しょうちゃんズ_Cafe

全力少年しょうちゃんが日々の感動と発見の中から、その心象風景とそこに織りなす人間ドラマを紹介します⌒⌒。

第13話<神戸編(PARTⅡ)> 「伝える力」;地震を考える

2011年01月23日 23時58分04秒 | Weblog
【橋のある風景】第13話<神戸編(PARTⅡ)> 震災と「伝える力」

 地震を考える。
 「伝える力」・・・を考える。

 あるはずのものが無い。無いはずのものがある。
 ある意味、正常でいることが異常に見える、そんな理不尽な光景をどう伝える?
 伝え手の「伝える力」と受け手の「想像する力」がつながった時、伝承が叶う。
 そう思う。

 無いものを展示することで、まさに見えるものがある。

 見せて、聞かせて、触れさせて、そして語り合う。
 そのためにこそ、
 切り取った実物があり、画像や書物等による記録がある。
 体験を語る人がいて、各種施設等で擬似体験を得て、その空気感や臭いを嗅ぎ取る。

 五感で感じて、想像力を発揮して、理解しイメージを自分のものにする。
 さらに、第三者に伝え、拡がれば・・・


写真-1 震災直後の再現模型(実物大ジオラマ)※1)


写真-2 野島断層をありのまま保存したもの※2)


写真-3 野島断層※2)

 結局のところ、
 伝え手から聞き手へ、さらに次の聞き手へ・・・と考えたとき
 知りたいと思わせること、知る意欲を高めることこそが、
 最高の「伝える力」なのかもしれない。

 単なる、歴史上の出来事にしてしまわないよう、継承する営みを実践したい。
 くり返し、くり返し。
 技能や技術、伝統や文化・・・、なるほど、万事同じということか。


※参考資料;
1)人と防災未来センター西館4F 震災追体験フロアの展示物

2)北淡震災記念公園・野島断層保存館 実際の断層保存ゾーン
  地震発生の際に断層南東側が南西方向に約1m~2m横ずれした横ずれ断層であり、
  同時に南東側が約50cm~1.2m隆起した逆断層となっている。


・紹介図書;
 1)板垣貴志・川内淳史編「阪神淡路大震災像の形成と受容」 岩田書院 2011.1月刊


第13話<神戸編(PARTⅡ)> おまけ(発生地震の基礎知識・その3)

2011年01月23日 23時55分42秒 | Weblog
第13話<神戸編(PARTⅡ)> おまけ(発生地震の基礎知識・その3)

 地震の空白地域、東海・東南海・南海地震を考える。
(※1)「東海道、南海道の地震」http://bo-sai.co.jp/tounankai1.htm より引用。)


写真-1※1) 推古天皇のころ、日本で初めて地震被害の記述が現れた「日本書紀」(江戸時代の活字本)東京国立博物館蔵


東海道、南海道で発生した地震※1)
(記録で見る古代地震~2009年東名高速通行止めを引起した駿河湾沖地震まで)

①地震発生年月日・②地震の規模・③震源・④地震の名称(被害概要)

1)
①416年8月23日(允恭5年7月14日)
②不明
③遠飛鳥宮付近
④大和河内地震(日本書紀に地震とのみ記載、被害の記録はないが、わが国の歴史に現れた最初の地震)

2)
①684年11月29日(天武13年10月14日)
②M8.0
③南海・東海道
④白鳳の南海・東海地震(山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数。津波の襲来後、土佐で船が多数沈没、田畑約12平方キロメートルが沈下し海となったと記録されている)

3)
①887年8月26日(仁和3年7月30日)
②M8~8.5
③五畿七道
④仁和の南海・東海地震(京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった)

4)
①1096年12月17日(永長1年1月24日)
②M8~8.5
③畿内・東海道
④永長の東海地震(皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失)

5)
①1099年2月22日(康和1年1月24日)
②M8~8.3
③南海道・畿内
④康和の南海地震(興福寺、摂津天王寺で被害があった。土佐で田畑1,000町余が海に沈んだ。津波によるものらしい)

6)
①1185年8月13日(文治1年7月9日)
②M7.4
③近江・山城大和
④文治の京都地震(京都の白河辺の被害が最も大きく、宇治橋が落ちた。社寺、家屋の倒壊で死者多数)9月まで余震続く)

7)
①1361年8月3日(正平16年6月24日)
②M8~8.5
③畿内・土佐阿波
④正平の南海地震(摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津、阿波、土佐に被害があった。阿波の雪(由岐)湊で家屋1,700戸余が流失、60人余が流死)

8)
①1498年9月20日(明応7年8月25日)
②M8.2~8.4
③東海道全域
④明応の東海地震(紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあった。津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1000戸、溺死者5000人。伊勢志摩で溺死者10000人、静岡県志太郡で溺死者26000人などの被害)

9)
①1586年1月18日(天正13年11月29日)
②M7.8
③畿内・東海北陸
④天正の飛騨美濃近江地震(飛騨白川谷で大山が崩れ、民家300以上が埋没。死者多数。余震は翌年まで続いた)

10)
①1596年9月5日(慶長1年閏7月13日)
②M7.1
③畿内
④慶長の京都地震(三条から伏見で最も被害が大きく、伏見城天守閣大破、石垣が崩れ約500人が圧死。堺で600人以上が亡くなり、奈良、大阪、神戸でも被害があった。余震が翌年4月まで続く)

11)
①1605年2月3日(慶長9年12月16日)
②M7.9
③東海南海西海
④慶長の東海・南海地震(犬吠崎から九州までの太平洋沿岸に津波が来襲し、八丈島で死者57人、紀伊西岸広村で700戸流失、阿波宍喰で死者1500人、土佐甲ノ浦で死者350人、、室戸岬付近で400人以上が死んだ)

12)
①1662年6月16日(寛文2年5月1日)
②M7.6
③山城駿河信濃
④寛文の琵琶湖西岸地震(比良岳付近で被害が大きく、滋賀唐崎で田畑が湖中に没し、倒壊家屋1570、大溝では倒壊で1020戸以上、死者37人、彦根で倒壊家屋1000戸、死者30人以上、榎村で死者300人、戸川村で260人以上死亡、京都で倒壊家屋1000戸、死者200人以上の被害があった)

13)
①1707年10月28日(宝永4年10月4日)
②M8.4
③5畿7道
④宝永地震(死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。わが国最大級の地震)

14)
①1854年12月23日(安政元年11月4日)
②M8.4
③中部、紀伊
④安政の東海地震(死者2000人~3000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生)

15)
①1854年12月24日(安政元年11月5日)
②M8.4
③近畿中南部
④安政の南海地震(32時間前の安政東海地震と区別が明確でないが、死者は1000人余、串本では11mの津波)

16)
①1899年(明治32年)3月7日
②M7.0
③三重県南部
④紀和地震(奈良、三重県南部、和歌山県南東部で被害)

17)
①1935年(昭和10年)7月11日
②M6.4
③静岡県中部
④静岡地震(死者9人、倒壊家屋363戸、道路、鉄道に被害)

18)
①1944年(昭和19年)12月7日
②M7.9
③東海道沖
④昭和の東南海地震(静岡、愛知、三重で甚大被害、死者行方不明1,223人、倒壊家屋17,599戸、流失家屋3,129戸、津波発生、地盤沈下あり)

19)
①1945年(昭和20年)1月13日
②M6.8
③愛知県南部
④三河地震(死者2,306人、倒壊家屋7,221戸、深溝断層出現、津波発生、地震の規模の割りに被害甚大)

20)
①1946年(昭和21年)12月21日
②M8.0
③南海道沖
④昭和の南海地震(中部以西で被害甚大、死者1,330人、倒壊家屋11,591戸、焼失家屋2,598戸、津波発生、地盤沈下あり)

21)
①1965年(昭和40年)4月20日
②M6.1
③静岡県中部
④静岡地震(清水平野地域で被害甚大、死者2人、倒壊家屋9戸、清水港で27cm沈下)

22)
①2009年(平成21年)8月11日
②M6.5
③駿河湾沖
④静岡駿河湾地震(震度6弱:静岡県伊豆市、焼津市、牧之原市、御前崎市)死者1名、負傷者245名、東名高速道路牧之原インター付近で路肩崩落。


出典;防災システム研究所HP http://bo-sai.co.jp/index.html より
※1)「東海道、南海道の地震」 http://bo-sai.co.jp/tounankai1.htm

第13話<神戸編(PARTⅡ)> おまけ(発生地震の基礎知識・その2)

2011年01月21日 18時51分51秒 | Weblog
第13話<神戸編(PARTⅡ)> おまけ;発生地震の基礎知識(その2)

 「発生地震の基礎知識(その1)」に示した各地震の分布マップを掲載します。

地震調査研究推進本部※1)が、地震に関するかなりの情報を発信している。※2)3)
(例えば、全国地震動予測地図※3)のリーフレットなど)
「日本の地震活動」※2)から、抜粋。1885-1995年代を中心に。


 図2-1 世界のM4以上の地震(1993 深さ100km以浅)



 図2-3 日本列島とその周辺のM6以上の地震(1885-1995 深さ100km以浅)



 図2-4 日本列島とその周辺のM6以上の地震の発生回数の積算グラフ(1885-1995 深さ100km以浅)



 図2-6 日本列島とその周辺のM7以上の地震(1885-1995 深さ100km以浅)

図2-3,2-6 を見て判るのが、南海・東南海・東海、の地震想定域における時間軸でみた空白状態だ。
駿河湾~四国沖の南海トラフに沿った地震は、過去をさかのぼってみると繰り返しM8程度の
巨大地震が発生してきたことが知られている。
例えば、1854年 安政東海M8.4 安政南海M8.4 は、1日違いで起きている。
(本シリーズ:第11話「稲むらの火」 参照
 稲むらの火の館(「濱口梧陵記念館」「津波防災教育センター」併設)が詳報している)
 http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/

 その発生のメカニズムの解明が進められているが、そこには「固着域(アスペリティ)」と呼ばれる
箇所が強く関係していることが判ってきた。※4)5)


 活断層が動いた、都市直下型といわれる阪神淡路大震災における地震動の発生・伝播は以下で確認できる。

 図2-13B 1995の兵庫県南部自身における断層運動(破壊)の進行方向と余震分布

 明石海峡付近(○印)で破壊が開始して、北東方向(神戸市方向)と南西方向(淡路島方向)に断層運動が
進行した。※2)



※参考文献:
1)地震調査研究推進本部:
   本部長・文部科学大臣、事務局:文部科学省研究開発局地震・防災研究課
   http://www.jishin.go.jp/main/index.html
2)「日本の地震活動」 地震調査研究推進本部編 平成11年(1999)4月1日発行
   http://www.hp1039.jishin.go.jp/eqchr/eqchrfrm.htm
 なお、第二版が平成21年(2009)3月に発行されている
  http://www.jishin.go.jp/main/p_koho05.htm
3)「全国地震動予測地図 平成22年(2010) -わが国の地震の将来予測-」
   文部科学省研究開発局地震・防災研究課(地震調査研究推進本部事務局)発行
4)「固着域(アスペリティ)と東海地震」:
  山岡耕春著(名古屋大・地震火山観測研究センター教授)
  http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/yamaoka/nnsl/nnsl-notes/yamaoka-20010521.pdf
5)NHKスペシャル 【MEGAQUAKE 巨大地震】
  (第1回;2010.1.10放送 全4回)
  http://www.nhk.or.jp/megaquake/p_schedule.html


第13話<神戸編(PARTⅡ)> おまけ(発生地震の基礎知識・その1)

2011年01月19日 16時53分40秒 | Weblog
第13話<神戸編(PARTⅡ)> おまけ;発生地震の基礎知識(その1)

●1850年以後に発生した日本の主な大地震・被害地震

・1850-1899;
1853小田原M6.7
1854伊賀上野M7.4 安政東海M8.4 安政南海M8.4
1855飛騨M6.8 宮城沖M7.3 安政江戸M6.9
1856十勝沖M7.7
1857芸予M7.3
1858飛越M6.7 青森東方沖M7.3
1861宮城沖M7.3
1872浜田M7.1
1877(イキケM8.3)
1881国後沖M7.0
1889熊本M6.3
1891濃尾M8.0
1892能登M6.4
1893色丹沖M7.0
1894根室沖M7.9 明治東京M7.0 庄内M7.0
1895茨城南部M7.2
1896明治三陸M8.5 陸羽M7.2
1897宮城沖M7.4 三陸沖M7.7
1898宮城沖M7.2
1899紀和M7.0 日向灘M7.1

・1900-1949;
1900宮城北部M7.0
1901奄美沖M7.3 青森東方沖M7.4
1902青森東部M7.0
1905芸予M7.2
1906熊野灘M7.5
1909房総沖M7.5 江濃M6.8 沖縄M6.2 宮崎西部M7.6
1911喜界島M8.0
1913日高沖M7.0
1914桜島M7.1 秋田仙北M7.1
1915十勝沖M7.0 宮城沖M7.5
1916明石海峡M6.1
1917静岡M6.3
1918(ウルップ沖M8.0)
1921茨城南部M7.0
1922浦賀水道M6.8 島原M6.9
1923茨城沖M7.3 種子島近海M7.1 関東(関東大震災)M7.9
1924丹沢M7.3
1925北但馬M6.7
1927北丹後M7.3
1930大聖寺M6.3 北伊豆M7.3
1931西埼玉M6.9 日向灘地震

・1950-1999;
1952十勝沖M8.2 大聖寺沖M6.5 吉野M6.7
1953房総沖M7.4
1955徳島南部M6.4
1956白石M6.0
1958石垣近海M7.2 択捉沖M8.0
1960(チリM9.5)
1961長岡M5.2 日向灘M7.0 釧路沖M7.2 北美濃M7.0
1962十勝沖M7.1 宮城北部M6.5
1964新潟M7.5
1965静岡M6.1
1966与那国近海M7.6
1968えびのM6.1 日向灘M7.5 十勝沖M7.9
1969北海道東方沖M7.8 岐阜中部M6.6
1972石垣南方沖M7.4 八丈島東方沖M7.2
1973根室沖M7.4
1974伊豆沖M6.9
1978伊豆大島近海M7.0 択捉沖M7.5 宮城沖M7.4
1980千葉中部M6.0
1982浦河沖M7.1
1983日本海中部M7.7 山梨東部M6.0
1984鳥島近海M7.9
1987日向灘M6.6 長野西部M6.8
1987千葉東方沖M6.7
1989岩手沖M7.0
1993釧路沖M7.5 北海道南西沖M7.8
1994北海道東方沖M8.2 三陸はるか沖M7.6
1995兵庫南部(阪神・淡路大震災)M7.3 択捉沖M7.7
1998石垣南方沖M7.7

・2000~
2000根室沖M7.0  三宅島M6.5  鳥取西部M7.3
2001芸予M6.7  与那国近海M7.3
2003三陸南M7.1  宮城北部M6.4  十勝沖M8.0
2004紀伊南東沖M7.4  中越M6.8  釧路沖M7.1
2005福岡西方沖M7.0 宮城南部M7.2 三陸沖M7.1
2007能登半島M6.9 中越沖M6.8 茨城沖M7.0 岩手・宮城内陸M7.2 岩手北部M6.8 十勝沖M7.1
2009駿河湾M6.5
2010沖縄近海M7.0


※参照文献;
1)「兵庫県南部地震」 wikipediaより
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E5%8D%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87

【橋のある風景】第13話<神戸編(PARTⅡ)> 被災橋脚

2011年01月17日 20時52分52秒 | Weblog
【橋のある風景】第13話<神戸編(PARTⅡ)> 被災橋脚

 また、今年も1月17日がめぐってきた。
 忘れてはならない日の一つ「1.17メモリアル・デー」である。
 平成7年(1995)1月17日(火)午前5時46分52秒JST。
 それは起きた。
 「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」である。※1)

 平成世代が成人式を迎え、社会人として巣立っていく社会の世代交代のさなか、
忘れてはならない日が、また、めぐってきた。
 今回で、16回目である。
 忘れまい、忘れさせまいとしても、形あるものは風化し、記憶は深く沈殿してゆく。

 神戸の冬の風物詩「ルミナリエ」は、もともとこの鎮魂の意味で始まったが、
今では観光化して年月の経ったことを実感させる。もとより「ルミナリエ」に責任はない。

 教訓を次代に残すため神戸市中央区に「人と防災未来センター」※a)がある。
震災のつめ跡を残すため、津名郡北淡町(現在の淡路市北部)には兵庫県南部地震の震源と
なった野島断層を保存する「北淡震災記念公園」※b)がある。
また、
神戸市中央区のメリケンパークには崩壊したメリケン波止場を保存する「神戸港震災
メモリアルパーク」※c)が整備された。

 写真-1 神戸港震災メモリアルパーク※3)
 (奥に見える浜手バイパスの橋梁群も被災した)


 写真-2 浜手バイパスの被災橋脚モニュメント※4)
 (直径3.1mコンクリート製円柱橋脚の一部、所在地;神戸市中央区新港町17 )


 写真-3 被災橋脚ほかモニュメントの全景※5)


 写真-4 被災伸縮継手※5)


 写真-5 被災支承※5)

  被害の姿を後世に残すことを望む声や、防災意識の高揚に資するため、
 ここに被災した2号浜手バイパスの「RC橋脚、伸縮装置、支承」を保存すること
 にしました。(※5) 国交省・兵庫国道事務所HPにあるコメントから抜粋)


 伝える場所、語り継ぐ空間が、そこここにある。
 何を伝えるか?どう感じてもらえるか?
 「伝える力」が今、試される。


 以下、年に一度は再確認したい。※2)
・死  者:6,434名
・負傷者 :重軽傷合せ 43,792名
・全壊家屋:104,906棟
・被災家屋:半壊・一部破壊含め計 639,686棟
・公共建物等非住家被害:40,917棟

・被災道路:7,245ヶ所
・被災橋梁:330ヶ所
・被災河川:774ヶ所
・がけ崩れ:347ヶ所

・断  水:約130万戸(ピーク時)
・停  電:約260万戸(  〃  )
・ガス供給停止:約86万戸( 〃 )
・電話不通:30万回線超( 〃 )


※参考資料・文献;
 1)気象庁命名による正式名称
  英語名;The South Hyogo Prefecture Earthquake in 1995
  なお、災害名を「阪神・淡路大震災」と呼称する事が同年2月14日の閣議によって口頭了解されている。

 2)阪神・淡路大震災教訓情報資料集
  http://www.bousai.go.jp/1info/kyoukun/hanshin_awaji/earthquake/index.html

 3)神戸港震災メモリアルパーク 写真集
  http://kobe-mari.maxs.jp/kobeport/earthquake_memorial.htm

 4)2011.1.15付け 神戸新聞掲載記事「伝える場所(4)」より

 5) 国交省兵庫国道事務所HPより
  「阪神・淡路大震災モニュメント」
  http://www.kkr.mlit.go.jp/hyogo/bousai/jishin/monyu/index.html


※参考HP;
 a)人と未来防災センター
  http://www.dri.ne.jp/
 b)北淡震災記念公園
  http://www.nojima-danso.co.jp/
 c)神戸港震災メモリアルパーク
  http://www.city.kobe.lg.jp/culture/leisure/history/daishinsai/shousai/023.html