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【橋のある風景】第9話<舞台装置としての橋編>「人と祭りと橋と」(その2)永代橋①

2009年06月26日 18時59分02秒 | Weblog
【橋のある風景】第9話<舞台装置としての橋編>「人と祭りと橋と」(その2)
永代橋①;

 2007年8月1日午後6時過ぎ(日本時間2日午前8時過ぎ)に発生したアメリカ・ミネソタ州の橋梁崩落事故は、橋の危険度を認識させるに十分な衝撃をもって伝えられた。その前後から、国内でも橋梁の安全性を揺るがす事故・現象があちこちに見え始め、危惧している。過去、日本でも橋梁崩落による大惨事が起きている。記録をひも解けば、それは徳川幕府のお膝元、江戸市中でも起きた。

 文化4年(1807)8月19日、江戸深川・富岡八幡宮の大祭に押し寄せた人々をのせて、永代橋は崩れ落ちた。12年ぶりの大祭は、荒天で祭りの開催日が順延され、またその日は徳川家一ツ橋様の屋形船が下を通るからと一時通行止めになっていた。それやこれやで往来は混雑していた。通行止め解除を待ちかねて町民が殺到した。一瞬にして1500人余の老若男女の命を奪う事故が起きたのである。
 永代橋は過去洪水等による破損・復旧や老朽化により、改築・修繕に多額の維持費がかかるという状況にあり、一旦廃止の命が下っていた。深川地区が陸の孤島になるのを嫌った住民は陳情を続けた。諸経費はすべて町内の負担、通行人から橋銭を徴収して、これを維持費にあてるという苦肉の運営策がとられた。その永代橋が落ちたのである。
 南町奉行所同心渡辺某は当日の通行管理の責任を一身に背負い自刃。関係する町々の責任者は遠島等の刑に処せられた、とある。
 ちなみに、翌年には一周忌法要がしめやかに執り行われている。合掌。

参考文献等:
・杉本苑子著「永代橋崩落」中公文庫1992.05 中央公論社(1988.1初出)
・斎藤月岑著・金子光晴校訂 武江年表(上)(下) 東洋文庫 平凡社 1978
・永代橋崩落図(江戸東京博物館蔵)※写真参照
・永代橋崩落横死者供養塔(東京都目黒区 黄檗宗海福寺)