのは
帯広の教会とその敷地に住む代表を務めてきた人である。
二人の監事達は帯広教会の代表が協議会の土地建物を不正に私物化していると指摘し、
この2年の間ずっと追求し糾弾し続けてきた。
自宅に連日メール、ファックスを送りつけ、
まるで犯罪者に対するように言動でも文書でも同氏を恫喝した。
物陰でも、協議会総会の場でも。
年に1回の総会の他に、臨時総会で詰問し、年数回ある執行委員会で槍玉に挙げ、
それ以外不定期に呼び出して刑事ドラマか裁判まがいに吊るし上げてきた。
ある時は総会の場で監事二人がその人一人だけを退席させ、
欠席裁判の真似事までもしようとした。
私も総会の場で何度か目撃した。
全教会の代表の集まる場で帯広の代表と執行委員長を務める標茶の牧師を、
悪意剥き出しに詰問する時の、あの二人の監事のもったいぶった得意げな表情。
わかってるのか。
円陣を組んだ総会の机の真ん中に立って見ているのが誰か。
見られてるよあなた方。
私は恐ろしくて仕方がない。
帯広代表の妻が体調を崩したと聞いた。
電話やファックスが鳴ると、また監事達からの恫喝か
詰問調の膨大な文書かと思って身が竦むと聞いた。
脅迫神経症状態に陥っていたのかも知れない。
そもそもは
大昔に教会の将来を託したアメリカ人宣教師も本人も、
そして過去から現在に至るまでに在籍していた教会員達も
法律には全くズブの素人、無知であった。
教会に人の多い時もあればどっと減る時もあり、
教会の存続だけでも精一杯で土地建物の登記など顧みる余裕も無く、
曖昧なまま年月が経ってしまったというのが本当のところだろう。
私は思う。
監事達が主張するような、
帯広の代表が不正をして私腹を肥したかのような嫌疑は見当違いである。
30年間存続ぎりぎりでやっている教会でどうやって私腹を肥やせるというのか。
総会の場で幹事達が一人の人を吊るし上げ詰問し、
登記や事務手続きの不備を論って糾弾するのを見た人達は思っていたのではないか。
滑稽な言い掛かりだと。
法律に無知なら無知で、法務局に行って尋ねたらいい。
手続きの不備も、指導を受けて手続きし直せば済む。
実際帯広の代表は役所の窓口を訪ねて手続きの仕方を聞き、調べる事は調べた。
監事達から追い立てられるようにして。
ところが二人の監事は総会の度に役所からOKを貰ったものまでも
あれが足りないこれがたりないと突っ返し、
総会の議事進行を掻き回し、空転させ続ける。
「まだ不備がある」
「そんなんじゃ足りない」
「それは納得出来ない」
「やり直せ」
「調べ直せ」
挙句には、
「Cさんがやったのでは不十分だ。」
「Cさんが調べたものは信用出来ない。」
「Cさんは素人だから」
「うちの会社の関係者で
そういうのをやってくれる業者がいるから
そっちに依頼しやり直しして貰いたい。」
こうして
総会で帯広の老朽化した協議会ハウスを巡って延々と埒も無い議論を繰り返し、
地元の十勝で今後老朽化した協議会ハウスを維持管理する事は
過疎地に立つ教会の群れとしては荷が重い、解体し処分すべきという意見もある。
一方、
地元でない札幌のU教会の指導者と教会員達、
B教会のK氏と教会員達、監事二人は協議会ハウスをリフォームし若い者を集めて
イベントに使えと主張する。
とにかく建物を残したいと。
建物がありさえすれば何かビジョンも生まれると主張する。
つまり使う目的は思いつかないが建物は存続させて運営の主導権だけは握りたい、
若い者を集めて一緒にワークキャンプをやらせて共に働けば人は育つ、と言った。
育ったか?
この20年余り、若い者を集めて物陰で何をしてきたか。
私も昔集まった若い者の一人であるが、また同じ事をやりたいのか。
福住で学生達を支配して裁判の真似事をしたように。
監事二人が総会の席で一人の人をを詰問するのを見て思った。
あの時の、
学生を呼び出して裁判の真似事をした時もこうだったのかと。
こんな風にスケープゴートを決めて裁判ごっこをしたくて若い者を集めていたのか。
当時の福住に集められていた学生達はどうして今この場にいないのか。
彼らがメノナイト協議会の教会に残っていないのが
どうしてなのか、誰も考え及ばないのか?
20年前、裁判の被告のような扱いを受けて躓き去った人は
山奥の小さなメノナイト教会代表の息子と結婚したが
代表も重鎮だった教会員も世を去ってしまった今、
その小さな教会は片手で数えるほどの人数で細々と礼拝を捧げている。
言ってみても仕方ない事だが
今は亡き教会代表者の息子とその妻となったあの学生達が
もしあの福住で躓いたりしなければ。
きっと
山奥の小さな教会では代表者が世を去っても
その子供達が一家で賑やかに礼拝していたかも知れない。
しかしかつて福住に若い者を集めようとした人達は
今また今度は帯広の土地と建物を使って昔と同じ王国を作りたがり、
裁判ごっこを繰り返している。
そうやって昔から教会の将来を悉く潰してきた。
これからも潰すのか何の自覚も無く。
そして
自分達は現地に出向いて維持管理に労するつもりはなく、
協議会の中で自分達の息のかかった者を選んでやらせる、
新しく福住センターを立て直した後のように。
意見を押し通し、自分達の手は汚さず、
後の面倒は人任せにして、
自分達は長沼で畑を耕したい訳か。
アーミッシュみたいに。
なるほど。
がっかりする。
ここでもまたU教会の指導者達とその仲間。
そんなに主導権を握って何か事業をしたいのか。
教育者や事業主の支配欲は際限が無い。
彼らが帯広まで来て自分達の手で何かをするなら別に誰も反対はしないと思う。
遠方から言いたい事を言い好きな事をするだけして後の面倒は実質上、地元任せ。
10年前の福住センターの時も今の帯広協議会ハウスの時も
相変わらず陰で怪文書や根回し電話が暗躍している。
そして会議の場での糾弾、吊るし上げ、
人の落ち度を根拠に幼稚な勧善懲悪的態度で
メールやファックスを立て続けに送り付け、執拗に個人攻撃を繰り返す。
私と同じ教会から執行委員に選出された仲間が当惑していた。
監事の一人から送られて来たメールには
ご丁寧に猥褻画像が添付されてきたという。
嫌がらせか。
なるほどね。
勘違いな正義の味方気取りで人を裁く者が現れても、
メノナイト協議会に集まった人々の中には
横目に見ながら誰一人諌める者も無い。
がっかりする。
これが現実。
これが自分の信仰を告白した教会の所属する
協議会のありのままの姿なのだ。
長所もたくさんあるのに、
私達の群れは
主が一番忌み嫌われる事を散々やってきてしまった。
今年5月の総会では
帯広の協議会ハウスと帯広教会の土地建物に関わって
法的無知や事務的不備を指摘された帯広代表と
議事進行と事務手続きに不備を指摘された執行委員長である標茶の牧師が
一同に謝罪して閉会した。
会議が解散してもなお標茶の牧師先生が
出席者の一人一人に謝罪の言葉をかけて回る姿を私は見た。
私にまでも「申し訳有りませんでした」と声をかけてきた時、
私は非常に悲しく残念に思った。
無知は罪か?
謝罪とは、
誰かに痛みや犠牲を強いた時にすべきものであって、
土地建物に関する10年20年のややこしい問題は、
特定の誰彼の落ち度によるものではない事を
誰もが皆知っている筈だ。
私達は誰でも、
日頃関わった事のない法的手続きには全くの無知であり、
わからないための試行錯誤が協議会には確かにあった。
皆がその試行錯誤から学びこそすれ、
特定の誰彼の失敗や落ち度として断罪したり、
誰かが誰かに謝罪するような筋のものではないと
私は思う。
むしろ、
私達がこれまで知らないわからないで済ませ、
無関心でいた事のツケを、
特定の人に長い間負わせてきた結果であり、
それに大の大人達が皆して長年無頓着でいたという、
現実がある。
あの場に集っていたキリスト者の一人として
自分の方こそ
恥ずかしく申し訳ない気持ちで一杯だ。
群れの維持管理や運営を特定の誰か一人に負わせたら、
当然うまくいく筈がない。
何故なら誰にでも欠点があるからだ。
主なる神は私達を
一人で何でも出来るようにはお造りにならなかった。
足りない所を周囲の教会仲間が補わず、
面倒な事を一人に任せたままにしたら、
重荷を負う人は孤軍奮闘の状態に陥って
物事うまく立ち行かなくなる。
帯広教会とその代表のように。
代表を務める人物の足りないところを監事達に糾弾されたとしても
同じ教会の仲間が遠巻きにせず一緒に協力して教会の重荷を担うとか
せめて一緒に祈って励ますとかしていたら、
或いは代表が自分だけで頑張らずに教会員に腹を割って協力を募っていたら、
せめて祈ってくれと願っていたら、
状況は全く違ったものになっていたかも知れない。
残念なのは
帯広の教会員達が自分達の教会の代表を務めた人に
長年教会の面倒な問題を任せたままにしていた事、
そしていざこのように問題が生じると、
遠巻きしていた教会員は監事達の言い分を鵜呑みにして代表一人に問題の責任を問い、
感情的な軋轢と不信感を生じてしまった事。
本来責任があるのは代表一人ではなく代表も含めた全教会員の筈。
それが何処からこうも見当違いな軋轢が生じたのか。
教会員達と代表との間を執り成し和解に導く事が出来る立場にあるのは
今帯広にいる一人の宣教師と、札幌から来た伝道師。
しかし二人とも執り成しの役割を果たしていない。
特に伝道師の方は
元々札幌の教会で私と同じ恩師の教え子であり、
B教会の人脈からアメリカに留学して帰国後から伝道師となった。
そしてU教会、B教会、監事達の利害を代弁し監事達の側の立場に立って
代表を感情的に批判している事が議事録の文面に読み取れる。
福住の廃屋で耳にした、
あの変な警告めいた言葉の意味は
こういう事だったのかと思う。
この群れは散らされる。
私の目には
組織崩壊の図式がそのまま
今のメノナイト協議会の姿に重なって見える。
責める方と責められる方とが互いに猜疑心を抱く時、
群れは破綻に向かう。
一度損なわれた信頼は簡単には戻らないからだ。
不信感と猜疑心で協議会が幾つにも寸断されていく。
長年群れをよく見守ってきて
とりなしの働きをする事の出来るはずの人達が
立て続けに世を去ってしまった。
この群れは散らされる。
10年前にこの警告を耳にした時から今日までに、
メノナイト協議会の中で幾つの教会がこの地上から姿を消しただろう。
福住の建物と土地、帯広の協議会ハウスの土地建物に固執して総会を混乱させ、
無益に空転させ時間を浪費する間に協議会に連なっていた教会達はどうなったか。
幾つの教会が機能停止状態に陥ったか。
幾つの教会が協議会の群れから距離を置いたか。
幾つの教会が存続の危機に瀕しているか。
総会の机の端っこにすら取り上げられず、
協議会総会は幼稚な裁判ごっこをだらだら続けている。
悪魔は隙を突いて信仰者の群れに揺さぶりをかける。
それを見抜くなら、仲間の特定の誰か彼かに
偏って群れの重荷を負わせていた事に気づく事が出来る筈。
気づく事が出来ればねぎらって協力こそすれ、落ち度を責めるなど、
信仰者の良心があれば到底出来ない筈だ。
人の落ち度を見つけたら見つけた者にこそ補う責任がある事は
聖書を読んだ事があるなら誰もが知っている。
責めるだけなら今どきの子供らがよくやる愚劣で陰惨ないじめと同じ、
この先何年かかろうと何一つ解決しない。
しかしこんな事は
キリスト教とは無縁な一般社会の常識、
組織運営のため暗黙のルールである。
キリストを知らない一般の人々が当たり前に実行している最低限の協働ルールが、
今のメノナイト協議会には無い。
「主がお入用なのです。」(マルコ11;1~10)
総会の場で
誰か一人を正義の味方気取りで人を責め立てていた人達は
相手がキリストを背負ったろばである事を忘れている。
相手の背中にキリストがいる事を。
口汚い言葉と態度で愚弄しているその相手は
一人の人間として長所もあり欠点もありながら主に入用とされて教会に招かれ、
自分を捧げ時間を捧げ、長年一つの教会を支えてきた、用いられてきた人だ。
その事を忘れている。
私達は一人一人がろばである筈。
主が私達一人一人をお呼びになった。
総会の席に着座する時、
主イエスを背中に乗せたろばを思い浮かべようと思う。
一人一人が主に必要とされ、呼ばれてここに来た。
自分も、相手も。
考えが合っても合わなくても、
私達は誰もが主に必要とされ、呼ばれ、
召し出されてここにいる。
互いを見る見方が違ってこないだろうか。
(追記2008.9.2)
そんな甘い期待を持って
臨時総会の日程に合わせて休暇を取ったら
中止の知らせが来た。
総会の議事進行に耐えるまでに
執行委員会で話が進まず、幹事達が納得しないからと。
あの警告は
いずれ本当のものになるだろう。
私一個人について、信仰のあり方を考える時、
自分がキリスト者である事とメノナイト教会協議会に属している事とが
矛盾してきている。
自分が所属するだけでなく、
父までもがメノナイトで今年洗礼を受けたのは、一体どういう意味なのだろう。
聖霊、来たりませ。
この群れを散らさないで下さい。
築半世紀近くも経った、
宣教師の時代の老朽化した建物を取り壊し
総工費1億5000万で新しい建物を新築する事が
僅差の多数決で反対を押し切って決定した時、
私は職場で無資格の看護助手から
看護学校に進学していた。
12年間住んだ古いアパートを出て、
職場で借り上げていた公団住宅の一室を借り、
試験勉強とレポートを書くためと
当時愛用していたワープロ器のために、
もう一つ机が必要になった。
それで解体直前の旧福住センターに、
一度は人にあげた自分の古い机を取りに行った。
小学校入学時に両親から買い与えられた机だ。
以前住人だった学生にあげた物だが、
その人は机を残して出て行って何年も経ち、
机は誰も使わないまま古い建物に置かれていた。
看護学生の身で新品の机を買う経済的な余裕はない。
古い机が残されていたのはラッキーだった。
よかった、机を買わずに済む。
建物と一緒に机が処分されないうちに、
急いで引き取りに行った。
月曜日に解体されるその二日前、土曜日だった。
私は新築推進委員の一人であるK氏から鍵を借り、
建物の中に入って運送屋を待った。
廃屋の中はがらんとしていた。
古びた木製の家具類、書棚や机、椅子、箪笥が
雑然と残されていた。
そこではかつて
U教会の指導者達、S教会の恩師、B教会のK氏達が
その古い建物で学生対象に伝道すると称して
私も含め学生達や教会の求道者や信者達を大勢集め、
平和主義について、非暴力非戦について、
憲法改正問題、原発問題など議論に明け暮れていた。
今になってみると
どれほどの意味があったのかもはっきりしない、
果てしなく延々と続いた議論。
聖書の一字一句の解釈、アナバプテスト神学について、
或いは聖書を文学として読む事や音楽論など、
一滴の酒も無しに夜更けまで酔っ払って語り続けた時間。
その時から既に10年の歳月が過ぎていた。
運送屋が到着するまでの間、
夢のように楽しかった無益な時間を回想した。
当時聖書研究会に使っていた一室には
藤棚の蔓がまだ残っていた。
誰も手入れをしないのに毎年見事な花を付けていた。
その藤棚も建物ごと処分される。
書棚や本箱もそのままになっていた。
扉を開けてみるとわっと埃が舞い上がり、
宣教師達の手紙や絵葉書、写真、洋書、
聖書の注解書などが湿ってカビ臭くなっていた。
あと二日のうちに誰も引き取らなければ、
これらの思い出の品々は全て建物ごと処分されるのだ。
埃にむせながら
まるで泥棒にでもなった気分で物色した。
黴臭い木製の戸棚の中に新品の新約聖書を見つけた。
その瞬間、
耳の穴の奥深くで誰かに囁かれたような気がした。
「この群れは散らされる。」
背後から声のない声のような言葉が聞こえた気がして
思わずふり返った。
私以外には誰もいなかった。
新約聖書は文庫本の大きさで発行が1984年になっていた。
ページを開いた跡はなく、売上伝票も挟まったまま。
黄ばんで汚く変色した絵葉書や手紙など朽ちた物達の中で、
それらの新約聖書だけが
不自然にそっくり新品のままだった。
教会の有志達はかつてここで
開拓伝道をしようとした事もあったのだろうか。
私はその文庫本大の新品の新約聖書33冊と、
U教会のゴム印が押してある、
表紙が破損してぼろぼろの英・和対照の
ギデオン協会版新約聖書7冊、
子供用のミニ紙芝居を持ち帰る事にした。
聖句入りの栞の束もあったが
カバンに入れるには大量過ぎて諦めた。
運送屋はまだ来なかった。
さっき耳の中に聞こえた言葉を反芻した。
この群れは散らされる。
誰かから警告を受けた気がした。
朽ちた廃屋の中で捨て置かれた新約聖書を拾って
慌てて鞄に詰め込んだのも、
耳の中に聞こえた言葉に叱責のような、
警告のような響きを感じたからだった。
意味もわからないまま胸騒ぎがした。
"この群れ"とは、
自分達北海道のメノナイト教会協議会の事だと咄嗟に直感した。
私があげた机を置いて福住を立ち去った人の事を考えた。
立ち去る時、その人はU教会の教会指導者達に取り繕いようの無い嫌悪感を抱いて
教会を去る事、キリスト教とは二度と関わりたくない、
特にメノナイトとは一生関わりたくない、と私に言った。
現に、その人は同じメノナイトの中で
山奥の教会の代表をしていた人の息子と結婚したが
結婚式は親の願いを頑として拒否し、
キリストではなく神道式で、神社の神主を呼んで挙げた。
その人が
「メノナイトとは一生関わりたくない」
とまで思った原因について、
私はその人の口から直接聞いた事がある。
その人が学生として福住センターにいた当時、
U教会の教会員である中学教師夫婦が管理人をしていた。
この中学教師が、
学生を監督すると称して学生達の生活態度を逐一教会指導者に悪く告げ口していた。
時には話に尾ひれをつけ遠い田舎の親元にまで電話をかけて親子共々動揺させたり
掻き回す事を楽しんでいると私の目に映った。
私の机を貰ってくれた人は、
ある時U教会の主だった役員から一室に呼び出された。
管理人の中学教師はその人が
「男子学生と一室に籠っていかがわしい行為をしている」
と、役員達に告発したのだった。
その人は役員達の面前に呼び出された時
初めて自分にかけられた疑いの事を知ったという。
身に覚えの無い事であると弁明する機会も与えられず
最初からやっただろうと決め付けられて
正面に裁判長のように座っている教授と
取り囲むように居並ぶ役員達と
告発する管理人の中学教師夫婦達と
それらの人々から一方的に頭を下げさせられたと
後になって悔し泣きしながら私に語った。
管理人をしていた中学教師は、
その人が男子学生といかがわしい行為をしている現場に
踏み込んで目撃した訳ではなかった。
証拠も無かった。
にも拘らずそんな頼りない根拠でよく一人の人間を吊るし上げたものだ。
その人の方が逆に管理人の中学教師やU教会の指導者達を告発出来るではないか。
18、19の若い人にはそこまでの知恵は無かったのか。
むしろそれよりも
その人も、他の学生達も、
全道各地に点在するメノナイト教会の関係者を
親や親類に持ち、その紹介で入居していたため、
U教会員達の占める管理人や役員達とのトラブルは
へたをすれば
そのまま地方の教会と札幌のU教会とのトラブルに発展し兼ねなかった。
学生達はそれを恐れて理不尽な扱いを受けても
親や親類や他の教会関係者には隠していた。
その頃私は大学四年の冬休みに、
卒論を書き上げるまでの短期間、
この福住センターに滞在していた。
管理人の中学教師は学生達に対して高圧的で命令口調、支配的な態度をとっていた。
風呂などはこの中学教師がまず一番風呂に入り、
その女房と二人の子供達4人、一家全員が入浴を済ませると夜の9時になる。
夜9時になったら中学教師は全館のボイラーを落とす。
バイトを終えた学生達が帰宅するのは大体9時から10時過ぎ。
厳寒期の札幌でありながら既に暖房も浴室の給湯も止められていた。
彼らは仕方なく台所で薬缶や鍋に湯を沸かし、
浴室まで運んで少ない湯で入浴していた。
学生達をここに送り込んだ親達はそんな実態を知らずに
教会関係の寮だからと安心して子供を福住に入居させていた筈だった。
暖房が止まって居室が寒かったので
私は食堂で卒論を書いていた。
中学教師が酒を片手に一杯機嫌で覗き込んだ。
晩酌で上機嫌らしい。
「どうだね井上くん。
卒論は進んでいるかね。
どれ、俺が見てやろう。」
「要りません。
管理人室に引っ込んで寝たらどうですか。」
「あんたみたいな生意気な生徒が
うちのクラスにもいるんだよ。
今に思い知らせてやるから見てろ。」
「結構な中学教育ですね。」
「なにぃ」
「お父さんもうやめて。
井上さんごめんなさいね。」
「教授や役員には伝えておきます。
あなた方が何をやっているか。」
「・・・・・」
学生達からは口止めされたが
私には黙っている義理など無い。
卒論を見て貰いに役員でもあった恩師宅に行った際、
私は管理人のありのままを話した。
恩師は関係者を集めて話し合いの場を設けた。
U教会の教授はじめ教会指導者達、管理人夫婦、入居している学生全員が集められた。
管理人の中学教師は酒を飲んで卒論書きの邪魔をした件について、
「晩酌の習慣があるのでつい・・・」
と言い訳にもならない言い訳を皆の前でした。
風呂の件については
「燃料費を節約しようと思った。」
と弁解した。
他教派からU教会に転入してきたこの中学教師夫婦を
学生監督の資質申し分ない人格者として
強く推薦したのはU教会の指導者である。
この人物を管理人として推薦した役員の責任は問われる事なくうやむやのまま、
しばらくして中学教師夫婦は管理人を辞め、
U教会に対しても何か不満を持ったとかで姿を消し今は所在不明だ。
私の机を貰ってくれた人に対する裁判もどきな吊るし上げは
人目に触れたこれらの出来事とは違って物陰で行われた事だった。
他にも似たような事があったと噂には聞いた。
しかし年月と共に誰もが忘れた、
むし返すに値しない、取るに足らない出来事だった。
それから後には、
管理人不在、入居学生不足などで
運営存続自体が危うくなったり、
他教派から人が大勢移って来てごった返したS教会から
G教会が新しく分離して
この建物を礼拝場所として使うようになり、
似たような管理人と入居学生との軋轢を
繰り返したりするうちに
老朽化して人が住むに耐えられなくなった。
取り壊すぎりぎりまで
2、3人の学生達が入居していたが
その頃私はネズミが出没するその建物に
一晩だけ泊まった事がある。
深夜の衛星放送で
パラジャーノフの映画が3本放映されたのを
録画するためだった。
朽ちた昔の宣教師館で
住人だった人の置いて行った大型テレビを前に
パラジャーノフの映画を見ていると
ネズミ退治のためといって飼われていた幼い黒猫が
テーブルの上に乗って
私と顔を並べて同じ高さの目線で
パラジャーノフの映像にじっと見入っていた。
『ざくろ』、『アシク・ケリブ』、『スラム砦』、
3本の映画を何時間も。
人気の無い奥の管理人室でネズミの走る音が聞こえた。
一睡もせず
一匹の黒猫と一緒に
廃屋状態の福住センターで
パラジャーノフの映画を見て夜を明かした。
そんな妙な一夜の事を何故かよく覚えている。
あと2日で解体される廃屋にも
たくさんの出来事があり、
いろいろな思い出もあった。
運送屋が来た。
机を運びながら、思った。
この建物を拠点にして伝道するとか
伝道、宣教という名目でここに若い人を集めて
何かやろうとした事があったけど、
キリスト教の信仰の入り口に
入るか入らないかでいた若い人達を
精神的に傷つけ、
メノナイトという教派に嫌悪感を抱かせ、
キリスト教に幻滅させた。
結局ろくな事に使われなかったな。
「キリストは好き。
聖書を読むのも好き。
でもメノナイトの教会は大嫌い。
二度と関わりたくない。」
かつて一度この机を貰ってくれた人の
私にそう言った時の表情も声も口調も、
はっきり耳に残っている。
教会に躓いても、
キリストと聖書は好きだとその人は明言した。
教会で嫌な思いをしたり
感情的に傷つけられて立ち去る人は皆、
同じ事を言う。
キリストと聖書に嫌悪感を抱いていないなら
あの人はいつか教会に戻って来るだろうか。
メノナイトでなくても、
別の教派の教会でもいいから、
いつか何処かの教会のドアを叩くだろうか。
あの人がこの福住で味わった苦い出来事を
過去の出来事として
当時の関係者達を許す事が出来るまで
道は開かれないかも知れない。
「この群れは散らされる。」
さっき耳の中に聞こえた言葉を反芻した。
もしこの言葉が耳の奥に聞こえなかったら
私は新品の新約聖書の山など見なかった事にして
目的の机だけを引き取って立ち去ったかも知れない。
この建物に集まって
賑やかな時間を過ごして去って行った、
数え切れないほど多くの学生や
留学帰りの人や
就職したばかりの若い人達、
学者、教師、教会員達、求道者達、
その懐かしい人達は皆、
何処に行ったのだろう。
今何処で何をしているのだろう。
自室に机を搬入し終わった後、
私は廃屋の鍵を返すためにK氏宅を訪ねて
玄関先でカバンに掻き集めた物を見せた。
これらの新約聖書を
K氏のいるB教会で使いませんかと言ってみたが、
断わられた。
K氏は迷惑そうだった。
「新約旧約一緒なら礼拝や集会で使えるけど、
教会員は皆自分の聖書持ってるし。
要らないね。
あなた何でそんな物を拾って来たの。」
最後の非難めいた語調は防衛線だと感じた。
僅差の多数決で反対意見を押し切り
巨額の予算を注ぎ込んで構想通りの建物を新築しようとしていた人々、
U教会の指導者達とB教会の代表(当時)は半ば強引に新築事業を進める根拠を
福音宣教、伝道の目的だと主張していた。
そこに置き去りの新約聖書を持ち帰った私は
K氏にとって迷惑な、疎ましく余計な事をした。
私が廃屋から新約聖書を持ち帰った事は
「メノナイトの群れのため」「宣教のため」と
正当化していた彼らの目的が宣教ではなく金と土地を使った趣味道楽にある事を、
K氏の玄関先で暴露したも同然の行為だった。
人の家の玄関先で喧嘩を売ったようなものだ。
彼らの言葉どおりならば、
売上伝票も挟まったまま開かれた事の無い、
新約聖書の一冊一冊は
新しい来会者に贈られるべき福音であり、
相応の機会が与えられるまで保管されるはずだった。
しかしK氏ははっきり「要らない」と言い切った。
私達の信仰の仲間達の中には、
皆が貧しかった終戦後、身寄りも無く無一物になった時に
伝道者から手渡された一冊の新約聖書によって
人生を変えられた人が何人もいる。
私達がキリストを知る事の出来る唯一の手掛かりが
この新約聖書ではなかったのか。
要らないと言うのでそれらの新約聖書は自室に持ち帰った。
机の上に積み上げてしばらく考えた。
廃屋から持ち帰った新約聖書を自分の手元に置いて
誰彼構わずばら撒く事に、何だか釈然としなかった。
夜になってU教会の指導者である教授にも電話した。
電話の向こうの声の主も迷惑そうだった。
「今日、福住に古い机を引き取りに行って
新品で使った痕跡の無い新約聖書33冊と
U教会のゴム印の押してあるギデオン聖書7冊、
置き忘れられたままになっていたので
持ち帰りましたが、U教会で使いませんか?」
「いいえ。
あの建物の中に残っている物は全部、
建物ごと廃棄処分するものです。
どうぞ、
欲しい物があるなら早く持って行って下さい。
月曜日には取り壊しますから。」
「そうですか。
では頂いてもいいですか?」
「欲しければどうぞ。」
新約聖書は廃棄物か。
メノナイト協議会の集団は
何のためにキリスト教会をやっているのだろう?
キリスト教徒が新約聖書をゴミとして捨てた場所に
1億5千万円かけて、群れ全体の理解を得る事も無く、
僅かな多数決の差で反対を押し切って
強引に建物を新築する。
その負債は後々の信徒達に負わせる。
そこまでして
無理矢理に新しい物を新築しなければならない理由は何か?
群れの中の信頼関係を損なってまで
建てなければならない建造物とは一体何なのか?
竣工式や献堂式で
一体誰に向かって何を祈るのだろう?
これがメノナイトの弟子の道か。
捨てるならこの聖書全部くれと言った自分も同じである。
こうして人のする事を裁きながら、
私が今批判する相手はかつて私が困った時に
理解と助けの手を差し伸べてくれて、
一緒に聖書を読み食事を食べさせてくれた人達ではないか。
廃屋から持ち帰った新約聖書は
日曜日に自分の所属する母教会の礼拝に持って行った。
教会員達は皆口々に言った。
「主のお導きだ。
新約聖書が捨てられなくて、
よかったよかった。」
よかった?
確かに、
建物ごと処分されるよりはましだったけど。
新品の33冊のうちその場で10冊余りは
教会員達の手に引き取られて行った。
母教会の信徒達は皆、個人伝道に熱心だ。
機会あるごとに、家族や親戚、友人知人に
自分の信仰を言い表し、
何かの催しがあれば誘っている。
その日の礼拝には、
キリスト教の教会という所を初めて訪ねたと言う人が
数人来ていた。
私はその初めて来た人達に、一人一冊ずつ差し出した。
「これ、よかったらどうぞ。」
「えっ
これほんとに頂いてもいいんですか?
ありがとうございます!」
受け取った若い学生は目を輝かせて
私に「ありがとう」と何度も言った。
ありがとうと言われる事を
ありがとうという言葉を
この時ほど苦いと感じた事はない。
メノナイトの仲間内で一度廃棄物として捨てた新約聖書を、
何も知らずに教会を訪ねて来た人に贈って、
感謝された。
十字架のことばは、
滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには神の力です。
(Ⅰコリント1;18)
あの人は
私達メノナイトの仲間が一度廃棄したものを通じて
キリストと出会い、キリストを知る。
この驕り、神と人を愚弄する行為によって。
宣教師の時代の老朽化した建物を取り壊し
総工費1億5000万で新しい建物を新築する事が
僅差の多数決で反対を押し切って決定した時、
私は職場で無資格の看護助手から
看護学校に進学していた。
12年間住んだ古いアパートを出て、
職場で借り上げていた公団住宅の一室を借り、
試験勉強とレポートを書くためと
当時愛用していたワープロ器のために、
もう一つ机が必要になった。
それで解体直前の旧福住センターに、
一度は人にあげた自分の古い机を取りに行った。
小学校入学時に両親から買い与えられた机だ。
以前住人だった学生にあげた物だが、
その人は机を残して出て行って何年も経ち、
机は誰も使わないまま古い建物に置かれていた。
看護学生の身で新品の机を買う経済的な余裕はない。
古い机が残されていたのはラッキーだった。
よかった、机を買わずに済む。
建物と一緒に机が処分されないうちに、
急いで引き取りに行った。
月曜日に解体されるその二日前、土曜日だった。
私は新築推進委員の一人であるK氏から鍵を借り、
建物の中に入って運送屋を待った。
廃屋の中はがらんとしていた。
古びた木製の家具類、書棚や机、椅子、箪笥が
雑然と残されていた。
そこではかつて
U教会の指導者達、S教会の恩師、B教会のK氏達が
その古い建物で学生対象に伝道すると称して
私も含め学生達や教会の求道者や信者達を大勢集め、
平和主義について、非暴力非戦について、
憲法改正問題、原発問題など議論に明け暮れていた。
今になってみると
どれほどの意味があったのかもはっきりしない、
果てしなく延々と続いた議論。
聖書の一字一句の解釈、アナバプテスト神学について、
或いは聖書を文学として読む事や音楽論など、
一滴の酒も無しに夜更けまで酔っ払って語り続けた時間。
その時から既に10年の歳月が過ぎていた。
運送屋が到着するまでの間、
夢のように楽しかった無益な時間を回想した。
当時聖書研究会に使っていた一室には
藤棚の蔓がまだ残っていた。
誰も手入れをしないのに毎年見事な花を付けていた。
その藤棚も建物ごと処分される。
書棚や本箱もそのままになっていた。
扉を開けてみるとわっと埃が舞い上がり、
宣教師達の手紙や絵葉書、写真、洋書、
聖書の注解書などが湿ってカビ臭くなっていた。
あと二日のうちに誰も引き取らなければ、
これらの思い出の品々は全て建物ごと処分されるのだ。
埃にむせながら
まるで泥棒にでもなった気分で物色した。
黴臭い木製の戸棚の中に新品の新約聖書を見つけた。
その瞬間、
耳の穴の奥深くで誰かに囁かれたような気がした。
「この群れは散らされる。」
背後から声のない声のような言葉が聞こえた気がして
思わずふり返った。
私以外には誰もいなかった。
新約聖書は文庫本の大きさで発行が1984年になっていた。
ページを開いた跡はなく、売上伝票も挟まったまま。
黄ばんで汚く変色した絵葉書や手紙など朽ちた物達の中で、
それらの新約聖書だけが
不自然にそっくり新品のままだった。
教会の有志達はかつてここで
開拓伝道をしようとした事もあったのだろうか。
私はその文庫本大の新品の新約聖書33冊と、
U教会のゴム印が押してある、
表紙が破損してぼろぼろの英・和対照の
ギデオン協会版新約聖書7冊、
子供用のミニ紙芝居を持ち帰る事にした。
聖句入りの栞の束もあったが
カバンに入れるには大量過ぎて諦めた。
運送屋はまだ来なかった。
さっき耳の中に聞こえた言葉を反芻した。
この群れは散らされる。
誰かから警告を受けた気がした。
朽ちた廃屋の中で捨て置かれた新約聖書を拾って
慌てて鞄に詰め込んだのも、
耳の中に聞こえた言葉に叱責のような、
警告のような響きを感じたからだった。
意味もわからないまま胸騒ぎがした。
"この群れ"とは、
自分達北海道のメノナイト教会協議会の事だと咄嗟に直感した。
私があげた机を置いて福住を立ち去った人の事を考えた。
立ち去る時、その人はU教会の教会指導者達に取り繕いようの無い嫌悪感を抱いて
教会を去る事、キリスト教とは二度と関わりたくない、
特にメノナイトとは一生関わりたくない、と私に言った。
現に、その人は同じメノナイトの中で
山奥の教会の代表をしていた人の息子と結婚したが
結婚式は親の願いを頑として拒否し、
キリストではなく神道式で、神社の神主を呼んで挙げた。
その人が
「メノナイトとは一生関わりたくない」
とまで思った原因について、
私はその人の口から直接聞いた事がある。
その人が学生として福住センターにいた当時、
U教会の教会員である中学教師夫婦が管理人をしていた。
この中学教師が、
学生を監督すると称して学生達の生活態度を逐一教会指導者に悪く告げ口していた。
時には話に尾ひれをつけ遠い田舎の親元にまで電話をかけて親子共々動揺させたり
掻き回す事を楽しんでいると私の目に映った。
私の机を貰ってくれた人は、
ある時U教会の主だった役員から一室に呼び出された。
管理人の中学教師はその人が
「男子学生と一室に籠っていかがわしい行為をしている」
と、役員達に告発したのだった。
その人は役員達の面前に呼び出された時
初めて自分にかけられた疑いの事を知ったという。
身に覚えの無い事であると弁明する機会も与えられず
最初からやっただろうと決め付けられて
正面に裁判長のように座っている教授と
取り囲むように居並ぶ役員達と
告発する管理人の中学教師夫婦達と
それらの人々から一方的に頭を下げさせられたと
後になって悔し泣きしながら私に語った。
管理人をしていた中学教師は、
その人が男子学生といかがわしい行為をしている現場に
踏み込んで目撃した訳ではなかった。
証拠も無かった。
にも拘らずそんな頼りない根拠でよく一人の人間を吊るし上げたものだ。
その人の方が逆に管理人の中学教師やU教会の指導者達を告発出来るではないか。
18、19の若い人にはそこまでの知恵は無かったのか。
むしろそれよりも
その人も、他の学生達も、
全道各地に点在するメノナイト教会の関係者を
親や親類に持ち、その紹介で入居していたため、
U教会員達の占める管理人や役員達とのトラブルは
へたをすれば
そのまま地方の教会と札幌のU教会とのトラブルに発展し兼ねなかった。
学生達はそれを恐れて理不尽な扱いを受けても
親や親類や他の教会関係者には隠していた。
その頃私は大学四年の冬休みに、
卒論を書き上げるまでの短期間、
この福住センターに滞在していた。
管理人の中学教師は学生達に対して高圧的で命令口調、支配的な態度をとっていた。
風呂などはこの中学教師がまず一番風呂に入り、
その女房と二人の子供達4人、一家全員が入浴を済ませると夜の9時になる。
夜9時になったら中学教師は全館のボイラーを落とす。
バイトを終えた学生達が帰宅するのは大体9時から10時過ぎ。
厳寒期の札幌でありながら既に暖房も浴室の給湯も止められていた。
彼らは仕方なく台所で薬缶や鍋に湯を沸かし、
浴室まで運んで少ない湯で入浴していた。
学生達をここに送り込んだ親達はそんな実態を知らずに
教会関係の寮だからと安心して子供を福住に入居させていた筈だった。
暖房が止まって居室が寒かったので
私は食堂で卒論を書いていた。
中学教師が酒を片手に一杯機嫌で覗き込んだ。
晩酌で上機嫌らしい。
「どうだね井上くん。
卒論は進んでいるかね。
どれ、俺が見てやろう。」
「要りません。
管理人室に引っ込んで寝たらどうですか。」
「あんたみたいな生意気な生徒が
うちのクラスにもいるんだよ。
今に思い知らせてやるから見てろ。」
「結構な中学教育ですね。」
「なにぃ」
「お父さんもうやめて。
井上さんごめんなさいね。」
「教授や役員には伝えておきます。
あなた方が何をやっているか。」
「・・・・・」
学生達からは口止めされたが
私には黙っている義理など無い。
卒論を見て貰いに役員でもあった恩師宅に行った際、
私は管理人のありのままを話した。
恩師は関係者を集めて話し合いの場を設けた。
U教会の教授はじめ教会指導者達、管理人夫婦、入居している学生全員が集められた。
管理人の中学教師は酒を飲んで卒論書きの邪魔をした件について、
「晩酌の習慣があるのでつい・・・」
と言い訳にもならない言い訳を皆の前でした。
風呂の件については
「燃料費を節約しようと思った。」
と弁解した。
他教派からU教会に転入してきたこの中学教師夫婦を
学生監督の資質申し分ない人格者として
強く推薦したのはU教会の指導者である。
この人物を管理人として推薦した役員の責任は問われる事なくうやむやのまま、
しばらくして中学教師夫婦は管理人を辞め、
U教会に対しても何か不満を持ったとかで姿を消し今は所在不明だ。
私の机を貰ってくれた人に対する裁判もどきな吊るし上げは
人目に触れたこれらの出来事とは違って物陰で行われた事だった。
他にも似たような事があったと噂には聞いた。
しかし年月と共に誰もが忘れた、
むし返すに値しない、取るに足らない出来事だった。
それから後には、
管理人不在、入居学生不足などで
運営存続自体が危うくなったり、
他教派から人が大勢移って来てごった返したS教会から
G教会が新しく分離して
この建物を礼拝場所として使うようになり、
似たような管理人と入居学生との軋轢を
繰り返したりするうちに
老朽化して人が住むに耐えられなくなった。
取り壊すぎりぎりまで
2、3人の学生達が入居していたが
その頃私はネズミが出没するその建物に
一晩だけ泊まった事がある。
深夜の衛星放送で
パラジャーノフの映画が3本放映されたのを
録画するためだった。
朽ちた昔の宣教師館で
住人だった人の置いて行った大型テレビを前に
パラジャーノフの映画を見ていると
ネズミ退治のためといって飼われていた幼い黒猫が
テーブルの上に乗って
私と顔を並べて同じ高さの目線で
パラジャーノフの映像にじっと見入っていた。
『ざくろ』、『アシク・ケリブ』、『スラム砦』、
3本の映画を何時間も。
人気の無い奥の管理人室でネズミの走る音が聞こえた。
一睡もせず
一匹の黒猫と一緒に
廃屋状態の福住センターで
パラジャーノフの映画を見て夜を明かした。
そんな妙な一夜の事を何故かよく覚えている。
あと2日で解体される廃屋にも
たくさんの出来事があり、
いろいろな思い出もあった。
運送屋が来た。
机を運びながら、思った。
この建物を拠点にして伝道するとか
伝道、宣教という名目でここに若い人を集めて
何かやろうとした事があったけど、
キリスト教の信仰の入り口に
入るか入らないかでいた若い人達を
精神的に傷つけ、
メノナイトという教派に嫌悪感を抱かせ、
キリスト教に幻滅させた。
結局ろくな事に使われなかったな。
「キリストは好き。
聖書を読むのも好き。
でもメノナイトの教会は大嫌い。
二度と関わりたくない。」
かつて一度この机を貰ってくれた人の
私にそう言った時の表情も声も口調も、
はっきり耳に残っている。
教会に躓いても、
キリストと聖書は好きだとその人は明言した。
教会で嫌な思いをしたり
感情的に傷つけられて立ち去る人は皆、
同じ事を言う。
キリストと聖書に嫌悪感を抱いていないなら
あの人はいつか教会に戻って来るだろうか。
メノナイトでなくても、
別の教派の教会でもいいから、
いつか何処かの教会のドアを叩くだろうか。
あの人がこの福住で味わった苦い出来事を
過去の出来事として
当時の関係者達を許す事が出来るまで
道は開かれないかも知れない。
「この群れは散らされる。」
さっき耳の中に聞こえた言葉を反芻した。
もしこの言葉が耳の奥に聞こえなかったら
私は新品の新約聖書の山など見なかった事にして
目的の机だけを引き取って立ち去ったかも知れない。
この建物に集まって
賑やかな時間を過ごして去って行った、
数え切れないほど多くの学生や
留学帰りの人や
就職したばかりの若い人達、
学者、教師、教会員達、求道者達、
その懐かしい人達は皆、
何処に行ったのだろう。
今何処で何をしているのだろう。
自室に机を搬入し終わった後、
私は廃屋の鍵を返すためにK氏宅を訪ねて
玄関先でカバンに掻き集めた物を見せた。
これらの新約聖書を
K氏のいるB教会で使いませんかと言ってみたが、
断わられた。
K氏は迷惑そうだった。
「新約旧約一緒なら礼拝や集会で使えるけど、
教会員は皆自分の聖書持ってるし。
要らないね。
あなた何でそんな物を拾って来たの。」
最後の非難めいた語調は防衛線だと感じた。
僅差の多数決で反対意見を押し切り
巨額の予算を注ぎ込んで構想通りの建物を新築しようとしていた人々、
U教会の指導者達とB教会の代表(当時)は半ば強引に新築事業を進める根拠を
福音宣教、伝道の目的だと主張していた。
そこに置き去りの新約聖書を持ち帰った私は
K氏にとって迷惑な、疎ましく余計な事をした。
私が廃屋から新約聖書を持ち帰った事は
「メノナイトの群れのため」「宣教のため」と
正当化していた彼らの目的が宣教ではなく金と土地を使った趣味道楽にある事を、
K氏の玄関先で暴露したも同然の行為だった。
人の家の玄関先で喧嘩を売ったようなものだ。
彼らの言葉どおりならば、
売上伝票も挟まったまま開かれた事の無い、
新約聖書の一冊一冊は
新しい来会者に贈られるべき福音であり、
相応の機会が与えられるまで保管されるはずだった。
しかしK氏ははっきり「要らない」と言い切った。
私達の信仰の仲間達の中には、
皆が貧しかった終戦後、身寄りも無く無一物になった時に
伝道者から手渡された一冊の新約聖書によって
人生を変えられた人が何人もいる。
私達がキリストを知る事の出来る唯一の手掛かりが
この新約聖書ではなかったのか。
要らないと言うのでそれらの新約聖書は自室に持ち帰った。
机の上に積み上げてしばらく考えた。
廃屋から持ち帰った新約聖書を自分の手元に置いて
誰彼構わずばら撒く事に、何だか釈然としなかった。
夜になってU教会の指導者である教授にも電話した。
電話の向こうの声の主も迷惑そうだった。
「今日、福住に古い机を引き取りに行って
新品で使った痕跡の無い新約聖書33冊と
U教会のゴム印の押してあるギデオン聖書7冊、
置き忘れられたままになっていたので
持ち帰りましたが、U教会で使いませんか?」
「いいえ。
あの建物の中に残っている物は全部、
建物ごと廃棄処分するものです。
どうぞ、
欲しい物があるなら早く持って行って下さい。
月曜日には取り壊しますから。」
「そうですか。
では頂いてもいいですか?」
「欲しければどうぞ。」
新約聖書は廃棄物か。
メノナイト協議会の集団は
何のためにキリスト教会をやっているのだろう?
キリスト教徒が新約聖書をゴミとして捨てた場所に
1億5千万円かけて、群れ全体の理解を得る事も無く、
僅かな多数決の差で反対を押し切って
強引に建物を新築する。
その負債は後々の信徒達に負わせる。
そこまでして
無理矢理に新しい物を新築しなければならない理由は何か?
群れの中の信頼関係を損なってまで
建てなければならない建造物とは一体何なのか?
竣工式や献堂式で
一体誰に向かって何を祈るのだろう?
これがメノナイトの弟子の道か。
捨てるならこの聖書全部くれと言った自分も同じである。
こうして人のする事を裁きながら、
私が今批判する相手はかつて私が困った時に
理解と助けの手を差し伸べてくれて、
一緒に聖書を読み食事を食べさせてくれた人達ではないか。
廃屋から持ち帰った新約聖書は
日曜日に自分の所属する母教会の礼拝に持って行った。
教会員達は皆口々に言った。
「主のお導きだ。
新約聖書が捨てられなくて、
よかったよかった。」
よかった?
確かに、
建物ごと処分されるよりはましだったけど。
新品の33冊のうちその場で10冊余りは
教会員達の手に引き取られて行った。
母教会の信徒達は皆、個人伝道に熱心だ。
機会あるごとに、家族や親戚、友人知人に
自分の信仰を言い表し、
何かの催しがあれば誘っている。
その日の礼拝には、
キリスト教の教会という所を初めて訪ねたと言う人が
数人来ていた。
私はその初めて来た人達に、一人一冊ずつ差し出した。
「これ、よかったらどうぞ。」
「えっ
これほんとに頂いてもいいんですか?
ありがとうございます!」
受け取った若い学生は目を輝かせて
私に「ありがとう」と何度も言った。
ありがとうと言われる事を
ありがとうという言葉を
この時ほど苦いと感じた事はない。
メノナイトの仲間内で一度廃棄物として捨てた新約聖書を、
何も知らずに教会を訪ねて来た人に贈って、
感謝された。
十字架のことばは、
滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには神の力です。
(Ⅰコリント1;18)
あの人は
私達メノナイトの仲間が一度廃棄したものを通じて
キリストと出会い、キリストを知る。
この驕り、神と人を愚弄する行為によって。
K氏の家庭集会に通ううちに、
主のために働くとはどういう事か、
話を聞きながら考えた。
共同体の夢の話でK氏の家庭集会は盛り上がっていた。
K氏は夢を語り続けた。
自然豊かな田舎に土地を買い、
農業を営む傍らで敷地内に老人施設を建て、
老いも若きも共に働き共同生活をする。
そこで礼拝や集会を開き、
皆で共に祈り、賛美歌を歌い、聖書を読む。
それが理想の教会。
愛に満ちた共同体の姿。
「私はそこでパンを焼くの。」
K氏の憧れの原型はアーミッシュ村。
私はその理想の共同体にはあまり興味ない。
K氏は私に言った。
「あんた若いんだから、
もっと夢持たなきゃだめよ。」
いや、若くないけどね。
自分の理想通りの夢を実現する事と、
主のために働く事と、
何の関係があるのだろう?
その頃K氏は
人数の増えたS教会からさらに分離してB教会を立ち上げていた。
一度私も訪ねた事がある。
礼拝の後に読書会が行われていた。
その時に皆で読んでいた本は、
ボンヘッファーの『共に生きる生活』(森野善右衛門訳・新教出版社)。
複雑怪奇な日本語で1ページ読むのにも骨が折れるが、
皆にも私にも深く共感するところがあった。
翻訳した学者の日本語があまりにも回りくどくて、
せっかくのボンヘッファーの教会観を
ひどく難解な理解し難いものにしてしまっているのが
もったいない。
ボンヘッファーの教会観が難解なのではなく、翻訳者の日本語が難解なのだ。
その難解な日本語を皆で頑張って解読していた。
この本にはそれだけの価値があると思う。
「キリスト者の集まりは、
それが理想から出発して生きたために、
何回となく全面的に崩れ去った。
…一つの交わりのイメージを夢見る者は、その実現を、
神に、他の人に、そして自分自身に求める。
…あたかも自分がキリスト者の交わりを
造り出す者であるかのように行動する。
…キリスト者の集まり自身よりも、
交わりについての自分の夢を愛する者は、
結局はキリスト者の交わりの破壊者となる。」
理想を求める事は、
教会を建てる事と混同してはならないのだ。
(『共に生きる生活』ボンヘッファー著
森野善右衛門訳 新教出版社)
教会に限らず、
何かを建てる時には誰でも理想を青写真にして、
そこに夢の実現を求めるものではないだろうか。
教会でなくても理想を掲げて建てられるものはあるはずだ。
例えば福祉施設とか。
高齢者を若者が支えて共存する。
そんな愛と平安に満ちた共同体の夢を
ただ夢見るだけなら悪くない。
しかし、土地と金を持つ夢想家には
立場の弱い者を自らの夢実現の小道具として利用している自覚がない。
アーミッシュに憧れて理想の共同体を目指すK氏自身が、
たとえそれが実現しても自分が将来そこに入所する気はないと言い切っている。
にも関わらず
畑を耕すような人里離れた場所に老人施設を作りたがるのは何故だろう。
高齢になったからといって、
それまでの生活を全部切り捨てて人里離れた施設に入れられて幸せか?
たとえ安全で清潔で食事もレクリエーションもあって冷暖房完備であっても、
そんな生活が幸せか?
自分が就職し
仕事で高齢者の一人一人と関わってみて、
私もやっと気づいた。
年老いて身体が不自由になっても
働き盛りの頃と同じく慣れた土地、自分の家に住み、慣れた道を歩き、
馴染みの街の景色を眺め、馴染みの友達を訪ね、顔馴染みの店に立ち寄る、
そんな生活を続けたいのだ。
日曜日にはいつもの自分の教会に杖ついて行きたい。
誰だってこれまで通りの平凡な、愛着ある自分の生活を失いたくない。
しかし、
年老いた人々が「今までどおり」でいる為に必要な援助の人手は全然足りない。
私には
自分の宗教観に基づく共同体の夢や理想など無い。
土地も金も力も持っていない。
夢もなく理想を具現化する術も持たない者にとって主のために働くとは何だろう?
それは今もってわからない。
何も持っていないのでこちらから出向いて他者の失われた手足になる。
それより他に道が見つからない。
キリストの弟子の道を歩くとは、
自分のしたい事をするのか、必要とされ求められた事をするのか。
話が夢の青写真だった頃は
何がキリストの弟子の道かを模索するだけでよかった。
しかし、
現実に彼らが札幌市近郊の長沼に土地を買い、
実際に人を集め始め農作業をするようになった時から
それだけでは済まなくなった。
何故なら彼らはそれをいつの間にか
メノナイト教会協議会全体の事業であるかのように
暗黙のうちに位置づけていたからだ。
それは地方に点在する各教会にとって理解の範疇を超えている。
同時に、
札幌市福住にあった一つの朽ちた建物と土地を巡って
メノナイト教会協議会全体に全道規模で軋轢が生じた。
本来、
自分達メノナイトは多数決で少数を捻じ伏せる事をしない、
メノナイトが少数派であるからこそ、
少数の意見を尊重し反対者の最後の一人が納得するまで
手間隙を惜しまず向き合い話し合って物事を決める、
それがモットーだったと
S教会時代の大学の恩師からも家庭集会のK氏からも常々聞かされていた。
しかし臨時総会で僅差の多数決で新築と押し切った時、
新築新築と推進する主だった当事者達は近郊の長沼で
自分達で農場を開設する段取りを既につけていた。
では新しく建てた物の管理と運営責任の所在は誰がするのか。
新築を推進する当事者達ではないのか?
これまで物心両面で恩を受けた相手であっても
聞く事は聞き、言う事は言うべきだと思った。
母教会で臨時総会の報告を聞いて間もなく、私はB教会のK氏と電話で話した。
「禁を犯して強引に多数決で押し切った、
あれがメノナイトの弟子の道ですか。」
「もう決まった事なんだからいいでしょ。
新しく建った建物には管理人としてHさん達に入って貰う事にしたし、
もう福住の事はHさん達に任せたから。
私達は長沼の事で頭が一杯。
福住どころじゃないの。」
K氏達の共同体の理想は優先順位を覆して偶像化し、
既に一人歩きし始めていた。
信仰者同士の信用、信頼関係よりも
共同体の夢を実現する事の方が大事か。
人間は変わる。
自分にとって恩人であっても
見る目を変えなければならない時もある事を学んだ。
主のために働くとはどういう事か、
話を聞きながら考えた。
共同体の夢の話でK氏の家庭集会は盛り上がっていた。
K氏は夢を語り続けた。
自然豊かな田舎に土地を買い、
農業を営む傍らで敷地内に老人施設を建て、
老いも若きも共に働き共同生活をする。
そこで礼拝や集会を開き、
皆で共に祈り、賛美歌を歌い、聖書を読む。
それが理想の教会。
愛に満ちた共同体の姿。
「私はそこでパンを焼くの。」
K氏の憧れの原型はアーミッシュ村。
私はその理想の共同体にはあまり興味ない。
K氏は私に言った。
「あんた若いんだから、
もっと夢持たなきゃだめよ。」
いや、若くないけどね。
自分の理想通りの夢を実現する事と、
主のために働く事と、
何の関係があるのだろう?
その頃K氏は
人数の増えたS教会からさらに分離してB教会を立ち上げていた。
一度私も訪ねた事がある。
礼拝の後に読書会が行われていた。
その時に皆で読んでいた本は、
ボンヘッファーの『共に生きる生活』(森野善右衛門訳・新教出版社)。
複雑怪奇な日本語で1ページ読むのにも骨が折れるが、
皆にも私にも深く共感するところがあった。
翻訳した学者の日本語があまりにも回りくどくて、
せっかくのボンヘッファーの教会観を
ひどく難解な理解し難いものにしてしまっているのが
もったいない。
ボンヘッファーの教会観が難解なのではなく、翻訳者の日本語が難解なのだ。
その難解な日本語を皆で頑張って解読していた。
この本にはそれだけの価値があると思う。
「キリスト者の集まりは、
それが理想から出発して生きたために、
何回となく全面的に崩れ去った。
…一つの交わりのイメージを夢見る者は、その実現を、
神に、他の人に、そして自分自身に求める。
…あたかも自分がキリスト者の交わりを
造り出す者であるかのように行動する。
…キリスト者の集まり自身よりも、
交わりについての自分の夢を愛する者は、
結局はキリスト者の交わりの破壊者となる。」
理想を求める事は、
教会を建てる事と混同してはならないのだ。
(『共に生きる生活』ボンヘッファー著
森野善右衛門訳 新教出版社)
教会に限らず、
何かを建てる時には誰でも理想を青写真にして、
そこに夢の実現を求めるものではないだろうか。
教会でなくても理想を掲げて建てられるものはあるはずだ。
例えば福祉施設とか。
高齢者を若者が支えて共存する。
そんな愛と平安に満ちた共同体の夢を
ただ夢見るだけなら悪くない。
しかし、土地と金を持つ夢想家には
立場の弱い者を自らの夢実現の小道具として利用している自覚がない。
アーミッシュに憧れて理想の共同体を目指すK氏自身が、
たとえそれが実現しても自分が将来そこに入所する気はないと言い切っている。
にも関わらず
畑を耕すような人里離れた場所に老人施設を作りたがるのは何故だろう。
高齢になったからといって、
それまでの生活を全部切り捨てて人里離れた施設に入れられて幸せか?
たとえ安全で清潔で食事もレクリエーションもあって冷暖房完備であっても、
そんな生活が幸せか?
自分が就職し
仕事で高齢者の一人一人と関わってみて、
私もやっと気づいた。
年老いて身体が不自由になっても
働き盛りの頃と同じく慣れた土地、自分の家に住み、慣れた道を歩き、
馴染みの街の景色を眺め、馴染みの友達を訪ね、顔馴染みの店に立ち寄る、
そんな生活を続けたいのだ。
日曜日にはいつもの自分の教会に杖ついて行きたい。
誰だってこれまで通りの平凡な、愛着ある自分の生活を失いたくない。
しかし、
年老いた人々が「今までどおり」でいる為に必要な援助の人手は全然足りない。
私には
自分の宗教観に基づく共同体の夢や理想など無い。
土地も金も力も持っていない。
夢もなく理想を具現化する術も持たない者にとって主のために働くとは何だろう?
それは今もってわからない。
何も持っていないのでこちらから出向いて他者の失われた手足になる。
それより他に道が見つからない。
キリストの弟子の道を歩くとは、
自分のしたい事をするのか、必要とされ求められた事をするのか。
話が夢の青写真だった頃は
何がキリストの弟子の道かを模索するだけでよかった。
しかし、
現実に彼らが札幌市近郊の長沼に土地を買い、
実際に人を集め始め農作業をするようになった時から
それだけでは済まなくなった。
何故なら彼らはそれをいつの間にか
メノナイト教会協議会全体の事業であるかのように
暗黙のうちに位置づけていたからだ。
それは地方に点在する各教会にとって理解の範疇を超えている。
同時に、
札幌市福住にあった一つの朽ちた建物と土地を巡って
メノナイト教会協議会全体に全道規模で軋轢が生じた。
本来、
自分達メノナイトは多数決で少数を捻じ伏せる事をしない、
メノナイトが少数派であるからこそ、
少数の意見を尊重し反対者の最後の一人が納得するまで
手間隙を惜しまず向き合い話し合って物事を決める、
それがモットーだったと
S教会時代の大学の恩師からも家庭集会のK氏からも常々聞かされていた。
しかし臨時総会で僅差の多数決で新築と押し切った時、
新築新築と推進する主だった当事者達は近郊の長沼で
自分達で農場を開設する段取りを既につけていた。
では新しく建てた物の管理と運営責任の所在は誰がするのか。
新築を推進する当事者達ではないのか?
これまで物心両面で恩を受けた相手であっても
聞く事は聞き、言う事は言うべきだと思った。
母教会で臨時総会の報告を聞いて間もなく、私はB教会のK氏と電話で話した。
「禁を犯して強引に多数決で押し切った、
あれがメノナイトの弟子の道ですか。」
「もう決まった事なんだからいいでしょ。
新しく建った建物には管理人としてHさん達に入って貰う事にしたし、
もう福住の事はHさん達に任せたから。
私達は長沼の事で頭が一杯。
福住どころじゃないの。」
K氏達の共同体の理想は優先順位を覆して偶像化し、
既に一人歩きし始めていた。
信仰者同士の信用、信頼関係よりも
共同体の夢を実現する事の方が大事か。
人間は変わる。
自分にとって恩人であっても
見る目を変えなければならない時もある事を学んだ。
私は1991年に、
北海道にある日本メノナイト教会協議会の一教会で信仰告白し、洗礼を受けた。
当時も今も、
札幌市内にメノナイト教会は5つほどある。
私の母教会は小さな会堂を持ち、牧師がいて、教会学校があり、
平均的に30~50人程度(当時)の人々が礼拝に出席し、
役員会や教会員会が機能する中小規模の教会だった。
北海道内の牧師のいるメノナイト教会と
教会組織のあり方は殆ど同じ、変わらない。
私はこの母教会から多くの事を学び、陰日向となって支えられ、
信者として随分大切に育てられたと思う。
信仰生活について考える時、
自分は恵まれた道を歩かせて貰って来た、
心からそう思う。
数あるキリスト教の教派の中で
私がメノナイトと関わったのは
この母教会が初めてではない。
受洗よりも7、8年前、
大学3年の時に、
当時出入りしていた研究室の教授に誘われて
日曜午前の家庭集会に行き始めた。
その頃、
市内にはもう一つのメノナイト教会があった。
当時はクリスチャンセンターの一室が礼拝場所だったが、
現在手稲区のマンションの一室、U教会である。
私を集会に誘ってくれた教授はそこの一員だったが
U教会は牧師と教会の会堂を不要とし、少人数で大学のゼミやサロンのように
聖書研究をし、神学や世相についての議論を楽しみ、
教会組織を大きくしない方針でいる。
しかし手狭な所にだんだん人が増えて30人に達したので
私の恩師は教会を分割し
新しい教会を立ち上げようとしたが
U教会内にいるもう一人の大学教授と教会員達は今いる場所から動かず、
結局教会分割を言い出した教授の方が夫妻でU教会を出る形となった。
自分は去る人に協力すると言って教会員の一人K氏も
一緒にU教会を出て新しいS集会の発足に参加し、
自宅を集会の場として提供した。
自分の恩師がU教会から出たのか居られなくなったのか、
決して円満とは言えない臭いを
私は当時嗅いだ覚えがあるが、
発足当初は新しく出来たS集会とU教会とは定期的に合同で礼拝したり
互いにゲストとしてメッセージ奉仕を分担し合ったりしていた。
同じ学部には私のように恩師から誘われて集会に参加し受洗した学生もいた。
人数が集まるとS集会からS教会と名を改めた。
さらに、
他教派を出て来た人や恩師の子供達、留学から帰国した学生なども集まって来て、
大学のゼミの延長のように教授と学生達がわいわい話しに花を咲かせた中に、
私自身もいた。
S教会でもU教会でも
教会を共同体という憧憬を込めた表現で言い表し聖書一字一句の解釈を掘り下げ、
神学書を引っ張り出した、そこから飛躍して反戦、平和論に脱線したり、
文学論、芸術論に脱線したり、
夜遅くまでいつ果てるともない議論と雑談に明け暮れた。
私は榊原巖という神学者を講師に招いた講義に参加した事があった。
アナバプテスト神学者とお茶飲みながら
馴れ馴れしく話し込んで署名入りの著作本まで頂いた。
自分自身で福音書をまともに読んだ事すらないのに
再洗礼派だのフッタライトだのアナバプテストだの知ったか知識で愚劣、
醜悪極まりない頭でっかちな学生であった。
今思い出すと恥じ入るばかりだが、
そこに集まった学者や学生や留学生に混じって小難しい議論に参加していた私は、
自分が何か頭の良い学者か知識人か何かに仲間入りしたような、
高みから俗世間を見下すような病的な陶酔感を味わって修学旅行のように楽しかった。
聖書や神学書を始終開きながら
自分の精神生活にキリストの影の形も無い信仰とはかけ離れた次元で
"教会共同体"にぶら下がり、高邁な"教会共同体"の理想を描く事に参加し、
酔っ払いが酒に溺れてクダを巻くようにあらぬ方向へどんどん脱線していた。
ところで当時、
恩師である教授の妻から何度も言われた事がある。
「あなたはそうやってここにいるけど
まだ正式メンバーではないでしょ。」
私はそれを
"仲間としては受け入れるがあんたはまだ正式に洗礼を受けてないだろう"
というプレッシャーと理解した。
本当に仲間として一員に加わりたいなら洗礼を受けろと。
しかし、
夢のように楽しく参加しながら私はそこで受洗を考えた事はただの一度も無い。
求道者ですらなかった。
それは当たり前だ。
この頃の自分はS教会に毎週通いながら心はキリストと最も遠い所にあった。
今、当時を回想して思う。
幼稚園の頃にキリストを意識して以来、今現在まで、
自分の人生の中で一番キリストから遠退いていたのは
S教会で神学議論に加わって夢のように楽しかった
この2年間である。
楽しい酔っ払いの時代は私の自分史の中の黒歴史、
まさに恥である。
今も手元にある古い口語訳聖書の書き込みや、
キリスト教学特講のノートの残り後半を使って
びっしり書き込んだS教会での聖書研究メモを見ると、
過去の中からこの2年間を切り取って焼き捨てたくなる。
神を見ず人間ばかり見て舌先で屁理屈をこね途方も無い勘違いをして
知識人に加わったつもりでいた当時の自分を荒唐無稽、恥知らずと思う。
自分の頭が良くなったような勘違いで楽しいのと
自分の身近に主の御臨在を感じて味わう幸福とは
異次元の別物である。
人に囲まれて、見て聞いて喋って楽しいというだけの理由で
この時受洗を申し出たりしなかったのは今にして思えば幸いだった。
在学中は恩師の自宅に何度もお邪魔して食事を御馳走になり、飼い犬と遊び、
教え子として随分可愛がって頂いた。
私が卒業して会社員になって日曜出勤したり疲れて礼拝を休むようになると
風当たりが一変した。
たまにS教会に行った日には私が集会に参加するよりも仕事の方を優先した事で
教授やその妻から批判されたり、遠回しな当て擦りを受けるようになった。
仕事が休みであろうとなかろうと自ずと足が遠退いた。
S教会とは当分の間距離を置きたいと自分で恩師夫妻に申し出た。
恩師の妻から感情的な言葉で詰問されたのをよく覚えている。
「何が不満なの!?
私達の何に不満なの!?」
私は自分の行動とその動機を
他者に分かるように説明するために
言葉を組み立てる知性を持ち合わせていなかった。
仕事で日曜の礼拝に出られないならと
発足当初S教会に自宅を開放していたK氏が水曜夜の家庭集会に私を誘ってくれた。
仕事の帰りにK氏宅に行き、夕食を共にした後、聖書を読む。
ここもある種のサロンであったが
私は母教会と出会って求道者となるまでの7年間、
毎週水曜の夜にはK氏宅に通い続けた。
K氏宅の家庭集会では
聖書研究会とその後の四方山話の合間に
そこに集まる信者達の信仰体験を聞く事が出来た。
まだ求道者にもなっていなかった私は
信者達の信仰体験を聞くのが好きだった。
S教会発足時に自宅を提供し家庭集会の主催者であったK氏と
U教会のA教授と教会員のM氏達が仲間同士で
農業共同体を実現する構想を練っていたのはこの当時からで、
私は夢の青写真をよく話に聞いていた。
同じ頃に何かの集会でS教会を訪ねた直後、恩師の妻が電話で私に言った。
「あなたが心を入れ替えて教会に来てくれるのは結構だけど
私達はあなたが他の人達に 私達の事を悪く言いふらすのではないかと
それが心配なの。
教会に来るのは結構だけど教会のリーダーである私達に従えないなら
あなたには 出来れば何処か他所に行って貰いたいの。」
K氏はこの人の言動について、
「そんなの関係ない。
あの人はパリサイ人だからね、
誰が何処の教会に行こうと行くまいと
あの人が決める事ではないよ。」
と言ったが
信者が信者でない者に対して言った言葉を教会内で吟味する事は無かった。
少数派、少人数単位の教会といっても
先生と呼ばれ群れの王様にならないと気の済まない学者が
自分を支配者として立ててくれる教え子を集めて小さな王国を作っていたに過ぎない。
名前はキリスト教の教会ではあっても中身は俗物の集団、
生活のために仕事に追われ時間の工面に苦労する事の無い、
自分のしたい事のために時間も金も自由に注ぎ込める立場の自称知識人達が
学生や留学生を集めてサロンを開き、サロンの主となる。
サロンの主に逆らった者はいられなくなる教会。
それが
私が最初に関わったメノナイトS教会だった。
今は人も入れ替わり、集会場所も変わり、
今年に入ってからS教会はいろいろな事情で活動停止状態と聞く。
頭悪く恥知らずで酒も飲まずに酔っ払ってただ無闇に楽しかった、
思い出せば自己嫌悪を呼び起こす黒歴史の時代。
キリスト教の信仰とは遠く無縁だった集会の記憶。
北海道にある日本メノナイト教会協議会の一教会で信仰告白し、洗礼を受けた。
当時も今も、
札幌市内にメノナイト教会は5つほどある。
私の母教会は小さな会堂を持ち、牧師がいて、教会学校があり、
平均的に30~50人程度(当時)の人々が礼拝に出席し、
役員会や教会員会が機能する中小規模の教会だった。
北海道内の牧師のいるメノナイト教会と
教会組織のあり方は殆ど同じ、変わらない。
私はこの母教会から多くの事を学び、陰日向となって支えられ、
信者として随分大切に育てられたと思う。
信仰生活について考える時、
自分は恵まれた道を歩かせて貰って来た、
心からそう思う。
数あるキリスト教の教派の中で
私がメノナイトと関わったのは
この母教会が初めてではない。
受洗よりも7、8年前、
大学3年の時に、
当時出入りしていた研究室の教授に誘われて
日曜午前の家庭集会に行き始めた。
その頃、
市内にはもう一つのメノナイト教会があった。
当時はクリスチャンセンターの一室が礼拝場所だったが、
現在手稲区のマンションの一室、U教会である。
私を集会に誘ってくれた教授はそこの一員だったが
U教会は牧師と教会の会堂を不要とし、少人数で大学のゼミやサロンのように
聖書研究をし、神学や世相についての議論を楽しみ、
教会組織を大きくしない方針でいる。
しかし手狭な所にだんだん人が増えて30人に達したので
私の恩師は教会を分割し
新しい教会を立ち上げようとしたが
U教会内にいるもう一人の大学教授と教会員達は今いる場所から動かず、
結局教会分割を言い出した教授の方が夫妻でU教会を出る形となった。
自分は去る人に協力すると言って教会員の一人K氏も
一緒にU教会を出て新しいS集会の発足に参加し、
自宅を集会の場として提供した。
自分の恩師がU教会から出たのか居られなくなったのか、
決して円満とは言えない臭いを
私は当時嗅いだ覚えがあるが、
発足当初は新しく出来たS集会とU教会とは定期的に合同で礼拝したり
互いにゲストとしてメッセージ奉仕を分担し合ったりしていた。
同じ学部には私のように恩師から誘われて集会に参加し受洗した学生もいた。
人数が集まるとS集会からS教会と名を改めた。
さらに、
他教派を出て来た人や恩師の子供達、留学から帰国した学生なども集まって来て、
大学のゼミの延長のように教授と学生達がわいわい話しに花を咲かせた中に、
私自身もいた。
S教会でもU教会でも
教会を共同体という憧憬を込めた表現で言い表し聖書一字一句の解釈を掘り下げ、
神学書を引っ張り出した、そこから飛躍して反戦、平和論に脱線したり、
文学論、芸術論に脱線したり、
夜遅くまでいつ果てるともない議論と雑談に明け暮れた。
私は榊原巖という神学者を講師に招いた講義に参加した事があった。
アナバプテスト神学者とお茶飲みながら
馴れ馴れしく話し込んで署名入りの著作本まで頂いた。
自分自身で福音書をまともに読んだ事すらないのに
再洗礼派だのフッタライトだのアナバプテストだの知ったか知識で愚劣、
醜悪極まりない頭でっかちな学生であった。
今思い出すと恥じ入るばかりだが、
そこに集まった学者や学生や留学生に混じって小難しい議論に参加していた私は、
自分が何か頭の良い学者か知識人か何かに仲間入りしたような、
高みから俗世間を見下すような病的な陶酔感を味わって修学旅行のように楽しかった。
聖書や神学書を始終開きながら
自分の精神生活にキリストの影の形も無い信仰とはかけ離れた次元で
"教会共同体"にぶら下がり、高邁な"教会共同体"の理想を描く事に参加し、
酔っ払いが酒に溺れてクダを巻くようにあらぬ方向へどんどん脱線していた。
ところで当時、
恩師である教授の妻から何度も言われた事がある。
「あなたはそうやってここにいるけど
まだ正式メンバーではないでしょ。」
私はそれを
"仲間としては受け入れるがあんたはまだ正式に洗礼を受けてないだろう"
というプレッシャーと理解した。
本当に仲間として一員に加わりたいなら洗礼を受けろと。
しかし、
夢のように楽しく参加しながら私はそこで受洗を考えた事はただの一度も無い。
求道者ですらなかった。
それは当たり前だ。
この頃の自分はS教会に毎週通いながら心はキリストと最も遠い所にあった。
今、当時を回想して思う。
幼稚園の頃にキリストを意識して以来、今現在まで、
自分の人生の中で一番キリストから遠退いていたのは
S教会で神学議論に加わって夢のように楽しかった
この2年間である。
楽しい酔っ払いの時代は私の自分史の中の黒歴史、
まさに恥である。
今も手元にある古い口語訳聖書の書き込みや、
キリスト教学特講のノートの残り後半を使って
びっしり書き込んだS教会での聖書研究メモを見ると、
過去の中からこの2年間を切り取って焼き捨てたくなる。
神を見ず人間ばかり見て舌先で屁理屈をこね途方も無い勘違いをして
知識人に加わったつもりでいた当時の自分を荒唐無稽、恥知らずと思う。
自分の頭が良くなったような勘違いで楽しいのと
自分の身近に主の御臨在を感じて味わう幸福とは
異次元の別物である。
人に囲まれて、見て聞いて喋って楽しいというだけの理由で
この時受洗を申し出たりしなかったのは今にして思えば幸いだった。
在学中は恩師の自宅に何度もお邪魔して食事を御馳走になり、飼い犬と遊び、
教え子として随分可愛がって頂いた。
私が卒業して会社員になって日曜出勤したり疲れて礼拝を休むようになると
風当たりが一変した。
たまにS教会に行った日には私が集会に参加するよりも仕事の方を優先した事で
教授やその妻から批判されたり、遠回しな当て擦りを受けるようになった。
仕事が休みであろうとなかろうと自ずと足が遠退いた。
S教会とは当分の間距離を置きたいと自分で恩師夫妻に申し出た。
恩師の妻から感情的な言葉で詰問されたのをよく覚えている。
「何が不満なの!?
私達の何に不満なの!?」
私は自分の行動とその動機を
他者に分かるように説明するために
言葉を組み立てる知性を持ち合わせていなかった。
仕事で日曜の礼拝に出られないならと
発足当初S教会に自宅を開放していたK氏が水曜夜の家庭集会に私を誘ってくれた。
仕事の帰りにK氏宅に行き、夕食を共にした後、聖書を読む。
ここもある種のサロンであったが
私は母教会と出会って求道者となるまでの7年間、
毎週水曜の夜にはK氏宅に通い続けた。
K氏宅の家庭集会では
聖書研究会とその後の四方山話の合間に
そこに集まる信者達の信仰体験を聞く事が出来た。
まだ求道者にもなっていなかった私は
信者達の信仰体験を聞くのが好きだった。
S教会発足時に自宅を提供し家庭集会の主催者であったK氏と
U教会のA教授と教会員のM氏達が仲間同士で
農業共同体を実現する構想を練っていたのはこの当時からで、
私は夢の青写真をよく話に聞いていた。
同じ頃に何かの集会でS教会を訪ねた直後、恩師の妻が電話で私に言った。
「あなたが心を入れ替えて教会に来てくれるのは結構だけど
私達はあなたが他の人達に 私達の事を悪く言いふらすのではないかと
それが心配なの。
教会に来るのは結構だけど教会のリーダーである私達に従えないなら
あなたには 出来れば何処か他所に行って貰いたいの。」
K氏はこの人の言動について、
「そんなの関係ない。
あの人はパリサイ人だからね、
誰が何処の教会に行こうと行くまいと
あの人が決める事ではないよ。」
と言ったが
信者が信者でない者に対して言った言葉を教会内で吟味する事は無かった。
少数派、少人数単位の教会といっても
先生と呼ばれ群れの王様にならないと気の済まない学者が
自分を支配者として立ててくれる教え子を集めて小さな王国を作っていたに過ぎない。
名前はキリスト教の教会ではあっても中身は俗物の集団、
生活のために仕事に追われ時間の工面に苦労する事の無い、
自分のしたい事のために時間も金も自由に注ぎ込める立場の自称知識人達が
学生や留学生を集めてサロンを開き、サロンの主となる。
サロンの主に逆らった者はいられなくなる教会。
それが
私が最初に関わったメノナイトS教会だった。
今は人も入れ替わり、集会場所も変わり、
今年に入ってからS教会はいろいろな事情で活動停止状態と聞く。
頭悪く恥知らずで酒も飲まずに酔っ払ってただ無闇に楽しかった、
思い出せば自己嫌悪を呼び起こす黒歴史の時代。
キリスト教の信仰とは遠く無縁だった集会の記憶。
この2年間メノナイト協議会総会に出席して
私達の群れのあり方について考えさせられた。
私達のメノナイト教会協議会は、
過去10年以上も前から土地と建物を巡って問題を抱えている。
10年前は札幌の福住センター、今は帯広の協議会ハウス。
所属教会の代議員になってみて、およそ信仰者の集まりとは思えない、
えげつない光景を目に見せられた。
私達の群れの真ん中に主の御臨在を信じるなら、
主に見られている事を意識するなら決して出来ない筈の、
毒々しい言動や態度が協議会総会の席で横行した。
いや、現に今もしている。
正義の味方が誰彼の間違いを暴き、食前の祈りも食事もそっちのけで
自分の言い分の正当性に固執し主張し続けるのを
私はこの2年間、総会の席に着く度に見た。
20年前も今も変わらず怪文書や根回し電話が暗躍し、
会議の場での吊るし上げ、人の落ち度を根拠に幼稚な勧善懲悪的態度で
個人攻撃を繰り返す者が議事進行を掻き回し、皆が横目に見ながら
誰一人諌める事は無く、総会の場を欠席裁判にしようとした事さえあった。
正直、私個人としてはがっかりした。これが現実。
これが自分の信仰を告白した教会の協議会の、ありのままの姿なのだ。
長所もたくさんあるのに、私達の群れは主が一番忌み嫌われる事を
こうして散々やってきてしまった。
今年4月の総会は、会の終わりに
法的無知や事務的不備を指摘された人達が一同に謝罪して閉会した。
解散してもなお出席者の一人一人に謝罪の言葉をかけて回る姿を見た。
私にまでも「申し訳有りませんでした」と声をかけられた時、
私は悲しく残念に思った。
謝罪は、誰かに痛みや犠牲を強いた時にすべきものであって、
土地建物に関する10年20年のややこしい問題は、
特定の誰彼の落ち度によるものではないと誰もが皆知っている筈だ。
私達は誰でも、日頃関わった事のない法的手続きには全くの無知であり、
わからないための試行錯誤が確かにあった。
皆がその試行錯誤から学びこそすれ、
特定の誰彼の失敗や落ち度として断罪したり、
誰かが誰かに謝罪するような筋のものではないと私は思う。
むしろ、私達が知らないわからないで済ませ無関心でいた事のツケを、
特定の人に長い間負わせてきた結果であり、
それに大の大人達が皆して長年無頓着でいたという現実がある。
あの場に集っていたキリスト者の一人として
こちらこそ恥ずかしく申し訳ない気持ちで一杯だ。
群れの維持管理や運営を特定の誰か一人に負わせたら、当然うまくいかない。
何故なら誰にでも欠点があるからだ。
神様は私達を一人で何でも出来るようにはお造りにならなかった。
足りない所を周囲の教会仲間が補わずに面倒な事を一人に任せたままにしたら、
重荷を負う人は孤軍奮闘に陥って物事うまく立ち行かなくなる。
そしていざ問題が生じると、遠巻きにしていた仲間は
問題の責任をその人に問い、責める。
私の目には組織崩壊の図式がそのまま今の協議会の姿に重なって見える。
責める方と責められる方とが互いに猜疑心を抱く時、群れは破綻に向かう。
一度損なわれた信頼は簡単には戻らないからだ。
悪魔は隙を突いて信仰者の群れに揺さぶりをかける。
私達はこれまで長年の間、
仲間の一人に群れの重荷を負わせてきた事に既に気づいている。
ねぎらって協力こそすれ、落ち度を責めるなど、
信仰者の良心があれば到底出来ない筈だ。
人の落ち度を見つけたら、見つけた者にこそ補う責任があるではないか。
責めるだけなら今どきの子供らがよくやる愚劣で陰惨ないじめと同じで、
この先何年かかろうと何一つ解決しない。
これはキリスト教とは無縁な一般社会の常識、組織運営の暗黙のルールである。
キリストの愛を知らない人々が当たり前に実行する最低限の協働ルールすら、
今の私達の協議会という群れには無い。
これでも平和主義を標榜する教派なんだと。
穴があったら入りたいほどだ。
「平和主義」「良心的非戦」「教会共同体」という美辞麗句の
内側の現実は吊るし上げ。
これは確かにメノナイトの群れの成れの果てには違いないが、
キリスト者の群れの姿では断じてない筈だ。
協議会総会の間ずっと考えていた。
自分が何で今ここにいるのか。
どうしてこの底板が腐って穴の空いた船に自分は乗っているのか。
そして、どうしてその沈みかけている船に
自分の父親までもが乗って来てしまったのか。
どうして自分はそれを止めなかったのか。
長時間座りっぱなしで
術後の患部がズキズキ痛み出してイラついていたからではない。
私達の群れがどうしてこんな状態に陥ったのか、それを考えていた。
残念だな。
一人一人は個性豊かで話せば面白い善人ばかりなのに、
何故か総会の場になるとふてくされた斜め座り、膝を組んで貧乏揺すり、
意見の合わない人間が口を利いただけで豹変し攻撃的な態度を取る、
他者の発言する間に話を聞かず勝手に持論を展開する。
それも超が付くほど立派な理想論を。
食うに困らない恩給を貰って時間も金も自由になる立場の人はいい。
しかし過疎地の教会で日曜日の礼拝を守るだけで精一杯だとか、
会議の前後が仕事で休養を取る間もない立場だとか、
有給の無い立場の人、職場で休みを簡単に貰えない立場の人にも
出席し発言する権利はある。
それを皆苦労して時間を工面しているのに
度重なる会議の招集と臨時総会の招集をするかと思えばドタキャン、
そしてまた唐突な日程で臨時総会の召集。
一体何がしたいのか。
キリスト教なのかこれが。
メノナイト協議会にがっかりする事と自分の信仰生活とは別だ。
さっき以前のFEBCの放送を引っ張り出してまた聴いた。
「主がお入用なのです。」(マルコ11;1~10)
私達は一人一人がろばであるという事。
確かにそうだ。
主が私達一人一人をお呼びになったからこそ、
私達はそれぞれこの場に繋ぎ止められている。
それは今起こっている現実である。
私達の群れに足りない何かがあるなら
「下さい」と主に願わなければならないのだと思う。
総会の席に着く時は、
主イエスを背中に乗せたろばを思い浮かべたらいいのだろうか。
吊るし上げた人達も吊るし上げられた達も横目に見ていたその他大勢も
一人一人が主に必要とされ、呼ばれてこの群れに来た筈だ。
自分も、相手も。
考えが合っても合わなくても、私達は誰もが主に必要とされ、呼ばれ、
召し出されてここにいる筈だ。
今、唾を飛ばして言い分を通そうと躍起になっても、
来年再びこの総会に来れる確証は、誰一人無い。
それは私達の内の誰にも無い。
土地と建物の問題でギクシャクしてきたここ数年の間に
世を去った仲間が何人いるか。
その穴を今誰が埋め、残された重荷は誰が負っているか。
この地上から消えた教会が幾つあるか。
来年の総会の場で、今日の顔ぶれのうちの誰と誰か再会し
誰が欠けるか。
一本の古くなった樹木の枝が次々と、一本また一本、落ちている。
私は議題である土地建物なんかよりもそっちの方にばかり意識が行く。
皆、危機感が無い訳ではない筈だ。
優先順位を履き違えていないか?
共同体の夢も理想も大事かも知れないが、その前に
ここに集まったのはキリスト者達の筈だ。
逆ではないか?優先順位が。
私達の群れのあり方について考えさせられた。
私達のメノナイト教会協議会は、
過去10年以上も前から土地と建物を巡って問題を抱えている。
10年前は札幌の福住センター、今は帯広の協議会ハウス。
所属教会の代議員になってみて、およそ信仰者の集まりとは思えない、
えげつない光景を目に見せられた。
私達の群れの真ん中に主の御臨在を信じるなら、
主に見られている事を意識するなら決して出来ない筈の、
毒々しい言動や態度が協議会総会の席で横行した。
いや、現に今もしている。
正義の味方が誰彼の間違いを暴き、食前の祈りも食事もそっちのけで
自分の言い分の正当性に固執し主張し続けるのを
私はこの2年間、総会の席に着く度に見た。
20年前も今も変わらず怪文書や根回し電話が暗躍し、
会議の場での吊るし上げ、人の落ち度を根拠に幼稚な勧善懲悪的態度で
個人攻撃を繰り返す者が議事進行を掻き回し、皆が横目に見ながら
誰一人諌める事は無く、総会の場を欠席裁判にしようとした事さえあった。
正直、私個人としてはがっかりした。これが現実。
これが自分の信仰を告白した教会の協議会の、ありのままの姿なのだ。
長所もたくさんあるのに、私達の群れは主が一番忌み嫌われる事を
こうして散々やってきてしまった。
今年4月の総会は、会の終わりに
法的無知や事務的不備を指摘された人達が一同に謝罪して閉会した。
解散してもなお出席者の一人一人に謝罪の言葉をかけて回る姿を見た。
私にまでも「申し訳有りませんでした」と声をかけられた時、
私は悲しく残念に思った。
謝罪は、誰かに痛みや犠牲を強いた時にすべきものであって、
土地建物に関する10年20年のややこしい問題は、
特定の誰彼の落ち度によるものではないと誰もが皆知っている筈だ。
私達は誰でも、日頃関わった事のない法的手続きには全くの無知であり、
わからないための試行錯誤が確かにあった。
皆がその試行錯誤から学びこそすれ、
特定の誰彼の失敗や落ち度として断罪したり、
誰かが誰かに謝罪するような筋のものではないと私は思う。
むしろ、私達が知らないわからないで済ませ無関心でいた事のツケを、
特定の人に長い間負わせてきた結果であり、
それに大の大人達が皆して長年無頓着でいたという現実がある。
あの場に集っていたキリスト者の一人として
こちらこそ恥ずかしく申し訳ない気持ちで一杯だ。
群れの維持管理や運営を特定の誰か一人に負わせたら、当然うまくいかない。
何故なら誰にでも欠点があるからだ。
神様は私達を一人で何でも出来るようにはお造りにならなかった。
足りない所を周囲の教会仲間が補わずに面倒な事を一人に任せたままにしたら、
重荷を負う人は孤軍奮闘に陥って物事うまく立ち行かなくなる。
そしていざ問題が生じると、遠巻きにしていた仲間は
問題の責任をその人に問い、責める。
私の目には組織崩壊の図式がそのまま今の協議会の姿に重なって見える。
責める方と責められる方とが互いに猜疑心を抱く時、群れは破綻に向かう。
一度損なわれた信頼は簡単には戻らないからだ。
悪魔は隙を突いて信仰者の群れに揺さぶりをかける。
私達はこれまで長年の間、
仲間の一人に群れの重荷を負わせてきた事に既に気づいている。
ねぎらって協力こそすれ、落ち度を責めるなど、
信仰者の良心があれば到底出来ない筈だ。
人の落ち度を見つけたら、見つけた者にこそ補う責任があるではないか。
責めるだけなら今どきの子供らがよくやる愚劣で陰惨ないじめと同じで、
この先何年かかろうと何一つ解決しない。
これはキリスト教とは無縁な一般社会の常識、組織運営の暗黙のルールである。
キリストの愛を知らない人々が当たり前に実行する最低限の協働ルールすら、
今の私達の協議会という群れには無い。
これでも平和主義を標榜する教派なんだと。
穴があったら入りたいほどだ。
「平和主義」「良心的非戦」「教会共同体」という美辞麗句の
内側の現実は吊るし上げ。
これは確かにメノナイトの群れの成れの果てには違いないが、
キリスト者の群れの姿では断じてない筈だ。
協議会総会の間ずっと考えていた。
自分が何で今ここにいるのか。
どうしてこの底板が腐って穴の空いた船に自分は乗っているのか。
そして、どうしてその沈みかけている船に
自分の父親までもが乗って来てしまったのか。
どうして自分はそれを止めなかったのか。
長時間座りっぱなしで
術後の患部がズキズキ痛み出してイラついていたからではない。
私達の群れがどうしてこんな状態に陥ったのか、それを考えていた。
残念だな。
一人一人は個性豊かで話せば面白い善人ばかりなのに、
何故か総会の場になるとふてくされた斜め座り、膝を組んで貧乏揺すり、
意見の合わない人間が口を利いただけで豹変し攻撃的な態度を取る、
他者の発言する間に話を聞かず勝手に持論を展開する。
それも超が付くほど立派な理想論を。
食うに困らない恩給を貰って時間も金も自由になる立場の人はいい。
しかし過疎地の教会で日曜日の礼拝を守るだけで精一杯だとか、
会議の前後が仕事で休養を取る間もない立場だとか、
有給の無い立場の人、職場で休みを簡単に貰えない立場の人にも
出席し発言する権利はある。
それを皆苦労して時間を工面しているのに
度重なる会議の招集と臨時総会の招集をするかと思えばドタキャン、
そしてまた唐突な日程で臨時総会の召集。
一体何がしたいのか。
キリスト教なのかこれが。
メノナイト協議会にがっかりする事と自分の信仰生活とは別だ。
さっき以前のFEBCの放送を引っ張り出してまた聴いた。
「主がお入用なのです。」(マルコ11;1~10)
私達は一人一人がろばであるという事。
確かにそうだ。
主が私達一人一人をお呼びになったからこそ、
私達はそれぞれこの場に繋ぎ止められている。
それは今起こっている現実である。
私達の群れに足りない何かがあるなら
「下さい」と主に願わなければならないのだと思う。
総会の席に着く時は、
主イエスを背中に乗せたろばを思い浮かべたらいいのだろうか。
吊るし上げた人達も吊るし上げられた達も横目に見ていたその他大勢も
一人一人が主に必要とされ、呼ばれてこの群れに来た筈だ。
自分も、相手も。
考えが合っても合わなくても、私達は誰もが主に必要とされ、呼ばれ、
召し出されてここにいる筈だ。
今、唾を飛ばして言い分を通そうと躍起になっても、
来年再びこの総会に来れる確証は、誰一人無い。
それは私達の内の誰にも無い。
土地と建物の問題でギクシャクしてきたここ数年の間に
世を去った仲間が何人いるか。
その穴を今誰が埋め、残された重荷は誰が負っているか。
この地上から消えた教会が幾つあるか。
来年の総会の場で、今日の顔ぶれのうちの誰と誰か再会し
誰が欠けるか。
一本の古くなった樹木の枝が次々と、一本また一本、落ちている。
私は議題である土地建物なんかよりもそっちの方にばかり意識が行く。
皆、危機感が無い訳ではない筈だ。
優先順位を履き違えていないか?
共同体の夢も理想も大事かも知れないが、その前に
ここに集まったのはキリスト者達の筈だ。
逆ではないか?優先順位が。
メノナイトの宣教団が
終戦後北海道に来て
ここから開拓伝道を始めた。
宣教師の植えた桜や白樺など
木々の高さを見るとその歳月の間ずっと
これらの木々が
教会に出入りする人々を見守り続けて来た時間を思う。
宣教師の一人が詩に書いた。
木が育つのをみたい
木が育ち 空に伸び
葉を一杯につけた腕を
大きく広げるのを見たい、
緑の天蓋の下で
休んでいる人々に
木陰と涼しい喜びを与えるのを見たい。
木が育つのを見て
手を叩いて
喜び、父なる神である
創造主を賛美したい、
森に
生ける美をまとわせてくれるから。
木が育つのを見たい、
なぜなら創造主が
木の形を
私の中に作ってくれるから―
それはれ緑の天蓋の下で
休息する人々に
木陰と涼しい喜びを与えるためのもの。
(ラルフ.バックウォルター/矢口以文訳
『詩集 バイバイ、おじちゃん』響文社1986年より)
半世紀前に開拓伝道を始めた宣教師が
慈しみを込めて木に譬えた教会。
宣教師の植えた桜も
この白樺の下の教会集まる人の群れも
今、内側は虫がつき黴に侵され、
病んでいる。
終戦後北海道に来て
ここから開拓伝道を始めた。
宣教師の植えた桜や白樺など
木々の高さを見るとその歳月の間ずっと
これらの木々が
教会に出入りする人々を見守り続けて来た時間を思う。
宣教師の一人が詩に書いた。
木が育つのをみたい
木が育ち 空に伸び
葉を一杯につけた腕を
大きく広げるのを見たい、
緑の天蓋の下で
休んでいる人々に
木陰と涼しい喜びを与えるのを見たい。
木が育つのを見て
手を叩いて
喜び、父なる神である
創造主を賛美したい、
森に
生ける美をまとわせてくれるから。
木が育つのを見たい、
なぜなら創造主が
木の形を
私の中に作ってくれるから―
それはれ緑の天蓋の下で
休息する人々に
木陰と涼しい喜びを与えるためのもの。
(ラルフ.バックウォルター/矢口以文訳
『詩集 バイバイ、おじちゃん』響文社1986年より)
半世紀前に開拓伝道を始めた宣教師が
慈しみを込めて木に譬えた教会。
宣教師の植えた桜も
この白樺の下の教会集まる人の群れも
今、内側は虫がつき黴に侵され、
病んでいる。
帯広教会の敷地は桜が5~7分咲きで、
半世紀前にここで
開拓伝道を始めた宣教師の植えた桜の木が咲いている。
レンギョウも赤い千島桜の蕾も白樺も、
冬の間眠っていた生命を一気に甦らせている。
会議の間、
窓の外を忙しく行き来する野鳥が
ずっと気になるであるよ。
半世紀前にここで
開拓伝道を始めた宣教師の植えた桜の木が咲いている。
レンギョウも赤い千島桜の蕾も白樺も、
冬の間眠っていた生命を一気に甦らせている。
会議の間、
窓の外を忙しく行き来する野鳥が
ずっと気になるであるよ。
日曜日、
しじは受洗後初めて聖餐に与った。
前日、
聖餐式の予行練習をしていて良かった。
下手にまごついたりすると
それが気位の高い年寄りのプライドを傷つけるので
前夜に散々予行練習をして、
じじに聖餐のパンと杯を渡す位置には私が着席し、
じじから聖餐を受ける位置には
友達が座ってくれた。
じじに自己紹介してくれて、ありがたい。
じじは友達の名前を覚えた。
聖餐式が始まって、
私からじじに分餐の言葉を告げて
パンの銀盆を渡すと、
じじは予行演習の通りに
パンを一切れ取って
反対側にいる友達の名前を呼び、
分餐の言葉を告げた。
・・・・・・(;-"-)・・・・
「○○さん、
これは、
あなたのために裂かれたキリストの体です。」
・・・ほっ・・・(;+。+)=3・・・・
次に杯。
私は分餐の言葉を告げて
小さな杯を乗せた銀盆をじじに渡した。
あああ杯が。
盆を落とさないように
揺らしてこぼさないように
じじは受け渡しするのに精一杯だ。
大丈夫かじじ。
じじは自分の杯を一つ取って
隣に座っている友達に分餐の言葉を告げた。
・・・・・・(;="=)・・・・
「○○さん、
この杯は、
キリストの血による新しい契約です。」
・・・ほっ・・・(;+。+)=3・・(;*。*)=3・・・・
じじが分餐の言葉を噛まずに言い終わり、
無事に隣に座る友達に受け渡し出来た時、
私の横でヘルパーさんがほっと胸を撫で下ろした。
ヘルパーさんは信者ではないが
じじの斜め後ろに座って
出来ないところがあれば介助しようと待機していた。
信者でないのにはらはらしながら
じじの聖餐式参加を見守っていてくれた。
もしここで何か失敗したら
私や教会員にとっては何でもない事であっても
じじには精神的なダメージになると
ヘルパーさんは考えたらしい。
プロ意識の強い人だ。
信者でないからと遠巻きにしてもよいところを
あえてじじの傍について見守り、
月一回の聖餐式の時にどんな介助がいるか、
ケア全体の時間配分や介助の要るタイミングを
配慮してくれている。
これからは
私がいてもいなくても、
毎月1回、
じじはこうして聖餐に与る事が出来る。
皆のおかげだ。
皆に支えられて、
じじはこうして聖餐に与る事が出来た。
聖餐式が始まる前、牧師先生が言っていた。
「親子で聖餐式に与る、
僕もそれをしたかったけど
母が寝たきりになって
今ではもうそれも叶わなくなりました。」
そう。
出来るだけの事をしなければ。
出来るうちに。
じじの隣に座ってくれて
じじから聖餐のパンと杯を受けてくれた友達も
父親を教会に連れてきた事があった。
じじがこうして教会に定着した事を
一緒に喜んでくれた。
祈ろう。
お互いの親のために。
お互いの親を兄弟姉妹として
教会に迎え入れるため、
必要な働きを捧げる事が出来るように
お互いのために祈ろう。
しじは受洗後初めて聖餐に与った。
前日、
聖餐式の予行練習をしていて良かった。
下手にまごついたりすると
それが気位の高い年寄りのプライドを傷つけるので
前夜に散々予行練習をして、
じじに聖餐のパンと杯を渡す位置には私が着席し、
じじから聖餐を受ける位置には
友達が座ってくれた。
じじに自己紹介してくれて、ありがたい。
じじは友達の名前を覚えた。
聖餐式が始まって、
私からじじに分餐の言葉を告げて
パンの銀盆を渡すと、
じじは予行演習の通りに
パンを一切れ取って
反対側にいる友達の名前を呼び、
分餐の言葉を告げた。
・・・・・・(;-"-)・・・・
「○○さん、
これは、
あなたのために裂かれたキリストの体です。」
・・・ほっ・・・(;+。+)=3・・・・
次に杯。
私は分餐の言葉を告げて
小さな杯を乗せた銀盆をじじに渡した。
あああ杯が。
盆を落とさないように
揺らしてこぼさないように
じじは受け渡しするのに精一杯だ。
大丈夫かじじ。
じじは自分の杯を一つ取って
隣に座っている友達に分餐の言葉を告げた。
・・・・・・(;="=)・・・・
「○○さん、
この杯は、
キリストの血による新しい契約です。」
・・・ほっ・・・(;+。+)=3・・(;*。*)=3・・・・
じじが分餐の言葉を噛まずに言い終わり、
無事に隣に座る友達に受け渡し出来た時、
私の横でヘルパーさんがほっと胸を撫で下ろした。
ヘルパーさんは信者ではないが
じじの斜め後ろに座って
出来ないところがあれば介助しようと待機していた。
信者でないのにはらはらしながら
じじの聖餐式参加を見守っていてくれた。
もしここで何か失敗したら
私や教会員にとっては何でもない事であっても
じじには精神的なダメージになると
ヘルパーさんは考えたらしい。
プロ意識の強い人だ。
信者でないからと遠巻きにしてもよいところを
あえてじじの傍について見守り、
月一回の聖餐式の時にどんな介助がいるか、
ケア全体の時間配分や介助の要るタイミングを
配慮してくれている。
これからは
私がいてもいなくても、
毎月1回、
じじはこうして聖餐に与る事が出来る。
皆のおかげだ。
皆に支えられて、
じじはこうして聖餐に与る事が出来た。
聖餐式が始まる前、牧師先生が言っていた。
「親子で聖餐式に与る、
僕もそれをしたかったけど
母が寝たきりになって
今ではもうそれも叶わなくなりました。」
そう。
出来るだけの事をしなければ。
出来るうちに。
じじの隣に座ってくれて
じじから聖餐のパンと杯を受けてくれた友達も
父親を教会に連れてきた事があった。
じじがこうして教会に定着した事を
一緒に喜んでくれた。
祈ろう。
お互いの親のために。
お互いの親を兄弟姉妹として
教会に迎え入れるため、
必要な働きを捧げる事が出来るように
お互いのために祈ろう。
マルコを読み進んで
最後の晩餐の箇所まで辿り着いた。
洗礼を受けて、
正式に教会員になったら
じじも聖餐式に参加出来る事になる。
じじに、
私達の教会で行なっている聖餐式とはどんなものか
さらっと説明した。
じじにとっては
難易度高いかも知れない。
分餐の言葉を言わなければならないから。
でもそれはカンニングペーパーを作れば
クリア出来ると思う。
また、
聖餐式の日の
介助に付いてくれるヘルパーさんには
どう対応すべきか。
信者でない人に横で見ていて貰うのか
終わるまでソファに座って待機して貰うのか。
考えなければならない。
ヘルパーの派遣会社には
事前連絡する事で時間延長の承諾を得なければ。
牧師先生や教会の仲間に相談しよう。
さて、
これからじじも参加する事になる、
聖餐式の式次第。
全員が着席する。
(私達の場合、牧師先生が進行役を務める。)
賛美歌を歌う。
(聖餐式の賛美歌)
主の糧 共に食し
杯 共に受けて、
わが心 潔められ
深き罪 贖わる
わが罪、わが思いを
潔めし 主の血潮よ
主の正義 身に纏い
恐れなく 進み行かん
(賛美歌78番『賛美歌21』日本基督教団出版局より)
牧師(進行役)、祈りを捧げる。
聖書を朗読する。
(大抵は最後の晩餐の箇所。)
牧師(進行役)が
銀盆のパンを人数分に裂き、
盆ごと隣の人に渡し、
自分の分を取らずに分餐の言葉を告げる。
「○○○○さん、
これは、
あなたのために裂かれたキリストの体です。」
盆を受け取った人は
感謝して自分のパン一切れを取り、
同じく分餐の言葉を告げて隣の人に渡す。
盆を渡された人は自分の一切れを取り、
同じように分餐の言葉を告げて
隣の人に銀盆を渡す。
こうして銀盆は一巡し、
一番最後に牧師(進行役)の所に銀盆が回って来る。
牧師(進行役)に銀盆を渡す人は
牧師にも「先生」ではなく
他の教会員と同じくフルネームで
「○○○○さん、・・これは・・・」と呼び、
分餐の言葉を告げて銀盆を渡す。
感謝して、
一同、パンを食べる。
次に、
牧師(進行役)が
銀盆に杯を人数分乗せて
盆ごと隣の席の人に渡し、
分餐の言葉を告げる。
「○○○○さん、
この杯は、
キリストの血による新しい契約です。」
盆を受け取った人は
感謝して自分の分の杯を一つ取り、
次の人に同じく分餐の言葉を告げて渡す。
盆を渡された人は自分の杯を一つ取り、
同じように分餐の言葉を告げて
次の人に銀盆を渡す。
こうして銀盆は一巡し、
一番最後に牧師(進行役)の所に銀盆が回って来る。
牧師(進行役)に銀盆を渡す人は
牧師にも「先生」ではなく
他の教会員と同じくフルネームで「○○○○さん」と呼び、
「・・この杯は・・・」と分餐の言葉を告げて銀盆を渡す。
感謝して、
一同、葡萄汁を飲む。
牧師(進行役)は
教会員の一人または数人を指名し、
指名された人は聖餐感謝の祈りを捧げる。
賛美歌を歌う。
(聖餐式の賛美歌)
黙祷。
じじ。
パンは私達のために裂かれたキリストの体。
ぶどう酒はキリストの血による新しい契約。
最後の晩餐の箇所まで辿り着いた。
洗礼を受けて、
正式に教会員になったら
じじも聖餐式に参加出来る事になる。
じじに、
私達の教会で行なっている聖餐式とはどんなものか
さらっと説明した。
じじにとっては
難易度高いかも知れない。
分餐の言葉を言わなければならないから。
でもそれはカンニングペーパーを作れば
クリア出来ると思う。
また、
聖餐式の日の
介助に付いてくれるヘルパーさんには
どう対応すべきか。
信者でない人に横で見ていて貰うのか
終わるまでソファに座って待機して貰うのか。
考えなければならない。
ヘルパーの派遣会社には
事前連絡する事で時間延長の承諾を得なければ。
牧師先生や教会の仲間に相談しよう。
さて、
これからじじも参加する事になる、
聖餐式の式次第。
全員が着席する。
(私達の場合、牧師先生が進行役を務める。)
賛美歌を歌う。
(聖餐式の賛美歌)
主の糧 共に食し
杯 共に受けて、
わが心 潔められ
深き罪 贖わる
わが罪、わが思いを
潔めし 主の血潮よ
主の正義 身に纏い
恐れなく 進み行かん
(賛美歌78番『賛美歌21』日本基督教団出版局より)
牧師(進行役)、祈りを捧げる。
聖書を朗読する。
(大抵は最後の晩餐の箇所。)
牧師(進行役)が
銀盆のパンを人数分に裂き、
盆ごと隣の人に渡し、
自分の分を取らずに分餐の言葉を告げる。
「○○○○さん、
これは、
あなたのために裂かれたキリストの体です。」
盆を受け取った人は
感謝して自分のパン一切れを取り、
同じく分餐の言葉を告げて隣の人に渡す。
盆を渡された人は自分の一切れを取り、
同じように分餐の言葉を告げて
隣の人に銀盆を渡す。
こうして銀盆は一巡し、
一番最後に牧師(進行役)の所に銀盆が回って来る。
牧師(進行役)に銀盆を渡す人は
牧師にも「先生」ではなく
他の教会員と同じくフルネームで
「○○○○さん、・・これは・・・」と呼び、
分餐の言葉を告げて銀盆を渡す。
感謝して、
一同、パンを食べる。
次に、
牧師(進行役)が
銀盆に杯を人数分乗せて
盆ごと隣の席の人に渡し、
分餐の言葉を告げる。
「○○○○さん、
この杯は、
キリストの血による新しい契約です。」
盆を受け取った人は
感謝して自分の分の杯を一つ取り、
次の人に同じく分餐の言葉を告げて渡す。
盆を渡された人は自分の杯を一つ取り、
同じように分餐の言葉を告げて
次の人に銀盆を渡す。
こうして銀盆は一巡し、
一番最後に牧師(進行役)の所に銀盆が回って来る。
牧師(進行役)に銀盆を渡す人は
牧師にも「先生」ではなく
他の教会員と同じくフルネームで「○○○○さん」と呼び、
「・・この杯は・・・」と分餐の言葉を告げて銀盆を渡す。
感謝して、
一同、葡萄汁を飲む。
牧師(進行役)は
教会員の一人または数人を指名し、
指名された人は聖餐感謝の祈りを捧げる。
賛美歌を歌う。
(聖餐式の賛美歌)
黙祷。
じじ。
パンは私達のために裂かれたキリストの体。
ぶどう酒はキリストの血による新しい契約。
今朝、
牧師先生に電話しながら
せわしなく出勤したであるよ。
結局、
賛美歌の資料は
よく見たら別紙にちゃんと入ってた。
牧師先生は葬儀のため富良野へ。
私は仕事。
出勤すると、
あのむごい苦しみと戦っていた人のベッドは
既に空になって消毒されていた。
親類は殆ど姿を現さず
友人らしい見舞客もなかった。
同室者同士のコミュニケーションもなく
我々スタッフだけがその人の視界に出入りする、
底冷えするほど孤独な日々。
始めの頃その人は泣いたけど
しばらくして泣かなくなった。
泣く事も出来なくなった。
ベッドの傍らに立つ人もなく
励ましたり手を握る人もない
孤立無援の戦いを
戦って
戦い抜いて
最後まで立派に
よく頑張りました。
お疲れ様でした。
牧師先生に電話しながら
せわしなく出勤したであるよ。
結局、
賛美歌の資料は
よく見たら別紙にちゃんと入ってた。
牧師先生は葬儀のため富良野へ。
私は仕事。
出勤すると、
あのむごい苦しみと戦っていた人のベッドは
既に空になって消毒されていた。
親類は殆ど姿を現さず
友人らしい見舞客もなかった。
同室者同士のコミュニケーションもなく
我々スタッフだけがその人の視界に出入りする、
底冷えするほど孤独な日々。
始めの頃その人は泣いたけど
しばらくして泣かなくなった。
泣く事も出来なくなった。
ベッドの傍らに立つ人もなく
励ましたり手を握る人もない
孤立無援の戦いを
戦って
戦い抜いて
最後まで立派に
よく頑張りました。
お疲れ様でした。