【橋のある風景】第9話<舞台装置としての橋編>「人と祭りと橋と」(その2)永代橋②
永代橋の現況風景
海福寺(目黒区下目黒3-20-9)に永代橋崩落横死者供養塔がある。
文化4年(1807年)8月に永代橋が崩落、440名が溺死した。深川にあった海福寺に供養塔が作られたが、明治43年(1910年)に目黒に移転、供養塔も移った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/c2/cfaf19ade720f2a6eee07c5c1f5a4318.jpg)
東京都指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。
「文化四年永代橋崩落 横死者供養塔及び石碑」が黄檗宗・海福寺に、東京都教育委員会設置の説明板付きで置かれている。
ちなみに、この事件は
歌舞伎では、黙阿弥作「八幡祭望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」
落語では、粗忽者の武兵衛が水死者に間違えられ自分の遺体を確認に行くという「永代橋」
の素材となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/f5/4ff6ad059eecf15894c68c0e0dd4219d.jpg)
永代橋の現況風景
海福寺(目黒区下目黒3-20-9)に永代橋崩落横死者供養塔がある。
文化4年(1807年)8月に永代橋が崩落、440名が溺死した。深川にあった海福寺に供養塔が作られたが、明治43年(1910年)に目黒に移転、供養塔も移った。
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東京都指定有形文化財(歴史資料)に指定されている。
「文化四年永代橋崩落 横死者供養塔及び石碑」が黄檗宗・海福寺に、東京都教育委員会設置の説明板付きで置かれている。
ちなみに、この事件は
歌舞伎では、黙阿弥作「八幡祭望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」
落語では、粗忽者の武兵衛が水死者に間違えられ自分の遺体を確認に行くという「永代橋」
の素材となっています。
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