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『笑顔しか思い出せないんです』
⇒(大牟田市自宅の一室の壁には瞳さんの写真がびっしりと飾られています)
母の直美さんが語るように、教室にいるときも、車椅子に乗っているときも
瞳さんの顔ははちきれんばかりの笑顔であふれています。
『命を何だと思っているの!』
⇒闘病する仲間が次々と亡くなっていく。15人もの身近な人々の死を受け止め
なくてはならなかった。そのたびに深く傷つき「みんなこんなに頑張ってい
るのに、何で・・・」と号泣した。
人が人を殺す事件、いじめや自殺のニュースを見ては心の底から怒り、怒
鳴った。これが(母曰く)瞳の顔かと思うほど怖い顔つきになって、強い口
調でそう言った。
たくさんの笑顔の影で冷静に死を見つめ、生きることに希望を見出し、
最期まであきらめず、ひたむきに生き続けた瞳さんの別の顔がありました。
限られた命を見つめ、最期の一日一瞬まであきらめずに生き抜いた瞳さん
の生き方には、強い感銘を受けました。
また、最期まで言い続けた「命さえあれば前に進んでいける」は、彼女の
生き方とともに記憶に深く刻まれ、命のメッセージとして生を得たように思
います。
平成16年(2004)9月16日 午後9時52分 心停止。享年14歳。
あらためて、故猿渡瞳さんのご冥福をお祈りします。合掌。
参考文献:
・猿渡瞳 「瞳スーパーデラックス」 西日本新聞社 2005.4.20刊
・猿渡瞳・猿渡直美 「ママ、笑っていてね」 アスキー 2007.12.4刊
・西日本新聞 平成17年(2005)2月2日付け社説
『笑顔しか思い出せないんです』
⇒(大牟田市自宅の一室の壁には瞳さんの写真がびっしりと飾られています)
母の直美さんが語るように、教室にいるときも、車椅子に乗っているときも
瞳さんの顔ははちきれんばかりの笑顔であふれています。
『命を何だと思っているの!』
⇒闘病する仲間が次々と亡くなっていく。15人もの身近な人々の死を受け止め
なくてはならなかった。そのたびに深く傷つき「みんなこんなに頑張ってい
るのに、何で・・・」と号泣した。
人が人を殺す事件、いじめや自殺のニュースを見ては心の底から怒り、怒
鳴った。これが(母曰く)瞳の顔かと思うほど怖い顔つきになって、強い口
調でそう言った。
たくさんの笑顔の影で冷静に死を見つめ、生きることに希望を見出し、
最期まであきらめず、ひたむきに生き続けた瞳さんの別の顔がありました。
限られた命を見つめ、最期の一日一瞬まであきらめずに生き抜いた瞳さん
の生き方には、強い感銘を受けました。
また、最期まで言い続けた「命さえあれば前に進んでいける」は、彼女の
生き方とともに記憶に深く刻まれ、命のメッセージとして生を得たように思
います。
平成16年(2004)9月16日 午後9時52分 心停止。享年14歳。
あらためて、故猿渡瞳さんのご冥福をお祈りします。合掌。
参考文献:
・猿渡瞳 「瞳スーパーデラックス」 西日本新聞社 2005.4.20刊
・猿渡瞳・猿渡直美 「ママ、笑っていてね」 アスキー 2007.12.4刊
・西日本新聞 平成17年(2005)2月2日付け社説