拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 無口なガイド 』 宣言

2021年03月02日 | 観自在

  1991年の夏にスイスに来て、2003年に引越し屋になるまでの12年間、私はスイスで観光ガイドとして働きました。

  この期間はちょうど日本でバブル崩壊を絵に描いたような形で、観光ガイドに影響を与えた時期でしたが、経済のことなど全く知らない

  世間知らずの私は、お客さんが時折口にする言葉『バブル』が何を意味するのかガイドをやめる頃まで知りませんでした。

  スイスは隣のフランスとは違い、観光ガイドになるのに、国家試験のようなものがなく、旅行代理店が雇ってくれれば誰でもガイドに

  なることができました。ひどい話ですが、だから私のような『迷ガイド』がそれなりに食べてゆけたのです。

  考えてみれば、スイスにくる前は禅の修行で『無言を旨(むね)』としていて、スイスに来たからと言っていきなりマイクを持って

  地理も歴史も…というかそれこそ何にも知らない者がガイドをするのですから…今思うと笑ってしまいます。

  最初は先輩何人かのバスに乗せてもらい、見習いをしますが、ある時、そんなに日本語が上手いわけではないのに、

  客に受ける外人女性のガイドさんに大いに学ぶところがあり、ガイドを『楽しくする』という極意を得たように思います。

  というのはお客様はとにかく、バスに乗った時点で『テンション』が普段の2,3倍は上がっていますから、こちらも『テンション』を上げ

  今日の一日を、お客様が楽しい思い出を残せるように心がけました。私はユーモアを解する人間ですが、発することの出来ないタイプの人間でしたので

  多分苦労をしたと思いますが、それなりにパターンをあみ出し、結構お客をノセて笑わしたりしました。ガイドが終了して帰宅すると疲れてがっくり

  してましたから、やはり普段の自分ではなく、テンションを上げる努力をしていたんでしょう。

  2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を引き金に、日本人観光客が目に見えて減りました。2003年に引越し屋の働き口を見つけるまで

  ガイドとして苦しい時期を過ごしました。当時はフランス語も話せず、読み書きできず…で、どうしようかと思っていました。

  観光ガイドの仕事もそろそろ、お終い…と自覚したころ、私はバスの中でお客様に自己紹介する時のセリフをそれまでの『ローザンヌのカモシカ、一撮です!』

  というところを『無口なガイド、一撮です!』・・・と一度言ってみたい、という夢があったのですが、結局勇気がでなくて言えませんでした。

  ガイドが冗談にしろ、『無口なガイドです』…なんて、こんなジョークが許されるか、心配だったのです。だから、このセリフ『無口なガイド』は

  私の中でずーっと暖めてきた言葉なのですが、今になって考えると私にとって案外意味深いものであることに気が付きました。

  私が自分なりに、仏法について多少わかるようになったのは、(維摩経の)『維摩の一黙』…によるところが大きいと考えるからです。

  維摩は私にとって『無口なガイド』でした。 そして私もこれから『無口なガイド』になりたいのです。

         

           『 一黙の 耳をつんざく 雷鳴の 今に聞きたる 観音の声 』 一撮



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