拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 数式 』 対『 漢式 』

2024年09月09日 | 東洋自分なり研究所

  もしかして、私はえらい発見をしてしまったかもしれず・・・そしてそれはノーベル賞に匹敵はしないかもしれないが、それに限りなく近い気がしている。

  

  まぁ、そもそもが『東洋自分なり研究所』で『自分なり』・・・というところが『ミソ』であるが。

  私のヨーロッパ・仏語圏スイスに天命のような渡欧の理由(一見無意味にみえる)の深意の一端がこの発見の為ではなかったか・・・?!

  とか、いう前置きはそのくらいにして、私の発見というか、思い込み…というか? それは何かというと

  『科学の解明には「数字・方程式」が、東洋思想の解明には「漢字・方程式」が必要である』・・・というものである。

 

  これまで、私は漢字は意思疎通のための方法手段であり、それ以上でも以下でもない・・・と思っていたし、それが一般的であると信じていた。

  『考えるな、漢字ろ!』に開眼してからも、まさかそこまで『漢式』が洋の東西を超えた『心性の解明』に深く関わっていたとはまさに

  『お釈迦様でもご存知あるめい…』の心境で、びっくらこいた心境であり、誰も想定することのない想像を絶する創造的発見である。

 

  いま思い返せば、修行時代のある日、老師が『お前は漢文が読めるか?』と問われ、非常に情けない気持ちで『読めません』と

  答えた自分をよく覚えているが、その問はただ単に『漢文が読めるかどうか?』を問われただけである、と解っていながらも

  『漢文は単なる漢文ではないんだぞ!』・・・と、示唆していたように思えるのが不思議だ・・・。

 

  三十数年に渡って仏語(フランス語)の国に住みながら、ろくに仏語が話せないだけでなく、仏教の『仏語』が『佛語』に昇華しただけの成果に

  一見、何のなめにわざわざ遠路はるばる言葉の通じない異国に来たのか? その理由の答えが『漢字・方程式』、略して『漢式』の発見であったのだ。

              

                   

                今朝、日本に一ヶ月の旅に旅立った友人の碧い目の禅僧『道海』さんに、『Bon Voyage』のメッセージを送ると

                彼からの返信にこの絵を返信してきた・・・誰の作画かしらないが『雲水』の旅姿であろう。

  『佛』の字を『漢式』で解くと、いろいろ面白いものが観えてくる。

  新漢語林によると、『佛』の『弗』は、『からまるヒモを二本の棒で、振りはらうさま』とあり・・・馬骨解釈すると、それは『色空』の二棒で一切皆苦からの解放で

  それはまた『自他不二』の『不二の法門』を象徴している。

  もう一つ面白い観方は、『弗』が、『DNA〜Dignity(尊厳)・Nature(性)・Absolute(絶対)』の意伝子の形(二重らせん)を表してみえる。

  つまり『佛』という字は、たった一字で、人間の『不二の法門』と『尊厳という絶対の性=仏性』の意伝・・・を表しているのだ。