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ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

飛ばされた種

2015-08-06 23:58:21 | コロサイ
寒いな。
洗濯物が乾かないから暖房入れた。
熱中症とは無縁というか、無理だな。
夏らしい天候は続かないのう。


今日もベランダに枯れ葉がぱらぱら降って来る。


寒いと思ったら雨が降ってきた。
少しまとまって降らないかな。
蒸すだけ蒸して水不足、
今の季節に草木が干上がって枯葉が積もるのは
飢饉の光景そのものだ。
ご近所のお年寄達が丹精込めてる畑の花も野菜も無残に枯れて、
見るからに世の終わり感満点である。
ざーっと景気よく降ってぱっと上がってくれい。


さて、出かける。
風冷たいな。
半袖だと腕が冷えて痛む。


教会に来た。



一応傘持って来たけど、まだ使うほどではない。


干上がっていない、日陰のコスモス。



やっぱりもう秋なんだな。


聖書研究会はコロサイの最後。
ローマの獄中にあるパウロからコロサイの教会の人々へ、
挨拶と近況報告。

 この手紙があなたがたのところで読まれたなら、
 ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。
 あなたがたのほうも、
 ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください。
                    (コロサイ4;16)

パウロが獄中から手紙を送ったコロサイとラオデキヤの教会は
いずれもパウロが種を蒔いて誕生した教会らしい。
コロサイ人への手紙同様にラオデキヤ人への手紙も
パウロは書いていた事がここでわかる。
ラオデキヤの教会への手紙は失われて今日読む事は出来ないが、
もし失われず残っていたら、
新約聖書に「ラオデキヤ人への手紙」が収録されたに違いない。
ローマ皇帝ネロの迫害の時代にパウロはローマで処刑された。
彼が種を蒔き育てた各地の教会は
迫害によって信徒の多くが惨殺され散り散りに離散して消滅したが
難を逃れて生き延びた教会もあった。
パウロの死後数十年経って
皇帝ドミティアヌス帝の大迫害の時代に
使徒ヨハネが黙示録を書いた時、
ラオデキヤの教会はまだ存続していたらしい。
彼らは辛うじて生き延びながら厳しく叱責されている。

 わたしは、あなたの行ないを知っている。
 あなたは、冷たくもなく、熱くもない。
 わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
 このように、あなたはなまぬるく、
 熱くも冷たくもないので、
 わたしの口からあなたを吐き出そう。
             (ヨハネ黙示録3;15~16)

パウロが手紙を書き送ったコロサイやその他の教会が
ドミティアヌス帝の大迫害の下でどうなったかは
何も書かれていないので今日では知る由もない。
各教会の大半が存続していたかどうかすら不明だ。
しかしラオデキヤの教会は生き残っていた。

ルカ、使徒言行録からパウロ書簡に読み進んでいくと、
たんぽぽの綿毛を連想させられる。
たんぽぽの綿毛が風で遠く飛ばされて行き当った地面に落ちる。
根を下ろすが必ずしも土のある場所とは限らず
コンクリの割れ目や人の家の畑の隅や焼けたアスファルトの上や
ゴミ置き場や砂利の隙間に落ちて
踏まれたり水浸しになったり日光に焼かれて死ぬ。
しぶとく生き延びたものは根を張り葉と茎を伸ばし
花が咲いたりするが人の足に踏まれ車のタイヤに轢かれ
除草剤や草毟りに遭って引き抜かれ、駆除される。
それでも翌年には何処からともなく生き延びた種が芽を出して
花が咲き、綿坊主になって種をまた何処へともなく飛ばす。
数十年の年月の間に、
パウロが手紙を書き送り激励したコロサイの教会の人々が
難を逃れて生き延びたかどうかはわからない。
しかし同じパウロによって蒔かれ育てられたラオデキヤの教会は
少なくともドミティアヌス帝の頃までは生き延びて存続していた。
人目に付かない場所にこぼれた種のように。
飛ばされた種が地に落ち、
人知れず生き延びる様を思い浮かべ、考える。


教会の帰り、バス待ち。
ううう寒い)))
早く来い来い田舎バス。

塩味のきいた言葉

2015-07-30 23:20:37 | コロサイ
昨夜トウモロコシなんか食べて糖質過多な食事だったためか、
夜更かししてもう1本DVD、
映画『マルセリーノパンとブドウ酒』を見てから寝た。
1970年代にテレビで見た映画。
じじが生前自力で出歩けなくなった時この映画も見せたが、
あの男の子めんこいなぁ」と気に入っていた。
私自身はこの映画を最初見た時は小学生だったが、
十字架のイエスにパンを差し出して、
もし受け取ってくれたら嬉しいだろうなぁと単純に思った。


朝は曇って湿度高いせいか
6:00といつもより遅く目が覚めた。
だらだらと遅い朝昼飯でカレー食べて、
今日は午後から教会に行く。
聖書研究会。




聖書はコロサイ3;20~4;9。


何をするにしても、人に対してではなく、
主に対してするように、心からしなさい。
                 (コロサイ3;23)

この箇所読むと自分のどうしようもない仕事ぶりを思い出す。
この日記ブログにも書いた。(ぱんくず通読帳に転記)


当地に来る前、
看護助手をしていた時代にも3交替の夜勤があった。
夜勤明けの朝はよく自分の出身校の礼拝堂に寄って
結局多忙で食べそびれたおにぎりを食べて朝食にした。

その日も、前夜の自分の仕事ぶりを思い返しながら
冷たくなったおにぎりの飯粒をもそもそ噛んでいた。

前夜やたらとブザーを鳴らす人がいた。
殆ど1分間隔でブザーを握ったまま鳴らし続けた。

「今は昼の3時かい、夜の3時かい。」

夜の3時ですよ

そう応えながら振り向くと向かいのベッドの人が
鼻の管を抜いてくりくりくり…と捻って遊んでいた。
看護師が管を入れ直す間にその人はまたブザーを鳴らした。

「オシッコ。」

トイレに連れて行き、便座に座らせて一歩廊下に出た途端、
またブザーを鳴らす。

「今何時?」

4時。

トイレが済んで病室に戻るとすぐにまたブザーが鳴る。

「猫だ。猫がいる。」

猫は隣の人のベッドの下の尿瓶だった。
またブザーが鳴る。
行って見ると今度はベッドの横で棒立ちになっていた。

「かっ…固まった」

すくんで動けないまま失禁していたので身体を拭き、
寝衣とシーツを換え、床を拭く。
他の病室からも1分間隔でブザーが鳴っている。
私看護助手は翌朝の準備がまだ、看護師達は記録がまだ、
今日までに作らなければならない次週の入浴予定表もまだ。
時間がどんどん飛んで行く。
焦っているとまたブザーが鳴った。
あの人だった。

家族がずっと面会に来なくて寂しいのは分かってる、
分かってるけどもういい加減して勘弁して今度は何なの。
内心苛立ちながら私は病室に走った。

どうしたのっ!

その人はブザーを握ったまま言った。

「あんたにサンキューって言おうと思って。」

その時、あの人と私との間には主が立っておられたと思う。
その人は私に「サンキュー」と言った。
虐げられた人が苛立ち虐げる者に向かって
「サンキュー」と言った。

誰もいない母校の礼拝堂で
冷たいおにぎりの硬い飯粒を噛みながら
文庫本の厚さに裂いた聖書の詩編を捲っていた。
その時見ていたのは44篇だった。

 神はなお、それを探り出されます。
心 に隠していることを神は必ず知られます。(詩篇44;22)

今思えば余程疲れていたのだと思う。
突然左の耳元で誰かに言われた。

「あの仕事は最善だったか?」

いいえ、最悪だった。


看護助手をしながら夜学に行って資格取得し
看護職に就いたが父親が倒れて在宅介護のため当地に移って来た。
当地に来てからも仕事は3交替夜勤をしていた。

その夜、午前0時過ぎに末期癌の患者様が息を引き取った。
医師の臨終宣告、遺族への挨拶、死後処置を済ませ、
まだ到着しない親族を待ちながらコールに対応した。
頻繁にブザーで呼ばれる。
やっと遺族全員が集まり、これで霊安室に誘導できるという時に、
別の患者様が巡回していた同僚の目の前で急変、心肺停止した。
(後でわかったが心破裂だった。)
先輩が心肺蘇生する間に同僚は医師を呼び、
私は電話で家族を呼び出した。
医師が間もなく来た。
急変した人の家族にはすぐ連絡がついたので、
私の手が空くのを待っている先のご遺体と遺族とを
急いで霊安室に誘導しなければならない。
ストレッチャーを運んでいるとまたブザーが鳴った。
消灯からずっと眠らずにブザーを鳴らし続けている人だった。

「毛布をかけてくれ」

「ちり紙を取ってくれ」

「尻を掻いてくれ」

「今何時だ」

「女房に電話してくれ」

「やっぱり毛布はどけてくれ」

「ちり紙を床に落とした」

「寒いから毛布かけてくれ」

「今何時だ」

動けない人ではなかった。
消灯になって妻が帰ってしまうと寂しいのだ。
鳴らしても看護師がすぐ来ない事に苛立って
ブザーを握ったままずっと鳴らし続けていた。
私は彼のベッドサイドに走った。

「おい、背中掻いてくれよ。」

先のご遺族が待っている。
言う通りにしたがさっと掻いてもその人は満足しなかった。

「もっと丁寧にゆっくり掻いてくれ。」

悪いけど今ゆっくり掻いてあげられない。
自分で掻けませんか、ほら、手が届きますよちゃんと。

不満そうなその人を後に残して私はご遺族の所へ走り、
霊安室にご遺体を搬送し走って病棟に戻り、
急変した方の処置に加わった。
一度ICUに送りそこから心臓外科のある病院に搬送された。


中断していた業務に戻り、後片付けが終わって外に出ると
午前1時に終わるはずの勤務は4時を過ぎていた。
帰宅して横になってみたが眠れなかった。
むかむかしていた。
プロのする事ではない。
他の患者が死んだ事も別の患者が急変した事も、
あの人には何の関係も無かった。
あの人には看護師に心よく背中を掻いて貰う権利があった。
自分がその人の権利を無視した事を反芻していた。

午後になってから起きてぶらぶらと外を歩き、
近所のカトリック教会の聖堂に入った。
かつて考え事をする場所は母校の礼拝堂だったが、
当地に移ってからは近所のカトリック教会の聖堂にお邪魔して
黙想・・というよりは ぼーっとしていた。
滅多に人を見かけない聖堂で、その日は
神父様も留守番の女性も見かけず、
私はいつも通りベンチに座っていた。
しばらく座っていると足腰がだるくなったので、そこを出た。
門の傍に高齢の修道女が立っていた。
小柄で、かなりの高齢だった。
挨拶をするとにこやかに話しかけてきた。
いつもはその時間帯に修道女を見かける事はなかった。
挨拶しながら思った。
今日に限ってどうしてこの人はここにいるのだろう。
何でその修道女に話す気が起きたのか自分でもわからない。
しかし私は前夜の事をつい全部話してしまった。
自分がプロとして人間として最低な事も。
修道女は私に言った。

「あなたが悪かった失敗したと思えるのは、
 まだ生きている証拠です。
 忙しさに埋もれて、
 そんな事ぐらいどうでもいいと思うようになったら、
 もうそれは死んだものです。
 あなたは生きた看護をして下さい。」

その修道女はこうも言った。

「自分の身体に気をつけなさい。
 顔色が良くないですよ。
 自分が健康でなければ
 他人の苦痛に目を向ける余裕がなくなります。
 自分が疲れていると心の看護が出来なくなります。」

主はすぐ傍にいると思った。
主はすぐ傍にいて私をじっと見ている。


もうずっと昔の出来事だ。
しかしつい昨日の事のような気がする。
自分は仕事を変え、父は世を去り、街は当時より更に寂れた。
あの御聖堂のある教会も今は閉鎖されて建物が残るだけ。
修道女達はこの地を去ったと聞いた。


「何をするにしても、人に対してではなく、
 主に対してするように、心からしなさい。」

というコロサイ3;23の箇所まで読み進むと、
夜勤明けに詩編44;22を読んだ時の事と
老修道女と出逢った事と、言われた言葉を思い出す。

あの時耳元で聴こえた声の無い声は何だったのか、
あの日に限って普段姿を見せない修道女が門の傍にいたのは何故か。
日常の中の出来事の細部と言葉の詳細をどうして私は
長い年月が経っても一字一句忘れずにいるのか。
重要な事の多くは私達の眼に隠されている。


更に読み進む。

 あなたがたのことばが、いつも親切で、
 塩味のきいたものであるようにしなさい。
               (コロサイ4;6)

塩味の効いた言葉。
福音書の山上の垂訓で主イエスは
「あなたがたは地の塩である」と言われた。
あの老修道女が私に語った言葉こそ塩の効いた言葉、
信仰者の語る言葉だった。


・・・・・


聖書研究会は話が尽きなかった。
DVD『ホテル・ルワンダ』を牧師先生に渡すと
真剣に中のリーフレットに見入っていた。
日曜日に片づけきれなかった本棚の整理の続きをした。
今日はちゃんとマスクとプラ手を持参している。
教会員の一人が残って一緒に手伝ってくれた。


教会を出た時は既に17時を回っていた。
バスの時刻まで話をして時間を潰した。


もうコスモスが咲いている。




風が涼しい。
空が高い。
「もう秋だね」と話しているうちに帰りのバスが来た。
夏は来ないうちに終わってしまったらしい。

主があなたがたを赦してくださったように

2015-07-23 20:06:06 | コロサイ
今日は朝一で定期受診して、
午後は教会で聖書研究会に参加する。


外来かなり混んでいる。
採血だけ済ませて一度帰宅し、
昼食を済ませて教会に行く事にした。


帰宅しておにぎりとチーズ食べたけど、
食後10分で教会に行くバスの時刻になってしまった。(忙


雨は降りそうで降らない。
携帯のカメラの具合がよくないのか、
いつも撮る教会の屋根の画像がぶっ飛んで
保存できていなかった。


聖書研究会、先週の続きコロサイ3;12~19。

 主があなたがたを赦してくださったように、
 あなたがたもそうしなさい。
             (コロサイ3;13)

教会の内外の人間関係の問題について、語り合った。

牧師先生は、
個人を取り巻く人間関係の基礎であり最小単位である家庭が
まともに機能出来ていない、今の家族のあり方に
危機感を持っていると話していた。


教会では家庭のあり方を非常に重視している。
信徒の営む家庭は教会の最小単位であるという考え方がある。
家族が一緒に食卓を囲み、
苦楽を共に分かち合って共に祈るのが信仰者の家庭であり、
教会は主の食卓、信仰者達は教会に集まって食を共にし
苦楽を分かち合って互いに祈り支え合う、主の家族であり、
主の食卓、信仰者の祈りの輪の中には常に主がおられる。
「主があなたがたを赦してくださったように…」とパウロは言う。
それが実際教会の場ですら人間関係は難しく、まして
一家族の中となると聖書の教えも何も消し飛ぶような現実がある。
病や貧困や苦境の中にあっても
互いに赦し合い支え合う家族は幸せだ。
私の場合は、三世代前から先祖代々(笑)離婚し子供を粗末にし、
「家庭」は積年の恨み辛みで崩壊し原形すら残っていない。
父に対して私は、子供の頃に日常的に折檻された恨みと晩年の介護で
時間と労力を吸い取られ暴言暴力や汚物の後始末に翻弄されたという
怒りのようなものはあるにはあった。
しかし父は血族としての私の父親もであったが、共に主の食卓に着き
パンと杯を受け渡しした兄弟姉妹の一人、教会の家族である。
父が好んだ福音書の箇所や諸々の出来事を
私達教会家族は共有している。
単なる父親だと赦せない事が、教会でパンと杯を受け渡しした兄弟だと
何でもない事に思えるのは自分でも不思議だ。
父は世を去り、私を穀潰し呼ばわりした母と妹はまだこの世にいるが
既に怒りや怨みの対象ですらない死んだ者達だ。
死んだ者に何を言われたからと言って腹も立たない。


イエスの育った家庭はどんな家庭だったのだろう。
時々考える。
あのクリスマスの聖家族の図式、
信仰深く優しい父親と見た目にも美しく優しそうな母親、
愛される子供、あんな具合に綺麗事で美化された、
茶番みたいな家庭だったのだろうか。
イエスは家族と暮らしていた時、幸せだったろうか。


色々と話が出て、話題は尽きない。
家族の中の人間関係が一番荷が重く難しい。


会が終わって、庭先で牧師夫人と立ち話した。
水不足で干上がった草花を刈ったが、
まだまとまった雨が来ないので元気がない。

 


確かに、庭の草花が去年とは様子が違って見える。
ぞの草花も葉がくったりしている。
虫も少ない。
元気なのはころんと太った熊蜂だけだ。


傘を持ってはいるが出番なし。
バスを乗り継いで病院に戻るが、
市の反対側同士の地区なので診療時間終了に間に合うかどうか。

聖書研究会に出た

2015-07-16 21:46:03 | コロサイ
シリコン製の足底装盤を足に着けて病院を出た。


教会に向かう。
今日の午後は聖書研究会があるので久しぶりに参加した。




聖書の箇所はコロサイ3;1~11。
今抱えている仕事の問題や自分の今後の事や、
父を天に見送ってあっという間に1年経った事などは締め出して、
視野の屈折した眼鏡で聖書を読む事の無いようにしたかったが
そのように思う時に限って聖書の頁の中の一文が浮き上がって
嫌でも眼がそこに行く。

 …もしあなたがたが、
 キリストとともによみがえらされたのなら、
 上にあるものを求めなさい。
 そこにはキリストが、
 神の右に座を占めておられます。
 あなたがたは、地上のものを思わず、
 天にあるものを思いなさい。
          (コロサイ3;1~2 新改訳)


提出した退職届をだらだらと保留されて、
職場に居残るよう管理職から説得されているが、
辞めると言っている看護師を遺留する管理職は
医療従事者を確保して制度上得られる加算と
施設の稼働率を上げて黒字計上する事を優先しており、
私は私で、辞めるにしても辞めずにデイに移動するにしても、
自腹でタクシー出勤する経済的負担の軽減を優先する。
入居している高齢者達とその家族は実質上置き去りにして
施設側と私とで利害が対立している。
この2年間毎日声をかけ、対話し、冗談を言って笑ったり
一緒に苦楽を共に、生活時間を共有して来たのだ、
どうしたって情が移って後ろ髪を引かれる。
私がいなくなった後、
辞めたと聞いて失望する人とその家族の顔が目に浮かぶ。
あの人もこの人も。
最後の勤務の日、私は彼らに何と言って立ち去ればいいのだろう。
「さよなら、またね」か「さよなら、元気でね」か。
かの人々から自分は日々どれほど慰めと励ましを受けて来た事だろう。
しかし情だけでつながれて今後も働き続ける事の出来るほど
白く塗りたる墓に居残る事は生易しくはない。
"天にあるものを思う"からは程遠い有り様である。
明日管理職に辞表を撤回するか退職するかの返事をするが、
こういう時に聖書を開いたせいだろうか、
主から"上にあるものを求めよ"と言われている気がする。
では、去るか留まるか、
どちらが"上にあるものを求める"事になるのだろう。
コロサイ書の朗読はどんどん進んで行く。
余計な事を考えないようにして牧師先生の解説を聞く。


会が終わった後、しばし雑談と近況報告。
私自身の近況報告をした。
牧師夫妻には既に今の職場の状況を話してあったが、
今日初めて聞いた教会仲間は怒りを感ずると言った。
居残ってぼろぼろになるまで闘うか、
潰れる前に見切りつけて立ち去るかの二者択一は、
自分が潰れない方を選択するべきであり、
頑張って潰れる事が主の御心である筈がないと言って
立ち去った後の事も自分自身のこれからの事も
全て主に委ねるようにと助言をくれた。
情や職探しの不安に縛られて選択を誤るな、
誠実さに欠けた雇用者の下で自滅する事だけは避けろと。
牧師夫妻にも教会仲間にも少なからず心配をかけている。
申し訳ない、しかし有り難い事だと思う。


教会を出て、牧師夫人としばし立ち話。
庭の草花の話。
草刈りが大変らしい。
ご近所から色々な植物の種が飛んで来るのか、
植えた覚えのない花が色々咲いて、
普通の民家同士ならご町内で気まずくなるところであるが
牧師夫人は「植えなくても咲いてくれるから嬉しい」と
歓迎している。
マーガレット、コスモス、ルピナス、一重の色薔薇、オダマキ、
植えた花は一つも無いらしい。(笑


帰宅後、日が暮れてから今日会えなかった教会の仲間と電話。
健康状態のよくない教会員がいて、
万一の時に協力出来る事が何かないか相談。