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ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

じじ、帰天。

2014-07-06 23:40:54 | お祈り
今朝7:50に看護師から連絡を貰った時は
じじは既に心肺停止しており、私は間に合わなかった。


今夜一晩、
私はじじ宅で遺体となったじじと共に夜を明かす。


親族の間を盥回しの幼少期、
そして最期は
病院、病院、老健、病院、老人病院、病院と
こうして医療機関を盥回しで次の受け入れ先を探しながら
行き場の無いまま力尽きた。


今、私は自分の携帯に残る数日前の
骨と皮だけに痩せて呼吸苦で涙目のじじの
寂しく悲しい顔を見ている。
15年間にもなるじじの介護生活はここで終了となる。




天の父なる神様、
この世からあなたの御元に召された我が父を御心に留めて下さい。
主イエス・キリストの復活によって
私達には復活の希望と永遠の命が約束されています。
今、私は我が父の死を悼むと共に
再会の喜びを確信し慰めを受けております。
主なる神、我が父の一生は孤独で寂しい生涯でした。
しかし晩年に教会の家族の一員として主の食卓に迎えられ
短い期間でも楽しく幸せな日々が与えられ
喜びの思い出が与えられている事を感謝します。
今、臨終の苦しみを耐え抜いて
この世の旅を終えた我が父の魂を
主よどうか抱き取って下さい。
主なる神様、我が父を御元にお迎え下さい。
そしてこれまで我が父のために心を砕き、
祈りを捧げて下さった全ての人を祝福して下さい。
感謝と共にこの祈りを捧げます。
尊き救い主イエス・キリストの御名によって、アーメン。

教会の建物

2011-04-03 01:56:00 | お祈り
盛岡に移転されたブログのお仲間はご無事で、
物資の仕分けや積み込みのボランティアを頑張ってしておられる。
所属の教会も守られたようであった。


しかし、同じ管轄地区の歴史ある教会が今回の震災で焼失してしまった。
ネットで検索し、その写真を見た。
貴重なイコンは失われ、信徒の方々も何人か行方不明であると伺った。
教会の焼け跡で何か焼け残りが無いか探し歩く姿が目に浮かび、胸が痛む。


教会は信仰者の集まり、共同体であり建造物ではない事は重々理解している。
それでも明治の時代から宣教の働きを続け、
明治の大津波も大火事も、昭和の戦争も乗り越え、
長い時代の様々な局面で数え切れない信仰者達が祈りを捧げ続けてきた、
祈りと思い出の詰まった場所、
人々の祈りの場がこの大災害によって失われてしまった事が悲しい。


まだ行方のわからない信徒の方々が見つかりますように、
被災された全ての方々の悩み苦しみが一刻も早く取り除かれますように、
心からお祈りします。

2011-04-03 00:56:00 | お祈り
何十億もの義捐金が集まっても、食事代の援助すら無い。
被災者の現実は過酷だ。
やっと生き延びたのに、どうしてこうなるのだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110402-00000011-maip-soci


こうしてみると、
土壇場で金銭が如何に無力なものか見せ付けられる。
何十億もの莫大な金が集まっても、
被災者が衣食住に困り追い詰められる現状には変わりがない。
巨額の義捐金をどう分配するか決まるまでにどれほどの時間が要るだろうか。
義捐金が分配され手元に届くまでに生命を失う人が今後どれほど出るだろうか。
今日明日、いや今夜食べる物や泊まる場所に事欠いても、
何十億もの金銭は被災者にとってその日の食事一食にすらならない、
金では解決出来ない現実がある。

被災地

2011-03-28 23:48:31 | お祈り
夕食食べながら携帯でツイッター見て、
某怪人様のリツイートされたブログを読んで泣いた。
私もリツイートしたが、自分のブログにもブクマした。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

救援のため陸前高田市に行った看護師の現地での日記ブログ。
無数の赤い旗が辛い。
この看護師のブログを読むと、あの3/11を境に
「赤い旗」の持つイメージが違うものに塗り替えられた気がする。
「赤い旗」といえば某政治団体の機関紙の名前を連想したが、
今は「赤い旗」と聞くと瓦礫の中の「遺体が見つかった場所」
を連想する。


先日のmixiのお仲間による福島県民からの悲痛な呼びかけも、
自分のブログに記事更新した。

http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/e/cac24d4e77d24381f17aa8b8824d3452


陸前高田で救援活動した人のブログと、
福島県民であるmixiのお仲間の呼びかけには共通点がある。


「復興したら(陸前高田に)旅行においで」
「福島に旅行に来てください」


今が無理でも、復興してからでもいいから来て、この地を見て下さい、
産物を買って下さい、それが長期的に復興を支えるのだと。

2011-03-27 23:59:24 | お祈り
3月11日の大地震、大津波から16日目。
未だ被害の全容が知れない程の大災害で被災された方々のために、
教会でも、あちこちのSNSでも、キリスト者同士呼びかけて祈っている。


3月17日の記事で紹介させて頂いた、
或るカトリック司祭からの祈りの呼び掛けの9日間はあっという間に過ぎた。
しかし祈りはこれからも続ける。


 主が被災の苦しみを担って下さる事を確信し、
 兄弟姉妹の心に合わせて祈ります。


 今もまだ誰からも発見されず瓦礫の下で助けを求め待っている人々、
 救援の届かない避難所で辛い生活をする人々、
 家族の消息を求めて瓦礫の中を、遺体安置所を、徒歩で探し歩く人々、
 不眠不休で救援活動に従事し続ける人々、
 原発事故の被害を食い止めるために体を張って闘う人々、
 風評被害で生活の糧を絶たれた人々、
 被災地の家族の安否情報の届かない離れた所で心を引き裂かれる人々、
 被災に遭われたお一人お一人の苦しみを癒して下さい。
 

 この大災害で生命を奪われた、
 数知れないほど大勢の犠牲者お一人お一人の魂を
 御手に抱き取って、天国にお迎え下さい。
 永遠の安息に犠牲者のお一人お一人をお迎え下さい。
 

 原発事故の被害がこれ以上拡大しませんように。
 周辺地域の人々の健康が守られ、
 地域が生活の場として甦りますように。


 主なる神、憐れんで下さい。




避難所にいる人々や福島の人々の今置かれた現状を知る限り、
祈らずにはいられない。


海外から見ると考えられないくらいの物凄い速さで
現地は復興の道を進んでいるかも知れないが
被災された方々にとっては
地獄のように長い苦しみの日々であろうと思われる。


今日礼拝の時、
牧師先生が福島の原発事故による放射能漏れで
現地の或るプロテスタントの教会が根こそぎ別の地域に
避難しなければならなくなった事を紹介し、祈りの課題に挙げた。
きっと同じような事情の教会が他にも、各地にあるに違いない。
私達の知らない所で、
災害のために教会が一度根を下ろした場所にいられない現実がある。


祈ります。
この試練は決して失望に終わらない。
主が共にいらして教会員一人一人の信仰を強め、導いて下さる。
今、住み慣れた土地を出て行き場の無い教会が
この試練を乗り越える事が出来、数え切れないほど多くの収穫を
主なる神から受けますように。
確信をもって。
アーメン。

被災地福島からのお願い

2011-03-26 14:17:00 | お祈り
mixiのお仲間の所から転載。
切実な訴えです。


以下本文。


1.福島県民に対する差別をしないでください。
  福島県民全員が被曝したわけではありません。
  仮に被曝していてもきちんとスクリーニング検査を受けていますし、
  一生放射線を体から出して生きてくわけじゃありません。
  きちんと対処しています。(除染等)。
  それをきちんとわかってください。
  福島県出身者を見かけたら、暖かく迎えてください。


2.福島県産の特産物を買って下さい。
  今は無理に買わなくてもいいです。
  福島県民の私だって、
  県産特産物に放射能が含まれてるんじゃないかと不安です。
  だから、他県の人が不安になるのは当然だと思います。
  ただ、半年も経てば状況はだいぶ落ち着きます。
  市場に出回るということは安全だということです。
  そうなったら福島県産の物を買ってください。
  福島県産の特産物を購入してもらうことが、
  福島県を助ける一番の方法です。
  福島県の農家、酪農家を助けてください。
  福島県は果物も野菜も海産物もとてもおいしいです。
  福島牛というブランドもあります。
  ぜひ購入をお願いします。


3.そして、できれば福島に旅行に来てください。
  今回の被害を実際に見ていただきたいのと、
  福島県の復興を助けてほしいからです。
  よろしくお願いします。

  被災地を長期的に支援していただくためには、まずは
  福島県産の物を買ってもらうことが一番です。
  よろしくお願いします。
  このお願いは、できればみなさんの日記に転記&拡散願います。
  この2つが地震、津波、原発での被害を受けた福島県を風評から守り、
  支援することになります。




応援しますよ。
ほうれん草も牛乳も、もったいない。
北海道にだって原発はあります。
いつ同じ境遇になっても不思議は無い、他人事ではありません。
どうか、くじけないで下さい。
                (井上)

祈りの呼びかけ

2011-03-17 23:30:59 | お祈り
私が愛読する黙想の手引書の著者であるカトリック司祭の方から
SNSを通じてメッセージを頂いた。
今回の大災害に直面してキリスト者への祈りの呼びかけ。


(以下、メッセージより転記。)


井上さま

昨日から今日にかけて以下のお願いを友人に送りました。
よかったらご参加ください。
たぶん何百人の人が参加をしている模様です。

このたびは東北関東大地震によって甚大なる被害が出ています。
ほとんどすべての人が心を痛め、心配しておられることでしょう。
地震や津波だけでなく、今回は原発までが被害を受け、
深刻な放射能漏れが収まりそうにありません。
このような未曾有の危機に直面しながら、
実際に支援することはかなり限られています。
遠くにいるキリスト者としてできることを考えたとき、
まずは祈りによる支援が大切ではないでしょうか。
そこで、皆でともに祈ろうと思います。
もちろんすでに祈っておられる方は多いでしょうが、
ともに心を合わせて祈るならば、さらに大きい支援になると思います。
3月17日は長崎の信徒発見の記念日で、25日は神のお告げの祭日です。
ちょうど9日間ありますので、その期間、ノベナの祈りとして、
ともに祈りをささげましょう。

意向は次の3つです。
①被災者への支援が十分に行き渡りますように。
②亡くなられた方の永遠の安息。
③原発の事故の被害が最小限に抑えられ、無事に収束していくように。

祈りの内容は自由に決めてください。
例えば、毎日、ロザリオ1環とか、十字架の道行とか、黙想15分などです。
やりやすいものを決めておくと、9日間続けやすいです。
祈る時間帯は自由にしましょう。
毎日同じ時間は無理でしょうが、とにかく毎日欠かさず祈ってください。
またそれに伴って、何か小さな苦行をささげることも勧められます。

現在の危機がさらに拡大していくかもしれませんが、
何よりも天地万物の支配者である神に対する揺るぎない信頼を
もう一度確認しましょう。
神こそ、私たちの真の支えです。
いたずらに心を動揺させたり、パニックになる必要はありません。
この現実を冷静に受けとめ、
苦しんでいる人びとと連帯の心で祈りをささげましょう。
そして、可能なところから、具体的な支援活動も始めていきましょう。

「全能永遠の神よ、
 今、日本は大きな災害の危機に瀕しています。
 今こそ、私たちにあわれみの目を注いでください。
 私たちに信頼・平安・勇気をお与えください。
 特に被災された方々をお守りください。
 亡くなった方々の魂を天国へと受け入れてください。
 さらに原発の損傷から来る被害が拡大していますが、
 これが最小限に収まるように特別の恵みをお与えください。
 復旧活動に直接たずさわっている方々に
 特に危機を乗り越える力と恵みをお与えください。
 私たちは罪深い者ですが、私たちの罪を悔い改めつつ、
 あなたの限りない愛に信頼します。
 主よ、ひれ伏してお願いします。
 主イエスのみ名によって。
 アーメン」

 (メッセージを下さった方の個人名は管理人の判断で伏せさせて頂きました。
                              管理人 井上)



感謝します。
今夜から祈ります。
主の御名の下に心を合わせた祈りは
必ず聞き届けて下さると確信して
祈り続けます。

分け合って

2011-03-15 23:18:00 | お祈り
夕方仕事の後じじ宅に行くと、
じじはテレビの某国営放送に釘付けで固まって
泣いていた。


画面は被災地で
家屋や家族を失いながら自分は生きて救出され
ひたすら避難所で看護の仕事をする人、
自分は家を失いながら被災者に無料でラーメンを提供するラーメン店主、
瓦礫となった息子の職場を探し当て、息子の名前を叫び続ける夫婦、
続いてまだ救援の届かない被災地から別の町に逃れた人が送ってきたFAX。
暖房も無く救援物資も無い避難所では
皆で身を寄せ合って寒さに耐え、
一個のおにぎりを四人で、一本のバナナを四人で、
分け合って食べて生命をつないでいるという知らせ。


泣けてきた。


暖かい屋内で夕食を食べ熱い珈琲を淹れる事に
後ろめたさと罪悪感と自己嫌悪を感じる。


珈琲店の奥さんが言う。


「私達に何が出来るだろう?
 何をしたらいいんだろう?」


タクシーの運転手さんも言う。


「暖かい所で飯食ってて、
 自分はこんな事でいいのかと思う。」


ああ。
何が出来るだろう。


祈りと節電と募金、献品。
それから?それだけ?たったそれだけ?他には?

今日一日

2011-03-12 23:02:02 | お祈り
量販店には良い物があった。
阪神淡路大震災の被災者の声を聞いて作った避難グッズのセット。
リュック入りのがあったので1個購入した。
災害緊急時の最低限の必要物品のセットには、
生活事情に応じて追加して用意すべき物リストや
災害時の171電話の使い方を書いた小さなパンフレットが入っている。
これがあれば、セット商品そのものが完売しても
自分で手持ちのリュックに百均で買い揃えた物を詰めて置く事が出来る。


なるほど。
これは役に立つ。
いい仕事してるなぁ。
棚に一個しか残ってないが在庫あるかと店員に聞いたら
この商品を出している会社自体が仙台にあって被災したため、
次の入荷がいつになるか見当もつかないと言う。


無念だ。
これを作っていた人々は今災害の真っ只中なのか。


私はもう一セット分の物品を買い揃えて
じじ宅と私の自宅に設置した。


『非常持出袋』は二つ要る。
災害発生から避難所に行くまでを想定すると、
じじが在宅していた場合はじじ宅に一式設置してあるのを
その時居合わせたヘルパーまたは私が
『非常持出袋』を持ってじじを避難誘導する。
じじがデイケアまたは教会などで外出中だった場合は
私が自宅にあるのを持ってじじを迎えに行く。
幾つかの場合を想定した。
しかし本物の災害時に私の姑息なシュミレーションなど
どこまで通用するだろうか。


夜、『非常持出袋』のパンフレットをコピーしてじじに読ませた。
じじは寝不足でくたびれていたのか早々就寝、
私も「揺れたら来る」事にして帰宅した。




何だか、途方に暮れて
阿呆のように空ばかり見上げた一日だった。

2011年3月12日(土)迷走の日

2011-03-12 22:35:35 | お祈り
午前2時半過ぎまでは
起きて固唾を飲んでテレビに見入っていた。
しかし疲れの上にギンギンの興奮状態で神経に限界を感じて横になってみた。
少しうとうとしたが、何度も余震で目が覚めた。
大体震度3か4。
被災地のあちこちで震度5とか6強とか断続的に揺れているらしい。
大津波警報は解除されないまま。


朦朧としていたら突然室内が点灯した。
じじが早々と起きて来てテレビに見入っていた。
4:30。
黙って座らせて置く訳にも行かず、茶を入れて時間を持たせた。
それでもいつもより3時間も早いじじの朝食だった。


妹から明け方になってメールが届いた。
たまたま一家全員が家にいて、無事で帰宅難民にもならなかったと。
正直、ほっとした。
やっとじじと妹達の話が出来た。
こんな時でもなければ淹れる事の無い朝の珈琲を淹れてやり、
じじが飲んでいる間に
ヘルパーとデイケア職員宛ての申し送りを書いて夜が明けた。


雲一つ無い青空に、東の地平線から太陽が昇って来た。
(携帯の変なボタンを知らずに触っていたのか、
 うっかり暗闇モードで撮った空と太陽は画像が変に荒い。)


定刻に来たヘルパーにじじを頼んで申し送りをした。
朝食がいつもよりも3時間も早いため、
昼食の時間までに低血糖を起こす可能性がある事。
そのために念のためブドウ糖を2袋持たせた。


私は室内を片付け、量販店に行った。
前回の震度6以来5年以上も放置して使えない状態の
『非常持出袋』を整備するため。
とりあえず緊急避難に足りないものを整備することに徹する。





じたばたしても無駄だと思いながら、
寝不足の頭がやけにギンギンに冴えていて
事務的にあれこれと足りないものを直す。
しかし歩く道の途中、空を見上げ。


嘆息。


主なる神。
憐れんで下さい。

2011年3月11日(金)慟哭の日

2011-03-12 07:32:43 | お祈り
昨日2011年3月11日(金)は
午前中の外来は多忙を極め、
仕事柄バタバタ本気走りする訳にいかず小走りし続けて
午前中に飲む筈だったペットボトルのお茶を一口しか飲まず
何か頭が痛いかなと思いながら遅い昼休みに入って
社食で昼食をかっ込み、午後は処置室にいた。
救急外来と行ったり来たりして、
患者さんに使った車椅子を回収し、
夕方からの夜間診療まで少し時間があったので
点滴中の方に声をかけたり物品の補充したり雑務をしていた。


何だか眩暈がした。
午前中全然水分を摂っていなかった、
ああまずい、自分は脱水だなと思った。
しかし他の人達も「何だか眩暈がする」「更年期かな?」
などと同じような事を言っていてそのうち誰かが
「あ、地震じゃない?」と言った。
処置室の天井から吊ってある点滴棒が
振り子のようにぶんぶん揺れているのに初めて気がついた。
それから大きめの横揺れが来た。
皆で手分けして、
待合室、処置室、各トイレ全部を見て声をかけて歩いた。


足元がゆっくり回っているような揺れだった。
あ、これ以上大きく揺れたら物が倒れると思った。
多分震度3か4だなと思っていたら、震度4だったらしい。
速報を聞いた人が「東北方面で大地震になっている」と言った。


この地元では5、6年前に震度6を経験しており、
また震度3や4は珍しくない、
しょっちゅう揺れる地震の多い地域という事もあって、
震度4くらいだと余り危機感が起こらない。
誰も体調不良を訴える患者さんは無く、逃げる人も無く、物も倒れず、
何事も無かったように仕事に戻った。


じじが一人で家にいる時間帯だったので
念のため電話をかけたら寝ていたらしく、不機嫌だった。


「こんな揺れくらい何でもないっ」


「そうかい、そりゃ起こしてごめん。
 でもお父さんテレビ見てて。
 東北で地震が大きかったみたいだよ。」


それから間もなく外が騒がしくなった。
広報車とサイレンと外来の喧騒と、
どれが何の音か声か判別つかないまま勤務が終わった。
ロッカー室では大津波警報と避難勧告で国道や幾つかの橋が
通行止めになって家に帰れないと言う職員が何人かいた。
じじ宅の夕方のヘルパーも来られないかも知れない。
急いで目の前で客待ちしていたタクシーに乗ってじじ宅に行くと、
じじはテレビの前で固まっていた。


「・・・大変な事になった。」


市内の海岸沿いに住んでいる教会仲間と
河口近くに住む教会仲間と、
千葉の妹にまず連絡してみたが当然通話はつながらず、
メールを送った。


飯を炊け、握り飯を作る炊き出しの用意をして
避難所の教会仲間に届けろと言うじじに辟易した。


定刻通りにじじの晩飯の配食とヘルパーが来た。
幸い、ヘルパーはいずれも橋の手前の地区在住だったので
私が交替する必要は無く、通常通りのケア業務をして貰い、
私は珈琲店で自分の夕食を摂ってから
ヘルパーと入れ替わりでじじ宅に行った。


余震が何分か置きに繰り返し続いており、万一の避難に備えて
その晩はじじ宅で夜明かしした。


アクション映画のCGにすら出て来ないような物凄い大津波が
人と民家と街全体を飲み込んで行く光景をテレビ画面に見た。
水が燃えながら街を飲み込んで行く。
走って逃げる人が追い付かれ、生きたまま飲み込まれた。


この街にも2mの津波が来て、河畔の商業施設が浸水した。
水嵩を増した川は逆流していた。
震度3から4の余震が何度も繰り返し来た。
私は避難路の確保を考えていた。


震度6が来てもじじは動かさない方が安全である。
そのために大きな地震を想定して家具を配置し、
背の高い家具は別室に集めて配置してある。
どうしようもない物はL字の金具で壁に固定してある。
しかし万一火災が発生した時はエレベーターが使えないので
どうやって介助して階段を下りさせるか。
それを考えていた。
ダンボールに座らせて引き摺り下ろそうか、とか。


こんな夜に、
病院で夜勤をする同業者は生きた心地がしないだろうな。


テレビの中継では
夜の暗闇の中で中継地の街のあちこちで火柱が上がっていた。
妹一家のいる所でも工場火災が発生し、炎上したのを知った。
まさか地震発生の時にちょうどその近くにいたら、などと思ったが
じじの前で口に出す訳には行かない。


じじは興奮し、血圧が高い。
就寝したと思ったらまたすぐ這い出してトイレに行く。


深夜近くなって
避難している教会仲間と
同じ市内で津波の来た場所に近い病院で働く友達から
無事を知らせる連絡が届いた。






昨日と今日とでは別世界。
私達の生きている地上が別物に変ってしまった。
一体どうなるのだ。
どうしてこんな事に。


どうしてですか。
主なる神。

何たる朝。

2011-03-12 05:55:51 | お祈り
主よ、
憐れんで下さい。




大勢の人々が生命を奪われ、
家族の安否に心を引き裂かれ、
生活の場をこれ以上は無いほどに破壊し尽くされ、
今なお海上で漂流しながら、或いは瓦礫の下で身動き出来ないまま、
ひたすら助けを待っているのに
これほど酷い朝を迎えたのに
太陽が東の地平線から
雲一つ無い空を昇って来た。
何事も無かったかのように。




主なる神。
どうしてですか。
あんまりです。