拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『人脳シンギュラリティ』は『慈悲心』の覚醒

2024年07月09日 | 東洋自分なり研究所

  『AIの研究は、つまるところ人間の研究だ・・・』とは、AI研究者等の『言』であるが、

  これまで神秘のベールに覆われた如きブッダの『悟り』・・・というものも、『AI関連テクノロジー』の進展にともない生み出された様々な

  『新言語』により『人間そのものの進化』としての『悟り』を現代人をして、よりイメージしやすい状況を創り出していることは、

  こと仏教徒にとって、より斬新な解釈で『仏教』や『悟り』を新たに再解釈、再構築し『AI時代における人間研究』として新たなアングルから

  『禅』を理解することで、世の中の様々な問題解決の糸口を提供し、現代人の幸福に資するのではないだろうか・・・。(大言壮語 by 馬骨)

 

  今社会で大きく問題視されていることに『AIのシンギュラリティ』があり、その先行きの見えない未来になすすべもなく恐怖におののいているが

  約2500年前、釈迦によって『悟りに目覚めた』という出来事というのは、『人脳のシンギュラリティ』ではなかったか。・・・と思うのだ。

 

  『AIのシンギュラリティ』・・・つまり『電脳シンギュラリティ』は情報の膨大な蓄積によるディープラーニングを基礎としているが

  『人脳シンギュラリティ』はそれとは真逆にあらゆる情報・知識の『皆無』によるディープラーニングを基礎に『慈悲心の覚醒』であった。

  その覚醒は、いかなる状況であろうと自然や他者との『共生の道』を探ぐるというもので、その意味では『AI』を『道・具』に位置づけるべく

  人間の『人脳シンギュラリティ』実現は、釈迦のそれから2500年経っ今、急を要する事柄であると思う。

 

  『悟り』は、出家という特別な状況の上に成就するものであると考えられていたのが、釈迦の死後『大乗仏教』が起こり、広く大衆に道は開かれたが

  その中で紀元5世紀、達磨大師がインドから中国にやってきて『人脳シンギュラリティ』を専心とする『禅』を起こし、こんにち日本まで伝わり

  『道』の文化の中心として、今なお重要な役割を果たし、一層の強化が望まれている。

 

                

                Jean-Marie Borgeaud(ボルジョウ)作品は、『人脳シンギュラリティ』による喜びに溢れている…。