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全力少年しょうちゃんが日々の感動と発見の中から、その心象風景とそこに織りなす人間ドラマを紹介します⌒⌒。

チリ中部沿岸を震源とする地震による津波について(2/28 9:00~ 国交省発表)

2010年02月28日 18時52分03秒 | Weblog
チリ中部沿岸を震源とする地震による津波について(2/28 第一報9:00~ 国交省発表)

1.地震の概要
・発生日時:2010.2.27 15:34頃(現地時間03:34頃)
・震源地 :チリ中部沿岸(南緯36.1度、西経72.6度)
・震源の深さ:約60km
・地震の規模:M8.6(推定値)

2.津波の観測状況(同8:00現在)
・エルサドル サンタクルス島 0.7m
・米領サモア パゴパゴ    0.7m
・米国 ハワイ州ホノルル   0.2m
・チリ タルカワノ      2.3m
・クック諸島 ラロトンガ島  0.3m

3.日本への津波の到達予想時間
・北海道太平洋沿岸  13:00
・東北地方太平洋沿岸 13:30
・関東地方      13:30
・東海地方      14:00

4.大津波警報(高いところで3m程度以上が予想される)気象庁発表9:33【第2報 同9:45発表】
・青森県太平洋沿岸  13:30
・岩手県、宮城県   13:30

5.処置状況【第4報 同12:00】
・青森県、岩手県、宮城県等で避難指示および避難勧告
・東北地方沿岸部の国道45号等で通行規制実施
・三陸鉄道 11:00から全線運休
・国交省、海上保安庁、消防庁、警察庁、外務省、防衛省、原子力保安院、等々で対応措置
・観測状況
 チリ・タルカワノ    2.3m(8:00現在)
 米国・ハワイ州ホノルル 2m(9:07津波警報解除)   
 豪州・津波第一波到達  1.5m(9:43 時事通信)

6.津波到達状況【第9報 同17:30】
・南鳥島 0.1m(12:52)
・根室市花咲 0.3m(15:48)
・霧多布港  0.2m(14:30)
・むつ小河原港 0.1m(最大波0.6m 15:52)
・十勝港 0.2m(最大波0.6m 16:50)
・久慈港 0.3m(最大波1.2m 15:49)

7.被害状況【第9報 同】
 15:59 根室花咲港 中央埠頭 約20cm冠水
 16:00 気仙沼市  道路冠水 延長300m×深さ10cm

8.参考情報
①(2010年2月28日01時37分 読売新聞)
 1960年チリ地震M9・5と同じ「海溝型」
 今回のチリ大地震は、海のプレート(板状の巨大な岩盤)が、南米大陸のプレートの下に沈み込むプレート境界で発生した。
 観測史上最大の地震とされる1960年5月のチリ地震(M9・5)と同じ「海溝型」の地震で震源も近い。

 60年の地震では、チリ沿岸を高さ8メートル以上の津波が襲った。津波は、地球の反対側の日本にも地震発生約22時間後に到達。約4メートルの津波に見舞われた岩手県の三陸沿岸などで多くの犠牲者を出し、全国で142人の死者、行方不明者が出た。

 当時被害が拡大したのは、津波情報が国際間で十分に共有されなかったためだ。これを教訓に、米国や日本など太平洋沿岸諸国は、米ハワイにあった太平洋津波警報センターに、津波を監視し情報を共有するシステムを構築した。現在、気象庁は同センターの情報を基に、中国やインドネシアなど北西太平洋地域の11か国に、津波情報を提供している。

 2007年8月にペルー沖で発生したM8の地震の際、気象庁は太平洋沿岸に津波注意報を発表した。実際、北海道根室市、青森県八戸市、沖縄県石垣島などで15センチの津波が観測された。
 今回のチリ地震では、地震発生の約1時間後、同センターは、チリとペルーの沿岸部に津波警報を発表した。同センターによると震源に近い都市タルカワノで、地震発生の90分後に約2・3メートルを観測した。


②北海道南西沖地震
 1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8、推定震度6(烈震)で、日本海側で発生した地震としては最大規模。
 震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、死者230名、行方不明者29名を出した。
 さらに、ロシアでも行方不明者3名。震度が推定になっているのは、当時地震計が置かれていなかったため。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 ※津波による被害<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<:
 津波での死者・行方不明者は、奥尻島で島の人口の4%にあたる198名、北海道本島の北檜山町・瀬棚町・大成町(いずれも現在のせたな町)などでも死者を出した。

 第1波は地震発生後2-3分で奥尻島西部に到達し、5-7分後には藻内地区のホヤ石水力発電所に到達した。北海道本土側の茂津多岬付近では第1波が地震発生後約5分で到達している。

 津波の被害を最も大きく受けたのは、奥尻島南部の青苗地区である。
 三方を海に囲まれたこの地区は、震源より直接到達した波が、市街地でも高さ6.7mに達したほか、島を回り込んだ波、北海道本土で反射した波など複数方向から津波の襲来を受け、事実上壊滅状態になった。

 地区の人口1,401人、世帯数504に対し、死者・行方不明者109名、負傷者129名、家屋全壊400棟という被害を出した。このほか、藻内・松江など島の南半の各地区と、北端の岬にある稲穂地区で津波でも死者が出ている。

 奥尻島の各地区における津波の高さ(波高)は、稲穂地区で8.5m、奥尻地区で3.5m、初松前地区で16.8mに達した。
 遡上高は、震源からの津波の直撃を受けた島の西側で特に高く、藻内地区で最大遡上高30.6mを記録した。

 奥尻島は1983年(昭和58年)の日本海中部地震で津波被害を受けており、このときの到達は、地震発生から17分後であった。
 この経験から徒歩で迅速に避難し助かった人も多くいたが、逆に津波到達までは時間があると判断し、車で避難しようとして渋滞中に、また車で避難中に避難路の選択を誤ったり、あるいは避難前に用を済ませようとするうちに津波に飲まれた人も少なくなかった。
 その一方、海岸付近に立てられた鉄筋コンクリート2~3階建ての住宅が一家の命を救ったという事例が存在する。

『どぼくのある風景』第11話(ディザスター編) 「稲むらの火」※1)4)7)

2010年02月28日 18時28分38秒 | Weblog
『どぼくのある風景』第11話(ディザスター編)「稲むらの火」※1)4)7)

 昨秋、主演大沢たかお・綾瀬はるかで高視聴率を取った日曜9時TVドラマ「JIN-仁-」※2)、見た人も多いと思います。
終わり方がちょっと・・・。続編は映画化か?と放送終了後も話題沸騰でした。漫画本も17巻に達し、引き続き好評連載中。
南方仁と坂本龍馬のその後が大変気になります。※3)
 ちょうど、そういう時代のお話です。

 紀州和歌山藩、広というところに小さな村がありました。村の長者さまの大きな家は海を見下ろす小高い丘の上に建っていました。
村人は長者さまに見守られるかのように海と山にはさまれたせまい土地に住み、家のまわりにある田んぼでたくさんの米を作っていました。

 ある秋の夕方のことです。
長者・五兵衛は村人たちが秋祭りの用意をしているのを眺めていました。収穫を祝うお祭りです。今年は豊作で準備にも力が入っているようです。
その日は秋だというのに蒸し暑い日でした。
かすかに地面がゆれるのを感じて、「地震か」五兵衛はつぶやきました。
人を驚かすような地震ではありません。
長い、のろい、ゆったりとした揺れでした。すぐに静かになりました。

 村人たちは、何事もなかったかのように祭りの用意を進めています。
五兵衛は何の気なしに目を海に移しました。
すると、風とは逆の方向に波が動いているのです。
波は沖の方へ、沖の方へと退いていきます。
そして、見る間に、海の底だったところがあらわれはじめました。

 初めて見る光景でした。五兵衛はその時、自分のおじいさんから子供のころ聞いた話を思い出しました。海にまつわる話です。
やがて、五兵衛は、はっきりと思い出しました。

「すぐに松明(たいまつ)を持って来い!」家人に言いました。
それを待ちかね、ひったくるように持つと、田んぼに急ぎました。
そこには丹精込めて育てた、取入れを待つばかりの稲むら(刈り取った稲を積み上げたもの)がありました。
 五兵衛は、その稲むらに火をつけて回りました。
次々と炎となって天を焦がすような大きな火になりました。
山寺の小僧が火に気付き、あわてて早鐘をつきました。

 村人たちはこの鐘を聞いてはじめて高台の火に気付きました。
「大変だ!長者さまの家が火事だ!」山にのぼって来る村人たちの姿が見えました。
日は沈みかかっています。
最初に若者たちがやって来ました。
火を消そうとする若者たちを制して「うっちゃっておけ!残りの村中のもの、全員をすぐにここへ集めるのだ!」五兵衛が言いました。

 五兵衛のいきおいに気おされて、それに従います。やがて、元気な女たちや娘たちも来ました。
赤ん坊を背負った母親や老人たちも上って来ました。
集まった村人は何が起こったかわからず、怪訝(けげん)そうな顔をしています。
世話役が見回して、言います。「みんな、おります。」

 その時、五兵衛が沖を指差して叫びました。
「来たぞ!!」
みんなは、日が落ちて薄暗い、はるか水平線を訝(いぶか)しげに見ました。
一筋の線が現れました。
それはみるみる太い線になりました。
太い線はみるみる高くなり大きな壁のようになると鳶(とび)が飛ぶよりも速くこちらに向かって押し寄せてきます。
「つ、津波だ!」

 どどーん!!巨大な海のうねりは山々をも轟(とどろ)かすように重く、これまでに聞いたことのないような音をともなって、海岸にぶつかりました。
そして、そのままあたりが何も見えなくなるような水けむりを上げました。
人々は恐ろしさのあまり、悲鳴を上げ、後ずさりしました。

 波はうなりながら沖に退くときに家々を引きちぎっていきました。
幾度も打ち寄せ、退いていきました。
幾度となく繰り返しながら、波は次第に小さくなりました。

「あれを知らせるために、火を着けたのだ。」五兵衛は言いました。
われにかえった村人たちは、一人また一人と五兵衛の前にひざまずき、頭を下げました。

(以下、続く)

【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)津島ノ宮と参道橋(第4回)

2010年02月27日 20時59分53秒 | Weblog
【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)津島ノ宮と参道橋(第4回)

 このあたりは、干満の差が激しい。優に2mはあるように思う。
 夏季大祭は平日・土日に関わらず、毎年8月4、5日に行われる。地域挙げての一大イベントになっている。


「子供の神様」として知れ渡り、近年は四国以外岡山や阪神間からも瀬戸大橋などを経由して車で訪れる参拝客・観光客が多い。ただし、子供連れが圧倒的。

 ↑写真は、津嶋の本殿前からリバースアングル。


 大祭以外の日は大鳥居が目立つ静かなたたずまいの中にあり、ただ波の音が聞こえるのみである。
 そのギャップの大きさを味わうのもまた面白い。

 ちなみに、この周辺は「四国のみずべ八十八カ所」に選定されています。
(69)香川用水東西分水工、(71)父母ケ浜、(72)紫雲出山から見た瀬戸内海、とともに
(73)大見海岸・津嶋神社、として登録されています。※

 塩飽諸島を望む静かな海に浮かぶ小島と農漁村が織りなすのどかな風景は箱庭のよう。
子供の守り神として信仰を集める津嶋神社は沖合いの小島にあり、海上の橋で結ばれています。
夏の大祭には大勢の参拝客で賑わいます。
 ※国土交通省四国地方整備局香川河川国道事務所

【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)津島ノ宮と参道橋(第3回)

2010年02月26日 20時16分13秒 | Weblog
【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)津島ノ宮と参道橋(第3回)

 陸地と津島(津嶋神社本殿)を結ぶ「つしまばし」は橋長L≒300mのコンクリート連続ラーメン橋です。
床版は木製の歩み板がはめ込まれています。


夏季大祭の時以外は床版は外されています。扉も閉まっています。
したがって、通常時は渡ることは困難です。


しかし、その気になれば・・・

干潮時に歩いて渡ることは可能です。(しかし帰りのことを考えて行かないと大変なことになるw)

やはり、夏季大祭のときに大手を振って渡りましょう!
下記は、JRの臨時駅「津島ノ宮駅」発行の切符と渡橋料300円の通行券


【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)津島ノ宮と参道橋(第2回)

2010年02月18日 16時07分46秒 | Weblog
【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)
『津島ノ宮と参道橋』第2回
津嶋神社の本殿は、沖合い約300mの津島にあります。
海上参道橋がかかっていますが、いつもは閉鎖されていてたどり着くことは少々困難です。
8月4、5日の夏季大祭時のみ通行が叶います。有料橋です。
子供の守り神として信仰を集めており、小さい子供をつれた親子が大勢集まります。
本殿では次々と神事、ご祈祷がされます。(写真参照)
暑いさなか、子供たちはむずがゆい思いをしながら汗を拭き拭き参加しています。地元では、親子何代にもわたり参拝しているそうです。
 夏季大祭には、大勢の参拝客目当てに夜店がたくさん出ます。陸地側の拝殿、社務所周辺から津島ノ宮駅までにぎゅっとかたまっています。車で来る親子も多く、少々離れた所にいくつもの駐車場が臨時に出来ます。
 地元、神社、農協などが総出で役割を果たします。本殿横に詰める巫女は地元の中高生、つしまばしの渡橋料(2009年度は300円でした)の集金と出入り管理は若者たちの仕事のようです。警察や消防団の詰所・テントも出ています。駐車場への誘導と管理は農協やおじさんたちの仕事です。平日のことも多く、夕刻から夜の方が賑やかなようです。海上から上げる奉納花火が盛大です。JRもこの日だけは無人駅舎に大勢が詰めています。乗り降りの介助に汗だくになっていますが、みんな笑顔が素敵です。まちを挙げての行事ということがよく伝わってきます。
 8月4、5日以外は何もありません。あの賑わいは幻だったのかと思いぐらい何もありません。橋は閉じられ、拝殿と社務所が静かに守っています。
 ある意味、このギャップがいいのかもしれません。
(以下、続く)

【橋のある風景】第10話<舞台装置としての橋編>人と祭りと橋と(その3)津島ノ宮と参道橋

2010年02月16日 21時43分12秒 | Weblog
『橋のある風景』【第10話】<舞台装置としての橋編> 人と祭りと橋と(その3)
津島ノ宮駅と津嶋神社・海上参道橋「つしまばし」

 一年に2日しか営業しない駅がJR四国にある。
 しかも、8月の4、5日と決まっている。時刻表に駅の記載はない。しかし8月号の全国時刻表だけには記載がある。ただし、欄外に。
香川県三豊市三野町大見甲6816-2 「津島ノ宮」駅

 予讃本線とはいえ、高松起点から多度津駅を過ぎると単線。大きなカーブでカント(左右のレール面の高低差。車両の傾きを言う場合に用いる)が厳しい。


 通常、高速運転で通過するので通過時仕様である。したがって、停車時の乗り降りには健常者にも介助(臨時に本社から駅員が派遣される)が付く。
 


 全国には、年間を通して一時期しか営業しない、いわゆる臨時駅がいくつかあるが、予讃線津島ノ宮駅は、年に2日しか営業しない、日本一営業期間が短い駅である。
 この駅は、近くの津嶋神社の祭礼がある、8月4日と5日の2日間だけ営業する。つまり、普段は地元住民の日常生活には、全く縁のない駅なのである。しかし、この2日間は見事に人が集まる。子供の守り神として名高い神社ゆえに四国のみならず岡山や阪神間からも瀬戸大橋を渡って集まって来る。繁忙時はラッシュ時の様相を呈する。


 冒頭の写真は混雑前の静けさ。待合いは、臨時のテント張り。駅名板は立派だが通常、普通電車も通過する駅。
(以下、続く)