『投票権と悟り権』・・・といいながら、そんなものが自分にもあったのか〜?・・・と、気付いたのが『還暦』の歳であった。
どうやって気付いたのか…と考えると、私の場合どうやらそれは『スマートフォン』が原因であった。
『スマートフォン取得』は、スイスに住む私にとってタイミング的に『宿命』であったとしか思えない。
2011年3月11日に東日本大震災があり、原発事故があった。同年6月に最初のスマートフォンを購入・・・、ツイッターで俳句を始める。
俳句からツイッターで流れる『原発事故問題』に関するツイートを眼にする。しかも、仕事のチョットした合間にも…。
そして、当時の官房長官・枝野氏の『(放射能は)ただちに人体に影響ありません・・・』の発言にさすがの私も衝撃を受けた。
あまりの無責任な言い様に『ノンポリ』の私も原発問題に意識がゆき、それが切っ掛けとなって日本の政治に目覚めたのだ。
とにかく、SNSが発展して私のもとにもやって来るまで、『日本の情報』というのは皆無に近い状況であった。
であるから、ノンポリもノンポリ。海外に住んでいるぶん堂々たるノンポリ(政治無関心派)だった。
それが2011年3月に日本に激震が起こり、日本政治が馬脚を露わしたタイミングで 私は『スマートフォン』を購入したのだ・・・。
この現象って、海外に住んでいる者でなければ解からんやろか〜?!
ニュースの小窓『ツイッター』から『ツイキャス』を経て『Facebook』、『Youtube』などで色々学び10年間。
その結果、山本太郎ひきいる『れいわ新選組』支持を公言して憚らない馬骨になりました。
人類のリスクは国家というシステムを継続する限り永遠に無くならないというわけです。